母の納骨も無事済ませてきた。
「悪い人ではなかった」という母の父に対する思いを尊重して、同じ墓に埋葬することにした。
じつは、この母の言葉をさる女性に伝えたところ、
「照れ半分のすてきなお言葉ではないでしょうか。それとも全部照れかもしれませんね。」
という予想だにしない返事が返ってきて、こちらまでも照れくさい気分になってしまった。
口論の絶えなかった父と母だが、ようやく元のサヤにおさまって、狭いながらも第二の「愛の巣」で、水入らずの来世ということになるのかもしれない。
納骨の日は、本当は母の思い出でいっぱいになるかと思ったが、相変わらず、淡泊でいる自分がいささか、いぶかしく感じられた。
所変わって、先日、予備校の講義でのことである。
脳死のことなど、ハードボイルドなタッチで説明していたときである。
とある女生徒が急にさめざめと泣き始めた。
休憩時間にその理由を聞いてみると、急に母親の死が想像されてきて、悲しくなったとのことだった。
まさか、私の想念に感応したせいでもあるまいと思いつつ、母親が病気でもされているのかと彼女にたずねると、
とんでもない、元気で祖母の介護をしているとのことだった。
小生の場合、母親の衰弱したここ数年は別にして、母親の死を想像した試しなどなかったから、驚きである。
やはり、娘と母親とのきずなの強さは、男にはうかがい知れぬものがあるのだろう。
それとも小野小町に「花の色は移りにけりな」の歌があるように、
女性の方が生命の衰微についての感覚が敏感で、運命の行方を透視する能力にたけているからなのだろうか。
そういう点では、やはり女性の直感は恐ろしいものである。
以上、我が心も瓦礫だらけの荒野ではあるが、幾分余裕ができて、折々のつまらぬ記憶の一節を書きとめておくことにした。
ここでたまにYoutubeからおすすめの一曲を。
madredeus のcoisas pequenas(ちいさきもの)
何ともポルトガル風の哀愁に満ちた唄であるが、瓦礫に咲く一輪の花のように美しく響く。
「悪い人ではなかった」という母の父に対する思いを尊重して、同じ墓に埋葬することにした。
じつは、この母の言葉をさる女性に伝えたところ、
「照れ半分のすてきなお言葉ではないでしょうか。それとも全部照れかもしれませんね。」
という予想だにしない返事が返ってきて、こちらまでも照れくさい気分になってしまった。
口論の絶えなかった父と母だが、ようやく元のサヤにおさまって、狭いながらも第二の「愛の巣」で、水入らずの来世ということになるのかもしれない。
納骨の日は、本当は母の思い出でいっぱいになるかと思ったが、相変わらず、淡泊でいる自分がいささか、いぶかしく感じられた。
所変わって、先日、予備校の講義でのことである。
脳死のことなど、ハードボイルドなタッチで説明していたときである。
とある女生徒が急にさめざめと泣き始めた。
休憩時間にその理由を聞いてみると、急に母親の死が想像されてきて、悲しくなったとのことだった。
まさか、私の想念に感応したせいでもあるまいと思いつつ、母親が病気でもされているのかと彼女にたずねると、
とんでもない、元気で祖母の介護をしているとのことだった。
小生の場合、母親の衰弱したここ数年は別にして、母親の死を想像した試しなどなかったから、驚きである。
やはり、娘と母親とのきずなの強さは、男にはうかがい知れぬものがあるのだろう。
それとも小野小町に「花の色は移りにけりな」の歌があるように、
女性の方が生命の衰微についての感覚が敏感で、運命の行方を透視する能力にたけているからなのだろうか。
そういう点では、やはり女性の直感は恐ろしいものである。
以上、我が心も瓦礫だらけの荒野ではあるが、幾分余裕ができて、折々のつまらぬ記憶の一節を書きとめておくことにした。
ここでたまにYoutubeからおすすめの一曲を。
madredeus のcoisas pequenas(ちいさきもの)
何ともポルトガル風の哀愁に満ちた唄であるが、瓦礫に咲く一輪の花のように美しく響く。