◆ 吉村洋文大阪市長あて公開質問書(2019.1.17付)
への回答(2019.4.10付)について
松田です。
2019年1月17日付でD-TaCが吉村大阪市長(当時)あてに提出した「君が代」指導に関する公開質問書への大阪市教委指導部責任の回答が4月10日付で送られてきました。
8項目の質問に対する回答はすべて
力づくで「君が代」を学校に強制していることが、子どもたちの目をふさぎ真実を隠すことになっているのではないか、
本来あるべき教育を大きくゆがめることになっているのではないか…私たちは国旗国歌条例(「君が代」起立強制条例)と3回の同一職務命令違反で免職とした職員基本条例の制定を主導した橋下市長の後継として大阪市長になった吉村市長にその認識を聞いたのです。
吉村市長(当時)は自分あてのこの1月17日付の公開質問書と3月8日付の回答を求める要請書(質問)を見ていました。
自分たちの政策の結果が教育にどう影響しているか、その質問に答えることは、維新の会政治家として当然に責任です。
しかも、大阪市の教育を自分の尺度で評価し、「改革」を主導している吉村市長がこの自分あての公開質問書に答える責任があるのは誰が考えても当然です。
仮に、もし、「これは、市長として自分が答えるべきことではない」との判断があるなら、それを政策企画室秘書部の担当者に伝えることが責任だったはずです。
<経過>
橋下元市長、吉村前市長が「君が代」指導についての見解を表明することから逃れ、責任を放棄したため、私たちは、後継の松井市長に再び同じ質問をせざるを得ません。
「君が代」強制の教育に対する影響について、責任を逃れる続けることはもはや許されません。
への回答(2019.4.10付)について
松田です。
2019年1月17日付でD-TaCが吉村大阪市長(当時)あてに提出した「君が代」指導に関する公開質問書への大阪市教委指導部責任の回答が4月10日付で送られてきました。
8項目の質問に対する回答はすべて
「市長個人の認識や見解についての回答を求められていますが、本市施策に関して、何らかの対応を求める要望ではないこと、また、本市として、個人の認識と見解を回答することはできません。」でした。なぜ、こんな前代未聞の恥ずかしい回答になったのか…それは、吉村市長の責任放棄の結果です。この公開質問書を目にしながら、無視し、質問書提出の窓口となった政策企画室秘書部に何らの指示も与えなかった結果なのです。
力づくで「君が代」を学校に強制していることが、子どもたちの目をふさぎ真実を隠すことになっているのではないか、
本来あるべき教育を大きくゆがめることになっているのではないか…私たちは国旗国歌条例(「君が代」起立強制条例)と3回の同一職務命令違反で免職とした職員基本条例の制定を主導した橋下市長の後継として大阪市長になった吉村市長にその認識を聞いたのです。
吉村市長(当時)は自分あてのこの1月17日付の公開質問書と3月8日付の回答を求める要請書(質問)を見ていました。
自分たちの政策の結果が教育にどう影響しているか、その質問に答えることは、維新の会政治家として当然に責任です。
しかも、大阪市の教育を自分の尺度で評価し、「改革」を主導している吉村市長がこの自分あての公開質問書に答える責任があるのは誰が考えても当然です。
仮に、もし、「これは、市長として自分が答えるべきことではない」との判断があるなら、それを政策企画室秘書部の担当者に伝えることが責任だったはずです。
<経過>
○ 2019年1月17日 大阪市政策企画室秘書部を通じて吉村市長あて「君が代」学習・指導にかかわる公開質問書を提出。吉村市長の責任放棄の結果としてのこの恥ずかしい回答は、公開質問書とともに、2週間後に大阪市教育委員会のホームページに載ります。
○ すぐに、秘書部担当者が、この公開質問書を吉村大阪市長が目にする場所に置く。
○ 3月8日 回答を求める要請書(質問)を提出。
○ すぐに、秘書部担当者が、この要請書(質問)を吉村大阪市長が目にする場所に置く。
○ 政策企画室秘書部から教育委員会指導部に公開質問書と要請書(質問)が回される。
○ 4月10日 市教委指導部責任の回答が送られてくる。
橋下元市長、吉村前市長が「君が代」指導についての見解を表明することから逃れ、責任を放棄したため、私たちは、後継の松井市長に再び同じ質問をせざるを得ません。
「君が代」強制の教育に対する影響について、責任を逃れる続けることはもはや許されません。
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