奥野泰孝さん原告の「合理的配慮無視の君が代不起立処分撤回裁判」は、最高裁の7月4日付「棄却」「不受理」決定で、不当判決で終結しました。応援団結成時の「奥野・山ロ裁判」から続く長い間のご支援を、本当にありがとうございました。
「奥野さんを支える叫ぶ石の会」と共同で取り組んできた活動でしたが、この通信で、4月13日の「応援団」総会以降の活動(会計)報告をして、「応援団」としては解散したいと思います。当該の二人からのお礼の報告を、ぜひお読みください。
(世話人一同、文責・笠松)
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◆ 黒星15でも負けていない闘い
奥野泰孝
12年間、力強い応援と支援をありがとうございました。2024年7月4日最高裁から上告棄却の判断が出ました。
棄却理由はこれまでの「君が代」裁判とほとんど同じ短い定型文。これは法的な判断だとは思えません。政治的です。天皇制に関わることだからではないでしょうか。
私の場合、処分・人事委員会裁決・地裁判決・高裁判決・最高裁上告棄却と12年間で黒星15個です。
しかしこれら黒星以上に収穫が大きかったです。山口さんという同僚がいて応援団があって、続けてこられた闘いです。一人ではできなかった。この過程が大きな収穫です。
内容は勝っています。闘いは続けます。これから条約違反や勧告に従ってないことを国連の機関に訴えて行こうと思っています。団は解散ですが、応援お願いします。
◆ 支援学校でどう闘って来たか
2012年3月27日、大阪府教育委員会は府下の公立学校のその年の卒業式で「不起立」とされた教員11人に戒告処分を出しました。11人の内、支援学校教員は山口広さんと私(奥野)だけでした。
その二人を応援する団の意義は、子どもに考えさせないで従わせようという権力の意図が特に表れている支援学校での強制に反対するという点で大きいです。
最後は、「合理的配慮」無視の戒告処分撤回裁判となり、物語の展開として完壁です。
2006年4月、山口さんと私は茨木養護学校に転勤し、出会いました。その年は「教育基本法改悪」の動きに対し全国の反対運動が盛り上がり、組合からも東京での集会・デモに参加しました。
大阪での「評価・育成システム」反対の活動も共に取り組み、組合として管理職交渉、また府下では組合の枠を超えて対府交渉をし、裁判をしました。個人では、評価への不服申立をし闘いました。
教基法改悪も評価育成システムも教育を破壊します。愛国心の押し付けと教員の監視・管理は教育を破壊します。これらは、障がいを持ちながら自立に向けて努力する子どもの支援という教員の本来の職務を忘れさせる働きとなりました。
そして2011年大阪府議会で「国旗国歌条例」が成立。その卒業式前の職員会議では、議論はありましたが、2012年1月の教育長の「処分がある」という通知で、これまでの現場での闘いの積み重ねが崩されました。「不起立」教員は減り、その学校では私たち二人になったのです。
私自身が強制に従えないのは偶像崇拝はできないという信仰上の理由ですが、支援学校の教員としての闘いは、児童生徒への影響を重大に考えてでした。2回目の「不起立」の闘いからはそこが明確になってきました。
受付が終わったから支援を必要としている生徒が多く居る式場に入ったのに、それすらも減給処分の理由とする府教委の無自覚な狂気と闘い。そして2015年はこの合理的配慮のために着席が必要だという主張をしたのです。
現在、学校教育には宿題山積みです。インクルーシブ教育、AIと教育、いじめ、教員の過重労働と病休。今まで政治が教育より経済を優先してきたせいでしょう。
「起立斉唱強制」の問題は、教育の問題の深いところに関わっているのですが、今現場で不起立をしている教職員は見当たり合せん。私たちの闘いを記録に残し、続く人に伝え、続く闘いに役に立つようにデータに残す作業をしていくつもりです。みなさんの応援に感謝します。
◆ 奥野さんという変人と出会ったために
山口 広
「日の丸・君が代」強制の問題は、僕が就職した1980年からすでにありました。最初は「日の丸」掲揚について。のちに「君が代」強制について。
「日の丸」は「グラウンドのポールに掲げる」から、「式場の中に掲げる」に。
「君が代」は式の前に「テープで音だけ流す」から、のちに、「立って歌え」と、時の経過とともに強制の度合いはきつくなってきました。
いずれは、「日の丸」が壇上正面に掲げられ、「君が代」を会場の全員が立って歌っているような状況がやってくるだろうと思っていました。
ズボラでええ加減な私ですが、一応社会科教師として、戦争の歴史や人権にかかわる教材を取り上げて教育実践の中心に置いてきたつもりです。なので、沖縄戦の実相から学んだことですが、戦争につながるものにはいっさい手を貸さない、ということが大切だと思っていましたので、「君が代」でみんなが立っている中でも自分だけは立たないでおこうと考えていました。
そんなわけですから、2012年3月の職務命令が出された卒業式ですが、着席したのは当然です。しかし、いささかビビりはありました。でも、同じ職場に奥野さんという変人がいたおかげで、それほど孤立感を感じることはなかったです。
しかし、その時点では、人事委員会への訴え、裁判での訴えをするなんてことはサラサラ考えていませんでした。なので人事委員会闘争、裁判闘争に至った直接のきっかけは奥野さんです。そして最初の人事委員会口頭弁論の時、傍聴支援に20人以上来てくださったことが涙が出るくらいうれしかったのを覚えています。
また、その後の経過の中で、奥野さん以外にも様々たたかう変人たちとの出会いが生まれ、考え方の広がりと、もともと浅はかな人間ですが、深まりができたように思います。そんなことを考えると奥野さんという変人と出会ったことが、迷惑だったと言っていいのやら、感謝していいのやら…?
とにもかくにも、僕のいまの一番の問題意識は、みなさんと同様、戦争に向かおうとしているこの日本の現状をどうしたら、食い止めることができるのか、「日の丸・君が代」に反対する考えや戦争に反対する考えを若い人たちにどうしたら伝えることができるのか、です。
そのために、ビラ配りや街頭デモに参加することぐらいしか思い浮かばないのが情けないし、僕が参加する場に若い人はほとんどいなくて、正直寂しいです。今年の誕生日が来ると71歳です。あと10年、いやあと5年、なにができるか、変人のみなさんとともに考えたいと思います。今までの、多大なご支援に感謝いたします。
【会計報告】(略)
※ 世話人から一言
*合理的配慮は社会的なもの。立つ座るの強制でその人の人生が止まらざるを得なくなること、ずっと裁判で考えました。豊かな社会を!(山下恵江)
*日の君では、『裁判官は、多数、強者側に立ち判断する。』ことを知り、障害に関しては、『私たちは人権意識を高めねば。』と感じました。(大野ときみ)
*准校長が、起立していたらAくんが必ず発作を起こすとは限らない、と言ったのに驚愕。何も起こらなかったらよかった!と思わないのか?と。(笠松正俊)
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