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東京都の元「藤田先生を応援する会」有志によるブログ(2004年11月~2022年6月)のアーカイブ+αです。

学校はファシズムの拠点なのか?山吹高校学校新聞言論弾圧問題

2018年11月12日 | 暴走する都教委
 ◆ 都立新宿山吹高校で起きている学校新聞への弾圧と
   編集長への暴力行為や授業出席不許可は許せない!

   --編集長のI君に対する「誓約書」の強要は生徒への権利侵害だ--


 <都立新宿山吹高校でおきていること>
 「学校は民主主義の実践場だ」という言葉をよく聞く。しかし、都立山吹高校は「ファシズムの実践場」になっているようだ。
 自由な発言が保障されるべき学校新聞(ヤマブキジャーナル)の記事が「指導」により発禁となり、新聞は「指導により削除※申し訳ございません」の紙面に変えられた(裏面掲載 2016年7月15日:略)。
 いうまでもなく言論の自由を奪う学校当局に抗議するためだ。かつて軍事政権下の韓国で弾圧を受けた「東亜日報」が黒塗りの紙面を発行したのに似ている。
 学校は、この「指導による削除」の記事も禁止して、同新聞は現在紙の新聞が発行できない状態になり、生徒達は電子版の新聞を発行している現状だ。
 <発禁指導記事はまっとうな主張だ!>
 一般紙も学校新聞も変わることがない。発行が制約されるケースは人権や公序良俗に反した内容だけだ。憲法21条「検閲をしてはならない」と規定しているが、これは学校新聞では許されるというものではない。
 ましてや、発禁指導された記事「山吹入試、内心比率7:3に」のタイトルで「内申比率を引き上」げることにより、「不登校や高校中退の生徒を学校に復帰させる」ことができなくなると指摘した内容だ。
 他に発禁指導された記事は「ボランティアは学校主導より生徒の自主性に任せよ」のタイトルで、ボランティアが学校教育で強制されるのではボランティアではないと学校の姿勢を批判した記事なのだ。
 また、同校では生徒会規則が配布されてなくて、同学校新聞は「生徒会会則を配布せよ」のキャンペーンを張ったりしたが、これが気に障ったようだ。
 これはどう見ても言論弾圧以外ではない。

 <現編集長である I 君に対する監禁・暴力行為は許せない!>
 その後、電子版新聞で校内でコンドームが発見された件や爆破予告の件を報道したが、そうすると I 君は生活指導室に連行され恫喝を受け、その数日後には校長室に約2時間も監禁され校長と副校長からの「指導」を受け、「誓約書」を書かされた。
 これ以降 I 君は不登校状態になってしまった。

 その後、他校在籍の友人が文化祭の折に校門で I 君支援と学校批判のビラを撒いたりした。
 また、学校との紛争解決のために弁護士が学校に面会を求めたが、学校はこれも拒否した。
 また、女性教員に「履修の不備」を指摘され、I 君はやむを得ず登校すると、別の主幹教員が現れ、I 君の腕を掴んだり写真を撮ったり恫喝を繰り返した。
 また、2018年に入り、I 君が校内でビラを撒いたら、教員に包囲され「指導を受けなければ授業に参加させないと恫喝を受けた。
 I 君は身柄の解放を強く要求し、ようやく解放された状況なのであった。

 生徒の人権が侵害され、学校ぐるみで言論弾圧と生徒いじめを行っている。
 生徒達は都議に陳情して、都教委からの注意が学校になされ、授業出席が許されるようになったが、学校当局は生徒への謝罪もなく、生徒への弾圧と暴力体質は変わりがない。
 <これは氷山の一角にすぎない。都教委による教育の管理・支配の結果だ!>
 この山吹高校の事態は深刻だ。
 18歳選挙権(18歳成人も法制化が予定)の時代になっているのに、生徒に基本的な人権も認められない学校の状況はファシズムの学校のようだ。
 都教委の政策により、教員から自由と人権が奪われた結果が、生徒の人権が奪われる事態に繋がっている。私達は教育の自由と人権を求め、山吹高校の当局を許してはならない。
 ≪高校生ホットライン≫(弁護士に相談できます)090-7015-3344(永井)080-5672-1735(渡部)
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 《yamabuki journalから》2018年03月27日号 (掲載当時「発禁」記事)
http://yamabukijournal.officialblog.jp/archives/23080780.html
 ★ 【プレイバック】社説 「ボランティアは学校主導より生徒の自主性に任せよ」
   2016年2月1日号(第3号)掲載


 昨今、学校でのボランティア必修化の動きが進んでいる。任意の単位認定科目として設定するのならばともかく、これを必修とするのは、事実上の強制だ。
 そもそも「ボランティア」の語源を知っているだろうか?「志願兵」という意味である。従って、「ボランティア」というのは、個人の自由意志により行われるべきものである。
 つまり、昨今の「ボランティア」必修化の動きは、この原則に反する。

 だが、残念なことに「体験学習」と称して福祉施設や清掃活動、児童福祉事業等に労働力を無償で動員している「ボランティア」活動の実態がある。
 本来、福祉施設や清掃活動、児童福祉等の労働力確保や弱者救済は行政の仕事である。
 これを財政難を理由に忌避しておきながら、純粋無垢な学徒を「ボランティア」の美名の下に動員するなど言語道断である。何の為に皆が税金を納めているのか行政にはよく考えてもらいたいものだ。
 こんなことを書いていると、「お前は思いやりの心がないのかー!」などと激昂する人達が居るが、彼らは「思いやり」を履き違えているようにしか思えない。
 先にも述べたようにボランティアは個人が自主的に困っている人に手を差し伸べるものであり、半強制的に動員するものではない。あくまで「思いやり」は個人の自由だ。誰かが思いやりを強制することはあってはならない。
 特に所属生徒に関して絶大な権力を行使できる学校当局が、これを強制するというのは、「現代の学徒動員」であり、「強制徴用」であると断じざるを得ない。
 また、進学の評価に「ボランティア」活動が反映されることで立場の弱い生徒が学校当局から「進学が有利になる」と甘言で徴用される現状は大変不愉快だ。
 私は生徒の自己決定に基づくボランティアには大いに賛成だが、学校主導のボランティア活動は直ちに廃止すべきだと思う。
 学校当局がボランティア募集を行うことも不適当だ。
 ボランティアは本来の意味通り生徒の自主性に任せるべきで、強制もしくは事実上の強制があってはならない。
 高校生自身による事業のコーディネートを行い、高校生による自主管理組織を作り、大人に干渉させることなく、本当のボランティアをやろうではないか。
 ボランティアは義務ではなく、権利だ。我々高校生発のボランティアを始めるべきではないだろうか。
 (編集局長=平松けんじ)※掲載当時

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