『法学セミナー』2012/01[巻頭言]
◎ 違憲立法審査権
最高裁が違憲審査権をもつ終審裁判所としての機能を備えて60余年、その間法令の違憲判断をしたのが8件<注>である。
最近の憲法改正論議の中には、憲法裁判所の設置を求めるものがあるが、それは、わが国最高裁の違憲立法審査権の行使の現状に対する不満に一因があるともいわれている。
ところで、8件の法令違憲判決のうち3件がここ10年のうちに出されている。しかも、それらはそれぞれ争いの対象となった権利の重要性について言及し、立法統制について従来のものより一層踏み込んだ判示もみられ、そこには更なる拡がりを予感させるものがあるように思える。
3つの違憲判決のあと、共同住宅の郵便受けにビラを投入するために共用部分に入ったことを住居侵入として罰しうるか、学校の式典における君が代斉唱の職務命令への不服従を理由とする不利益処分の可否をめぐってその合憲性が争われた事件で、それぞれ合憲の判断をした。
何れも30年以上前の大法廷判決を引用したものであり、その理由はやや詳しくなっているものの、そこに格別新しいものはみられない。こうしてみると、思想及び良心の自由や表現の自由についての最高裁の憲法判断はほぼ不動であるかにみえる。
そのような中にあって、一昨年3月29日に言い渡された国家公務員法違反事件の上告審で最高裁がどのような判断を示すかに注目が集まっている。
この事件は、裁量の余地のない機械的な業務を担当する公務員が、休日に私服で職場から離れた自宅付近の住宅等の郵便受けに政党機関紙等を投函したことの刑事責任を問うものである。
この問題では、既に有名な猿払事件最高裁判決があり、このような行為制限は間接的、付随的なもので一切の意見表明の自由を制約するものではないとした上、禁止によって得られる利益は失われる利益に比して重大で、禁止は利益との均衡を失うものではないと合憲判断をしている。
今回、東京高裁の判決は、この最高裁判決の枠組を維持した上で、その後の国民の法意識の変化をとりあげて適用違憲の判断をした。
この判決は、猿払事件以降今日まで、わが国における民主主義がより成熟し、着実に根付いており、民主主義を支えるものとしての表現の自由がとりわけ重要な権利であることについての認識が深まっていること、イデオロギー対立についての変化の状況、グローバル化のすすむ中で世界標準の視点から判断する必要性についての国民の認識の変化、公務員の勤務時間外における政治活動についての許容度などに注目し、本件行為に罰則を適用することは必要やむをえない限度を越えた政治活動の制限となり、憲法に反するとして無罪を言い渡したのである。
猿払事件判決が、国民の公務員に対する信頼の維持を規制目的としたものである以上、その信頼は国民の法意識の変化と共に変わりうるものである。司法には、その法解釈を通じて、法にその時代に即した活力を与えていくという使命がある。
下級審が最高裁判決の拘束力の中でその使命を果たす努力を試みたこの事件は、表現の自由に対する裁判官の価値意識を反映するものであり、大法廷における活発な議論の成果を刮目して見守りたい。
『法学セミナー』2012年01月号
<注>8件の「法令違憲」判決
(1)1973/04/04 大法廷 刑法(尊属殺重罰規定)→憲法14条(平等権)
(2)1976/04/14 大法廷 公選法(衆院議員定数)→憲法14条(平等権)
(3)1975/04/30 大法廷 薬事法(新規薬局開設)→憲法22条(職業選択の自由)
(4)1985/07/17 大法廷 公選法(衆院議員定数)→憲法14条(平等権)
(5)1987/04/22 大法廷 森林法(持分分割請求)→憲法29条(財産権)
(6)2002/09/11 大法廷 郵便法(損害賠償責任)→憲法17条(国家賠償請求権)
(7)2005/09/14 大法廷 公選法(在外邦人選挙)→憲法15条(公務員選定権)
(8)2008/06/04 大法廷 国籍法(非嫡出子国籍)→憲法14条(平等権)
◎ 違憲立法審査権
滝井繁男(弁護士・元最高裁判事)
最高裁が違憲審査権をもつ終審裁判所としての機能を備えて60余年、その間法令の違憲判断をしたのが8件<注>である。
最近の憲法改正論議の中には、憲法裁判所の設置を求めるものがあるが、それは、わが国最高裁の違憲立法審査権の行使の現状に対する不満に一因があるともいわれている。
ところで、8件の法令違憲判決のうち3件がここ10年のうちに出されている。しかも、それらはそれぞれ争いの対象となった権利の重要性について言及し、立法統制について従来のものより一層踏み込んだ判示もみられ、そこには更なる拡がりを予感させるものがあるように思える。
3つの違憲判決のあと、共同住宅の郵便受けにビラを投入するために共用部分に入ったことを住居侵入として罰しうるか、学校の式典における君が代斉唱の職務命令への不服従を理由とする不利益処分の可否をめぐってその合憲性が争われた事件で、それぞれ合憲の判断をした。
何れも30年以上前の大法廷判決を引用したものであり、その理由はやや詳しくなっているものの、そこに格別新しいものはみられない。こうしてみると、思想及び良心の自由や表現の自由についての最高裁の憲法判断はほぼ不動であるかにみえる。
そのような中にあって、一昨年3月29日に言い渡された国家公務員法違反事件の上告審で最高裁がどのような判断を示すかに注目が集まっている。
この事件は、裁量の余地のない機械的な業務を担当する公務員が、休日に私服で職場から離れた自宅付近の住宅等の郵便受けに政党機関紙等を投函したことの刑事責任を問うものである。
この問題では、既に有名な猿払事件最高裁判決があり、このような行為制限は間接的、付随的なもので一切の意見表明の自由を制約するものではないとした上、禁止によって得られる利益は失われる利益に比して重大で、禁止は利益との均衡を失うものではないと合憲判断をしている。
今回、東京高裁の判決は、この最高裁判決の枠組を維持した上で、その後の国民の法意識の変化をとりあげて適用違憲の判断をした。
この判決は、猿払事件以降今日まで、わが国における民主主義がより成熟し、着実に根付いており、民主主義を支えるものとしての表現の自由がとりわけ重要な権利であることについての認識が深まっていること、イデオロギー対立についての変化の状況、グローバル化のすすむ中で世界標準の視点から判断する必要性についての国民の認識の変化、公務員の勤務時間外における政治活動についての許容度などに注目し、本件行為に罰則を適用することは必要やむをえない限度を越えた政治活動の制限となり、憲法に反するとして無罪を言い渡したのである。
猿払事件判決が、国民の公務員に対する信頼の維持を規制目的としたものである以上、その信頼は国民の法意識の変化と共に変わりうるものである。司法には、その法解釈を通じて、法にその時代に即した活力を与えていくという使命がある。
下級審が最高裁判決の拘束力の中でその使命を果たす努力を試みたこの事件は、表現の自由に対する裁判官の価値意識を反映するものであり、大法廷における活発な議論の成果を刮目して見守りたい。
『法学セミナー』2012年01月号
<注>8件の「法令違憲」判決
(1)1973/04/04 大法廷 刑法(尊属殺重罰規定)→憲法14条(平等権)
(2)1976/04/14 大法廷 公選法(衆院議員定数)→憲法14条(平等権)
(3)1975/04/30 大法廷 薬事法(新規薬局開設)→憲法22条(職業選択の自由)
(4)1985/07/17 大法廷 公選法(衆院議員定数)→憲法14条(平等権)
(5)1987/04/22 大法廷 森林法(持分分割請求)→憲法29条(財産権)
(6)2002/09/11 大法廷 郵便法(損害賠償責任)→憲法17条(国家賠償請求権)
(7)2005/09/14 大法廷 公選法(在外邦人選挙)→憲法15条(公務員選定権)
(8)2008/06/04 大法廷 国籍法(非嫡出子国籍)→憲法14条(平等権)
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