ここ開田村は旧細川家の領地でした。そのゆかりから
智忠親王は、智仁親王が細川幽斎から古今伝授を受けた
建物を京の八条宮本邸からこの地へ移しました。
寛永15年には、天神境内の東のため池を掘り広げます。
これが今日の「八条ヶ池」です。
(撮影 昨年4月29日)
しかし、八条宮家が二つの山荘を造営することは
資金面で困難でした。これを支えたのが前田家の
援助でした。智忠親王の正室、富姫は前田利家の
孫にあたる方です。今も八条ヶ池の中堤に架かる
太鼓橋は前田家から寄進されたものです。
ーつづくー
智忠親王は、智仁親王が細川幽斎から古今伝授を受けた
建物を京の八条宮本邸からこの地へ移しました。
寛永15年には、天神境内の東のため池を掘り広げます。
これが今日の「八条ヶ池」です。
(撮影 昨年4月29日)
しかし、八条宮家が二つの山荘を造営することは
資金面で困難でした。これを支えたのが前田家の
援助でした。智忠親王の正室、富姫は前田利家の
孫にあたる方です。今も八条ヶ池の中堤に架かる
太鼓橋は前田家から寄進されたものです。
ーつづくー