堅壮院メダカ庵

百姓生活やメダカ飼育についての日々の記録です。

韓国旅行ー2 「水原城・民族村」

2007-09-17 | 自然と共生

P1110265○ は黄金色に色づき、いつでも刈り取り出来るまでに育ちました。旅行ばかりでP1110261の植え付けが遅れていますので、昨日はキャベツ、ブロッコリーの植え付け、今日は水菜カブの播種をしました。もやってきて芋掘りナスピーP1010133マン採りなどを手伝ってくれました。そして露天風呂2時間も遊びました。

○ 韓国旅行2日目の13日は、先ず、ソP1010134ウルの南約40㎞の水原(スウオン市にある水原城(華城)に行きました。朝鮮王朝末期の李王の時代に建設されたようですがP1010143、緑の芝生を囲んで5.7㎞もの城郭が延々と続いていました。地勢に沿って建てられていますので、何となく万里の長城を思わせます。要所に砲台があり、登ってみると城の広さが想像できました。1997年に世界文化遺産に指定されたとのことでした。

○ 次いでP1010160韓国民族村に行きました。ここは以前に訪れたことがあります。韓国の昔の農村の生活や身分の高い人の住まいなどがそのまま再現されており、農作物も現実に植栽されていました。日本と共通の照葉樹林文化P1010162ですので、作物や民家の様子も私の幼い時代の日本に似ている点も多いのですが、部屋にオンドルがあることP1010166や戸外にを並べて醤油味噌を醸造する点など、韓国独特の文化も伺うことができました。

○ 前回もそうでしたが、大勢の子供たちの遠足に出会いました。遠くのP1010157地域からも来るらしく、ものすごい人数の子供たちです。私がつたP1010172ない韓国語で話しかけると親しそうに返事をしてくれましたので、とてもうれしく思いました。東屋やビニールシートの上でお弁当を広げていましP1010174たが、覗いて見るとほとんど全員キムパ(海苔巻き)でした。

○ また、P1010185民族衣装での写真撮影や昔懐かしい民芸品もたくさん販売されていた他、、古式P1010182則った結婚式 や広場では綱渡りのイベントも行われていました。

○ この日の食事は、朝食は鍋で煮る茶碗P1010175蒸し韓国式朝定食、、昼食は若鶏の腹に餅米を詰めて煮た参鶏湯(サンゲタン)、夕食宮廷料理でしたが、朝食も夕食にもお頭付きP1010201イシモチが出ていました。もちろんキムチはいろいろと付いていました。

○ 夕方、ソP1010191ウルの繁華街である仁寺洞(インサドウ)を散策しましたが、昔懐かしい屋台が並んでいて、食べ物が民芸品などを売っていました。へのおみやげにコマを買いましたP1010217若い女性に「一人でご旅行ですか?」と声をかけられましたので、韓国語で答えました。は古典舞踊のナイトツアP1010212ーでしたが、私は、ソウルの流行の先端を見ることが出来ると言われる明洞(ミョンドン)を散策して、つたない韓国語の力試しをしました。                


韓国旅行ー1 「ジャングムの誓い」

2007-09-15 | 自然と共生

○ 12日から14日までソウルに行ってきました。エジP1010109プト・トルコを旅行中P1010099はブログを更新できませんでしたが、私の安否を気遣って韓国の友人からも電話いただきました。今回の韓国行きの予定を話すと、是非とも会いたいと言っていただきましたが、今回は連れ合いのグループ旅行について行くだけであり、しかもソウルだけなので、友人にお会いすることをご遠慮しました。韓国の友人の暖かい心遣P1010106感謝致します。

○ エジプト・トルコ旅行記のブログはまだ途中ですが、しばらく韓国旅行の話を挿入したいと思います。

○ 昼前にインチョン(仁川)空港に着P1010122_3きました。私は、韓国旅行7回目ソウル4回目になります。前回ソウルに行ったのはP1010107インチョン空港が開港して間もない頃でしたので、5~6年も前のことと思います。鉄筋のマンション群が田んぼの中にも目立ちます。

○ 昼食うどんでした。アサリのむき身がふんだんに入ったうどんを鍋からシャモジで自分の茶碗に取り分けて食べますが、韓P1010111国の金属性の細い橋なので、シャモジの方が合理的なのでしょう。キムチうどんの中に入れて一緒P1010113に食べました。韓国では冷たいビーフンのような冷麺(ネンミョン)を食べますが、うどんは初めてでした。なかなか美味しい。

○ ソウルに到着した12日は、ソウルの北方北朝鮮との国境に近い、楊州市にある「大長令」(デジャングムP1010118というテーマパークに行きました。日本でも人気を博した「ジャングムの誓いP1010116というテレビドラマを撮影したオープンセットがそのまま保存されてテーマパークとして公開されていました。

○ 小高い山懐の自然を活かした2000坪の土地に宮廷や昔の田舎の家などがありました。セットの場面は200場面と言うことでしたが、王様の部屋や台所等々宮殿の各施設を再現してあり、撮影のためのセットとはいえ、耐久力のありそうな建物でした。建物と建物の中庭や道路も、うまく韓国の雰囲気を再現してありましP1010115た。ソウルでも特定の施設を以外で昔の韓国 らしい建物は見られなくなっていますので、韓国の人々にとっても郷愁を誘うのではないかと思われました。P1010119

○ 私は、このドラマをあまり見ませんでしたのでストリーはアブストラクトしか知りませんが、徐長令(ソ・ジャングム)という女官が女医として活躍するドラマであったと思います。当時の王宮の様子を知るには分かり易いドラマであったと思われますが、韓国食文化P1010123漢方による医療についても、なるほどと頷ける場面があったと記憶しています。それ以上に主人公であるジャングムを演じた俳優の美しさに見とれていたのかもしれません。P1010124

○ 夕食韓国名物カルビーでしたが、私は韓国の焼酎を飲み、ネンミョン(冷麺)を食べました。今回の韓国旅行は韓国食文化研究と、私の韓国語実力試しの旅になりそうです。

○ 安倍首相辞任のニュースはバスの中で聞きました。7月30日のブログは参議院議員選挙の開票速報を聞きながら書きましたが、その中に「盛者必衰の理を現す、奢れる者も久しからず・・・・」平家物語の一文を引用して書きました。早々にその通りになりました。

            


エジプト・トルコ旅行ー7 「カッパドキア」

2007-09-11 | 自然と共生

P1000701○ 8月27日、旅行の4日目はトルコのP1000727首都アンカラからスタートでした。オスマントルコ時代を終焉させ、近代的なトルコ共和国を設立した初代大統領アタチュルク廟に立ち寄りました。

○ アンカラの北東に位置するカッパドキアまでは約300㎞P1000718_1行程です。バスは市街地を出て農村地帯を走りました。列車の窓から見たのと同じ風景が続きます。大部分の農地を刈り取った後らしく茶色い起伏の丘陵です。時々の畑がみえますが、作目は馬鈴薯ビートのようです。ブドウの栽培もみられますが、日本のような棚仕立てやヨーロッパP1000739の垣根仕P1000771立てではなく、地這の栽培です。川のそばに同じようなこんもりとした木が見えますのでガイドに聞いてみたところグミのようでした。

○ 農村地帯を4時間ほど走ってアナトリア高原カッパドキア地域に近づP1000721きました。この地域はエルジェス山など3,000~4,000メートル級の3つの火山によって形成された土壌で、溶岩と火山灰の堆積でP1000766特異な地形が形成されているとのことです。昼食を食べたレストランも岩の洞窟の中にありました。

○ 先ず、ウP1000726チヒサールの地下都市に行きました。3世紀頃にローマ帝国等からの迫害から逃れるためにキリスト教徒が建設したもので、多くの部屋が迷路のようなトンP1000767_1ネルで結ばれ、中には教会倉庫家畜飼育場等々の部屋がありました。私達は地下4階まで見学しましたが、このような地下都市がたたくさP1000751んあり、地下8階まであるところもあるとのことでした。1万人以上の人々が生活したのではないかと推定されているようです。

○ 次にP1000768_1奇岩が広がる広大な風景を見下ろす丘に行きました。私はアメリカのP1000785グランドキャニオンを見たことがありませんが、その風景に似ているという人もありました。壮大な景観を眺めながらアイスクリームを食べました。奇岩に囲まれた谷間にあるユルギュップの町P1000774には岩をくり抜いて住居教会ホテルもありました。

○ 夕方に立派なホテルに到着しましたが、カイロを出てからからシャワーを浴びP1000777ていません。アフリカ大陸ヨーロッパ大陸、そしてアジア大陸3つの大陸を渡って来たわけですが、3大P1000755ホコリで汚れた体を洗い、ビールを飲むことが出来たのは最高の気分でした。            


エジプト・トルコ旅行ー6 「カイロからアンカラへ」

2007-09-10 | 自然と共生

Img020 Img021○ 阪神タイガースは遂に首位にたちました。阪神が低迷していた6月の末に、我が家で「虎の会」を徹夜で開催して焼酎を飲みましたが、その時から快進撃が始まりました。その後もチューハイを片手に農作業ゴルフに臨みました。念願が叶って東京ドームでジャイアンツP1000643連勝して今や首位。このまま独走してほしいと思います。

○ カイロからイスタンブールに向かう飛行機は、出発が3時P1000635_1間ほど遅れて出発しました。地中海・エーゲ海の上を飛んでイスタブールに向かいます。眼下に島がみえP1000657ましたが、クレタ島かどうか は解りません。エーゲ海は世界でも最も美しい海の一つといわれています。空の上から見るのではなく。クルーズP1000651やって見たい願望が湧いてきました。

○ 東西文明の十字路といわれ、アジアとヨーロッパP1000650であるイスタンブールに到着したのは夕方でしたが、空港はヨーロッパ大陸側にあります。黒海地中海の間にあるマルマラ海に面する公園ではP1000668、大勢の市民が芝生の上でバーベキューを楽しんでいました。オスマントルコ時代の城壁も目につきましたが、夕食を食べてに向かいました。

○ イスタンブールからトルコの首都アンP1000687カラに向かいましたが、夜行列車に乗る人に食料を売る売店が駅舎の中に並んでいました。アンカラエP1000680_1クスプレス一等寝台列車の部屋は個室で、2段ベッドと冷蔵庫、洗面所がありました。列車は10時半に出発しましたが、私は一人旅でしたので、個室ウイスキーを飲 みながら 一人でP1000684寝ましたが、エアコンは冷房かと思えば暖房になったりしましましたので、窓を開けたり閉めたりの夜行でした。P1000683

○ 朝が明けるとトルコの平原を走っていました。農地は広々としており、所々に作物の緑が見えますが、大部分は茶色い大地です。も樹木が見られないはげ山です。集落の近くや川沿いにはポプラが見られ、何となく北海道の風景に似P1000691ていると思いました。緯度は青森県と同じぐらいでP1000695すので風景も北海道に近いのでしょう。

○ 朝の7時頃に食堂車で朝食を食べていると、車窓にはアパートP1000692しいビルが見え、も豊かになりました。30分ほど遅れてトルコの首都アンカラにつきました。

(新聞記事は9月10日神戸新聞夕刊です。)            


エジプト・トルコ旅行ー5 「カイロ考古学博物館」

2007-09-08 | 自然と共生

P1110233 ○ 今日は二十四節気の一つであるP1110240です。九条ネギを500本ほど植えていますがカラカラの天気が続いていました。昨夜、一寸が降り、メダカの池のホテイアオイを含んでいました。夜になると虫の大合唱が始P1110242まります。先日、連れ合いが綺麗なP1110249を捕まえてきました。タマムシでしょうか、足が一本とれていますが、写真を撮って草の中に返しました。水田にはイノシシがやってきて荒らして行きます。暑い日々ですが、は確実に近P1110100づいています。P1110153

○ さて、エジプトの古王時代に栄えたメンフィスの博物館に行き、スフィンクスラムセス2世巨像などを観てからエジプト考古学博物館に行きましP1110112た。

○ 博物館は朱色の2階建て建物で、各国からの入館者P1110152とともに行列をしてセキュリティー検査を受けて入館しました。さすがにエジプトの博物館だけあって国際色は豊かです。英語とドイツ語、中国語などは区別できますが、わからない言葉で説明するガイドに導かれて観光グループが入館していました。

P1110113○ 私達も先ず、ロゼッタ石の前で説明をうけました。このロゼッタ石はカイロ博物館の展示物の中で唯一のコピーであることが説明されました。本物は大英博物館にあるそうです。しかし、ロゼッタ石に書いてある象形文字の解読がエジプトの歴史をひPhoto_69もとく原点となったとの説明を受けました。

○ 博物館の中は展示室はもちろんのこと、通路にも所狭しと貴重な展示Img008が並んでいました。浅学非才の私にはそれぞれの価値はわかりませんが、エジプト全土からあらゆる時代の貴重な品々が集められ、展示されているようでした。代表的な展示品についてはガイドの説明を受けましたが、聞いてみるとなるほどとその価値の大きさに頷けます。

○ 私が一見してわかったのは、ツタンカーメン黄金のImg011マスクでしたImg010。つぎつぎと流れている見学者をよそに、10分近くこのマスクの前に立っていました。私達はこのマスクだけを知っていますが、このマスクや多くの副葬品4重巨大金の厨子の中に納められていたこと、ツタンカーメンImg012装飾品内蔵ミイラ収容棺等々を一堂に見ると、時代を超越したエジプト文化の壮大さを感じました。

○ 博物館にミーラ展示室がありました。3000年以上も昔のミーラが30体あまり展示してありました。胴体は布に覆われていましたが、は見られるようになっています。髪の毛もそImg017のままで、顔の表情も何となく想像できるほどのミーラもありました。ミーラを収Img013納するも無数にあり、それぞれが繊細な装飾が施されており、現在のぞんざいな死者儀礼と比べると、古代エジプトのヒューマニティーに思いを馳せました。

○ 博物館へのカメラ持ち込みは出来ませんでしたので。日本語版の簡単な説明書を購入し、その写真の一部を掲載させて頂きました。それぞれの展示物の歴史的位置づけや価値につて説明できる私ではありません。Img018ただ、博物館を出てきたとき、エジプト悠久の歴史Photo_70にふれて、ずっしりと重い興奮余韻が残りました。2時間の見学ではなく、何日もかけて観る価値があると思います。因みに入館料は約1000円、ミーラ室は2000円でした。                 Photo_71