◆ 東京都条例を考える
~具体策と客観性が課題 (東京新聞)
十月五日、東京都議会でひとつの条例が成立した。正式名称を「東京都オリンピック憲章にうたわれる人権尊重の理念の実現を目指す条例」という。
この条例は、「多様な性の理解の推進」と「本邦外出身者に対する不当な差別的言動の解消に向けた取り組みの推進」の二つの課題を規定する。
類似の条例は他の自治体にもあるが、二つの課題を同時に規定したのは全国初である。名称のとおり、条例はオリンピック憲章を念頭に置く。
二〇二〇年のオリンピック開催地として、オリンピズムの基本原則を遵守しなければならない。憲章は人種、言語、宗教、政治的意見、出身国などによる差別を禁止し、一四年にはここに性的指向を追加した。
この条例は、性的少数者の自死念慮が依然として高く、外国籍者へのヘイトスピーチが後を絶たない現状に対処すべく誕生した。
性自認や性的指向を理由とする不当な差別的取り扱いは禁止された。これ自体は重要な一歩である。
しかし、性の多様性について、具体的に何をするのか条例からは見えてこない。差別を禁止しただけでは絵に描いた餅になる。
都はこれから差別解消や啓発推進に関する基本計画を策定する。ところが、計画に盛り込まれる項目などは条例に何も書かれていない。数値目標なのか、相談窓口の設置なのか、救済手段を整備するのか。
たとえば一三年に成立した多摩市の条例は、性自認や性的指向の差別解消のために、苦情処理委員が指導や助言、是正勧告をする手続きを整備した。
都が策定する基本計画に同様の救済手段を盛り込むことは、条例の目的達成に不可欠だ。
日本には差別を禁止する憲法一四条はあるが、国内法には差別の定義もなければ、政府から独立した人権救済機関もない。
条例で救済手段を整備すれば、多様な性以外にも対象を広げる基盤ができる。それこそがオリンピック憲章の理念実現へとつながる。
ヘイトスピーチ規制では公の施設の利用制限などが規定されるが、権限が知事に集中しているのは問題だ。歯止めをかける審査会の委員も、委嘱は知事による。
表現の自由という人権の制限を、知事の判断に委ねてよいのだろうか。
より高度な客観性が確保されるべきだ。
また、ヘイトスピーチ規制の対象も狭すぎる。
オリンピック憲章は、外国籍の人々への差別のみならず、人種や言語、宗教に関する不当な差別をなくす取り組みを求めている。
国のヘイトスピーチ規制法も限定的だが、オリンピック憲章をひくのなら、「本邦外出身者」に限定する必要はなかったはずである。
ところで、そもそも、条例はなぜ「オリンピック憲章にうたわれる人権」の実現を目指したのか。
憲章は国際オリンピック委員会という一つのNGOの文書である。
もともと「入権尊重の理念」は他の多くの国際合意文書にもうたわれている。その先駆けである国連の世界人権宣言は今年、採択七十周年を迎える。
もしオリンピック誘致に失敗していたら、七十年前の「人権尊重の理念」の実現は、東京都にとって、まだ先の課題だったのだろうか。
一四年のソチ冬季オリンピックは、ロシアの「同性愛宣伝禁止法」への抗議のため、日本を除く主要国首脳は開会式を欠席した。
二〇年の東京オりンピックで同じ事を繰り返さないよう、都条例に実効性を持たせるだけでなく、国レベルでの積極的な取り組みも期待したい。
※ たにぐち・ひろゆき
金沢大准教授、国際人権法。1975年、岐阜県生まれ。編著に『性的マイノリティ判例解説』『セクシュアリティと法』。
『東京新聞』(2018年11月15日【夕刊】)
~具体策と客観性が課題 (東京新聞)
谷口洋幸(たにぐち・ひろゆき 金沢大准教授)
十月五日、東京都議会でひとつの条例が成立した。正式名称を「東京都オリンピック憲章にうたわれる人権尊重の理念の実現を目指す条例」という。
この条例は、「多様な性の理解の推進」と「本邦外出身者に対する不当な差別的言動の解消に向けた取り組みの推進」の二つの課題を規定する。
類似の条例は他の自治体にもあるが、二つの課題を同時に規定したのは全国初である。名称のとおり、条例はオリンピック憲章を念頭に置く。
二〇二〇年のオリンピック開催地として、オリンピズムの基本原則を遵守しなければならない。憲章は人種、言語、宗教、政治的意見、出身国などによる差別を禁止し、一四年にはここに性的指向を追加した。
この条例は、性的少数者の自死念慮が依然として高く、外国籍者へのヘイトスピーチが後を絶たない現状に対処すべく誕生した。
性自認や性的指向を理由とする不当な差別的取り扱いは禁止された。これ自体は重要な一歩である。
しかし、性の多様性について、具体的に何をするのか条例からは見えてこない。差別を禁止しただけでは絵に描いた餅になる。
都はこれから差別解消や啓発推進に関する基本計画を策定する。ところが、計画に盛り込まれる項目などは条例に何も書かれていない。数値目標なのか、相談窓口の設置なのか、救済手段を整備するのか。
たとえば一三年に成立した多摩市の条例は、性自認や性的指向の差別解消のために、苦情処理委員が指導や助言、是正勧告をする手続きを整備した。
都が策定する基本計画に同様の救済手段を盛り込むことは、条例の目的達成に不可欠だ。
日本には差別を禁止する憲法一四条はあるが、国内法には差別の定義もなければ、政府から独立した人権救済機関もない。
条例で救済手段を整備すれば、多様な性以外にも対象を広げる基盤ができる。それこそがオリンピック憲章の理念実現へとつながる。
ヘイトスピーチ規制では公の施設の利用制限などが規定されるが、権限が知事に集中しているのは問題だ。歯止めをかける審査会の委員も、委嘱は知事による。
表現の自由という人権の制限を、知事の判断に委ねてよいのだろうか。
より高度な客観性が確保されるべきだ。
また、ヘイトスピーチ規制の対象も狭すぎる。
オリンピック憲章は、外国籍の人々への差別のみならず、人種や言語、宗教に関する不当な差別をなくす取り組みを求めている。
国のヘイトスピーチ規制法も限定的だが、オリンピック憲章をひくのなら、「本邦外出身者」に限定する必要はなかったはずである。
ところで、そもそも、条例はなぜ「オリンピック憲章にうたわれる人権」の実現を目指したのか。
憲章は国際オリンピック委員会という一つのNGOの文書である。
もともと「入権尊重の理念」は他の多くの国際合意文書にもうたわれている。その先駆けである国連の世界人権宣言は今年、採択七十周年を迎える。
もしオリンピック誘致に失敗していたら、七十年前の「人権尊重の理念」の実現は、東京都にとって、まだ先の課題だったのだろうか。
一四年のソチ冬季オリンピックは、ロシアの「同性愛宣伝禁止法」への抗議のため、日本を除く主要国首脳は開会式を欠席した。
二〇年の東京オりンピックで同じ事を繰り返さないよう、都条例に実効性を持たせるだけでなく、国レベルでの積極的な取り組みも期待したい。
※ たにぐち・ひろゆき
金沢大准教授、国際人権法。1975年、岐阜県生まれ。編著に『性的マイノリティ判例解説』『セクシュアリティと法』。
『東京新聞』(2018年11月15日【夕刊】)
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