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パワー・トゥ・ザ・ピープル!!アーカイブ

東京都の元「藤田先生を応援する会」有志によるブログ(2004年11月~2022年6月)のアーカイブ+αです。

知の規格化と思考方法の定式化で生徒の知的活動を枠づけていく新学習指導要領

2017年05月22日 | こども危機
 《子どもと教科書全国ネット21ニュース》
 ◆ 新学習指導要領の問題点
中嶋哲彦(名古屋大学教授)

 ◆ 「新教育基本法の具体化」論について
 2006年12月、第一次安倍政権の下で教育基本法「改正」が強行された。また、その翌年には学校教育法等が「改正」された。これらの背景には、安倍流「教育再生」、別言すれば復古主義的国家主義者が推進する新自由主義的教育改革を法的に正当化・制度化する意図があった。
 政権・与党といえどもこれらの法律「改正」にあたって完全なフリーハンドを行使できたわけでなく、政権の意図をそのまま法律の文言に組み込むことに成功したわけではない。
 政府・与党は国会内では圧倒的多数を制していたが、日本国憲法や公教育制度に対する国民的合意を無視して、自らの意図を条文に書き込むことはできなかったのである。
 今回の学習指導要領改訂について、「新教育基本法・学校教育法を具体化するものだ」といった類いの指摘を見聞きすることがあるが、これはいかにも不用意な言い方であろう。
 これでは、安倍政権自らの政治的意図を実現する手段として教育基本法等を利用することを無抵抗で許すことになってしまう。
 筆者も、安倍政権が上記の意図をもって教育基本法「改正」や今回の学習指導要領改訂に臨んでいることはまったく否定しないが、その意図に沿って現実を説明する必要はないし、政権の意図がフルに実現しているとの事実認識は適切でないだろう。
 ◆ 新登場の概念への警戒
 新学習指導要領及び中教審の教育課程答申には、これまでにない概念が多数採用されている。
 たとえば、「カリキュラム・マネジメント」、「主体的・対話的で深い学び」、「育成すべき資質能力」、「社会に開かれた教育課程」、「学びの地図」「見方・考え方」など。
 また、「生きる力」はこれまでも用いられてきた観念だが、これまでと異なって、「生きる力」に徳育を通じて形成される道徳性が加えられたことは総則冒頭の記述から明らかである。
 ただ、各教科における「見方・考え方」の重視や、「思考力、判断力、表現力その他の能力」を育成すべき資質・能力の一つとして掲げていることについては肯定的に評価する意見もある。また、「カリキュラム・マネジメント」は、教育課程を柱とする学校づくりの取り組みと区別しにくいかもしれない。
 そのため、新しく登場した概念を、自主的な教育実践を作り上げていくために積極的に生かしていくべきだという意見もある。ただ批判するだけでなく、学習指導要領の中の生かせる概念は活用して、教育実践・教育運動を切り拓いていくことが大切だということには筆者も同意する。
 しかし、それは、学習指導要領が全体として何を意図しており、また言葉一つ一つがどういう意図で用いられているかについて徹底して批判的考察を加え、それらの本質的意味を明確に認識したのちに、はじめて追求すべき課題なのではないか。
 この手続きを欠く教育実践や教育理論は容易に政権の政治的意図に飲み込まれてしまうだろう。
 ◆ 法的拘束性と規制対象の拡張
 文部省・文部科学省は、学習指導要領は法規であり、教育課程編成や教育活動に対する法的拘束力を有すると主張して、指導内容=学習内容を権力的に統制してきた。
 このため、教育課程編成、教育実践、教科書編集・執筆が厳しく規制されてきた。
 新学習指導要領でも随所で「…するものとする」(=…しなければならない)という表現を使い、教育内容の権力的統制を続ける意思を明確にしている
 しかし、新学習指導要領は規制対象をこれまでより拡大しようとしている。

 第一に、学習指導要領で指導方法や学習評価まで規制しようとしていることだ。
 総則には、「主体的・対話的で深い学びの実現に向けた授業改善」と「学習評価の充実」について踏み込んだ記述が見られる。
 指導方法の選択や開発そして学習評価まで権力的に統制し始めたら、教育現場は活力を失ってしまう。これらは教師の専門性の中核を占め、教育権または職務上の権限に属する。
 第二に、「カリキュラム・マネジメント」なる概念を用いて、教育課程を学校運営の中核に位置づけ、またそれに即して学校評価を実施するとしていることだ。
 これ自体が間違っているわけでないが、問題は学習指導要領による教育課程規制によって学校の自律性が制約されることにある。学校の自律的運営に対する不当な支配、教育委員会の学校管理権の侵害の可能性もある。
 第三に、中教審は教育課程答申で学習指導要領を「学びの地図」と呼び、「社会に開かれた教育課程」として家庭や地域・社会の関係者による活用が必要だと述べた。
 新学習指導要領もこれを継承している。学校教育を統制するだけでは飽き足りず、国民の学習内容や学習活動を丸ごと管理しようとしているのではないか。
 ◆ 最低基準の二重の意味
 新学習指導要領には、「全ての児童に対して指導するものとする内容の範囲や程度等を示したものであり、学校において特に必要がある場合には、この事項にかかわらず加えて指導することができる」と明記されている。
 学習指導要領に書かれたことは全児童生徒に指導しなければならないが、これ以上の内容を指導することも認めるという意昧だ。
 ただし、これは「ゆとり教育」から「確かな学力」への政策転換の中で、習熟度別指導とセットで登場したことを想起すべきだ。
 到達目標の異なる複数の教育課程を並行実施すること、能力別編成を容認することにもなりかねない。
 新学習指導要領には「児童の発達の支援」という項目が新設され、障害のある児童生徒・帰国子女や日本語指導を要する児童生徒・不登校児童生徒といった「特別の配慮を必要とする」児童生徒への指導について記述している。
 適切な配慮や支援は必要だが、「特別の配慮」は「通常からの排除」として機能することに注意を要する。
 他方、「特別の配慮」論はいわゆる英才児に対する配慮をも正当化する場合がある。
 上記の最低基準性に即して言えば、実際には障害のある児童生徒等への特別の配慮以上に手厚い配慮が政策的に選択され、制度化される可能性も考えておかなければならない。
 ◆ 道徳混入と知の規格化
 現行学習指導要領では、知育・徳育・体育を区別した上で、「生きる力」は知育を通じて育てると記述している。
 ところが、新学習指導要領では知育・徳育・体育すべてを通じて「生きる力」を育てると記述している。
 大きく意味の変わった「生きる力」を軸にして、国民の知と価値観を包括的に支配しようとしているのではないか。
 新学習指導要領は育成すべき資質・能力として、(1)知識・技能、(2)思考力・判断力・表現力等、(3)学びに向かう力・人間性等の三つを挙げている。
 しかし、これまで資質・能力というときは、学校教育法第30条2項に基づいて、(1)(2)はこれと同じだが、(3)は「主体的に学習に取り組む態度」とされていた。
 「人間性」という徳育的要素を資質・能力にこっそりと紛れ込ませたのだ。
 また、「見方・考え方」を育成するとして、「主体的・対話的で深い学習」が強調されているが、学習内容や指導方法ががんじがらめにされていて、学習指導要領や検定教科書による知の規格化と思考方法の定式化を通じて、生徒の知的活動を枠づけていくことになりかねない。
 道徳教育教科化による価値観の押しつけに議論が向かいがちだが、「見方・考え方」の枠付け、つまり知的活動の統制による人格支配にも警戒すべきだろう。(なかじまてつひこ)
『子どもと教科書全国ネット21ニュース』113号(2017.4)

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