濃さ日記

娘もすなる日記(ブログ)といふものを父もしてみんとて・・・

年頭所感

2009-01-03 08:45:00 | Weblog
年が明けた。
さすがに「百年に一度」というだけのことはあって、越年での派遣切りなど、暗雲立ちこめる状況に変わりはない。
そんな中、暮れに、某大学の名誉教授から歳暮のお礼のお手紙をいただいた。その手紙には、

ここ数年あなたの身の上にいろいろなことがあったと思いますが、来たるべき年こそはあなたの人生に新しい展開がもたらされることを切に希望し、また祈ってやみません。

と記されてあった。
たしかに、私のこの数年の動きを俯瞰し凝縮してみれば、こうなるのだろう。教授が最後に認められた「希望」は、そのまま私の現在の希望でもある。閉塞した時代だからこそ、一歩先に惨劇を体験した者として、なんとか希望を実現すべく、日々精進したいと思っている。

とまあ、なんともありきたりの年頭の所感になったが、「ありきたり」を可能にしていくには、「ありきたり」を超えたエネルギーや戦略、leverage(てこの役割)が必要になってくるはずで、そうした開発が今後の行方のカギを握っていくのではないかとも思う。

そういえば、元日早々、NHKTVで「激論2009 世界はどこへ そして日本は」という番組が放映され、竹中平蔵、金子勝などの学者にまじって、前回取り上げた勝間和代も出演していた。
彼女の発言の中では、現代の若者分析や日本の将来の方向については拝聴すべきものが多かったが、政治・軍備問題となると、どうも危うさが目立ったように思う。

一方、<年越し派遣村>を立ち上げた湯浅誠の「反貧困」(岩波新書)を遅ればせながら読み始めたところである。フリーターやワーキングプアが精神的な自己責任の問題ではなく、構造の問題だと指摘した著者の功績は大きいと思う。(youtube 参照)

焦りや余裕のなさ(“溜め”の欠如)が、ますます人を遠ざけている。多少でも余裕のあることが何か罪深い「怠惰」の証であるかのように、焦り、切り捨て、切り捨てられ、挙げ句の果てに自分で自分の首を絞めてしまっている。個人の“溜め”を増やせないのは、その組織や社会が“溜め”を失っている証拠にほかならない。

とは本書の一節であるが、非正規労働者の姿だけではなく、現代日本の社会状況を全体を鋭く衝いていて、説得力がある。
私も、この一年、自らを窮地に追い込んで何かを見つけるということと同時に、余裕や“溜め”を守ることも大切にしていきたい所存である。
というところで、本年も宜しくお願いします。

視点・論点 派遣切り (湯浅誠)


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