最後は小泉川右岸の山裾部にあった、鈴谷遺跡のご紹介です。
ここでは7世紀後半、古墳時代終末期の
小規模な横穴式石室が発見されました。
古墳は竹藪の土入れなどで削られ、天井石もなくなっていました。
横穴式石室の玄室は、長さ2.0m、
羨道の長さが1.5mで、幅0.6m、高さ0.8m以上、
玄室と羨道の幅が同じタイプの無袖式石室です。
全長約10mの小規模な古墳と考えられています。
石室は途中大きめの石があり、玄室と羨道部を区分していたようです。
小石を敷いた玄室から、須恵器の坏身(つきみ)や蓋が2セット、
土師器の甕が1点出土しました。
出土品の配置などから、埋葬された人は渡来系の氏族との
関係も考えられています。
また、鈴谷周辺の発掘調査のために山間部を掘削した時に、
約170万年前とされる大阪層群の地層から、
小さい二枚貝や牡蠣の化石が出土しました。
発見された場所は、標高80m程の丘陵地ですが、
大昔ここは海底であったことがわかります。
(牡蠣の化石)
説明板は京都縦貫道側道、荒掘交差点東側にあります。
ここでは7世紀後半、古墳時代終末期の
小規模な横穴式石室が発見されました。
古墳は竹藪の土入れなどで削られ、天井石もなくなっていました。
横穴式石室の玄室は、長さ2.0m、
羨道の長さが1.5mで、幅0.6m、高さ0.8m以上、
玄室と羨道の幅が同じタイプの無袖式石室です。
全長約10mの小規模な古墳と考えられています。
石室は途中大きめの石があり、玄室と羨道部を区分していたようです。
小石を敷いた玄室から、須恵器の坏身(つきみ)や蓋が2セット、
土師器の甕が1点出土しました。
出土品の配置などから、埋葬された人は渡来系の氏族との
関係も考えられています。
また、鈴谷周辺の発掘調査のために山間部を掘削した時に、
約170万年前とされる大阪層群の地層から、
小さい二枚貝や牡蠣の化石が出土しました。
発見された場所は、標高80m程の丘陵地ですが、
大昔ここは海底であったことがわかります。
(牡蠣の化石)
説明板は京都縦貫道側道、荒掘交差点東側にあります。