人生とは美しく刺激的なリッチ。

へんてこでも自分らしい生活。
美に感動、優に感謝、心に感性。

裁判官が日本を滅ぼす

2006-01-14 23:39:03 | 書籍。
・裁判官が日本を滅ぼす 門田隆将 (新潮文庫)


強烈的な裁判官に対する批判書であり、彼等の情けない判例を追うノン・フィクション作品。自分自身には裁判官への批判は全く持っていないが、彼等が特殊的人間であることは認める立場である。

自分の周りにも「司法試験」を目指す人がたくさんいる。そして、思えば彼らも既にかなりの特殊思考人間になっているのかもしれない。
僕はよく彼らに「憲法の役割とは何だろ?」と質問する。すると、いつも同じ答えが返ってくる、「憲法とは国民を国家から守るもので、その【番人】が司法だ」と。なるほど、国家から守るために、国家の一部である公務員の裁判官に預けてるわけだ。猫に命を奪われそうな鼠は自分の身体をその猫に預ける、だな笑。このボクの論理の方がオカシイのかな?笑。まぁ~いいや。
真の行政からの司法の独立ができているか否かは判例百選程度でも判断できよう。まぁ1つの定義に固執せず、いやその定義の裏側を語る発言がほしいと思うのでした。

法学は非常に広範で幅広い知識を要求される。「ルール」はどの学問においても根幹にあり、法学が及ばない専門分野はない、でありながら生き物のように変化し続ける法律。その意で底無しの「法学」こそ最も難解な学問と言えるかもしれない。よって、学ぶもことはうわっつらの定義と条文解釈、条文適用を暗記していくだけでも大変なのだ。
そこで、定義を追い、既存の判例・学説を暗記し、が自己の思考を止める―これでいっぱいいっぱい、でも、はたしてそれが法律を学ぶといえるのか?

ある問題にぶつかったときに自分の頭で最良の解決案をまず考えてみる。その結論の方向性はたぶん、現法規条文とかけ離れないはず。当然のことだ、日本人なのだから日本人常識ルールとかけ離れた結論を導き出すことは稀だ(説明が難しいな…)。このように立法プロセスを自己の頭で追うことにより、初めて条文や定義、法律用語の微妙なニュアンスを上手く理解できるようになる、それを教えてくれたのが【ゼミの先生】だったように思う。条文を追わない姿勢―、時間はかかるが法学とはこういうものだと思う。

裁判官は中でもかなり狭い視野で生きてきた人間といえる。幼少から成績がよくて、母親の愛情を獲得する手段としてイエスマンであり続けてきた人で、そういう人たちは、思春期に反抗期すらない場合が多く、結果として偏差値教育の覇者としてエリートコースを駆け上がる。人間とは不安や矛盾、緊張、反省など、いろいろなことを経験しながら感性を養い、色々なものを捨てていくものだろう。だが、常にエリートコースを駆け上がってきたものには「万能感」という幼稚的発想を捨てる機会を失い、大人になってからは現実検討能力が極端に低下するのだ。
そのため、「非常識」と呼ばれる彼等。が、彼らに常識を求める方が難しい?!その多忙さと孤立的生活と、特殊的人生…。

「黒い服を着て誰よりも高い位置から見下ろしてる裁判官。」
これをアナタはどうとる? 怒り? 
ボクには可哀相だと思える…。
裁判官が日本を滅ぼす前に、国民が裁判官を救わねば―。



秋の夜を ひたすら学ぶ六法に 恋といふ字は 見いでざりけり

(返歌)
民法典 709条に故意という 文字のありけり 嬉しくもあるかな

最新の画像もっと見る