その人が身まかってから早いもので、まる六年を迎える。
ただし、義父、義母の老いと衰えが急速に進み、また、娘も仕事に忙殺されているということで、特に七回忌の法事はしないことになったようだ。
もとより、私はその人が息を引きとる際に立ち会ったわけでもないし、葬儀に参加しなくてもよいという娘の指示にしたがったまま、遺影を抱いたわけでも、骨を拾ったわけでもなく、いまだに埋葬された墓がどこにあるのかすら知らないでいる。
ただ、六年の歳月が、すっかりその人の記憶を浄化して、良き思い出ばかりをよみがえらせてくるのはどうしたことか。
今にして思えば、ひどくバランスは欠いていたけれども、悲運を突き進んでいった女性のひたむきさがあったようにも思われてくる。
新婚時代の六月の頃、その人が淡い色の紫陽花の咲くそばで傘をさし、優しく微笑んでいる姿を映した写真があった。
あの頃はまだ生活の疲れも精神的な乱れもなく、どこか恥ずかしげな品の良さが、雨に洗われた風景に浮き立っているような一枚だった。
その写真がどうなったのか、娘に問うてみたが、自分が生まれる前の写真など知るよしもないという、つれない返答であった。
いまさら死に別れた女性の自慢話などしても湿っぽくなるだけだから、『源氏物語』の「桐壺」の一節を取り上げてみることにしよう。
光源氏を生んで間もなく亡くなった、帝の最愛の更衣、桐壺御息所について、帝は次のように回想する。
心ことなる物の音を掻き鳴らし、はかなく聞こえ出づる言の葉も、人よりはことなりしけはひ容貌の、面影につと添ひて思さるるにも、闇の現にはなほ劣りけり。
(とりわけ優れた琴の音を掻き鳴らし、ついちょっと申し上げる言葉も、人とは格別であった雰囲気や顔かたちが、面影となってひたとわが身に添うように思し召されるにつけても、闇の中の現実にはやはり及ばないのであった。)
闇の中の現実──六年がたち、私たちの運命がいまさら変えようのない絶対的な重みをもっていることもまた、ひしひしと感じられてくる。
その人の昔のありさまが美化されていく背景には、あるいは現在の困窮が横たわっているのかもしれない。
読経の声も、線香のくゆる煙も、供える花もなく、何の供養にもなるわけではないのだが、せめて、その人の面影を我が身に添わせて、紫陽花の咲く頃、一人だけの七回忌を営もうと思っている。
ただし、義父、義母の老いと衰えが急速に進み、また、娘も仕事に忙殺されているということで、特に七回忌の法事はしないことになったようだ。
もとより、私はその人が息を引きとる際に立ち会ったわけでもないし、葬儀に参加しなくてもよいという娘の指示にしたがったまま、遺影を抱いたわけでも、骨を拾ったわけでもなく、いまだに埋葬された墓がどこにあるのかすら知らないでいる。
ただ、六年の歳月が、すっかりその人の記憶を浄化して、良き思い出ばかりをよみがえらせてくるのはどうしたことか。
今にして思えば、ひどくバランスは欠いていたけれども、悲運を突き進んでいった女性のひたむきさがあったようにも思われてくる。
新婚時代の六月の頃、その人が淡い色の紫陽花の咲くそばで傘をさし、優しく微笑んでいる姿を映した写真があった。
あの頃はまだ生活の疲れも精神的な乱れもなく、どこか恥ずかしげな品の良さが、雨に洗われた風景に浮き立っているような一枚だった。
その写真がどうなったのか、娘に問うてみたが、自分が生まれる前の写真など知るよしもないという、つれない返答であった。
いまさら死に別れた女性の自慢話などしても湿っぽくなるだけだから、『源氏物語』の「桐壺」の一節を取り上げてみることにしよう。
光源氏を生んで間もなく亡くなった、帝の最愛の更衣、桐壺御息所について、帝は次のように回想する。
心ことなる物の音を掻き鳴らし、はかなく聞こえ出づる言の葉も、人よりはことなりしけはひ容貌の、面影につと添ひて思さるるにも、闇の現にはなほ劣りけり。
(とりわけ優れた琴の音を掻き鳴らし、ついちょっと申し上げる言葉も、人とは格別であった雰囲気や顔かたちが、面影となってひたとわが身に添うように思し召されるにつけても、闇の中の現実にはやはり及ばないのであった。)
闇の中の現実──六年がたち、私たちの運命がいまさら変えようのない絶対的な重みをもっていることもまた、ひしひしと感じられてくる。
その人の昔のありさまが美化されていく背景には、あるいは現在の困窮が横たわっているのかもしれない。
読経の声も、線香のくゆる煙も、供える花もなく、何の供養にもなるわけではないのだが、せめて、その人の面影を我が身に添わせて、紫陽花の咲く頃、一人だけの七回忌を営もうと思っている。