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東京都の元「藤田先生を応援する会」有志によるブログ(2004年11月~2022年6月)のアーカイブ+αです。

国民投票法 教育現場の困惑

2007年05月17日 | 平和憲法
 憲法改正の手続きを定める国民投票法が十四日、参院本会議で可決、成立した。原則十八歳以上に投票権がある一方、公務員や教育者の地位利用による投票運動の制限が設けられたことで、教育現場に困惑が広がっている。教師らからはこんな悲鳴が。「何が許されて何が制限されるのかあいまいで息苦しさは増すばかり」

 ◎ 投票運動制限 教育現場は悲鳴

 憲法学者の奥平康弘・東大名誉教授は「公務員、教育者をひとつの典型として取り上げ、『言論に制限がありますよ』と示すことはショーウインドーとしての効果があり、一般の人にも心理的ハードルとして波及効果をもたらす」と指摘する。
 だとすれば教育現場だけにとどまらず、言論の自由をめぐる問題ともいえるが、その条文とはどのようなものか。

 同法の教育者の地位利用に関する部分は「教育者は学校の児童、生徒・学生に対する教育上の地位にあるために特に国民投票運動を効果的に行い得る影響力を利用し、運動をすることができない」というもの。

 これだけでは、どんな行為が制限されるのかはっきりしないが、審議は尽くされずに採決されてしまった。
 与党側の説明によると、教育者が授業の場を利用して、賛成票あるいは反対票を入れてほしいと生徒に呼びかけることや、賛成あるいは反対しないと単位をやらないなどと言うこと、さらに、家庭訪問で勧誘することなどが違反になるという。
 一方、「授業などで教育者が賛成や反対の立場を表明するだけなら違反にはならない」とも説明。「憲法を教えること自体、委縮してしまう」との批判に反論している。

 ■ あいまいさ 自主規制に

 これに対し、奥平氏は「『賛成・反対の表明は自由ですよ』というのはあり得る言い訳だ。しかし、このような条文をつくること自体、何ができて何ができないのかという争点を残し、それは最終的には制限する側に傾く。文言があいまいであることに応じて抑圧効果が生まれ、主観的判断も加えられて(制限が)拡大されてしまう」と運用面での拡大解釈を懸念する。
 長野県の公立高校の男性教諭(四九)も「県教委から授業内容に指導が出されることは十分考えられる。現場は下に下りるほど締め付けが厳しく、上が言っていないことまで自主規制する傾向がある」と、現場レベルで奥平氏の懸念を実感している。
 「家庭教育の在り方を言い始めた教育再生会議にも共通するが、地位利用の条文も規範意識が前面に出ており、規範にはまらないものは許さないという考え方。しかし、世の中はそもそもグレーゾーンの方が多く、それを教えることが教育ではないか。憲法を扱わせないようにしていると感じる。学ばせる機会さえ奪うのかと言いたい」と訴える。
 東京都内の公立中で公民を教える男性教諭(四七)も「息苦しさがまたひとつ増えた。自分自身は自由に教えようと思っているが、上から(職務命令などが)あれば、公務員としての立場もある」とため息をつく。
 そして「国会審議は議論が深まらないまま可決された印象が強い。教育現場に委縮があれば、憲法改正案自体も国民から自由に意見を吸い上げて決まったとは言えなくなるのではないか」と疑問を投げかける。

 ■ 本音言えるのは予備校だけ?

 国民投票法がいう教育者とは、小中高校、大学、養護学校などの教員で、予備校など各種学校の講師は対象外だ。
 河合塾講師の川本和彦氏は「予備校は公教育ではないので、制約や圧力を受けることはない」と"聖域"を強調した上で、制約を受ける教員たちにこう提言する。「最低投票率の規定がない点など客観的におかしい部分を指摘したり、軍隊を持たない国が実は三十近くある(リンク)ことなど、事実を事実として教えることで、対抗していけばいいのでは」

『東京新聞』(2007/5/15 ニュースの追跡)

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