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東京都の元「藤田先生を応援する会」有志によるブログ(2004年11月~2022年6月)のアーカイブ+αです。

「思考力を問う"新テスト"」は本当に必要か?

2016年12月27日 | こども危機
  《尾形修一の紫陽花(あじさい)通信から》
 ◆ 迷走する「新テスト」-「記述式」をどうするか


 今の「センター試験」を2019年度で終わりにして、2020年度からは新しい入試制度に変えるという議論が続いている。自分の時代は、そんなものはなくて、国立大学が前期、後期と分かれていた。1979年から89年まで「共通一次(大学共通第一次学力試験)」が行われた。1990年度から「センター試験(大学入学者選抜大学入試センター試験)」となる。僕は今でもつい「共通一次」なんて言ってしまう。
 何で変えるのか? 「マークシート」中心の現行試験では、これからの時代にあった学力を測るには不十分だというようなことを言っている。だから、「新テスト」では、「記述式」が導入される。「思考力」「表現力」を記述式テストで測るというのである。当初は国語と数学から始め、やがては英語の「書く」「話す」試験も行い、コンピュータによる出題・解答も始める。
 記述式だと採点に時間がかかる。だから、今は1月中旬の試験を、もっと早くする、2学期中にやるという意見もあった。そうすると、高校の行事や授業に大きな影響を与えるから、高校側の反対が強い。そもそも、このテストも一年に複数回実施して、いつ受けてもいいようにするという案もあった。これは難しいということでなくなったようだが、実施時期も結局は今と同じになりそうだ。そうすると、採点の時間が取れるか、公平性が保てるかという問題が出てくる。
 そこで、記述式も「40字~80字」とし、採点も民間委託するという案も出てきた。これじゃ、「思考力」や「表現力」を見るというより、「受験テクニック」を見るというのに近い。もっとも、受験テクニックを身に付けるのも、思考力が必要ではある。だけど、それを言い出すと、マークシート式だって、思考力がないとできない。「現実」という壁にぶつかって「迷走」しているとも思えるが、ある意味では「民間委託」=大規模な教育関係企業がうるおうというのは、「全国学力テスト」でも同じ。自民党の「民間活力」重視路線からする当然の成り行きとも思う。
 結局「大山鳴動して鼠一匹」的なものになりそうだけど、ネズミ一匹でも出てくれば成果と考えるか、混乱しただけだったとなるか。そもそも「日本社会にとって、大学入試とはどうあるべきか」の国民的議論なしに、何も変えても大きな変化は起きないだろう。そもそも、高校卒業(見込み)、または高校卒業程度認定試験に合格していないと、大学を受験できない。だから、「高卒程度の学力」は全員が身に付けているはずである。でも、それはタテマエで、高校と言っても千差万別、学力という点では大きな差があるのも事実だろう。だから、「高校卒業テスト」の方を作れという議論もある。
 でも、それは無理というものだ。秋の間に大学への推薦や就職試験などが済んでいて、その後に「高卒テスト」に合格しないと卒業できないという全国テストなんかできるわけない。それに、単位の認定、卒業の判定は、高校長の権限とされている。それを変えると、他の教育課題への影響が大きすぎる。だから、各高校が卒業を認定し、それで様々な生徒が社会へ出て行くということになる。
 大学生、あるいは高校生の教育において、もっと「思考力」「表現力」を磨くべきだと言われると、それはそうだと思う。でも、それは大学入試という場で測定可能なのか。それができるとしても、たかだか数十字の記述では測定不能だろう。それに、記憶力をもとにした「基礎的知識の理解度」だって、大事に違いない。英語力に関しても、「読む力」「聞く力」だけでなく、「話す力」「書く力」が大事なのは、もう当然すぎる。だからって、時間の限られた試験という場で、あえて問う必要があるんだろうか。
 そういう風に、短い時間において、多種多様な能力を測定しようということになると、当然「試験テクニック」の重要性が大きななるに決まってる。そうなんでもかんでも、大学入試に求める必要はないんじゃないか。特に英語などは、思い切って試験科目から外し、外部の英検などで代用するのも一案だと思う。大学は事前に、求める学生の英語能力を決めておく。ある一定の資格を有するものが受験すればいい。大学では、論文を2日ぐらいをかけて書く。そういう入試だけを行う。推薦入試などは廃止する。それが一番、「思考力を問う入試」になるんじゃないだろうか。
 それにしても、大学の先生も大変そうだなあというニュースが多い。文系科目の扱いもそう。理系だって、毎年のようにノーベル賞受賞者が続いているけれど、受賞者はみな「国は基礎的研究に力を入れて欲しい」と必ず言っている。とにかく、「実利優先」のような高等教育行政を行っていると、いずれ大変なことになる。文系理系といった枠を超えて、哲学や論理学、倫理学などへの深い考察を若いうちにすることが大事なんじゃないかと思う。
『尾形修一の紫陽花(あじさい)通信』(2016年12月14日)
http://blog.goo.ne.jp/kurukuru2180/e/090e60c897768e4bed85a387441f1ed8
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