KIN70白い倍音の犬(輝き 力を与える 指揮する/ハート 愛する 忠実)
少し前の話ですが、ある難病のクライアントさんが、「既に治っている」という具体的なイメージを一生懸命持つようにされていました。引き寄せの法則によって、その治っている状態を引き寄せようというのです。
私は引き寄せの法則に関する本は読んでおりませんので誤解している可能性もありますが、ホ・オポノポノを実践していると、クリーニングと引き寄せが相反するもののように感じることがあります。
病気との関係性をクリーニングする必要があると思うのですが、クリーニングにおいて最重要なのは「結果を手放す」ことです。「治る」という期待さえ手放し、クリーニングすることが大事なのですが、そのことに関してクライアントさんはかなり抵抗されました。
抵抗するということは、今のご自分、つまり難病である自分のありのままを受け容れていないということで、そこには恐れがありました。難しいご病気ですから当然とは思います。
ご病気の方が「治る」イメージというのはとてもポジティブかつ切実であり、希望を持ち続けるために大切だと思うのですが、まずは何故病気になったのか、そこを受容してクリーニングしないと、ウニヒピリ(インナーチャイルド)が苦しみ続けます。
病気こそがインナーチャイルドからのメッセージであり、ウニヒピリが苦しみ、それも並の苦しみではないからこそ難病という表現をしているのですよね。
「何故私は病気になったのだろう?」という原因が簡単にわからなくても、それをただクリーニングするのみなのです。ウニヒピリをケアし続けるのです。
ただ治ったという「結果」のイメージ、そのためにクリーニングする(それはクリーニングではありません!)、そしてそれが叶わないことを悲しむ、などというのは、ウニヒピリを無視して虐待していることになります。
KR女史の新刊 ホ・オポノポノ ライフ ほんとうの自分を取り戻し、豊かに生きる を読みました。
「願いを叶えたいとき、欲しいものを手に入れたいと必死になっているとき、強い意志で何かを成し遂げようとしているとき、たとえそれがあなたのモチベーションになっていたとしても、(中略)ホ・オポノポノではグウ(握りこぶし)になっているときです。グウになっているときはインスピレーションの流れが遮られているときなので、そんなときこそクリーニングしたいですね。」(p30)
つまり、たとえポジティブでハッピーなことでも「これがいい!」とか「こうありたい!」と判断したり執着した途端にゼロではなくなり、流れが滞るのです。その体験を手放す(パア)ためにクリーニングするのが、ホ・オポノポノなのですね。
あらゆる祈りや願い事に関しても、「○○が××のようになってください」というふうに叶い方まで指定するなんて、天の意志を無視した自分勝手な願い方ですよね。
「望む結果」のイメージというのは、たかだか頭で考えたこと。つまりこれまでの情報や記憶から構築されたものです。神聖な天の意志とはそんなセコいものではないはず。
いえ、私と違ってものすごく頭の良い人は先を読む力があって、本当に素晴らしい「結果」を期待されるでしょう。それでも宇宙の意志である本当の「インスピレーション」には及ばないはず。まずはマインドの思い込みを手放して、ただゼロになる必要があるのです。
だって知ってることはただの「記憶」ですから。それをクリーニングすれば宇宙からの「正しい結果」「素晴らしいギフト」が自動的にやってくるのですね。(それが本当の引き寄せなのでは!?)
実は私も新月の祈りに関しては、始めてから何年もの間、ずっとかなり具体的に書いてきました。すると叶うものと叶わないものがはっきり分かれてきます。すぐに引き寄せられるものと、クリーニングが必要なものとがあるのだと認識し、最近は殆どの願いごとを「クリーニング」にしています。「私は○○を願っていますので、それに関する情報をクリーニングします」というふうに。
ホ・オポノポノの書籍は、もう知っていることばかりと思いながら、何冊読んでも目からウロコです
そう、何も知らないんです、私は
そして美しいハワイの自然の中で生きる、世界で一番長くクリーニングをしている人としてのKR女史のすがすがしい美しさが印象的な写真が沢山あり、その半生の様子も語られていて感動的であると同時に、お金や不動産のテーマ、子育てについてなど、とても現実的なところまで言及されていてわかりやすいものでした。何よりも読後は自然にクリーニングをする自分になっている、というところが素晴らしい本です
少し前の話ですが、ある難病のクライアントさんが、「既に治っている」という具体的なイメージを一生懸命持つようにされていました。引き寄せの法則によって、その治っている状態を引き寄せようというのです。
私は引き寄せの法則に関する本は読んでおりませんので誤解している可能性もありますが、ホ・オポノポノを実践していると、クリーニングと引き寄せが相反するもののように感じることがあります。
病気との関係性をクリーニングする必要があると思うのですが、クリーニングにおいて最重要なのは「結果を手放す」ことです。「治る」という期待さえ手放し、クリーニングすることが大事なのですが、そのことに関してクライアントさんはかなり抵抗されました。
抵抗するということは、今のご自分、つまり難病である自分のありのままを受け容れていないということで、そこには恐れがありました。難しいご病気ですから当然とは思います。
ご病気の方が「治る」イメージというのはとてもポジティブかつ切実であり、希望を持ち続けるために大切だと思うのですが、まずは何故病気になったのか、そこを受容してクリーニングしないと、ウニヒピリ(インナーチャイルド)が苦しみ続けます。
病気こそがインナーチャイルドからのメッセージであり、ウニヒピリが苦しみ、それも並の苦しみではないからこそ難病という表現をしているのですよね。
「何故私は病気になったのだろう?」という原因が簡単にわからなくても、それをただクリーニングするのみなのです。ウニヒピリをケアし続けるのです。
ただ治ったという「結果」のイメージ、そのためにクリーニングする(それはクリーニングではありません!)、そしてそれが叶わないことを悲しむ、などというのは、ウニヒピリを無視して虐待していることになります。
KR女史の新刊 ホ・オポノポノ ライフ ほんとうの自分を取り戻し、豊かに生きる を読みました。
「願いを叶えたいとき、欲しいものを手に入れたいと必死になっているとき、強い意志で何かを成し遂げようとしているとき、たとえそれがあなたのモチベーションになっていたとしても、(中略)ホ・オポノポノではグウ(握りこぶし)になっているときです。グウになっているときはインスピレーションの流れが遮られているときなので、そんなときこそクリーニングしたいですね。」(p30)
つまり、たとえポジティブでハッピーなことでも「これがいい!」とか「こうありたい!」と判断したり執着した途端にゼロではなくなり、流れが滞るのです。その体験を手放す(パア)ためにクリーニングするのが、ホ・オポノポノなのですね。
あらゆる祈りや願い事に関しても、「○○が××のようになってください」というふうに叶い方まで指定するなんて、天の意志を無視した自分勝手な願い方ですよね。
「望む結果」のイメージというのは、たかだか頭で考えたこと。つまりこれまでの情報や記憶から構築されたものです。神聖な天の意志とはそんなセコいものではないはず。
いえ、私と違ってものすごく頭の良い人は先を読む力があって、本当に素晴らしい「結果」を期待されるでしょう。それでも宇宙の意志である本当の「インスピレーション」には及ばないはず。まずはマインドの思い込みを手放して、ただゼロになる必要があるのです。
だって知ってることはただの「記憶」ですから。それをクリーニングすれば宇宙からの「正しい結果」「素晴らしいギフト」が自動的にやってくるのですね。(それが本当の引き寄せなのでは!?)
実は私も新月の祈りに関しては、始めてから何年もの間、ずっとかなり具体的に書いてきました。すると叶うものと叶わないものがはっきり分かれてきます。すぐに引き寄せられるものと、クリーニングが必要なものとがあるのだと認識し、最近は殆どの願いごとを「クリーニング」にしています。「私は○○を願っていますので、それに関する情報をクリーニングします」というふうに。
ホ・オポノポノの書籍は、もう知っていることばかりと思いながら、何冊読んでも目からウロコです
そう、何も知らないんです、私は
そして美しいハワイの自然の中で生きる、世界で一番長くクリーニングをしている人としてのKR女史のすがすがしい美しさが印象的な写真が沢山あり、その半生の様子も語られていて感動的であると同時に、お金や不動産のテーマ、子育てについてなど、とても現実的なところまで言及されていてわかりやすいものでした。何よりも読後は自然にクリーニングをする自分になっている、というところが素晴らしい本です
今日のブログ、私がいつも感じていることです。
クリーニングもですが、冷えとりをやっていると病気の概念が希薄化する気がします。
ホオポノポノも、やっと少し見えてきた感じで、今日もずーっとクリーニングしてました。
また、遊びにきます。
オーラソーマにも興味があるので、一度お伺いしたいですね、今後ともよろしくお願いします。
http://ymaki1107.exblog.jp/
ブログ読んでいただきありがとうございます。
私もまきさんのブログ少し読ませていただき、共感するところ多かったです。
冷えとりもホ・オポノポノも、何があっても継続することに意味があり、その過程自体が道でありゴールです。それを「病気の概念の希薄化」と表現されていらっしゃるのだと感じました。
いつかお会いできれば嬉しいです。どうぞお大事になさってくださいね。
ちょうど、こぶしを握りしめてどうしよう~となっているので、よいタイミング早速本屋に行ってみま~す。
軽やかで読後感が素敵です。写真も美しいですね