◎ 投下されたアフリカの爆弾
【緊急放送:前回拙稿でご報告した<リンク>、当局の狙い通りに人間関係超希薄化進行中の都立高校現場で、ついにアフリカの爆弾が炸裂しました。周知の通り、筒井氏が1960年代に書いた爆弾顛末が、21世紀初頭の都立高校で繰り広げられているのです。以下、21世紀言語を交え解説致します。】
私自身を含め、若い頃に普及し始めたPC98シリーズでベーシックやC言語に接し、何となくコンピューターというものと共に過ごしてきたアラフィフ世代には、この爆弾の正体を瞬時に掴み、適当にやり過ごしている者が少なからず存在する。
勤務評定材料筒抜けの危険などは、時々PCを開いてメールを次々にクリック・ファイルオープンして赤を反転させて黒にし、閲覧済みにしておくなどすれば、主幹・主任でさえなければ(当然ながら面倒この上ないが、ほとんど平教員必読メールは来ない。)十分対処できるし、そもそも、自分は教壇を追われる「D」でない限り、行政の評価などどうでもいいと思っているので、適当に起爆装置をいじって遊んでいる感覚だ。(無論、だから優れた教員などとはこれっぽっちも思っていないし、逆に年上のPC無知な人びとに内緒で多数助成要請されて困っている状態が常態化して困っている次第[苦笑]。)
一方で、こうしたアラフィフ世代以上の、特にPC接点なしの人生を送ってきた先生方の脳内部では起爆装置が作動し、爆弾がモロに炸裂している!
定年で教壇を去られた先輩方には想像もできない光景であろうが、今の先生方はみな、一人一台あてがわれたPCの前に長時間座って、黙って指だけを動かしている。
しかも指はいわゆる「雨だれ式」が多い。
5月時点では「自己申告書作成」と「情報管理テスト(*なんと4択でまるでセンター入試!全問解いて『提出』をクリックし『合格!』が表示されれば終わりというのが笑えます!)」の2個の爆弾が主に炸裂中だが、実はそれ以前に、ノーツというメーリングリストや東京都業務ボーダルのインストール・アクセスといった起爆装置が、都立高校の教員用PCのすべてに仕掛けられていたのだ。
PCを前に皆、額に汗して、時に悲鳴をあげ、時に祈るように手を合わせ(*現実に、キーボードを叩き、突然後ろで「お願い!」と一人叫んだ年配の女性教員を目撃しました。)、念仏のような意味不明な独り言をつぶやきながら、起爆装置の解除に取り組んでいた。
生徒に接するよりもずっとずっと長時間、しかもずっとずっと真剣に・・・。
カチッカチッというクリック音のみあちこちで響く職員室が、まっこと不気味な卯月であった。
しかし、奮闘努力の甲斐もなく♪皐月に入ると、ついに2つの爆弾が炸裂した。
そもそもIDとパスワードの意味や違いがわからない人びと。
そのIDやパスワードを忘れてログインさえできない人びと。
知らず知らずにパスワードを打ち間違えて導入してしまったためにヘルプデスクと呼ばれるレスキュー隊に電話し、慣れない言語で「アイランド!?」「秘文!?」などと叫び、自分のPCと電話の間を行ったり来たりしながら、何とかログインしようと奮闘する人びと。
やっとログインしたと思ったら、関係のないファンクションキーなどを押したために画面が瞬時に切り替わってしまい、途方に暮れる人びと。
その他、記していったら本当に一冊の本が出来上がるほどの阿鼻叫喚のるつぼと化した職員室。
五逆などの大罪を犯していないのにもかかわらず、先生方は無間地獄に叩き込まれ、アフリカの爆弾の洗礼を受けた。
昔のように、聞けばいいのだ。
「おい、これどうすんだよ」「手伝ってくれよ」と言えば起爆装置は作動しないのだ。
でも、聞けない。
公の場で聞けるほど、密な人間関係はレアモノになってきている。
中でも、日頃晴れやかな顔で企画調整会議に出席、学校経営の一翼を担っているという自負に満ちた主幹・主任教諭などは特に・・・下々の者には絶対に聞けないし、業績評価で争っている主幹・主任仲間には聞けないし、マニュアル本片手に自学自習・自力更生に邁進、副社長には聞けても、けっして弱みを同僚に見せるなんてことはできないもん!・・・
しかし、端から見ていれば、作業ぶりや指の運びで「実は不得意な人だ」ということはすぐにわかってしまう。
悲しいことに、気軽に助け合う姿は、勤務校でもほとんど見られないのが現状だ。
この爆弾の最も危険な点は、巷間語られているような、業績評価のツールになるということでも、ペーパーレスで環境に優しいということでもない。
単純に誰とも話さず、教員一人で作業する時間が激増し、同僚や生徒と話す・接する人間的な時間が激減するという、それでなくても希薄になっている人間関係の更なる破壊にあると私は考えている。
特に教育の世界には、馬鹿話とまで言わなくとも、「何気ない日常会話」は必要不可欠なので、その時間を一気に激減させるこの爆弾が連続して炸裂すれば実に危険だ。
加えて神経の消耗も激しく、例えば放課後に小一時間集中して打った後では、部活などに出て声を出す元気も失せてしまう。
そもそも、原点として忘れてはならないこと。
それは教育って何?ということ。
生徒と喋り、生徒のことを同僚と喋り、時には言い合い・・・当たり前だったそんな教育現場はアフリカの爆弾に吹き飛ばされ、無味乾燥な、お互い挨拶をするだけで会話も交わさない、茫漠としたサハラになっていくのではないか。
あと10年で定年となる自分であるが、そのずっと先の教育現場の荒廃を、私は憂えてやまない。
T・D(現職・都立高校教員)
【緊急放送:前回拙稿でご報告した<リンク>、当局の狙い通りに人間関係超希薄化進行中の都立高校現場で、ついにアフリカの爆弾が炸裂しました。周知の通り、筒井氏が1960年代に書いた爆弾顛末が、21世紀初頭の都立高校で繰り広げられているのです。以下、21世紀言語を交え解説致します。】
私自身を含め、若い頃に普及し始めたPC98シリーズでベーシックやC言語に接し、何となくコンピューターというものと共に過ごしてきたアラフィフ世代には、この爆弾の正体を瞬時に掴み、適当にやり過ごしている者が少なからず存在する。
勤務評定材料筒抜けの危険などは、時々PCを開いてメールを次々にクリック・ファイルオープンして赤を反転させて黒にし、閲覧済みにしておくなどすれば、主幹・主任でさえなければ(当然ながら面倒この上ないが、ほとんど平教員必読メールは来ない。)十分対処できるし、そもそも、自分は教壇を追われる「D」でない限り、行政の評価などどうでもいいと思っているので、適当に起爆装置をいじって遊んでいる感覚だ。(無論、だから優れた教員などとはこれっぽっちも思っていないし、逆に年上のPC無知な人びとに内緒で多数助成要請されて困っている状態が常態化して困っている次第[苦笑]。)
一方で、こうしたアラフィフ世代以上の、特にPC接点なしの人生を送ってきた先生方の脳内部では起爆装置が作動し、爆弾がモロに炸裂している!
定年で教壇を去られた先輩方には想像もできない光景であろうが、今の先生方はみな、一人一台あてがわれたPCの前に長時間座って、黙って指だけを動かしている。
しかも指はいわゆる「雨だれ式」が多い。
5月時点では「自己申告書作成」と「情報管理テスト(*なんと4択でまるでセンター入試!全問解いて『提出』をクリックし『合格!』が表示されれば終わりというのが笑えます!)」の2個の爆弾が主に炸裂中だが、実はそれ以前に、ノーツというメーリングリストや東京都業務ボーダルのインストール・アクセスといった起爆装置が、都立高校の教員用PCのすべてに仕掛けられていたのだ。
PCを前に皆、額に汗して、時に悲鳴をあげ、時に祈るように手を合わせ(*現実に、キーボードを叩き、突然後ろで「お願い!」と一人叫んだ年配の女性教員を目撃しました。)、念仏のような意味不明な独り言をつぶやきながら、起爆装置の解除に取り組んでいた。
生徒に接するよりもずっとずっと長時間、しかもずっとずっと真剣に・・・。
カチッカチッというクリック音のみあちこちで響く職員室が、まっこと不気味な卯月であった。
しかし、奮闘努力の甲斐もなく♪皐月に入ると、ついに2つの爆弾が炸裂した。
そもそもIDとパスワードの意味や違いがわからない人びと。
そのIDやパスワードを忘れてログインさえできない人びと。
知らず知らずにパスワードを打ち間違えて導入してしまったためにヘルプデスクと呼ばれるレスキュー隊に電話し、慣れない言語で「アイランド!?」「秘文!?」などと叫び、自分のPCと電話の間を行ったり来たりしながら、何とかログインしようと奮闘する人びと。
やっとログインしたと思ったら、関係のないファンクションキーなどを押したために画面が瞬時に切り替わってしまい、途方に暮れる人びと。
その他、記していったら本当に一冊の本が出来上がるほどの阿鼻叫喚のるつぼと化した職員室。
五逆などの大罪を犯していないのにもかかわらず、先生方は無間地獄に叩き込まれ、アフリカの爆弾の洗礼を受けた。
昔のように、聞けばいいのだ。
「おい、これどうすんだよ」「手伝ってくれよ」と言えば起爆装置は作動しないのだ。
でも、聞けない。
公の場で聞けるほど、密な人間関係はレアモノになってきている。
中でも、日頃晴れやかな顔で企画調整会議に出席、学校経営の一翼を担っているという自負に満ちた主幹・主任教諭などは特に・・・下々の者には絶対に聞けないし、業績評価で争っている主幹・主任仲間には聞けないし、マニュアル本片手に自学自習・自力更生に邁進、副社長には聞けても、けっして弱みを同僚に見せるなんてことはできないもん!・・・
しかし、端から見ていれば、作業ぶりや指の運びで「実は不得意な人だ」ということはすぐにわかってしまう。
悲しいことに、気軽に助け合う姿は、勤務校でもほとんど見られないのが現状だ。
この爆弾の最も危険な点は、巷間語られているような、業績評価のツールになるということでも、ペーパーレスで環境に優しいということでもない。
単純に誰とも話さず、教員一人で作業する時間が激増し、同僚や生徒と話す・接する人間的な時間が激減するという、それでなくても希薄になっている人間関係の更なる破壊にあると私は考えている。
特に教育の世界には、馬鹿話とまで言わなくとも、「何気ない日常会話」は必要不可欠なので、その時間を一気に激減させるこの爆弾が連続して炸裂すれば実に危険だ。
加えて神経の消耗も激しく、例えば放課後に小一時間集中して打った後では、部活などに出て声を出す元気も失せてしまう。
そもそも、原点として忘れてはならないこと。
それは教育って何?ということ。
生徒と喋り、生徒のことを同僚と喋り、時には言い合い・・・当たり前だったそんな教育現場はアフリカの爆弾に吹き飛ばされ、無味乾燥な、お互い挨拶をするだけで会話も交わさない、茫漠としたサハラになっていくのではないか。
あと10年で定年となる自分であるが、そのずっと先の教育現場の荒廃を、私は憂えてやまない。
2010・5・26
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