いやいや、どーも。
失業者です!
えーと、俺が手をこう頭にやったら笑うとこだから。
つっても、見えねぇか。
まぁ、
まぁアレだよね、俺も色々あってさ。
おもにクビとかね!
そんなで、色々あって絵を描きかけだったのを忘れていた。それを思い出したんで、今日の夕方ぐらいから絵の続きを描きはじめて、やっとシャーペンによる下書きが完成したわけよ。
まだ下書きの段階だが完成がいつになるのか分からないので、恥ずかしながら、なんて謙遜するフリなどをなどとしながら、今夜は絵の下書きを発表しよう。
簡単に説明すると、これから発表する絵はケント紙にシャーペンで書いています。シャーペンは黒い芯じゃなくて、青い芯を使っています。
なぜ青い芯を使うかと言うと、青い色はコンピュータへ画像をスキャンする時に画像操作で消す事が出来るからなのです。
今から見せるのはまだシャーペンの下書きですが、これから黒いペンでペン入れをしてからスキャンし直せば、青い色の下書きは消えて黒いペンの線だけが残るのです。そして、その黒い線を主線にして彩色していくわけです。
ようするに、本来ならの本当は、まだまだ今から見せる絵は完成にはほど遠い状態にあるワケですな。
ところで、下書きにペン入れした絵を知人に見せると、
「下書きの時の方が良かったね」
と、いつも言われます。
そして、ペン入れした絵に色を塗った絵を今度は見せますと、
「ペンだけの時のほうが良かった」
と、必ず言われます。
さて、ここで読者の皆さんに勘違いして欲しくないのは、別に俺の描く絵は下書きの時が一番良いなどと言うつもりは全くないと言う事です。
その証拠に、下書きする前の「白い紙」を知人に見せますならば、
「あー、これが一番良いよ!」
と、ぜったいに誉められるからです。
さてとまぁ、そんなで今夜はこれから、下書きにペン入れをしようと思ってるんだけど、ところで、いつもなら酒を飲みながら絵を描いているのに、今夜は珍しくシラフだ。マジに昨夜から1滴もアルコールを飲んではいない。
なんで飲んでないかと言うと、今夜は10時くらいに、きのう面接にいった会社の社長から「採用通知」の電話がかかってくるからなのだ。
もちろん、誤解して欲しくないのだが、採用通知と言っても「採用しましたよ」って電話ではないかもしれないという事である。
むしろ「不採用」を告げる電話かもしれないのだ。そのほうが可能性は高い。
それにもしも、採用されたとしても。
またクビかもしれないしな!
それでも、さすがに酒を飲んでベロベロの状態で電話にでたり、あるいは泥酔して寝ちまって電話にでられなかったりするとやばい。
それで、ずっと飲まないで我慢してきたのだが、もう限界だ。
だいたいなんで、そんな夜遅くに電話がかかってくるかと言うと、採用先の社長さんは今夜の会議の後じゃないと、明日は早朝から関西に主張なので、もう電話は来週なかばになると言うのだ。
そんなに待つのも嫌だから、つい今夜に電話下さいと言ってしまったが、
今はとても後悔している。
正直、今すぐにでも酒を飲みたい!
あー。
これから下書きにペンを入れなきゃならないのに、どうもなんだろう、アルコールが切れてきたせいか手が震えだしてきた。
こんな震える手じゃペン入れなんてできないよぉ!!
ぁryちゅ、いやいや、もはやペン入れどころかタイピングさえ危うくなっyてきたろ。いかんいかんやかん!
もう飲んじゃおっかなぁー。
いいよね飲んでも?
どうせ俺は駄目人間だしぃ。
では、
どうも、仕事をクビになった俺です。
まぁなんだね、俺ってけっこう自分じゃ駄目人間のつもりでいたんだけど、俺の駄目っぷりではまだ駄目らしい。
簡単に言うと、駄目人間を自称するのは駄目で、ようするに、今の駄目ごときじゃ、まだまだ駄目なのだ。
どう駄目か?
まだまだ駄目がぜんぜん足りていないのである。
これじゃ駄目だっ!
俺ていどの駄目では、若い人に対し胸をはって「俺のような駄目人間にだけはなっちゃいけないよ」などと、反面教師ぶって説教するのはとてもおこがましい。
反面教師なら反面教師として、真実の駄目っぷりを我が身をもって示す事こそが理想の反面教師像であると俺は考える。
人生は重い荷を背負いてロッククライミングするのに等しい。
人生という岩山ははてしなく高く、雲にかくれて頂上すら定かではない。さらに強い風はクライマーを吹き飛ばさんばかりに吹き荒れ、また、下に降りるにしても底があるのかないのか暗黒が広がるだけ。
がむしゃらに岩山を登りつめていくか、登らないまでもそこから落ちないようにしがみついて居るかしか、普通に考えるなら選択肢はないように思える。
なんだけども、隠された選択肢もじつはある。
岩山のところどろには、避難所みたいな雨風がしのげて腰を落ち着けられるような場所があって、うまいことそういう場所を発見できたのなら幸運だ。上に登るのをあきらめさえすればそこに定住しちまえば良いのだから。必死で上に登る人を尻目に重い荷物を置いて座り込んでいられるのだから、とても楽ちんだ。
だが、そんなに簡単に避難所は見つからないだろう。
上にいくほどクライマーも必死で、上の方の避難所はせっかくここまで登り詰めたのだからという人達でたいてい埋まっている。空席はほとんどない。
それに、上にいくにしろ、まず中間地点あたりの泥沼化したクライマー達の混雑渋滞を乗り越えていかねばならないのだけど、その中間地点にはとにかく人が多くって絶対に空いている避難所などは無い。
避難所はそう簡単には無いから登らざる得ないのだろうか?
でも、空いている避難所ってのは、これは内緒なんだけども、上よりも下に多い。じつは岩山の下の避難所なら空いている場所がけっこうある。
上に登るのを止め、少し降りて、そのような避難所に腰を落ち着けるのもひとつの選択肢だ。
そうしたなら、ロッククライミングに夢中になっている人たちには見えないような景観がきっとひらけるだろう。どうせ上を目指す連中など、目の前の岩しか目に入っていないのだし。
上を目指す人からは、そんなところに荷物を置いて安住したなら、きっと「お前はそんな場所で満足しているのか」と言われて笑われるだろうけど、劣等感なんて下らないものにさえ動じなければ何も問題はない。むしろ賢い生き方かもしれないのだ。
ところで、上を目指すにしろ、避難所に安住するにしろ、誰もが怖れるのは岩山から転落することである。転落するのはじつに簡単だ。しがみついているその岩から両手を離せば良いだけなのだから。
でも、簡単だからといって、自分から転落を選ぶ人はなかなかいない。
岩山の底は暗闇で、落ちたらどうなるか分かったもんじゃないという恐怖感が転落をおそろしく感じさせる。
実際、転落は落ち方によっては大きなダメージを受ける。
場合によっては死に至るだろう。
だが、地の底まで落ちきれる人は稀である。なぜなら、岩山の中腹よりだいぶ下には鬱蒼と木々が生い茂っていてくらい森になっている。その森が原因で岩山の底が見えないのであるが、なんにしろ大抵の落下者はそのくらい森の枝に引っかかり地の底まで転落する事は無いのだ。うまいぐあいに落ちたなら木々のおかげでほとんど無傷のまま助かることさえある。
だが、クッションとして転落者を受け止めてくれたくらい森は、また上に登ろうとするならば大きな障害になるだろう。
きつい斜面に鬱蒼と繁ったくらい森はクライマー達を閉じ込める。縦横無尽に隙間なくのびた枝はリュックや服にからみつき、転落者を容易には登らせない。
上に戻る事を望むかぎり、森の上空の枝の隙間からわずかに見える岩山をただ恨めしく眺めて苦しむしかない。
でもまぁ、もう上をめざすつもりがないなら、どこだってその場所なりの幸福もあるもんで、くらい森での生活もそれなりで、きっと気の持ちようだ。
それでも、まだどうしても上を目指したいなら、枝に引っかかる服やわずかに残った荷物をみんな捨てちまうしかないだろう。
それしか、裸一貫のすっぽんぽんにならないかぎりは下層のくらい森からは絶対に抜けられないが、そうしてさえも抜けられるとはかぎらない。
なんか話がずれたが、結論を言おう。
俺はクビになった職場に安住を求めていたのだ。
会社を人生の避難所にしょうとしていたのだ。
そんなさもしい根性だからクビにされたのだろう。
だいたい俺らが貰う給料ってのは、自分が会社で稼いだ利潤の取り分ではない。
給料 イコール 会社で自分が稼いだ金 という意味ではなくて、労働者を使うにはいろいろと経費がかかり、雇用主が労働者に給料として支払う以上の給料明細では見えない金が労働者を使うのにはかかっている。とにかくもっと真面目に企業戦士として働かなくちゃならないのだ。安い給料でどこまでやらせるつもりだなんて考えてもいけない。
とにかく、今回クビになって本当に良かった。
駄目なのに無理して働いても仕方がない。
でも、
俺は懲りない駄目人間。
今日これから、またしても会社の面接に行く。またパン屋だ。
どうせ、みんなまたきっと駄目なんだろうと思っている事だろうが、俺もそう思う。駄目だろうけど、駄目を極める為に面接へ行ってきます。
駄目を極めるのは難しい、常に駄目であらねばならないよと。
さて問題です!
『7と3の2倍はいくらですか?』
問題というのは命令文である。
疑問文も命令文だ。
答えを出す事を要求するのは、答えを出せと命令している事に等しい。
たいていの場合は命令するのは偉い人である。
だから、過去の日本では、目下の人間が上司に質問するのは失礼とされてきた。
若い人が老人に質問するのは失礼とされてきて、その伝統は今でも古い体質が残っているような職場ではまだ残っている。
質問できないんだから、先輩の仕事を見て、そして先輩がなぜそうしたのかを自分の頭で考えて、先輩のやるように自分でもやってみるしかない。
それが「見て覚える」とか「技を盗む」ってやつ。
そういう職場の先輩に教育者としての資質は必要ない。
先輩は普通に仕事をしてりゃ良いだけで、新人のほうが自分から必死で先輩の真似をして仕事を覚える。
これだと教育者に、教育の労力はかからないが、そのかわり、この方法だと新人教育に馬鹿みたいに時間がかかる。
教育とは、なんでそうなのかを後輩に納得させる手段であり、洗脳とは違う。
と、俺は思う。
で、ひとまず話を終えて、最初の問題に戻ろう。
『7と3の2倍はいくらですか?』
この質問文は間違っている。なぜなら答えが何通りもでてしまうからだ。
間違った質問文からは絶対に正しい答えは導かれない。
「人生の意味とは?」
「正しい生き方とは何か?」
「愛とは何か?」
などのような、上にあげたような質問は全て質問文として破綻している。
質問が間違えているのに、正しい答えが出るはずは絶対に無い。
破綻した質問の正解を考えるのは、まったく時間の無駄である。
それでは、
『7と3の2倍はいくらですか?』
この設問にあなたなりに答えを出して欲しい。
考えましたか?
答え1、 20
答え2、 13
答え3、 14と6
このように、この設問からは俺が考えられるだけでも3パターンも答えが出てしまう。これでは何が正解だか分からない。
なぜこうなるのか?
もちろん、質問文が完璧でないから正解がいくらでも出てしまうだけ。
正しい答えを相手に求めるならば、絶対に完璧な質問を用意するべきであろう。
そうでないと答えはでない。
逆にいうならば、正しい質問からしか絶対に正しい答えは導かれない。
正解を求めるなら、まず正しい問いを発見する事が肝心である。
正しい問いを生む為にあみだされた一つの方法が数式である。
1、(7+3)×2=20
2、7+(3×2)=13
3、7×2=14
3×2=6
数式なら正解はひとつしかでない。
きちんと答えが出る正しい疑問文を考えだす事が教育者や学者、さらには先輩方々の役目だと俺は思う、てか、どうとでもとれる間違えだらけの命令を下されると下々の者はとても迷惑する。コンピュータならかたまるぞ。