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パワー・トゥ・ザ・ピープル!!アーカイブ

東京都の元「藤田先生を応援する会」有志によるブログ(2004年11月~2022年6月)のアーカイブ+αです。

経産省前テントひろば応援団レター 東京地裁への陳述より③

2014年12月28日 | フクシマ原発震災
 ★ 黒田節子(福島県郡山市)
   フクシマを訴えることは罪ですか


 2011年3月11日のあの大事故とそれに続く日々を思い出すと、今でも恐怖と怒りと悲しみがない混ぜになって涙が出てきます。私たちはあちこちに逃げ惑い、そして様々な事情で町に戻り、再会することができた者たちもいました。
 9月30日、それらの者たちが集まってアクションの準備が始まりました。「原発はもういらねえ~!」と大声で叫びたい私たちが、なんとか気持ちを形にしたいと、最初はほんの数名からひそかに動き始めました。熱い議論の末、10月4日、郡山市で第1回ミーティングが開かれ「原発いらない福島の女たち」が発足しました。
 この間わずか数日間のことでしたが、女たちのすばらしいアイデアと柔軟な動きにより、初めての経産省前での抗議行動へと続きます。準備段階で、東京に知人の多いメンバーからの情報が入り、「経産省の空き地のようなところで祝島の若者がハンストをしていて、それを支援する人たちがテントを張ったらしい」ことを知ります。
 霞ヶ関が東京のどの辺にあるのか、ましてや経産省がどこにあるか何も分からなかった私たちは、顔を寄せあってインターネットで場所を調べたりしました。もしも、そのテントが私たちの計画している座り込みに一部でも使わせてもらえるなら、休憩や着替えなどする際に助かるなア……と思ったことでした。
 その後、東京の人たちと連絡をとり合っているうちに、すでにあったテントを横にずらして「福島の女性用のテント」が私たちの上京数日前に建てられたことを知り、本当に感激しました。
 また、この第2テントを立ててくれたのは、テントひろばの最初の運営会議に参加していた女性たちで、運営の全てを女性たちが担っていくことになるということも聞き、一層嬉しく感じました。
 私たちはこのテントがあったおかげで、10月の3日間の座り込みをやれました。
 その後、これに続いて全国の女たち、男たちも連なっての座り込み・ハンスト・抗議集会など実に多様な行動がテントを拠点に展開されてきました。
 私も最初の冬は何回か第2テントに泊り込みをしました。テントがなかったら、福島の女たちの今の元気はなかったかもしれません。
 このテントがいかに福島の者にとって重要なものであるか……
 ここは私たちの「叫びの場」であったし、全国の、世界の人たちとつながり、大切な人々とここで出会ったのでした。私たちはここでたくさんの勇気と生きる力を与えられているのです。
 このたび、正清さん・渕上さん二人に対して裁判が起こされたのは、まったく実態に即していません。多くの人々のちからでテントは維持されています。
 特に第2テントは福島の女たちのために、女たちによって立てられ、最初から女たちの大事な場所としてありましたから、このご両人とは関係ないと思っています。
 私が渕上さんを初めて知ったのは、2011年年末に行った東電に対する御用納めツアーの時で、「テント村の村長」だと誰かが紹介していましたが、何かの決定権を持っている人、取り仕切っている人という様子はなく、象徴的な意味だと受け取りました。
 正清さんを知ったのは、ずっと後のことでした。第ーテントでよく顔を見かける人というだけで、名前を知ったのはこの裁判がはじまってからです。
 どうして私たちの第2テントまでお二人に対して明渡せと言えるのですか?

 最近、わけの分からない右翼暴力団まがいの人たちが第2テントの屋根を破いて侵入し、一部を破壊していきました。
 どこかから雇われているのでしょうか、強い憤りを覚えます。しかし、たちまち補修されて、テントを守ろうとする人たちの熱い思いを感じると同時に、感謝の念で一杯になりました。
 福島の者がいなくても、代わりに雨の日も風の日もここに座って抗議している人たちがいます。何のためでしょうか。福島のことを心配し、子どもたちの命を守ろうとしてです。
 テントを守ってくれる人たちが罪になるなら、テントが欲しいと思っていた私たち、テントを拠点としている福島の女たちはさらに重罪です。
 しかし、フクシマを訴えることが罪ですか?原発はもう要らないと世界に訴えることが咎められることなのですか?
 原発の再稼働をねらうこの国は、私たちの子や孫の命を守ってはくれない国だと思い至りました。愛しい家族と遠く離ればなれになり、自らも体調が良くなく、不安の中で頑張っている福島の女たちのテントに対する思いは皆一緒です。
 裁判にはもう勝つしかありません。その後、この経済産業省前のテントに続いて、愛媛県の伊方原発に反対するための「伊方の家」や、鹿児島県の川内原発再稼働に抗議するためのテントが市民の手によって相次いで作られました。全国の脱原発社会を目指す人々の熱い視線が注がれています。
 このようなテントがもう必要なくなることが私たちの本当の望みですが、その日が来るまではなんとしても全力で頑張りたいと思っています。私たちの子どもたちの未来がかかっているからです。
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