
◆ 民主の主の字は、王の頭に釘を打つ
~『建国記念の日』反対と、『日の丸・君が代』強制反対の闘い~
前『日の丸・君が代』強制反対大阪ネット代表 黒田伊彦
①『議会の多数決による教育介入は抑制すべき』と最高裁判決
2011年に制定されたいわゆる大阪府の「国旗・国歌条例」は、「『君が代』反対の思想を罰するのではなく、『起立斉唱せよ』との職務命令に反したことを罰するのである」としている。議会の多数決で決めた条例違反は、住民の意思に反するのだと主張している。
これは、公権力に従順な国民づくりの為であり、『君が代』の起立斉唱は、サッカーのワールドカップでもやっている世の中の常識であるとして、この「慣例上の儀礼的所作」を行わない者を「非国民」とし排除を正当化しているのである。
1976年の旭川学テ判決では「政党政治に下で多数決原理によってなされる国政上の意志決定はさまざま政治的要因によって左右されてるものであるから・・教育内容に対する・・国家的介入についてはできるだけ抑制的であることが要請される。」と断じている。
大阪維新の会の多数決によってつくられた条例の違憲性は裁かれるべきなのだ。
②『思想を罰する大阪教委を撃つ』大阪高裁判決の再確認を!
不起立による非処分者を再任用しないのは、「信念から出た行動のため、再発する恐れがある」と、府教委は主張している。これは明らかに思想を罰しているのである。
それ故2009年の大阪高裁の確定判決を再確認するべきである。
曰く「国歌がになってきた戦前からの歴史的役割に対する認識や歌詞の内容から、君が代に対し負のイデオロギーないし抵抗を持つ者が、その斉唱を強要されることを思想・信条の自由に対する侵害であると考えることには一理ある。とりわけ『唄う』という行為は個人にとって情感を伴わざるを得ない積極的身体的行為であるから、これを強制されることは、内心の自由に対する侵害になる危険性が高い。したがって君が代を斉唱しない自由も尊重されるべきである。」と判示している。
③天皇制を心の絆とする共同体意識づくりとしての『日の丸・君が代』
権力は権威を伴ってこそ保たれる。旧統一教会と癒着等でドミノ倒しの様に大臣が次々と岸田総理大臣の任命責任を回避する為、辞任という形で更迭している現政権への国民の信頼は無い。
しかも社会の所得格差は拡大し、職場は正規職員と非正規職員に分断され、非正規職員も下請・派遣・パート等に分断され、企業ナショナリズムも労働組合も活力を失っている。
かつて、経団連の御手洗富士夫会長(キャノン社長)は「企業も日の丸を揚げ、君が代を唱い、日本人として団結せよ」と檄を飛ばした。国際競争に打勝つ「日本人意識」とは何か、それは、天皇崇敬を心の絆とする共同体意識である。
元自衛隊幕僚会議議長の栗須弘臣は「日本国軍を創設せよ」(小学館文庫2000年刊)で
「自衛隊は国を守ると言うけれど、それを国民の生命・財産を守ることだと誤解している人が多い。政治家もマスコミも往々そういう言葉を使うが、国民の生命・財産を守るのは警察の役目である」
自衛隊の任務は「自衛隊法にも書いてあるが、国の独立と平和を守る」のだとし、その国とは「天皇制を中心とした我が国固有の国柄を持つ家族意識・国民意識である」
と述べている。
これは戦時中の国体論と同じである。
④ 天皇が国民統合の象徴として存在し得る所以としての「天皇教」
象徴(シンボル)はギリシヤ語で「シンポロン」といい、「片割れ」という意味である。「片割れ」の一方の国民の受容・支持が合体して、機能するということである。
このように天皇が「国家と国民統合の象徴」として権威を持って存在し得る根拠は、多くの国民が信じている「神武以来の聖なる血の連続性」にある。憲法でも「皇位は世襲である。」と規定されている。
天皇は大嘗祭で大衆的に明らかになったように、真夜中の神事として天照大神等の祖霊と合体することによって「神格性」「聖性」を身につけた宗教的主体なのである。国家神道の踏襲である。
島薗進東京大学名誉教授は、「国家神道と戦前・戦後の日本人」(河合ブックレット)で、宗教といる語の意味を広くとると「聖性を基盤としたその社会の精神的秩序を特定伝統をひきながら構成しているもの」(P.18)を見ることができると述べている。まさに「天皇教」である。
このような宗教性をもった天皇のカリスマ的権威性に根拠を与えているのが神武天皇の第一代天皇として即位したとされる2月11日の旧紀元節、今の建国記念の日なのである。
「君が代」はこのような「天皇教」への讃美歌の役割を果たしている。
憲法では、第20条3項に「国民及びその機関は宗教教育その他いかなる宗教的活動をしてはならない」、第2項では「何人も宗教上の行為、祝典、儀式又は行事に参加することを強制されない」と規定されている。
「日の丸・君が代」の起立斉唱の拒否の闘い、このような民主主義の確立の為の闘いである。
⑤ 人間平等の真の民主主義の確立へ
日本は立憲君主国といわれている天皇皇族、国民という身分制がある。
身分とは生まれついた「血統」による権利の有無が左右されるものである。
「秋篠宮眞子さま」が民間人と結婚すると「眞子さん」と敬語で呼ばれなくなる。
本来民主主義は人間平等であるべきものである。民主主義はギリシア語で「デモス・クラチア」という。人民による統括である。
中江兆民は「民主の主の字を解剖すれば、王の頭に釘を打つ」と喝破している。
2・11集会を機に更に闘いの意思を固めようではありませんか!
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