※この記事は2009年1月5日に書いたものです。
2009年になりましたね~。
みなさん今年もよろしくお願いいたします!
私の今年の、というか「これからの抱負」は
「ものみの塔に輸血拒否教理を撤回させること」
です。
このブログを今まで書くにあたって自分で調べたり、みなさんにコメントで教えてもらったりでわかったことはものみの塔を裁判で裁くのは無理があるということでしたが、
同時に裁判で勝つ以外の方法のほうが教団に影響がある、ということもわかりました。
(それに、たとえものみの塔が裁判にいくら負けても「サタンの攻撃」で済まされてしまうわけですしね。)
それでメディアや運動やJWをテーマにした文学創作などを使うほうが効果的ではないかと思うようになりました。
脱JWしてからとみに「人生一度だけなんだな。。」と思うことが多いのです。よく、信者が輸血を拒否するならそれは本人の意思だからしょうがないという意見も聞きますが、自分の親や親族、友達が輸血を拒否することで、死ななくとも良いのに命を落としてしまったとしたら、
その人は復活などなく、二度と帰ってこないのだから、やはり私たちが「無駄」を承知でものみの塔と戦うなり、みっともなくあがくなりしても
それはちっとも無駄でもばからしいことでも、格好悪いことでもないと思うのです。
そう簡単に結果が出るとは思えません。
というか、輸血拒否はものみの塔の最後の砦の一つだから、これが崩せるのかどうか正直いって自信も確信もありませんが、
まあ、努力というものはしても減るもんじゃないしね。。。
と、思うことにします!
2009年になりましたね~。
みなさん今年もよろしくお願いいたします!
私の今年の、というか「これからの抱負」は
「ものみの塔に輸血拒否教理を撤回させること」
です。
このブログを今まで書くにあたって自分で調べたり、みなさんにコメントで教えてもらったりでわかったことはものみの塔を裁判で裁くのは無理があるということでしたが、
同時に裁判で勝つ以外の方法のほうが教団に影響がある、ということもわかりました。
(それに、たとえものみの塔が裁判にいくら負けても「サタンの攻撃」で済まされてしまうわけですしね。)
それでメディアや運動やJWをテーマにした文学創作などを使うほうが効果的ではないかと思うようになりました。
脱JWしてからとみに「人生一度だけなんだな。。」と思うことが多いのです。よく、信者が輸血を拒否するならそれは本人の意思だからしょうがないという意見も聞きますが、自分の親や親族、友達が輸血を拒否することで、死ななくとも良いのに命を落としてしまったとしたら、
その人は復活などなく、二度と帰ってこないのだから、やはり私たちが「無駄」を承知でものみの塔と戦うなり、みっともなくあがくなりしても
それはちっとも無駄でもばからしいことでも、格好悪いことでもないと思うのです。
そう簡単に結果が出るとは思えません。
というか、輸血拒否はものみの塔の最後の砦の一つだから、これが崩せるのかどうか正直いって自信も確信もありませんが、
まあ、努力というものはしても減るもんじゃないしね。。。
と、思うことにします!