濃さ日記

娘もすなる日記(ブログ)といふものを父もしてみんとて・・・

トホホなホトケ

2007-08-05 15:10:22 | Weblog
「(仏)ホトケ」とは「ブッダ」を日本的に発音した「ホト」に「サムケ(寒気)」や「ネムケ(眠気)」の「ケ」が付いた言葉で、ブッダ自身を指すのではなく、ブッダ的な雰囲気が漂う人やかたち(仏像)のことである。今時の若者風に言えば「何気にブッダがかぶっているみたいな~」というところだろうか。

ここまでが前フリで、以下本筋に入る。
過日、ホトケのメッカ、奈良にお住まいのある大学教授が私のことを「ホトケ」として崇めているといううわさを漏れ聞いた。ちょうど、仏像の写真集を企画中だったので、毎日、仏像ばかり見ていると、こんなこともあるのかなどと思って、その教授が上京された際、早速お会いすることにした。
お話を聞いてみると、教授のご専門は古英語(チョーサー「カンタベリー物語」が代表的)で、六五歳になった記念に、学者仲間や弟子の論文を集め、相当なボリュームの論文集を出すことにした。ところが、古英語特有の文字(上図参照)や発音記号もまじった雑多な原稿にベテラン編集者もおじけづき、引き受け手がいない状態だったらしい。そんな時、事情をあまり知らない私が、いとも簡単に仕事を引き受けたから、ホトケにまで祭り上げられたというのが、実際の経緯のようだ。
「論文というものは、有能な若い学者が自説を発表できる数少ない場、その可能性をいたずらに奪ってはなりません」――やや古めかしいエリート主義的発言であったが、老教授の言葉に納得させられた。

 さて、その後、初校、再校と組版の仕事は何とか順調に流れた。そこで、私は、「ホトケ」の名に恥じぬよう、三校のデータをも送信することを約束してしまった、私の心づもりとしては、あくまでも「念校」で、どうしても直してほしいところだけ、という類のものだった。わざわざプリントアウトまでして、細かな直しを求めてはこないだろうというのが、こちらの読みだったわけだ。
 あにはからんや、知らぬがホトケであった。その後、教授からは何と600枚に及ぶ校正紙がFAXで送られてきたのだ。それも大半は単なる形式的な直しで、とても内容に深く関係するものとは思われない。このとき、私は教授が「鬼」だったことにようやく気がついたのである。鬼といっても、学問の鬼などではない。単なる校正の鬼である。
 もっとも、相手が鬼だろうが蛇だろうが、慈しみと憐れみをもって微笑むのがホトケの品格というものである。だが、残念ながらホトケの顔も三度までで、FAXが200枚を越えたあたりから、「成仏」しそこなった過去の自分の事情も災いしてか、すっかり地金が出て、「仏頂面」になってしまったのである。そして、校了を明日に控えた深夜、「有能な若い学者」の一人から最後の原稿が届けられた時には、大童(オオワラワ 敵に囲まれて闘う武士の悲惨なオカッパ頭を想像してほしい)の状態で対応するしかなかったのである。

 何とも波瀾万丈の仕事だったが、その後、装幀・カバーデザインの立派さにも助けられ、何とか本は刊行され、仕事は「オシャカ」にならずにすんだわけだが、「生き仏」として崇められることの難しさを改めて思い知らされた次第である。
 もっとも、上には上がいて、ジェームス三木「君は神になりたいか」によれば、豊臣秀吉などは、ホトケになることには不満で、自らを「豊国大明神」などと名のっているという。「明神」とはこの世に姿が見えるカミのことらしい。

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