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パワー・トゥ・ザ・ピープル!!アーカイブ

東京都の元「藤田先生を応援する会」有志によるブログ(2004年11月~2022年6月)のアーカイブ+αです。

京品ホテル強制執行

2009年01月28日 | 格差社会
 ◆ 「太陽のない街」
鎌田慧(ルポライター)

 テレビを見ていて、強い憤りと悲しみがあった。「京品ホテル」の自主営業にたいする、強制執行の場面である。
「京品ホテルに強制執行・ビデオプレス撮影」(● Union Tube 映像リンク)
 1月25日に行なわれた京品ホテルの立ち退き強制執行の様子。(・・・酷い・・・これが日本?)
 「口惜しい、本当に口惜しい、これが日本の法律ですか。人を守るためにある警察が、こんなことを、昼間こんな大通りの中大勢の中、こんなことをして許されるのですか。世の中の正義ってあるんですか。教えて下さいよ。人の正義って何ですか。教えて下さいよ。」

 労働者に退去を命じた東京地裁の裁判官は、長年勤めた職場から追いだされる労働者の悲しみを思ってみたのか。追い出された後、家族を抱えた生活もある。
 機動隊員だって、自分の父親のような老労働者を引きずりだしたくなかったはずだ。労働者が生きるための労働争議に、機動隊を派遣する無神経は、もっと批判されるべきだ。
 争議は労使の和解で解決すべきもので、強制執行という強権はなじまない。争議権は、労働者の基本的人権であり、自主営業、自主生産は争議の平和的な手段である。
 わたしの憤りが収まらないのは、五十年前、わたし自身、三カ月ほど「自主生産闘争」をやったことがあるからだ。このときは、都の労働委員会が斡旋、和解している。その後も、労組員による生産管理闘争はめずらしくなかった。
 職場と生活を守る手段だ。強制執行は最悪の、非民主的な強権解決である。
 裁判官の人権感覚を疑う。労働争議に警官隊を出すのは戦前の話だ。
 徳永直の「太陽のない街」は、東京都文京区の共同印刷の労働争議がテーマだが、「蟹工船」とおなじ一九二九年の作品である。
 日本の経営者や裁判官の頭は、戦前に行ってしまった。戦後に戻ってこい!
『東京新聞』(2009/1/27【本音のコラム】)

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