◆ 子どもたちや後世の世代への責任 (教科書ネット)
今年は「おめでとうこいます」という気も起こりません。2018年は、改憲の発議と国民投票の年になりそうだからです。首相は3分の2の与党議席を背景に、改憲に対する決意を明言しています。
敗戦後、私たちは、ここまで無謀な犠牲を生み出した戦争に、大人たちがなぜ反対できなかったのか、先生や親に答えを迫りました。同じように、後世の子どもたちは、私たちに、2018年の改憲発議に、大人たちはどうして力を尽くして反対し、平和憲法を守れなかったのか、どうしてそんな無責任なことをしたのか?と、問うでしょう。
…戦後、積み上げてきた平和と人権の遺産を廃棄して、改憲の後に何が起こるか、ほぼ予想できる私は、選挙権を持たない子どもたちや後世の世代への責任で心が押しつぶされそうになります。
発議されたら、最短では60日で国民投票です。今のままだったら改憲派の勝利で終わるのではないかと、新年早々の集まりで、これまでにない不安の言葉が交わされました。
◆ 教育基本法を改悪改憲への第一歩
私たちは安倍首相がまず、第一次安倍内閣で教育基本法を改悪(2006年)したことを知っています。それによって、首相は改憲への第一歩を踏み出しました。
戦前の日本帝国憲法の精神を統率してきたのは教育勅語でした。それに対して戦後の日本国憲法は、世界の平和と人類の福祉に貢献する理想を、教育の力にまつべきとして日本国憲法にふさわしい、教育基本法を作ったのです。
そこでは、国のため命をささげる犠牲を国民に強要した教育勅語に代わって、差別なく命を尊び、人権と平和と国民主権という普遍の価値を核にした民主主義の理念がうたわれました。
それが改訂教育基本法によって、愛国心や日本伝統の継承に再びとってかわられつつあります。改訂教育基本法には国を愛する態度を養う、という、どうにでも恣意的に解釈される言葉が持ち込まれました。
教育基本法反対の世論を押し切って改悪した安倍首相は、国民とメディアを侮って、それ以来、何でもやれる、という自信を持ったに違いありません。それからあとは
1999年:周辺事態法
2013年:秘密保護法
2015年:集団的自衛権
2017年:共謀罪
と、次々に憲法9条の外堀が埋められていきました。
まだ罪を犯していないのに、予測だけで逮捕できる共謀罪という刑法が、今回の改憲の項目の一つ、緊急事態法につながったそのとき、どんな世の中になるか、戦時中の恐怖を思い出します。
首相の私的感情によって、行政の中立を侵すモリカケ問題が起こり、日銀総裁、法制局長官、国税庁長官、などの任命も、国民の福祉を増進するために適材かどうかの合理性を超えて、首相の好みと都合を基準に行われました。さらにNHKの籾井勝人会長や百田尚樹委員などの、国民から大きな批判を受けた人事が公共的メディアの委員として就任しました。…それらの流れの中に、独裁政治への移行を、予想する人が少なくありませんでした。
◆ 与党議員が3分の2
隣の韓国では、大統領が私的なえこひいきで、不公平な裁量を行ったことに対して、独裁政治への逆行をおそれた市民が、ろうそくデモや集会で、抵抗しました。
それに対して、戦後70年、一人の外国人も、日本人も、武器で殺し殺されなかったことを誇りとしてきた日本人は、その誇りを踏みにじる与党の議員に3分の2の議席を与えました。
小選挙区制度が43%の得票率で79%の議席237を得ることを可能にしたとか、1票の格差問題を理由にする人もいます。それはそれとしても、やはり有権者の棄権率や、内閣の支持率を見る限り、国民が安倍権力の虚言を科学的に検討せず、軽卒に、無貴任な行動に走ったことが読み取れます。
歴史の過去から学ぶことを忘れ、アジアの友好国から遠ざかっていることが心配です。
憲法9条を守ってきたことは、アジアに対して、日本は2度と過去の戦争のような侵略行為をしないことの証明であり誓いであったのです。今回の改憲案のように、9条が無効になれば、敵対的軍備拡大競争が起こり、論議を尽くすよりも暴力で、という風潮をアジアに引き起こす結果になるでしょう。
それだけではありません。無念のうちに死んだ310万人の私たちの夫、息子たち、戦争犠牲者が、その遺言として残した平和憲法を守れなかった責任を、どうやって死者に説明したらいいのでしょうか。
◆ 改憲の理由は成立しない
少し冷静に見れば改憲4項目のどれもが、改憲の理由になっていないことが分かります。
例えば、いわゆる加憲とは?
1項と2項を残すのだからいい、と言いさえすれば国民をだませると思っているのでしょうか。
これについては時系列的に直近の法律(つまり第3項)がその前の法律よりも優先される、ということを法律家は指摘しています。
また国防軍が集団的自衛権をすでに容認された国防軍なので、9条そのものが無効になるでしょう。
集団的自衛権は違憲である、という訴訟が行われている現在、3項を加憲する選択肢は、ありえません。
次に●改憲案は国家緊急権を設ける、としていますが、これはすでに災害対策基本法,第8章、災害緊急事態で十分です。
こんな改憲案を出してくるのは戦争をまた始めて、その中で、集会の禁止とか言論の弾圧とか、政権がやりたい放題のことをやろうとする魂胆があるとしか思えません。
●教育無償化もすでに2010年に実施された高校無償化法があり、そこに付け加えればいいのだから、不要です。
●合区解消は、現存する改正公職選挙法、国会議決で十分です。
以上のように、冷静に検討してみれば改憲の理由は何一つとして成立しません。
ひとたび発議されれば、莫大な宣伝費を持ち、宣伝プロの人材を雇うのに桁違いのカネを持つ政権が、有利な戦いを進めることは、火を見るより明らかです。
カネで買われる宣伝・情報会社の力は、ユーゴ内戦でも、ウソを本当と信じ込ませる大きな実力を発揮しました。
ただでさえ、慎太郎風や橋下徹風や都民フアースト風に乗せられやすい人たちが、どこまで扇動的なウソの宣伝に騙されないで、真実を見極め、責任ある投票行動をとれるか、確信が持てません。
◆ 反知性の社会
その現実に冷静に向かい合って、私たちは2018年、何をすればいいか。崖っぷちの上に立って、考え行動しなければならないと思っています。
戦争にまでは踏み込まないからいいのではないか、と思っている人もいるでしょう。しかし「戦争を容認する社会」というものがどんな社会になるのか、たぶん戦後の平和な時代に生きた人たちは想像できないでしょう。
それは一口に言えば、反知性の社会です。
理屈が通らず、暴力で決める社会です。言論の自由がなくなり、真実が見えなくなる社会です。
子どもたちの世代や国民の福祉を考える人よりも、権力のご機嫌を取る人が、出世し権力に重用される社会です。モリカケと同じことが、横行する社会です。
北朝鮮や中国の脅威に対して、改憲も仕方がない、と思っていませんか?武力で解決できると思っている人は、核戦争が現実になった今、勝利者はどこにもいないことを知るべきです。海岸線に40を超える原発をもつ国が、ミサイル攻撃に対して、どうやって安全でありうるか。
◆ 対話の力
人間の安全保障は、絶え間ない対話にしかその可能性を見出せません。アメリカの元国防長官ペリー氏は、沖縄の大田昌秀さん(昨年亡くなられた〉と何度も対話をしました。考えは違ったけれども、対話を繰り返して、お互いに人間としての尊敬と信頼を築きました。そして基地を県外に移すことにアメリカも合意したのです。
それに反対したのは日本の政権でした。
ペリー氏の言葉によれば(NHKの実録による)沖縄側とアメリカ側で、投げ合っていた球は、いったん合意のミットの中に納まっていたのに、ポロリと落ちて、ふたたび基地の抗争の泥沼にはまりこんだといいます。
対話の力は、暴力にまさるものです。対話する能力を持たない首相をいただいている国は自ら不幸を招いています。ペリー氏は、大田昌秀さんと哲学についても語り合ったと、言っています。
安倍首相と哲学?イメージさえ湧きませんが…。
(てるおかいつこ)
『子どもと教科書全国ネット21ニュース 118号』(2018.2)
暉峻淑子 埼玉大学名誉教授
今年は「おめでとうこいます」という気も起こりません。2018年は、改憲の発議と国民投票の年になりそうだからです。首相は3分の2の与党議席を背景に、改憲に対する決意を明言しています。
敗戦後、私たちは、ここまで無謀な犠牲を生み出した戦争に、大人たちがなぜ反対できなかったのか、先生や親に答えを迫りました。同じように、後世の子どもたちは、私たちに、2018年の改憲発議に、大人たちはどうして力を尽くして反対し、平和憲法を守れなかったのか、どうしてそんな無責任なことをしたのか?と、問うでしょう。
…戦後、積み上げてきた平和と人権の遺産を廃棄して、改憲の後に何が起こるか、ほぼ予想できる私は、選挙権を持たない子どもたちや後世の世代への責任で心が押しつぶされそうになります。
発議されたら、最短では60日で国民投票です。今のままだったら改憲派の勝利で終わるのではないかと、新年早々の集まりで、これまでにない不安の言葉が交わされました。
◆ 教育基本法を改悪改憲への第一歩
私たちは安倍首相がまず、第一次安倍内閣で教育基本法を改悪(2006年)したことを知っています。それによって、首相は改憲への第一歩を踏み出しました。
戦前の日本帝国憲法の精神を統率してきたのは教育勅語でした。それに対して戦後の日本国憲法は、世界の平和と人類の福祉に貢献する理想を、教育の力にまつべきとして日本国憲法にふさわしい、教育基本法を作ったのです。
そこでは、国のため命をささげる犠牲を国民に強要した教育勅語に代わって、差別なく命を尊び、人権と平和と国民主権という普遍の価値を核にした民主主義の理念がうたわれました。
それが改訂教育基本法によって、愛国心や日本伝統の継承に再びとってかわられつつあります。改訂教育基本法には国を愛する態度を養う、という、どうにでも恣意的に解釈される言葉が持ち込まれました。
教育基本法反対の世論を押し切って改悪した安倍首相は、国民とメディアを侮って、それ以来、何でもやれる、という自信を持ったに違いありません。それからあとは
1999年:周辺事態法
2013年:秘密保護法
2015年:集団的自衛権
2017年:共謀罪
と、次々に憲法9条の外堀が埋められていきました。
まだ罪を犯していないのに、予測だけで逮捕できる共謀罪という刑法が、今回の改憲の項目の一つ、緊急事態法につながったそのとき、どんな世の中になるか、戦時中の恐怖を思い出します。
首相の私的感情によって、行政の中立を侵すモリカケ問題が起こり、日銀総裁、法制局長官、国税庁長官、などの任命も、国民の福祉を増進するために適材かどうかの合理性を超えて、首相の好みと都合を基準に行われました。さらにNHKの籾井勝人会長や百田尚樹委員などの、国民から大きな批判を受けた人事が公共的メディアの委員として就任しました。…それらの流れの中に、独裁政治への移行を、予想する人が少なくありませんでした。
◆ 与党議員が3分の2
隣の韓国では、大統領が私的なえこひいきで、不公平な裁量を行ったことに対して、独裁政治への逆行をおそれた市民が、ろうそくデモや集会で、抵抗しました。
それに対して、戦後70年、一人の外国人も、日本人も、武器で殺し殺されなかったことを誇りとしてきた日本人は、その誇りを踏みにじる与党の議員に3分の2の議席を与えました。
小選挙区制度が43%の得票率で79%の議席237を得ることを可能にしたとか、1票の格差問題を理由にする人もいます。それはそれとしても、やはり有権者の棄権率や、内閣の支持率を見る限り、国民が安倍権力の虚言を科学的に検討せず、軽卒に、無貴任な行動に走ったことが読み取れます。
歴史の過去から学ぶことを忘れ、アジアの友好国から遠ざかっていることが心配です。
憲法9条を守ってきたことは、アジアに対して、日本は2度と過去の戦争のような侵略行為をしないことの証明であり誓いであったのです。今回の改憲案のように、9条が無効になれば、敵対的軍備拡大競争が起こり、論議を尽くすよりも暴力で、という風潮をアジアに引き起こす結果になるでしょう。
それだけではありません。無念のうちに死んだ310万人の私たちの夫、息子たち、戦争犠牲者が、その遺言として残した平和憲法を守れなかった責任を、どうやって死者に説明したらいいのでしょうか。
◆ 改憲の理由は成立しない
少し冷静に見れば改憲4項目のどれもが、改憲の理由になっていないことが分かります。
例えば、いわゆる加憲とは?
=憲法の第2章、第9条=●改憲案はその第2項に、「前の規定は自衛権の発動を妨げるものではない。」とし、第3項に、「我が国の平和と独立並びに国の安全を保障するため、内閣総理大臣を最高指揮官とする国防軍を保持する。」としています。
日本国民は、正義と秩序を基調とする国際平和を誠実に希求し、国権の発動としての戦争を放棄し、武力による威嚇及び武力の行使は、国際紛争を解決する手段としては永久にこれを放棄する。
1項と2項を残すのだからいい、と言いさえすれば国民をだませると思っているのでしょうか。
これについては時系列的に直近の法律(つまり第3項)がその前の法律よりも優先される、ということを法律家は指摘しています。
また国防軍が集団的自衛権をすでに容認された国防軍なので、9条そのものが無効になるでしょう。
集団的自衛権は違憲である、という訴訟が行われている現在、3項を加憲する選択肢は、ありえません。
次に●改憲案は国家緊急権を設ける、としていますが、これはすでに災害対策基本法,第8章、災害緊急事態で十分です。
こんな改憲案を出してくるのは戦争をまた始めて、その中で、集会の禁止とか言論の弾圧とか、政権がやりたい放題のことをやろうとする魂胆があるとしか思えません。
●教育無償化もすでに2010年に実施された高校無償化法があり、そこに付け加えればいいのだから、不要です。
●合区解消は、現存する改正公職選挙法、国会議決で十分です。
以上のように、冷静に検討してみれば改憲の理由は何一つとして成立しません。
ひとたび発議されれば、莫大な宣伝費を持ち、宣伝プロの人材を雇うのに桁違いのカネを持つ政権が、有利な戦いを進めることは、火を見るより明らかです。
カネで買われる宣伝・情報会社の力は、ユーゴ内戦でも、ウソを本当と信じ込ませる大きな実力を発揮しました。
ただでさえ、慎太郎風や橋下徹風や都民フアースト風に乗せられやすい人たちが、どこまで扇動的なウソの宣伝に騙されないで、真実を見極め、責任ある投票行動をとれるか、確信が持てません。
◆ 反知性の社会
その現実に冷静に向かい合って、私たちは2018年、何をすればいいか。崖っぷちの上に立って、考え行動しなければならないと思っています。
戦争にまでは踏み込まないからいいのではないか、と思っている人もいるでしょう。しかし「戦争を容認する社会」というものがどんな社会になるのか、たぶん戦後の平和な時代に生きた人たちは想像できないでしょう。
それは一口に言えば、反知性の社会です。
理屈が通らず、暴力で決める社会です。言論の自由がなくなり、真実が見えなくなる社会です。
子どもたちの世代や国民の福祉を考える人よりも、権力のご機嫌を取る人が、出世し権力に重用される社会です。モリカケと同じことが、横行する社会です。
北朝鮮や中国の脅威に対して、改憲も仕方がない、と思っていませんか?武力で解決できると思っている人は、核戦争が現実になった今、勝利者はどこにもいないことを知るべきです。海岸線に40を超える原発をもつ国が、ミサイル攻撃に対して、どうやって安全でありうるか。
◆ 対話の力
人間の安全保障は、絶え間ない対話にしかその可能性を見出せません。アメリカの元国防長官ペリー氏は、沖縄の大田昌秀さん(昨年亡くなられた〉と何度も対話をしました。考えは違ったけれども、対話を繰り返して、お互いに人間としての尊敬と信頼を築きました。そして基地を県外に移すことにアメリカも合意したのです。
それに反対したのは日本の政権でした。
ペリー氏の言葉によれば(NHKの実録による)沖縄側とアメリカ側で、投げ合っていた球は、いったん合意のミットの中に納まっていたのに、ポロリと落ちて、ふたたび基地の抗争の泥沼にはまりこんだといいます。
対話の力は、暴力にまさるものです。対話する能力を持たない首相をいただいている国は自ら不幸を招いています。ペリー氏は、大田昌秀さんと哲学についても語り合ったと、言っています。
安倍首相と哲学?イメージさえ湧きませんが…。
(てるおかいつこ)
『子どもと教科書全国ネット21ニュース 118号』(2018.2)
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