ウィトゲンシュタイン的日々

日常生活での出来事、登山・本などについての雑感。

平湯温泉から松本へ

2011-10-10 14:29:49 | 旅・おでかけ

10月8日(土)

2泊3日で訪れた上高地・奥飛騨の旅も最終日となった。

皮肉なことに、最終日の天候がいちばん良く
朝起きると、客室から朝日を受けて輝く笠ヶ岳がくっきりと望めた。
今日なら、新穂高ロープウェイの視界も良好で、北アルプスの山並みを望むことが出来るだろうに
朝食を済ませ、旅館アルプスの支払いをするため一足先に部屋を出た私は
フロントで乗鞍の天候と乗鞍スカイラインの道路情報を聞いた。

ガガーーーン

乗鞍スカイラインは昨日の積雪で道路が凍結し、朝から通行止めで
開通するのは早くても昼前だろうとのことだった。
平湯バスターミナル8時40分発の畳平行きのバスに乗って行かなければ
帰りの時間に余裕が持てないため、泣く泣く乗鞍行きをあきらることにした。

これほど天気が良く、乗鞍方面の山並みがくっきり見えるのに…
後から来た母とダーリン・娘の3人も
旅館からバスターミナルに来る途中で客引きをしていたタクシー運転手に行き先を聞かれ
「乗鞍に行く。」と、言ったところ
「今日は乗鞍には行けないよ」と、言われ
「何を言っているんだ」と、思ったそうだが
バスターミナルで私と落ち合い状況を聞いて、納得しつつも少々がっかり。
こんなこともあろうかと、松本行きの8時45分発のバスがあることを調べていた私は
3連休の初日で渋滞も予想されることから、早く松本に下りることを提案。
松本に着くまでの間に、どう過ごすか決めることにした。
そうと決まれば、昨日売り切れてなかった飛騨牛まんを食べようということになり
ダーリンはいそいそと、蒸籠から湯気の立ち上る出店へと向かった。
ところが…、蒸し上がるまで5分かかると言われ、仕方なくバスに乗り込んだのだが
バスの運転手が、到着が遅れたため、時間調整で出発時刻を8時50分にするというではないか。
ダーリンは躍り上がって、5分後に再びいそいそと飛騨牛まんの売店へと向かった。
ところが…、この日はよりによって蒸し上がりに時間が掛かり
5分たっても牛まんは硬いままであった

泣く泣くバスに戻ってきたダーリンが席に戻ると、バスのドアが閉まり、バスは発車。
飛騨牛まんの売店のお姉さんが、申し訳なさそうにダーリンを見送ってくれていた。

穂高の山々も、乗鞍の山々にも雪が降ったというのに、紅葉は一向に進んでいるようには見えない。
山岳地帯に別れを告げて、バスが松本バスターミナルに着いたのは10時10分だった。
さて、これからどうしたものかと思案し、松本城と善光寺という候補が浮かんだ。
松本城で、「第8回信州・松本そば祭り」などというイベントが開催されているとも知らず
まずは松本駅10時30分発の松本周遊バス・タウンスニーカー松本城へ向かった。


まさかこれほどの人出だと想像だにしていなかったが、バスから松本城へ向かう最中にも
全ての人の流れが松本城に向かっていき、松本城に近付くにつれその数も増していった。
松本城の正面入り口にはテレビ局の中継車なども来ていて、大勢の人でごった返し
入口を入るとすぐに立ち並ぶテントでは地元を始め全国各地から来た蕎麦屋が出店していて
まだ10時台だというのに皆行列を作ってそばを貪り食っている
それに恐れをなしたのと、やはり3日めの疲れもあって母は松本城には行かないと言い出した。
娘も人ごみが苦手なので一緒に待っているからと、近くの喫茶店で休んでいることにして
私とダーリンで松本城の天守閣を見学に行った。

そば祭りの会場を抜けると若干人は少なくなったように思えたが
それも相対的な感覚で、大手口には行列が出来ていた。

正面右手の乾小天守と天守の間に大手口があり、ここから内部に入る。
天守6階に上がるまで、ずっと数珠繋ぎで昇降のすれ違いさえ困難な場所があり
それが渋滞をさらに加速させている。
天守からの眺めは確かに素晴らしいが、所詮街中の眺めである。
ぞろぞろと流れに乗って進み、急勾配の階段を用心深く降りる。

月見櫓まで来て、やっと数珠繋ぎから開放されたが、もうここでぐったり
天守を見学するのに、約1時間15分もかかってしまった。
母と娘が待つ喫茶店に戻り、一休みしてから、近くの蕎麦屋でお昼を食べ
路線バスで松本駅に向かった。

松本駅15時4分発のしなの13号に乗り、長野駅で長野新幹線あさま538号に乗り換え
全員何とか無事に帰宅した。


久しく泊りがけで旅行にも行かなかった母だが、50年前に父と訪れた上高地や
山男の父が歩いた北アルプスの山並みを望む旅ができ、帰宅後の疲れや体調の変化もなく
これを機に、外出することに対して意欲をもってくれることを願っている。
父が存命ならば、出好きだった父に引きずられるように出掛けていたのだろうが
あまり欲をもたない母は、ともすると積極的に歩かないため体力的に減退する傾向にある。
私も心掛けて、母を連れ出すようにしようと思いながら
自分の35年後の姿を考えることになった旅でもあった。



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2 コメント

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いい旅をされましたね (芝刈り爺さん)
2011-10-10 18:15:09
お母さんにとっても、お父さんにとってもとても素晴らしい旅を、プレゼントしましたね。
きっと父上さまも、ついて来れれたのではないでしょうか。

今年は彼岸ころから一気に寒くなり(涼しくなり)お山の紅葉も今盛りのようです。

私は、日曜ごとの仕事で、あまり出かけられないのですが、今日(10日)沼原から那須の山に行ってきました。紅葉はきれいでした。人が多くて。まあしょうがないか。

とにかく、良かったですね。私も年齢は母上に近いのではと思います。
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笑いすぎてお腹が筋肉痛 (ぴすけ)
2011-10-10 21:35:53
芝刈り爺さん、お蔭様で傘を差さねばならぬような雨には当たらず、何より無事に母が3日間を過ごせて、良い旅になりました。
上高地を訪れた日にちも、図らずも50年前に両親が滞在していた日にちと重なり、思い出深いものとなりました。
道中、4人で馬鹿話をしながら歩き、旅館ではUNO大会で盛り上がり、娘は笑いすぎてお腹が筋肉痛になったと言っていました。
生前はいろいろと問題のあった()父ですが、その甲斐あって死後も父に関する笑いのネタは尽きず、私達に笑いをもたらしてくれています。
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