すでに5年もたってしまったが、手術の前日、麻酔科医が私の病室を訪れ、私の病態のこと、手術内容などを語ってくれたことが思い出されてきた。
麻酔科医はまだ若い女性だったが、物腰は至って柔らかで、落ち着いた感じだった。
いまから考えるなら、現代医療の常識からすれば、手術の当日、顔がわからない患者に麻酔をかけるなどあってはならぬことだろうから、一種の表敬訪問にすぎなかったのかもしれない。
そして、手術当日、彼女から「Yさんですね」という確認の声を聞いた直後、私は
「ヒツジが一匹、ヒツジが二匹…」
などと数えるヒマもなく、昏睡の世界にわけもなく入っていったのである。
(そんな状態であるにもかかわらず、いや、だからこそ、麻酔科医は私の容体の変化を注意深く監視し続けなければならなかったのだろうが)
ところで、なぜ、こんなことを思い出したのかといえば、立花隆『脳死』を読み進むうちに、脳死の状態と麻酔(全身麻酔)したときの状態が近似していると指摘している一節が見つかったからである。
次は立花氏と麻酔学専門の大学教授の対話である。
*************
──麻酔で深昏睡の人と、脳死の人というのは、どこがちがうんですか。ちがいがわかるんですか。
「臨床的には区別がつかないと思います。同じだと思います。いきなり深昏睡の患者を見せられて、さあこれは脳死か麻酔がかかった状態かどっちか区別しろといわれても、これはまず誰にもできないと思います」
──深昏睡がかかった状態と脳死の状態とでは、どちらも脳の働きはまったく失われている。ところが一方は時間が経てば麻酔がとけて意識を回復する。脳死のほうは、どんなに時間がたっても、もとに戻ることはない。この両者を区別するものは何ですか。死んだも同然の状態に何時間もなりながら、麻酔の場合は回復するというのはどういうことなんですか。
「さあ、それは難しい。実を言うと、そもそも麻酔がなぜかかるのかということも、科学的に解明されていないんです。ほんとのメカニズムはわかっていない。かかるメカニズムがわからないから、とけるメカニズムもわからない」
*************
麻酔の意外な不可解さに驚かされる一方、脳死など自分とは無関係のことと思っていたのが、急に身近なものとして感じられてきた。
心筋梗塞によって擬似的な「心臓死」を遂げた私は、手術中、人工呼吸器をつけて「脳死」に近い状態にも陥ったのだから、いわば二重臨死体験者だ。
深昏睡、瞳孔固定、脳幹反射の消失、自発呼吸の消失、平坦脳波と脳死の定義がそのまま自分にも当てはまる。
唯一、異なるのは、これらの条件が6時間を経過した後、変化したという点だけである。
さて、これだけのことを体験したせいか、死は現在の私にとって、一切の感傷を寄せ付けない無味乾燥としたものに思われてくる。
それに反して、「生」の何と切なく煩雑、かつ奥深いものであることか!
麻酔科医はまだ若い女性だったが、物腰は至って柔らかで、落ち着いた感じだった。
いまから考えるなら、現代医療の常識からすれば、手術の当日、顔がわからない患者に麻酔をかけるなどあってはならぬことだろうから、一種の表敬訪問にすぎなかったのかもしれない。
そして、手術当日、彼女から「Yさんですね」という確認の声を聞いた直後、私は
「ヒツジが一匹、ヒツジが二匹…」
などと数えるヒマもなく、昏睡の世界にわけもなく入っていったのである。
(そんな状態であるにもかかわらず、いや、だからこそ、麻酔科医は私の容体の変化を注意深く監視し続けなければならなかったのだろうが)
ところで、なぜ、こんなことを思い出したのかといえば、立花隆『脳死』を読み進むうちに、脳死の状態と麻酔(全身麻酔)したときの状態が近似していると指摘している一節が見つかったからである。
次は立花氏と麻酔学専門の大学教授の対話である。
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──麻酔で深昏睡の人と、脳死の人というのは、どこがちがうんですか。ちがいがわかるんですか。
「臨床的には区別がつかないと思います。同じだと思います。いきなり深昏睡の患者を見せられて、さあこれは脳死か麻酔がかかった状態かどっちか区別しろといわれても、これはまず誰にもできないと思います」
──深昏睡がかかった状態と脳死の状態とでは、どちらも脳の働きはまったく失われている。ところが一方は時間が経てば麻酔がとけて意識を回復する。脳死のほうは、どんなに時間がたっても、もとに戻ることはない。この両者を区別するものは何ですか。死んだも同然の状態に何時間もなりながら、麻酔の場合は回復するというのはどういうことなんですか。
「さあ、それは難しい。実を言うと、そもそも麻酔がなぜかかるのかということも、科学的に解明されていないんです。ほんとのメカニズムはわかっていない。かかるメカニズムがわからないから、とけるメカニズムもわからない」
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麻酔の意外な不可解さに驚かされる一方、脳死など自分とは無関係のことと思っていたのが、急に身近なものとして感じられてきた。
心筋梗塞によって擬似的な「心臓死」を遂げた私は、手術中、人工呼吸器をつけて「脳死」に近い状態にも陥ったのだから、いわば二重臨死体験者だ。
深昏睡、瞳孔固定、脳幹反射の消失、自発呼吸の消失、平坦脳波と脳死の定義がそのまま自分にも当てはまる。
唯一、異なるのは、これらの条件が6時間を経過した後、変化したという点だけである。
さて、これだけのことを体験したせいか、死は現在の私にとって、一切の感傷を寄せ付けない無味乾燥としたものに思われてくる。
それに反して、「生」の何と切なく煩雑、かつ奥深いものであることか!
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