先日の「バプテスマのすすめ」記事にはたくさんコメントいただきました。みなさんの意見についてちょっと考えてました。
バプテスマはエホバにするもの。
でもバプテスマを受けるときにエホバの証人になることを宣誓させられるのは、研究生にとって寝耳に水のようなものでは?と書きました。
コメント欄にも書きましたが、もう一度ここにバプテスマ宣言を載せたいと思います。
1 あなたは、イエス・キリストの犠牲に基づいて自分の罪を悔い改め、エホバのご意志を行なうため、エホバに献身しましたか。
2 あなたは、献身してバプテスマを受けることにより、自分が、神の霊に導かれている組織と交わるエホバの証人の一人になることを理解していますか。
ここでの問題は2の宣言文です。
なぜまた同じトピックをここで蒸し返すのか、というと、
JW問題というのは2世問題、虐待問題、会衆内での問題、その他の問題がこの
「エホバが用いているエホバの証人という組織忠誠を誓う」
ということに問題を発していると思うんです。
つまりコメントにあったように献身はエホバだけにするもの、そして一番大切なのはエホバとの個人的関係というたてまえがが守られていれば、長老により冤罪で排斥されることもないし、ローカルルールでつらい思いをさせられたりしません。
冤罪排斥やローカルルールで苦められるのはひとえに、組織がエホバの名を使ってその行いに正当性を持たせているからだと思います。いつのまにかものみの塔と組織がエホバにすり変わっている。
エホバが許しておられるとか、エホバが是認しておられる、任せておられるといういいかかたは現在エホバが人間に直接関与されない、というわけでハルマゲドンがきてJWだけが生き残るとい出来事がこれから起こらなければ、証明できませんよね。
宣言文に戻ります。
宣言といのは広辞苑によると、
「個人や団体、国家などが自己の主張や考えを外部に表明すること」
ってなってます。
バプテスマ自体が神への公の信仰の証だと思うので、第一に、バプテスマを受ける人になんらかの「宣言」をさせる必要はまったくない。
第二に 宣言とは人に対してするものなので、この宣言自体いくら神に献身した、悔い改めたという言葉をつらねても、結局は人(組織)に対する宣言に変わりない。
この2つの理由から、やはり私はエホバの証人のバプテスマというのは組織への忠誠宣言なのではと思うのです。
つまり、ものみの塔のやっていることはずばり
組織崇拝
ではないでしょうか。
バプテスマはエホバにするもの。
でもバプテスマを受けるときにエホバの証人になることを宣誓させられるのは、研究生にとって寝耳に水のようなものでは?と書きました。
コメント欄にも書きましたが、もう一度ここにバプテスマ宣言を載せたいと思います。
1 あなたは、イエス・キリストの犠牲に基づいて自分の罪を悔い改め、エホバのご意志を行なうため、エホバに献身しましたか。
2 あなたは、献身してバプテスマを受けることにより、自分が、神の霊に導かれている組織と交わるエホバの証人の一人になることを理解していますか。
ここでの問題は2の宣言文です。
なぜまた同じトピックをここで蒸し返すのか、というと、
JW問題というのは2世問題、虐待問題、会衆内での問題、その他の問題がこの
「エホバが用いているエホバの証人という組織忠誠を誓う」
ということに問題を発していると思うんです。
つまりコメントにあったように献身はエホバだけにするもの、そして一番大切なのはエホバとの個人的関係というたてまえがが守られていれば、長老により冤罪で排斥されることもないし、ローカルルールでつらい思いをさせられたりしません。
冤罪排斥やローカルルールで苦められるのはひとえに、組織がエホバの名を使ってその行いに正当性を持たせているからだと思います。いつのまにかものみの塔と組織がエホバにすり変わっている。
エホバが許しておられるとか、エホバが是認しておられる、任せておられるといういいかかたは現在エホバが人間に直接関与されない、というわけでハルマゲドンがきてJWだけが生き残るとい出来事がこれから起こらなければ、証明できませんよね。
宣言文に戻ります。
宣言といのは広辞苑によると、
「個人や団体、国家などが自己の主張や考えを外部に表明すること」
ってなってます。
バプテスマ自体が神への公の信仰の証だと思うので、第一に、バプテスマを受ける人になんらかの「宣言」をさせる必要はまったくない。
第二に 宣言とは人に対してするものなので、この宣言自体いくら神に献身した、悔い改めたという言葉をつらねても、結局は人(組織)に対する宣言に変わりない。
この2つの理由から、やはり私はエホバの証人のバプテスマというのは組織への忠誠宣言なのではと思うのです。
つまり、ものみの塔のやっていることはずばり
組織崇拝
ではないでしょうか。
私はこれでも子供のころから神様だけは信じてたので、2番目の宣誓文が無かったら超えてはいけない一線を越えてしまってたような気がします。
ちなみに新世界訳聖書はなんと全文がWebで閲覧可能です。しかも無料、協会公式サイトで閲覧できます。
ほかの著名な訳も英文ならかなりの量出てくるみたいですよ。私には英語はよくわからないのですが。
神への献身はしたいけど、JW組織の一部になりたくないって場合はどうなんでしょうね、、、。JW教義には反するけど、、JWが組織されてなかったときはどうなんだろう、、そしてそれは長い長い間だったと思ううんです、、、
組織崇拝ですよね??
●バプ希望者との結びの討議で
2つの宣言に対して祈りのうちに思い巡らして
自分の確信に沿った答えを述べられるようにしておくことが
励まされています。(組織の本参照)
うっ。そうでしたかっ。
ぜんぜん覚えてません。じゃ、これは私の間違いですね、すみません。今出先なので組織の本が手元にないんですが、後で調べてみたいと思います!
● =公の宣言を行うのはローマ10:10にある
「人は…心で信仰を働かせ,救いのために口で公の宣言をするからです」(新世界訳)
という聖書的根拠によるものだと思うのですが
これには反論があります。
確かにこうかいてありますが、同時にこの口での公の宣言が「協会の用意した宣言文の内容で」行われることを示唆した言葉はこの聖句の前後にも、他の場所にもないですよね。
今聖書が手元にないので、また改めてかくかもしれません。
こんな図ができるのは本当に特殊だと思います。これがワンマン社長の会社だったら、あ、また言ってるよ、とかあ、また失敗するなとかって愚痴が言えたり、経験から社員が先回りして仕事して社長の間違いをフォローするとか、それなりに共存できる。
この組織ではそれができないから、taさんのおっしゃるようにゆがみが精神疾患という形ででてきてしまう、
だんだん見えるようになってきてはじめて、前はつらかったなあ、、と思えるようになりました。
「神の霊に導かれている組織と交わるエホバの証人の一人になることを理解していますか。」
…そうか、私達は「神の霊に導かれている組織の一員」ではない訳だ。油注がれてないんだから。
その組織の人に従ってる人間…ってことはやっぱり組織崇拝???
追伸:リンクの変更をお願いします。以前のは削除したので…
寝耳に水?
=バプ希望者との結びの討議で
2つの宣言に対して祈りのうちに思い巡らして
自分の確信に沿った答えを述べられるようにしておくことが
励まされています。(組織の本参照)
②公の宣言は必要ない?
=公の宣言を行うのはローマ10:10にある
「人は…心で信仰を働かせ,救いのために口で公の宣言をするからです」(新世界訳)
という聖書的根拠によるものだと思うのですが…?
・組織の決めたことは神の指示と受け取れ
・しかし組織は不謬ではない
・しかし組織に盲目的絶対服従を要求する
これらは、明らかに矛盾してます。たとえば、「1914年の世代のうちに終わりが来る」と組織が決めたら、それは信者にとって絶対に正しいことで、疑ってはいけない。しかし、「世代」の新しい解釈が出て、以前の教理が否定された。
こんなかんじで、不謬ではないものに絶対的服従を要求するのがエホバの証人の精神疾患の主因かもしれない、なんて思います。
納得できない教理があっても、絶対服従しなくてはいけない。しかもそれは不謬ではないのでコロコロ変わる。長老や親には服従しなくてはいけないけど、不謬ではないので間違いもする。でも批判は許されない。
こういう一方的な状況におかれると、精神的に参るのは当然だと思います。