《子どもと教科書全国ネット21ニュースから》
◆ 保育園・学校・学童・児童館等は、子どものライフライン
~様々な“気づき”をもたらしてくれた「新型コロナウイルス感染症から子どもを守る」大田区のとりくみ
◆ それにしても、なぜここまで非科学的なのか
突然の全国一斉休校宣言、緊急事態宣言の発出や解除…等、感染抑制を目指して出されたすべての政策は、科学的なデータの開示や根拠の説明がされないまま、「政治的」駆け引きの中で決定されていきました。
たとえ権力者のそばに仕えているとはいえ、科学者がなぜはっきりとモノを言わないのか。国立感染研などの優秀な専門家たちが、ここまで政治に忖度し無力なのはなぜなのか。厚労省関係でない専門家がなぜ声を上げてくれないのか。それが私の最大の疑問でした。
命の不安と政治に強制された「自粛」の中で私は、自分の中に広がってしまった専門家や科学に対する不信感を解こうと、藁をもつかむ思いで、WHO、BBC、国内の独立系ネットメディアなどを必死に検索しました。
調べていくうちに、全くの素人の私にも、いわゆる「日本のクラスター対策」と、「常に遅くて甘い水際作戦」ではダメであること、WHOの「無症状悠染者を大規模検査で隔離を」という指針の妥当性などを理解することができました。
また、世界には、自らの初期の政治判断を新しい科学的知見に基づき修正する誠実さと勇気を持つ政治指導者がいることも知ることができました。
◆ 科学的な感染対策と少人数学級化をセットで要求
一斉休校が三か月に及ぶ頃、私は、どうにかして学校を再開し子ども達の遊びと学びを回復したい、そのためにはどうしたらいいのか、前提としての感染対策はどうあるべきなのか、を考えていました。
まだ治療法が確立していないCOVID-19が子どもにどの程度拡大していくのかがはっきりしない中で、文科省や厚労省からの学校再開に向けた科学的な分析や予測の説明は全くと言っていいほどありませんでした。
聞こえてくるのは“学習の遅れを取り戻す”ためにオンライン授業を推進し、9月新学期論も検討しようというものばかりでした。
しかし、子ども達が何より望んでいたのは友達と会いたいということでした。大人が考えるべきは「安全な学校をどう作っていくのか」ということだったのです。
分散登校で再開された学校は、根拠不明瞭のまますぐに通常の形で進められるようになりました。
子どもと親密にかかわる保育士や教職員への定期的検査戦略も立てられないまま、夏休みが授業に変更され“遅れの取り戻し”だけが実行されていきました。
そんな状況への怒りと不満を近所に住む元区議の方や元教員の仲間とぶつけあっているうちに、
「子ども関連施設職員への定期的PCR検査実施」
「20人程度の思い切った少人数学級化」
という二つの要求をまとめた区長と教育長への要請書と区議会への陳情書が出来上がりました。
最初に集まった5人で、区内の知り合いに片っ端から連絡を取り、陳情内容の署名への協力をお願いするところから活動が始まりました。
週間新聞にも署名用紙の折り込みをすると、連絡先になっている我が家に郵送で署名が届くようになり、みんな思いは同じなのだと意を強くしました。
ドタバタと発足した会も、9月には世話人体制ができ、10月には毎週「打ち合わせ会」を行うようになりました。
10月と3月の区議会陳情(不採択)、
10月末から12月にかけての学校・保育園・学童・児童館訪問活動、
12月末に1000筆を超える署名を携えての教育委員会への要請・交渉、
2月の報告学習集会(オンラインもあり)、ニュースの発行(9号まで発行)、
2月末に署名の追加提出(署名総計は、PCR署名は1906筆、20人学級署名は1364筆)、
4月に区長と教育長に3度目の要請書提出、
5月に要請・交渉を実施と、休みなく動いた1年間でした。
◆ 学校・保育園・学童・児童館への訪問活動
私たちが大事にしてきたことは、現場の担当者・責任者と直接話し、目の前の困難を考え合うことでした。
手始めに、近くの学校を訪問してみると、保護者でもない私たち(学校の近くに住む区民ではありますが)に、校長先生は
「小学校で密を避けるのは無理」
「行事の前に検査ができるようにしてほしい」
「自分も遠くから通勤しているので感染が心配。検査をしてほしい」
などの実情を話してくれました。
少人数学級の要求には、
「校長会でも毎年出している。学校の職員は全員賛成」
「地域でこうして動いてくれるとありがたい」
と大きな期待が寄せられました。
「検査はしてほしいが、陽性になった教員の担任するクラスをだれが見るのか。兎に角、人員が足りない」といった切実な声も聞くことができました。
40人以上の協力で、区内87の全小中学校の訪問は2カ月ほどで完了することができました。
学校と併設する「学童」では、学校以上に密になるのに、学校程対策ができてない不安を聞かされました。
忙しくてインターフォン越しの訪問が多かった「保育園」訪問では、園児との密がさけられないことや、おもちゃの消毒に毎朝相当な時間がとられるなど、保育士さんたちが大変な緊張の下で働いていることを直接感じることができました。
◆ “原点”への気づき
COVID-19の感染が世界に広がりWHOがパンデミック宣言を出したころ、私は「全国一斉休校」もやむを得ない選択だと感じていました。
しかし次第に疑問は大きくなり、そもそも学校は子どものライフラインの一つなのではないか、ならばもっと学校に予算をつぎ込むべきだし、そこで働く教職員は、医療従事者などと同じ専門職の“エッセンシャルワーカー”として尊重されるべきではないのか。
ならば今、行政がやることは、教職員の検査体制確立、少人数学級化、消毒要員の配置、画一的な指導内容の停止などであるはずと、改めて強く思うようになったことが、今回の運動に繋がったのだと思います。
私が参加している東京民研の研究会で「分散登校」が議論になった際、そこに生まれた三密のない“空間”での授業では「不登校の子が登校したし、子どもが落ち着いていた」との報告があり、「先生が優しいから初めて質問ができた」という子どもの声が語られました。
「学校は教育の場であるだけでなく、“養育の場(福祉的要素への注目)”だと強く感じた」
「おいしいねって言い合う給食があってこそ偏食も克服されていく。味覚もほかの勉強と同じように、共感関係抜きには育たない」
という気付きの発言が沢山ありました。
この春、コロナ後の教育のエースとしてタブレットが配られました。
しかし、子ども達から本当に求められているのは、子どもの健康と安全が確保され、仲間と安心して集まって遊び学べる場としての学校を確保するための条件整備であり、その肝となるのは各種専門職を含めた教職員の抜本的増員ではないでしょうか。
学校のICT化は、そうした条件整備の一つにすぎません。子どもへの負の影響も考慮しながら、慎重に進めるべきだと思います。一度決めると止められないのが日本なのですが、それでもやはり立ち止まって考え直すべきだと思います。
◆ 「草の根の運動」の積み重ねの先に
大田区で短期間に運動を広げられた理由は、なんといっても「教科書問題」への取り組みで培われた区内の団体個人のネットワークと運動の経験があったからだと思います。そのため、訪問を受ける学校側にも区民の動きに対する一定の信頼感がありました。
同じようなことを、要請や交渉を受けていただいた区役所の感染抑制を担当する貴任者やオリパラの担当者からも感じることができました。
首相、知事、区長などへの批判とは別に、「区民のために誠実に努力する行政の直接の担当者」や学校長、園長などは、これからも協力関係を作っていける大事な仲間だと感じました。
緊急事態宣言下にもオリンピックの準備が進められています。子どもを観戦させる計画もそのままですし、35人学級化も中途半端です。保育の「最低基準」のひどさもこの運動で多くの区民の知るところとなりました。
パンデミックの中で起こった今回の運動は、私たちに様々な“気づき”ももたらしてくれました。
『子どもと教科書全国ネット21ニュース 138号』(2021.6)
◆ 保育園・学校・学童・児童館等は、子どものライフライン
~様々な“気づき”をもたらしてくれた「新型コロナウイルス感染症から子どもを守る」大田区のとりくみ
宮川義弘(みやかわよしひろ・新型コロナウイルス感染症から子どもを守る「大田区民の会」)
◆ それにしても、なぜここまで非科学的なのか
突然の全国一斉休校宣言、緊急事態宣言の発出や解除…等、感染抑制を目指して出されたすべての政策は、科学的なデータの開示や根拠の説明がされないまま、「政治的」駆け引きの中で決定されていきました。
たとえ権力者のそばに仕えているとはいえ、科学者がなぜはっきりとモノを言わないのか。国立感染研などの優秀な専門家たちが、ここまで政治に忖度し無力なのはなぜなのか。厚労省関係でない専門家がなぜ声を上げてくれないのか。それが私の最大の疑問でした。
命の不安と政治に強制された「自粛」の中で私は、自分の中に広がってしまった専門家や科学に対する不信感を解こうと、藁をもつかむ思いで、WHO、BBC、国内の独立系ネットメディアなどを必死に検索しました。
調べていくうちに、全くの素人の私にも、いわゆる「日本のクラスター対策」と、「常に遅くて甘い水際作戦」ではダメであること、WHOの「無症状悠染者を大規模検査で隔離を」という指針の妥当性などを理解することができました。
また、世界には、自らの初期の政治判断を新しい科学的知見に基づき修正する誠実さと勇気を持つ政治指導者がいることも知ることができました。
◆ 科学的な感染対策と少人数学級化をセットで要求
一斉休校が三か月に及ぶ頃、私は、どうにかして学校を再開し子ども達の遊びと学びを回復したい、そのためにはどうしたらいいのか、前提としての感染対策はどうあるべきなのか、を考えていました。
まだ治療法が確立していないCOVID-19が子どもにどの程度拡大していくのかがはっきりしない中で、文科省や厚労省からの学校再開に向けた科学的な分析や予測の説明は全くと言っていいほどありませんでした。
聞こえてくるのは“学習の遅れを取り戻す”ためにオンライン授業を推進し、9月新学期論も検討しようというものばかりでした。
しかし、子ども達が何より望んでいたのは友達と会いたいということでした。大人が考えるべきは「安全な学校をどう作っていくのか」ということだったのです。
分散登校で再開された学校は、根拠不明瞭のまますぐに通常の形で進められるようになりました。
子どもと親密にかかわる保育士や教職員への定期的検査戦略も立てられないまま、夏休みが授業に変更され“遅れの取り戻し”だけが実行されていきました。
そんな状況への怒りと不満を近所に住む元区議の方や元教員の仲間とぶつけあっているうちに、
「子ども関連施設職員への定期的PCR検査実施」
「20人程度の思い切った少人数学級化」
という二つの要求をまとめた区長と教育長への要請書と区議会への陳情書が出来上がりました。
最初に集まった5人で、区内の知り合いに片っ端から連絡を取り、陳情内容の署名への協力をお願いするところから活動が始まりました。
週間新聞にも署名用紙の折り込みをすると、連絡先になっている我が家に郵送で署名が届くようになり、みんな思いは同じなのだと意を強くしました。
ドタバタと発足した会も、9月には世話人体制ができ、10月には毎週「打ち合わせ会」を行うようになりました。
10月と3月の区議会陳情(不採択)、
10月末から12月にかけての学校・保育園・学童・児童館訪問活動、
12月末に1000筆を超える署名を携えての教育委員会への要請・交渉、
2月の報告学習集会(オンラインもあり)、ニュースの発行(9号まで発行)、
2月末に署名の追加提出(署名総計は、PCR署名は1906筆、20人学級署名は1364筆)、
4月に区長と教育長に3度目の要請書提出、
5月に要請・交渉を実施と、休みなく動いた1年間でした。
◆ 学校・保育園・学童・児童館への訪問活動
私たちが大事にしてきたことは、現場の担当者・責任者と直接話し、目の前の困難を考え合うことでした。
手始めに、近くの学校を訪問してみると、保護者でもない私たち(学校の近くに住む区民ではありますが)に、校長先生は
「小学校で密を避けるのは無理」
「行事の前に検査ができるようにしてほしい」
「自分も遠くから通勤しているので感染が心配。検査をしてほしい」
などの実情を話してくれました。
少人数学級の要求には、
「校長会でも毎年出している。学校の職員は全員賛成」
「地域でこうして動いてくれるとありがたい」
と大きな期待が寄せられました。
「検査はしてほしいが、陽性になった教員の担任するクラスをだれが見るのか。兎に角、人員が足りない」といった切実な声も聞くことができました。
40人以上の協力で、区内87の全小中学校の訪問は2カ月ほどで完了することができました。
学校と併設する「学童」では、学校以上に密になるのに、学校程対策ができてない不安を聞かされました。
忙しくてインターフォン越しの訪問が多かった「保育園」訪問では、園児との密がさけられないことや、おもちゃの消毒に毎朝相当な時間がとられるなど、保育士さんたちが大変な緊張の下で働いていることを直接感じることができました。
◆ “原点”への気づき
COVID-19の感染が世界に広がりWHOがパンデミック宣言を出したころ、私は「全国一斉休校」もやむを得ない選択だと感じていました。
しかし次第に疑問は大きくなり、そもそも学校は子どものライフラインの一つなのではないか、ならばもっと学校に予算をつぎ込むべきだし、そこで働く教職員は、医療従事者などと同じ専門職の“エッセンシャルワーカー”として尊重されるべきではないのか。
ならば今、行政がやることは、教職員の検査体制確立、少人数学級化、消毒要員の配置、画一的な指導内容の停止などであるはずと、改めて強く思うようになったことが、今回の運動に繋がったのだと思います。
私が参加している東京民研の研究会で「分散登校」が議論になった際、そこに生まれた三密のない“空間”での授業では「不登校の子が登校したし、子どもが落ち着いていた」との報告があり、「先生が優しいから初めて質問ができた」という子どもの声が語られました。
「学校は教育の場であるだけでなく、“養育の場(福祉的要素への注目)”だと強く感じた」
「おいしいねって言い合う給食があってこそ偏食も克服されていく。味覚もほかの勉強と同じように、共感関係抜きには育たない」
という気付きの発言が沢山ありました。
この春、コロナ後の教育のエースとしてタブレットが配られました。
しかし、子ども達から本当に求められているのは、子どもの健康と安全が確保され、仲間と安心して集まって遊び学べる場としての学校を確保するための条件整備であり、その肝となるのは各種専門職を含めた教職員の抜本的増員ではないでしょうか。
学校のICT化は、そうした条件整備の一つにすぎません。子どもへの負の影響も考慮しながら、慎重に進めるべきだと思います。一度決めると止められないのが日本なのですが、それでもやはり立ち止まって考え直すべきだと思います。
◆ 「草の根の運動」の積み重ねの先に
大田区で短期間に運動を広げられた理由は、なんといっても「教科書問題」への取り組みで培われた区内の団体個人のネットワークと運動の経験があったからだと思います。そのため、訪問を受ける学校側にも区民の動きに対する一定の信頼感がありました。
同じようなことを、要請や交渉を受けていただいた区役所の感染抑制を担当する貴任者やオリパラの担当者からも感じることができました。
首相、知事、区長などへの批判とは別に、「区民のために誠実に努力する行政の直接の担当者」や学校長、園長などは、これからも協力関係を作っていける大事な仲間だと感じました。
緊急事態宣言下にもオリンピックの準備が進められています。子どもを観戦させる計画もそのままですし、35人学級化も中途半端です。保育の「最低基準」のひどさもこの運動で多くの区民の知るところとなりました。
パンデミックの中で起こった今回の運動は、私たちに様々な“気づき”ももたらしてくれました。
『子どもと教科書全国ネット21ニュース 138号』(2021.6)
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