リンク: 発言の自由.
『とあるところに『protozoa 村』という村があったとする。
その村の住人はそろいもそろって、みんな protozoa 。
この村に住む protozoa は、どいつもこいつもビールッ腹のイタい親父で口臭はニンニク臭く、人生は既に生まれながらにして終わっていて、低賃金労働者で国家への寄生虫。2次元オタクでアル中の一歩手前。
さらに、早漏で短小で低能なくせに哲学の入門者なんか読んで自分に学があると勘違いしているような、救いようもなく許し難いほどの大馬鹿野郎である。
そんな protozoa であるので、当然に『弱者』である。
弱者であるので、自分が protozoa だと申請すれば、国から『 protozoa 年金』を支給される。
その protozoa について、とある政治家が問題発言した。
「protozoa など、卵を産むメンドリ以下だ。彼らに生きていて良い根拠など1ミリもない!」
ただちに、政治家の発言に対して『動物愛護団体』から抗議が上がった。
「protozoa とメンドリを同列に扱うなど許せない!
メンドリさんに対して失礼だ。メンドリさんに謝れっ!」
抗議の声の激しさに政治家は辞任した。』
さて、この国のルールは『民主主義』である。
日本は民主主義国家である。
この国においては、民主主義のルールこそ『弱者』を守る盾である。
民主主義というルールだけが、弱者を守る根拠となる。
民主主義というルールには矛盾も多いが、そのシステムを根本としている国家において、民主主義の弱体化は、すぐに弱者へはねかえる。根が腐れば弱いところから枯れて行くのは当然のこと。
弱者を守る為には、ルールを尊重しなければならない。
ところで、民主主義には『言論の自由』という『自由』がある。
それに従えば、何を言っても良いのだ。
発言に罪はないというのがルールだ。
この世には『言ってはいけない事がある』という感情は、そのルールを犯している。誰が何を言っても問題ないのだ。発言は自由である!
それが民主主義のルールだ。
だが、民主主義には裏のルールもある。『声のでかい奴の勝ち』!
しかし、これはあくまで裏のルールであり、多用するのは感心しない。
多用すれば、民主主義は根本から根腐れして、いずれ弱者は切り捨てられる事となるだろう。
弱者を本当に守りたいと思うならば、ルールを厳守しなければならない。
ルールとは『環境』のようなもの。
全体を冷静に見渡し、己を捨て厳守しない限り、すぐに破壊され無かったことにされる。
弱者を本気で守りたいと望むなら、下らない感情など捨て理性のみで生きる事だ。先の先まで見据えた計算高い理性がなければ弱者は救えない。
超えろ、超人になれ。スーパーマンにならなきゃ弱者は守れない。弱者のためなら自分の感情なんか捨ててしまえ!
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