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明治前半の教科書に武烈天皇「性残忍、殺ヲ好ム」の記述

2017年02月04日 | こども危機
 ◆ 記者は明治政府の「押し付け天皇像」を再検証できるのか? (週刊金曜日【メディア一撃】)
高嶋伸欣(たかしまのぶよし・琉球大学名誉教授)

 自衛隊の海外派兵の始まりは、1991年の湾岸戦争後のペルシャ湾への掃海艇派遣だった。当時、シンガポールのリー・クアンユー上級相は「アルコール中毒者にウィスキー入りのチョコレートを与えるようなものだ」と、反対の考えを示した(『朝日新聞』1991年5月5日付)。
 戦後の日本が「アルコール中毒者」に譬えられている。
 天皇制がアジア侵略の元凶の一つであったという認識は、今も国際的には大勢だ。
 その戦争責任が米国政府やマッカーサー元帥(当時)の意向で、東京裁判を通じて東条英機たちA級戦犯にすべて転嫁され、天皇制は維持された。
 そこに日本軍国主義復活の危険性があるとする声に、マッカーサー「だから憲法9条で、自衛権も認めていない」と応じていた。
 だが安部晋三首相は、9条改憲で歴史に名を残すことに、執着している。たまりかねた明仁天皇が「生前退位」の意向を表明した。
 天皇は天皇制と日本国憲法との間の微妙なバランスの維持を、安倍首相に求めている。
 けれども安倍首相は、この件の議論が憲法どころか一つの法律にすぎない皇室典範に及ばないように、特例法で済まそうとしている。そこには皇室典範を不磨の大典の如く位置付けることで、皇室の絶対化をめざす保守勢力と安倍首相の連携が垣間見える。
 この連携による情報操作で、日本のメディアは退位や改元の時期、手続きなどにばかり関心を集中させている。
 戦後の日本社会にとって天皇制の存続はどのような意味を持っていたのか。今後も見直しの必要はないのか。
 これまでであれば公然とは提起しにくい話題が、天皇自身によって喚起されたのが、今回の事案だ。
 おりしも来年は「明治維新150年」。11月3日を「明治の日」に改変したいと保守派の一部が蠢いてている。
 1889年の皇室典範制定前の明治時代前半、天皇制はどう認識されていたのか。
 当時の師範学校編纂の歴史教科書(『日本略史』上巻、1875年文部省刊)などでは、25代の武烈天皇の次の記述が、不敬の叱責を浴びることなく通用していた。
 「天皇、刑律ヲ好ミ、法令厳明ナリ、諸々ノ酷刑親臨セザルハナシ、民皆震怖ス」と。
 さらに笠間益三編纂『新編日本略史』(1878年)には、同天皇について
「性残忍、殺ヲ好ム。諸惨刑皆自ラ臨視ス。妊婦ノ腹ヲ裂キ、人ノ指甲(爪)ヲ解キ以テ薯蕷(山芋)ヲ掘テシメ、或イハ人ヲシテ樹ニ上ラシメ、之ヲ射墜シテ以テ快シトス。其残虐此ノ如シ」とある(山住正己著『教育の危機』すずさわ書店、1984年)。
 政権基盤増強を意図し、明治政府が進めた「押し付け天皇像」。これと「押し付け憲法」論との関連を再検証する報道が、日本の記者たちにやれるのか。
 今、米国には新大統領に屈していない記者たちがいる。日本の記者にも気概ある報道が求められている。
『週刊金曜日 1121号』(2017.1.27)

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