(撮影 昨年4月5日)
武家によって翻弄された八条宮智仁親王が
心のより処を見出したのが文学、とりわけ
「源氏物語」でした。そこに描かれた華麗な
平安王朝の雅を再現するため、領地となった
桂村に山荘の造営を始めました。それが後の
「桂離宮」です。元和3年(1617)(一説には
元和9年)徳川秀忠により、ここ開田村447石
余りと山林竹木が八条宮家に与えられました。
(撮影 昨年4月5日)
その頃、徳川秀忠の娘和子が後水尾天皇に入内
されます。後水尾天皇の叔父にあたる智仁親王
はその入内に際し、朝廷側の推進者であったと
言われています。後水尾天皇は後に上皇となら
れてから修学院離宮を造営されました。
ーつづくー