※この記事は2009年1月29日に書いたものです。
前回のトリノ聖骸布の続きです。
レオナルド・ダ・ヴィンチ「岩窟の母」Modonna of the Rocks―という絵があるのですが、
オリジナルと言われている一枚目(写真)はパリのルーブル美術館に、
そして書き直しを命じられて制作された二枚目がロンドンにあるらしいです。
こちらのサイトで、両方の絵が見られます。
疑問に思っていたのはこの一枚目の岩窟の母で、真ん中に「聖母」マリア、マリアの近くにいる赤ん坊が普通イエスだとすると、マリアから向かって右のみ使いウリエルの近くにいるのがバプテスマを施す人ヨハネとみるのが普通。
だとすると、なぜイエスがヨハネに向かってひざまづいて祈っているのか。
(このイエスのひざまづきかたは、映画ブルースブラザーズで、ジョンベルーシが昔捨てた婚約者に復讐される時に思わずとった懇願ポーズを思い起こさせます。Pleeease!)
それからマリアの宙をつかむような不自然な左手のしぐさと、すぐそのしたにあるユリアの指をさしたようなポーズもへん。
なぜ洞窟なのか、とか、後ろの岩がペニスに見えるとか、そういうストレートな違和感もありますが、
マリアの左手はなにか見えない頭をホールドしているように見えるし、ウリァはその首のあたりをカットする「首切り」のような格好にも見えます。そう見るととても気持ちの悪い絵に見えますが、
これはウリエルの横(下あたり)にいて、イエスを祝福しているような格好のヨハネの首が、後に切られることを示唆していると、どこかの解説でよみました。
疑問は、なぜ、この絵のすべてがヨハネに注目しているのか、ということです。
宗教画なら、イエスを高める絵であるはずなのに?
そこで、先回紹介した本の最後の部分で「ヨハネ信仰」というものが存在していたという記述を見つけたのです。
(本のリンクは先日の記事にあります。)
p280
「実際、新約聖書の中にもヨハネが本来イエスの露払いをするだけの存在ではなかったことを示す証拠がある。「使徒」の書にはパウロが初めてコリントとエフェソスに到着したとき、洗礼者ヨハネの教会があるらしいと知って驚いたと記されている。
そこでパウロは自分が、そのヨハネの後にくると予言されたイエスの代理人であると住民が知れば、住民は喜ぶに違いないと考えた。ところがさにあらず、住民はその予言についてはまったく知らなかったのである。」
A.N ウィルソンは著者「イエス」(1992年)の中でこのエピソードを取り上げ、「仮にパウロが使徒を書かなかったとしたら、今日ヨハネ派の人々はヨハネこそ神だと信じていたかもしれない。」と書いた。
実はヨハネを神、または神に近い役割を持つ古代の祭祀とする思想は古くからあり、今日でもヨハネの書を聖典とするイラクのマンダヤ教、錬金術の秘密結社、切断された首を崇拝するテンプル騎士団、フリーメイソン、そしてもちろんシオン修道会もその一つである。
引用終わり
え~ ヨハネを信仰する集団が、それもイエスの時代からあったなんて知りませんでした。
あとでレオナルド・ダ・ヴィンチ自身、ヨハネ信仰者だったという説も目にしました。
つまり、この絵を描いたレオナルドは、キリストをヨハネにひざまづかせることで
ヨハネこそメシアだったと言いたかったのかもしれません。だとするとこの絵はつじつまが合います。
さらにこの本には以下の記載がありました。
以下また引用
「そしてシオン修道会はマグダラのマリアを崇拝し、女神イシスを崇拝している。一見ユダヤ人がエジプトの地母神とつながっているなどということがあり得るだろうか。
しかし、アメリカの文化人類学者カール・ラッカーなどの最近の研究によってヘブライ人は当初から厳格な一神教を信じていたわけではなく、崇拝の対象を男神だけに断定していたわけではない証拠を示す証拠が提出されている。
(ええ~!)
エジプトとエチオピアには間違いなく異端のユダヤ人がおり、エホバとならんで女神を崇拝していた。」
以上引用終わり。
これを読むと、イエスがメシアではなく、ヨハネがそれだった可能性もあり、そっちの可能性を信じて、今でもヨハネを信仰している集団もあり、
さらに、詳しく読むと、ヨハネの「私の後にくる方は私より偉大」のセリフはイエスをメシアと断定したい「イエス派」の改ざんで付け加えられた一節であるという主張もあるらしいのです。
エホバの証人をやめてから、今まで聖書の中で常識とされていたことは、実はそれらとはまったく逆ということもあり得ると思ってきましたが、最近はヨハネについても、ヨハネがメシアという可能性はなかったんだろうか?とふと思っていたので、
他にもそう考える人がいるんだなあ、、と思った次第です。
ユダヤ人が最初から一神教ではなかったという証拠ですが、それはまた別の機会に調べてみたいと思っています。
前回のトリノ聖骸布の続きです。
レオナルド・ダ・ヴィンチ「岩窟の母」Modonna of the Rocks―という絵があるのですが、
オリジナルと言われている一枚目(写真)はパリのルーブル美術館に、
そして書き直しを命じられて制作された二枚目がロンドンにあるらしいです。
こちらのサイトで、両方の絵が見られます。
疑問に思っていたのはこの一枚目の岩窟の母で、真ん中に「聖母」マリア、マリアの近くにいる赤ん坊が普通イエスだとすると、マリアから向かって右のみ使いウリエルの近くにいるのがバプテスマを施す人ヨハネとみるのが普通。
だとすると、なぜイエスがヨハネに向かってひざまづいて祈っているのか。
(このイエスのひざまづきかたは、映画ブルースブラザーズで、ジョンベルーシが昔捨てた婚約者に復讐される時に思わずとった懇願ポーズを思い起こさせます。Pleeease!)
それからマリアの宙をつかむような不自然な左手のしぐさと、すぐそのしたにあるユリアの指をさしたようなポーズもへん。
なぜ洞窟なのか、とか、後ろの岩がペニスに見えるとか、そういうストレートな違和感もありますが、
マリアの左手はなにか見えない頭をホールドしているように見えるし、ウリァはその首のあたりをカットする「首切り」のような格好にも見えます。そう見るととても気持ちの悪い絵に見えますが、
これはウリエルの横(下あたり)にいて、イエスを祝福しているような格好のヨハネの首が、後に切られることを示唆していると、どこかの解説でよみました。
疑問は、なぜ、この絵のすべてがヨハネに注目しているのか、ということです。
宗教画なら、イエスを高める絵であるはずなのに?
そこで、先回紹介した本の最後の部分で「ヨハネ信仰」というものが存在していたという記述を見つけたのです。
(本のリンクは先日の記事にあります。)
p280
「実際、新約聖書の中にもヨハネが本来イエスの露払いをするだけの存在ではなかったことを示す証拠がある。「使徒」の書にはパウロが初めてコリントとエフェソスに到着したとき、洗礼者ヨハネの教会があるらしいと知って驚いたと記されている。
そこでパウロは自分が、そのヨハネの後にくると予言されたイエスの代理人であると住民が知れば、住民は喜ぶに違いないと考えた。ところがさにあらず、住民はその予言についてはまったく知らなかったのである。」
A.N ウィルソンは著者「イエス」(1992年)の中でこのエピソードを取り上げ、「仮にパウロが使徒を書かなかったとしたら、今日ヨハネ派の人々はヨハネこそ神だと信じていたかもしれない。」と書いた。
実はヨハネを神、または神に近い役割を持つ古代の祭祀とする思想は古くからあり、今日でもヨハネの書を聖典とするイラクのマンダヤ教、錬金術の秘密結社、切断された首を崇拝するテンプル騎士団、フリーメイソン、そしてもちろんシオン修道会もその一つである。
引用終わり
え~ ヨハネを信仰する集団が、それもイエスの時代からあったなんて知りませんでした。
あとでレオナルド・ダ・ヴィンチ自身、ヨハネ信仰者だったという説も目にしました。
つまり、この絵を描いたレオナルドは、キリストをヨハネにひざまづかせることで
ヨハネこそメシアだったと言いたかったのかもしれません。だとするとこの絵はつじつまが合います。
さらにこの本には以下の記載がありました。
以下また引用
「そしてシオン修道会はマグダラのマリアを崇拝し、女神イシスを崇拝している。一見ユダヤ人がエジプトの地母神とつながっているなどということがあり得るだろうか。
しかし、アメリカの文化人類学者カール・ラッカーなどの最近の研究によってヘブライ人は当初から厳格な一神教を信じていたわけではなく、崇拝の対象を男神だけに断定していたわけではない証拠を示す証拠が提出されている。
(ええ~!)
エジプトとエチオピアには間違いなく異端のユダヤ人がおり、エホバとならんで女神を崇拝していた。」
以上引用終わり。
これを読むと、イエスがメシアではなく、ヨハネがそれだった可能性もあり、そっちの可能性を信じて、今でもヨハネを信仰している集団もあり、
さらに、詳しく読むと、ヨハネの「私の後にくる方は私より偉大」のセリフはイエスをメシアと断定したい「イエス派」の改ざんで付け加えられた一節であるという主張もあるらしいのです。
エホバの証人をやめてから、今まで聖書の中で常識とされていたことは、実はそれらとはまったく逆ということもあり得ると思ってきましたが、最近はヨハネについても、ヨハネがメシアという可能性はなかったんだろうか?とふと思っていたので、
他にもそう考える人がいるんだなあ、、と思った次第です。
ユダヤ人が最初から一神教ではなかったという証拠ですが、それはまた別の機会に調べてみたいと思っています。