墨汁日記

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わかる作文

2005-05-17 20:44:58 | ブログの仕方
 表現の主格は受け手にある。
 
 これが「漫画家志望」としての俺が最期に出した結論である。この事に気がつくのに30年かかった。
 あらゆる表現は受け手の器なりにしか受けとめてはもらえない。
 
 養老孟司も似たような事を言っていた。本も書いてる。たしか書名は「馬鹿の壁」だっただろうか。

 その事に気づいてから、俺は表現にとり「わかる」ことは無意味な事だと思いだした。
 どのくらいわかるかは受け手しだい。
 わかる人にしかわからない。
 いや。下手すれば誰も正確には理解してくれない可能性もある。

 わかってもらう事への不信感。わかりやすいことへのあきらめ。

 なら、わかりやすい表現は無意味であり、わからないように描く事に意味があるのではないかと一時は考えていた。

 だがだ。漫画家なんてヤクザな夢をすて、こうして真人間としてブログで作文を書いていて気づいた。

 わかってもらいたい。

 そうだ。わかってもらいたいのだ!
 俺は俺という人間をわかってもらいたいが為だけに、その事だけが目的でほぼ毎日、日記めいた作文をしているのだ。

 わかってもらいたい!
 これがもしかするとあらゆる創作の根本的なエネルギーなのかもしれない。

 だから、あえて俺はわかりやすい作文という方向に向かおうと思う。


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