goo blog サービス終了のお知らせ 

パワー・トゥ・ザ・ピープル!!アーカイブ

東京都の元「藤田先生を応援する会」有志によるブログ(2004年11月~2022年6月)のアーカイブ+αです。

マレーシアへの旅と報道機関の誤報修正のあり方

2014年09月14日 | 平和憲法
  《Peace Philosophy Centreから》
 ◆ ヒロシマの「かたりべ」沼田鈴子氏のマレーシアでの「謝罪発言」の背景とその後(高嶋伸欣)

 8月15日にアップした田中利幸氏(広島市立大学平和研究所教授)の若者向けの講演ノート「核兵器、原発、戦争責任 ~沼田鈴子さんの目で見る放射能被害と戦争の非人道性~(田中利幸 講演ノート)」に呼応する形で、沼田氏が参加したマレーシアへの旅を引率してきた高嶋伸欣氏(琉球大学名誉教授)に特別寄稿をいただいた。
 沼田氏のように、同じ戦争において筆舌に尽くしがたい被害を受けた人が敢えて日本人としての立場性を取り、マレーシアに加害を行った広島の日本軍に成り代わって現地の人々に謝罪するという困難な行為を成し遂げたことの意義は、これを受け取る我々一人一人がどう理解していくかということにかかっていると思う。
 高嶋氏が述べるように、これは沼田氏という一原爆被害者の物語としてだけではなく、全ての日本人が自らと、歴史を直視することを避けがちな自らの社会の現状を省みて態度と行動を変革させていくための共有財産として生かしていくべきである。
 また、この文で高嶋氏が触れている90年代初頭の中国新聞史実を曲げた虐殺否定記事掲載と、「その後の同紙の対処法は実に見事」であり、「日本のジャーナリズム史上、特筆されてよい出来事」だったという記述からその詳細についての補足を高嶋氏にお願いし、補足していただいたものを文末に掲載した。
 誤報を修正するだけではなく、その史実について責任感とともに独自調査を行い本質に迫る新シリーズを掲載の上、単行本を発行するという徹底ぶりである。歴史への責任を立派に果たした例であり現在の日本中のメディアが見習うべきである。長い文章であるがぜひ最後まで読んでほしい。@PeacePhilosophy
 ◆ 侵略国日本の民衆とアジアの被害者の交流の軌跡 -戦争から和解に向けて-
   
高嶋伸欣

 1 はじめに
 広島の沼田鈴子氏は、自らの被爆の被害体験だけでなく、日本側による加害行為についても広島の住民の視点から語る「かたりべ」として、修学旅行生などに話しかけていたことで、知られています。
 沼田さんは、戦時中の広島市が明治時代以来の軍都であって、軍隊と共存共栄の街だったことや、広島の部隊である陸軍第5師団歩兵第11連隊(主に広島に本籍のある兵士で構成)が、中国と東南アジアの戦線で侵略の最前線に配置されて加害行為を重ねていたという事実などを知ることで、戦争を多角的、構造的に認識する必要性を感じ、日本では戦争になれば誰もが被害者になったけれども、それよりも前に加害者になっていたということに気づくべきだと、語っていました。
 そのような戦争観を沼田さんが抱くようになった契機の一つが、東南アジア特にマレー戦線での日本軍による加害行為の事実、とりわけ住民虐殺の事実を知ったことだと、ご本人が語られています。しかも沼田さんは、1988年夏に日本に招かれたそれらの事件の幸存者(重傷を負いながら虐殺を免れた人)や遺族たちの証言でそうした事実を知ると、今度は自分自身が現地に出かけてさらにその実態を確認したのです。松葉づえをついての不自由なお体にも拘わらずです。
 そして1989年3月、マレーシア現地の被害者たちとの交流会の場で、「みなさん、私は皆さんの何も罪のないご家族を次々と虫けらのように殺した日本軍の根拠地広島の人間です。私は広島の部隊がマレーシアで残虐な行為をしていたことを知りませんでした。そのことを昨年知って、どうしてもマレーシアに来たいと思うようになりました。それは皆さんに、直接おわびを言いたかったからです。皆さん本当に申し訳ありませんでした。どうか許してください」(高嶋の記憶による大意の再現)という謝罪発言をしたのでした。
 この率直な発言は現地の人々にただちに受け入れられ、謝罪のために現地に出向いてきた沼田さんの誠意が高く評価されました。結果として、沼田さんの謝罪行動が侵略による被害者と軍国主義を支えてしまった日本人との和解を一歩進めることになったのでした。
 また同時に、被爆者たちによる反核平和追求の運動のありかたをめぐる議論にも大きな影響を与えることになりました。
 謝罪発言にこうした重要な意味があることは、沼田さんの軌跡をたどっている人の多くが認め、沼田さんの功績として高く評価されているところです。けれども、そうした功績は沼田さん一人で達成できたものではなく、そこに至るまでの過程で、多くの人々が日本による加害行為の事実の掘り起しや加害責任について正面から向き合う取り組みを積み重ねてきたことがあったからこそ、沼田さんの出番が生まれ、沼田さんの謝罪発言を被害者たちが冷静に受け入れてくれたのではないでしょうか。
 それは、侵略行為を黙認したりあるいは積極的に支えていた当時の日本の民衆やその戦後世代とアジアの被害者たちとが、心に傷を抱きながら歩み寄ることが可能であることを示してくれたものであるように思います。けれども、沼田さんの軌跡をまとめられた方々の文献等においては、そうした観点からの経過や発言のポイントが必ずしも明確には示されていないように思われます。
 そこで今回、沼田さんとマレーシアからの幸存者たちとの交流や、広島の歩兵第11連隊が住民虐殺を実施した事実を知るに至った経過、さらには沼田さんから私(高嶋)が企画し実行していたマレーシアへのツアー参加申し込みを受け、現地での「謝罪発言」をされた場に立ち会っていた時の様子、帰国後のことなどを含めて、私が関わった事柄を中心に、こうした観点からの経過を時系列順に整理してみることにしました。
 ちなみにこれらの内容は部分ごとに分けた形で、私が広島その他の集会などですでに何度も語ったり、文字にして明らかにしてきたものが大半ですが、これだけまとめたのは初めてです。さらに、沼田さんの軌跡をたどってこられた方々からもこのことについての取材を何度か受けましたが、その後に取材者がまとめられたものでは、簡略化されていました。その意味でもこれだけ詳細に文字化するのは、初めてということになります。具体的な経過や様子を書き留めておく機会と考えています。
 そのため、どうしても長文になります。この点については、ご容赦ください。

(略)

 7 準ブロック紙『中国新聞』の虐殺否定企画記事--訂正とその後の対応

 こうして、マレー戦線での住民虐殺の事実は、現地の人々の証言だけでなく日本側の公式記録によっても裏付けられ、明確なものと認識されるようになりました。けれども、林氏と高嶋の住民虐殺に関する究明活動はでたらめであるとの異論を唱えた例外的なケースが、あります。
 広島の『中国新聞』が1990年8月16日から1991年5月26日まで245回(毎回90行)連載した『B・C級戦犯』の記事です。70万部(当時)の部数を持つ創刊100年(当時)の準ブロック紙の記事でしたが、その内実は引用史料の改変や改ざんが多数あるもので、同紙にとっても汚点そのものでしかないという始末でした。
 林氏と高嶋による抗議と数度の話し合いを経て、同紙編集部も問題点を認識し、社内に総点検体制が組まれました。その後、91年の新聞週間初日の91年10月16日朝刊に2ページ見開きの点検結果報告と謝罪記事が掲載されました。連載245回で訂正約1150か所、削除行数は数知れず。「改ざんがあると言われてもやむをえない」という惨状でした。
 そうなった原因は、筆者の恩田重宝記者が広島の戦友会などと癒着していたことに気づかず、彼のワンマン企画として一任して原稿のチェックをしていなかったためとのことでした。
 こうして準ブロック紙『中国新聞』と林・高嶋という個人2人との対決は、新聞社側の全面的な謝罪という形で終わり、『陣中日誌』などで明らかにされた虐殺の事実認識は、今日まで揺らいではいません。
 ちなみに、その証の一つとして、90年代以後の中学と高校の歴史教科書に次々とマレー戦線での虐殺事件の追悼碑の写真や記述が登場するようになっている、ということがあります。歴史修正主義に影響されがちと言われている検定官たちも、虐殺の事実を認めるようになっているのです。
 なお『中国新聞』の名誉のために、その後の同紙の対処法は実に見事であったことも紹介しておきます。そうした点を含めて、日本のジャーナリズム史上、特筆されてよい出来事だったと思われますが、ほとんど無視されているのは残念です(詳細については、文末の補足説明をご覧下さい)。
 この件の一連の経過については『マスコミ市民』1992年12月から11回の連載の拙稿ご覧下さい。また『週刊金曜日』2008年10月17日号の拙稿でも概略をまとめてあります。ちなみに、この時に接触した『中国新聞』の関係者の内の何人かとは、今も年賀状の交換をしたり、広島で会食をしたりのお付き合いをしています。
 ともあれこのように、マレー戦線での住民虐殺を第11連隊の兵士が実行したことに疑いの余地はない、ということを沼田さんも12月8日朝刊の記事から読み取り、深く考えられたのではないでしょうか。
 (後略)

『Peace Philosophy Centre』(September 08, 2014)
http://peacephilosophy.blogspot.jp/2014/09/blog-post_8.html
コメント    この記事についてブログを書く
« 思想転向・強要 むかしー特高... | トップ | 都庁で働く皆さま 都民の皆さ... »
最新の画像もっと見る

コメントを投稿

サービス終了に伴い、10月1日にコメント投稿機能を終了させていただく予定です。

平和憲法」カテゴリの最新記事