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東京都の元「藤田先生を応援する会」有志によるブログ(2004年11月~2022年6月)のアーカイブ+αです。

中高一貫校問題⑥

2014年01月26日 | 暴走する都教委
  《尾形修一の教員免許更新制反対日記から》
 ■ 「中高一貫」と「定時制」-中高一貫校問題⑥


 中高一貫校問題が大分長くなってきたが、一応直接の問題としては今回で終わり。ただし「スピンオフ」(派生)があるので、若干続けて書くと思う。最後に書いておきたいのは、中高一貫校と夜間定時制課程の問題である。かつて東京のかなり多くの高校で、夜に定時制課程の授業があった。(昼間に学習する高校は全日制課程という。)今、進学指導推進校や中高一貫校には、一つも定時制課程が置かれていない。
 もっと言えば、山手線内の都立高校には一つも定時制課程がない。そうなったのは、中高一貫校を(都立大附属高校に加えて)あらたに9校をつくることを打ち出した、2002年の「新たな実施計画」(第三次高校改革。前回の「都立高校の教科書問題」を参照。)で、多くの定時制課程を閉課程すると決められたからである。つまり「中高一貫校大量設置」「夜間定時制大量閉課程」は、同じ計画で決められた「コインの裏表」である。しかし、そのことの意味は今まで紹介してきた3冊の新書のどこにも書かれていない。そういう問題があるということもほとんど意識されていないと思う。
 僕はこの「新たな実施計画」により、勤務先(夜間定時制)が閉課程となり、出身校が中高一貫となるという、まさにコインが表も裏もぶつかってきた体験をしているので、どうしても「両方の政策を複眼的に検討する」ことが必要だと思い続けてきた。
 ところで、都立高校改編はその全体を通して「新しいタイプの高校等」をつくることを進めてきた。一次、二次では「単位制高校」「総合学科高校」「昼夜間定時制高校」などが作られている。(都教委が「チャレンジスクール」と呼ぶ僕の最後の勤務校は、この3つがすべて合わさった「三部制総合学科単位制高校」である。一方、そうではない学年制の「総合学科高校」「進学型単位制高校」などもたくさん作られた。)そして、最後の第三次計画で、中高一貫校や(夜間定時制を統合した)昼夜間定時制高校が大量に設置されたのである。
 中高一貫化が計画された10の高校すべてで、かつて夜間定時制課程が置かれていた。ただ都立大附属高校と白鴎高校では、計画時点で定時制はなくなっていた。しかし、それ以外の高校には皆、夜に学ぶ生徒が通っていたのである。ただし、そのほとんど(南多摩高校などを除き)クラス数が学年で一つしかない「単学級」になっていたと思う。都教委は「新たな実施計画」で、単学級校はすべて他の学校と統合して「昼夜間定時制高校」に再編するとしている。
 (ちょっと細かくなるが、その統合校を書いておく。
  小石川高校定時制は、一橋高校。
  両国高校定時制は、浅草高校。
  大泉高校定時制は、稔ヶ丘高校。
  富士、武蔵、三鷹の各校定時制は、荻窪高校。
  南多摩高校定時制は、八王子拓真高校。
  北多摩高校定時制は、砂川高校。
  そして、各校の全日制課程を中高一貫化したわけである。)

 この意味は僕にはまだよくわからないところが多い。同時期の2003年に受検にあたっての学区制が撤廃されている。そのことも併せて考えると、全都規模での「効率化」「集約化」というのがあるとは思う。「出来る子」は「出来る子」で、「問題を抱えた子」は「問題を抱えた子」で、囲い込んで効率的に教育する方が「投資効果」があがるという考えである。まあ多分そういう発想だと思うけれど、それでいいのだろうか。教育の本質面もあるけど、もう一つ理由がある。
 夜間定時制は「夜間課程を置く高等学校における学校給食に関する法律」という法律があり、給食の提供が義務付けられている。簡易給食(パンと牛乳とか、弁当の販売とか)の地域もあるかもしれないが、東京は恵まれてきて長い間自校給食を実施してきた。
 21世紀になって調理校を集約し、他校には冷蔵した給食を配色する方式となったが、それでも調理室を持つ高校がたくさんあったのである。それらの学校は、やがてくる恐れが高い首都直下型地震において、電気、ガスが通じさえすれば、学校に避難している人々に暖かい食事を提供できる拠点となりえたはずである。その多くをなくしてしまったのは残念だと思う。
 それはさておき、都教委は「中高一貫校には、夜間定時制はおけない」と考えている。それは何故か。
 定時制課程は、本来は経済的に昼間は働いて夜に学ぶと言う「苦学生」のための学校だった。(中高一貫の立川国際中等学校となった北多摩高校は、定時制の立川青年学校から出発している。そのように定時制として発足した学校も多い。)
 しかし、経済的に豊かになるとともに、多くの生徒が全日制高校に進学できるようになり、夜間定時制課程の生徒は減少していった。その結果、「倍率が一倍に達しない」ため、普通だったら高校に合格できない生徒が多数集まる場となっていた
 中学で不登校だった生徒、障害を抱えた生徒、日本に来たばかりでまだ日本語が不自由な「ニューカマー」の外国人生徒、かつて高校を中退し(あるいは高校に行けずに)30代以上になって(時には60代で定年を迎えた後で)高校に通う高齢生徒…。
 中には生活指導面で大変な生徒もいるし、制服などはないから全日制生徒には許されない「自由すぎる服装」で登校する生徒もいる。それがいいかどうかは別問題だけど、「そういう生徒が集う学校がある」という現実はあった。
 それは、どうも都教委的には、「まだ小学校を卒業したばかりで、中高一貫校に来たばかりの生徒には、夜間定時制の生徒と一緒の場で学ばせるのはふさわしくない」と考えたらしいのである。(夜間定時制の学習は、昼間の生徒が帰った後の同じ教室で行う。)
 その考え方の当否はともかく、そう思うならば、都立大附属高校(中高一貫校としては桜修館中等学校)と白鴎高校(附属中学校)を先行して中高一貫化し、他の学校は定時制課程が終わった後で中高一貫化しればいいではないか。
 ところが、2006年に小石川高校と両国高校が中高一貫校となった時には、まだ小石川高校定時制課程と両国高校定時制課程は在籍生徒がいた。(それらの学校を統合するとされた一橋高校と浅草高校は、同じく2006年に発足したので、新入生はいなかったけれど、2年~4年の在籍生徒がいたののである。)
 ではどうなったかと言えば、両校の定時制生徒は、入学当初から通った高校に卒業まで通うことを許されず、それぞれの統合先となった一橋高校と浅草高校に通学先を変更させられたのである。(例えば、両国高校だったら、両国高校浅草分校と呼ばれ、名前上は両国高校に卒業まで通ったことになっている。同じことは都立武蔵高校が2008年に中高一貫化された時にも起こった。)
 最後に中高一貫化された2010年に開校した4つの高校では、そういうことは起こっていない。定時制と中高一貫が同居できない(ということ自体が僕には理解できないが)としたら、定時制生徒が卒業し終わった後で中高一貫校にすればいいではないか。「中高一貫校」は「定時制課程の生徒」を追い出して開校した。これは「人の道に反する」と思うのだが、そのことは忘れずに伝えておきたいと思うのである。
『尾形修一の教員免許更新制反対日記』(2014年01月21日)
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