堅壮院メダカ庵

百姓生活やメダカ飼育についての日々の記録です。

田舎の冬物語ー7 「流氷シンポジウムー3」

2010-02-28 | 自然と共生

○ 紋別での3日目P1230191の朝、ホテルから見える紋別港の沖合、豊穣の海オホーツク海朝日が昇りました。この日も流氷は接岸しておりませんでした。P1230166

○ 私の大学の卒業論文北太平洋のプランクトンがテーマでしたので、大学の練習船に乗船して釧路市の南から千島列島沿いに北上し、カムP1230195チャッカ半島の南東海域にかけての海洋調査に参加しました。P1230167 そし てベーリング海の一部を含めた海域を対象に「動物プランクトンの分布と海流の関係」を卒業論文としてまとめましたので、この海域が如何に豊かな海であるかは身をもって体験しています。

○ 紋別はP1230168が25,000人ほどの港街ですが、私の住んでいる三木市や兵庫県の漁村に比べても遙 か に活力に満ちているように感じました。私はP1230200_2漁業金融の仕事もしましたが、この周辺の漁業者や漁業団体の所有する金融資産は兵庫県全体のそれに匹敵することを知って驚いたことがあります。

○ 午前P123021410時半に紋別を出るバスに乗って札幌に向かいました。この日は穏やかな天気で、広い雪原の道をバスは快調に走り、北海道のP1230075景色を満喫することが出来ました。

○ 札幌に着いてすぐ、再び北海道大学に行きましたが、今度は北海道大学病院に入院中の友達を見舞うためでした。彼は数年前から体調をくずし、自P1230219宅で療養していると聞いていましたので自宅に電話をしたところ、1月から入院しているとのことした。私が北海道へ行くたびに彼と一緒にゴルフを楽しみ、嘗てはハンディキャップ10で、シングル手前の腕P1230092前でしたが、もうゴルフは出来ないとのことでした。

○ 札幌の繁華街P1230222ススキノのホテルにチェックインし、別の友人と焼酎を飲みました。彼は地質学の専門家で、翌日から道庁の職員を対象に講習を行うとのことでしたが、学生時代に知り合った女性の話等々、 北海道での青春時代の思い出を語りながらP1230234、たっぷりと酒を飲み、彼とは今後も20年間は一緒に酒を飲もうと誓 い合い、握手をして別れれました。このあと、私ひとりでラーメP1010160ン横丁でラーメンを食べました。

○ 23日(火)の昼前の飛行機で雪の北海道を後にしましたP1230242が、懐かしい多くの友人に会い、オホーツク海の自然・産業・文化的価値を知る旅でもありました。そして北海道大学で学んで良かったと思いながら帰ってきました。

P1010161_2 ○ 神戸に帰ってくると汗ばむほどの暖かさで、翌24日は今年2回目のゴルフに行きましたが、がきれいに咲いていました。 

         


田舎の冬物語ー6 「流氷シンポジウムー2}

2010-02-26 | 自然と共生

○ 紋別でのP12301332日目(21日)は、先ず、流氷見学でしたが、流氷は5㎞ほど沖合にあって接岸しておP1230132りませんでした。波も高いので沖合には出られないとのことで、港の近くに漂っている流氷流氷砕氷船「ガリンコ」号に乗船して1時間ほど見学しました。ちょっと残念でしたが、P1230135流氷の海を少しだけ体験することが出来ましP1230119_3た。それでもオジロワシも見られましたし、寒さは満足出来る体験でした。

○ この後、青田先生が所長をしておられる道立流氷科学センターを訪ねました。ここには流氷に関するいろいろの資料展示やイベントが行われており、3階の展望台からはオホーツク海の風景をP1230155見ることが出来ましたが、流氷P1230141遙か沖合でした。青田先生に流氷がどのようにして出来るかを模型を使って説明していただきましたが、アムール川などから流れ込む淡水が海の表層に躍層をつくり、これが表層対流によって凍るとのことで、ロシアや中国の大地から流れ込む栄養豊富な水の恩恵を受けて、世界で最も水産資源が豊かな海P1230151形成しているとのことでした。そして、流氷がもたらす豊かなオホーツク海の話を、先般行われた洞爺湖サミットで説明され、皇居で天皇陛下にもご進講されたとのことでした。

○ このセンターには多彩な資料がP1230152 展示されていますが、地下には氷点下20℃を体験できる展示室があり、オホーツP1230163ク海に生息する魚類海藻類氷柱標本として展示されていました。そして水槽には生きたクリオネが多数飼育展示されていましたが、水産学部出身の私P1230164クリオネを見るのは始めてでした。また、全天周映像ホールではアストロビジョンで流氷のImg185海を存分に体験することができました。昼食はこのセンター名物の流氷をイメージしたホワイトカレーをご馳走になりました。

○ 午後は紋別市民・文化会館で開 催された「流氷シンポジウム」に出席しました。正式P1230181 には北方圏国際シンポジュウム「オホーツク海と流氷」と言うようで、青田先生が提案主宰され、今回で25回目とのことです。11カ国から学者や関係者が参加さP1230177れ、26日までの6日間に亘って分科会ワークシP1230180_2ョップなどが開催されるようでした。私は開会式に出席し、青田先生のお話や歌手の加藤登紀子さんの講演などを聴きました。夜のレセプションへのお誘いも受けましたが、これは辞退して長野県や博多出身の友達とカニをしゃぶり、焼酎を飲みながら50年前の思い出を語りました。                 

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田舎の冬物語ー5 「流氷シンポジウムー1」

2010-02-24 | 自然と共生

○ 流氷研究の権威である同級生の青田昌秋博士から「オホーツク海P1230090_3ンポジュウムへのお誘いを受けました。共に寮生活をした人々も集まるというので、急遽、紋別へ行ってP1230083きました。

○ 急なことなので羽田から紋別行きの飛行機は満席で、札幌経由で行くことになり、20日(土)に神戸空港を出発しました。去年は千歳空港が吹雪で着陸出来ませんでしたが、今年は順調に札幌に着きました。札幌から紋別まではバスで行くことにしましたが、3時間ほど時間がありましたので北海道大学に行きました。

○ 雪のP1230097無い時期には何度も行っていますが、冬の北大構内を歩くのP1230096は50年ぶりです。正門から入って行きの中央ローンを眺めながらクラーク像、昔は理学部の教室で今は博物館になっ ている建物の前を通り過ぎてポプラ並木に行き、新渡戸稲造先輩の像にも立ち寄りました。建物は新しいものもできていましたが、懐かしい教室は昔の姿を残していました。P1230077ルムの古木は枝が枯れたものもありましたP1230101が、白樺などは見違えるように大きくなっていました。

○ 札幌からは「紋別流氷号」というP1230093長距離 バスに乗りました。札幌は吹雪のように雪が舞っていましたが、バスは高速道路を2時間ほど走り、旭川市の東の上川から、大雪山の北側の北見山地を経由してオホーツク海を目指しますが、途中は雪深い標高700㍍の浮島峠を越えます。急なカーブの続く山道は不安でしたが、約4時間半で無事に紋別につきまP1230108した。

○ 紋別の居酒屋では既に宴会が 始まっP1230106ていました。約20名ほどが集まっていましたが、50年ぶりの人が大部分で、名前は思い出せても顔と合致する人は数名でした。それでも北大の同窓生ということで心が通じ合い、大いに歓談しました。それぞれの職業も様々で、青田先生は流氷科学センターの所長でしたが、他には不動産業、郵便局長、P1230113P1230202老人ホームの理事長、製薬会社に勤める薬学博士、有名サッカーチームのチームドクター、さては後輩で北海道テレビの記者まで多彩な顔ぶれでした。

○ 大きな毛ガニをほおばり、オホP1230115ーツク海海の幸を腹一杯食べました。そP1230118して肩を組んで寮歌を大合唱しました。宴会は延々と続きましたが、外は雪、零下10℃ほどありそうでしたが、みんな揃ってスナックへ。紋別美人のママさんの厚いもてなしをP1230117受けました。雪が降りしきるなかを、先生の奥様とお嬢さんに送られて深夜のホテルに帰りました。          


田舎の冬物語ー4 「棲遅慰情」

2010-02-19 | 自然と共生

○ 今日は二十四節気の「雨水」で、雪が雨に変わり、草木が生P1230060_2 気を取り戻すころです。寒村は相変わらず真っ白に霜が降りましたが、庭のは咲き始Img183_2 め、クリスマスロースも白い花を咲かせています。

○ 先日、卒業以来音信が無かった大学時代の同級生から数枚のスケッチが送られてきました。このスケッチは学生時代に彼が我が家に遊びに来た時に、我が家のP1230062_3 古い土蔵や周辺の風景 を描いたもImg184のでした。土蔵は阪神・淡路大震災で基礎の石垣が崩れたので取り壊しましたし、周辺の地勢も農地の区画整理で変化しています。しかし、私には記憶がある風景で、スケッチを見て昔のことを懐かしく思い返す機会となりました。

○ 田舎の古い家で侘びしく棲んでいますが、郷土史会発行P1230035 の我が家の歴史を記P1230045_2した書物「累年覚書集要」(明石藩三木郡小川組大庄屋安福家七代の記録)によると、明石藩の8人の大庄屋の一人の「安福家」の家らしく、1675年から1830年までの元禄時代を含む約150年間に、7代に亘って約40の集落を統括していたことが記録されています。

○ 部屋P1230048_2や庭の随所に往時の面影を偲ぶことが出来ますP1230056_2 。私は安福家との関係はありませんが、歴史の価値を噛みしめながら古い家を守っています。書院造りの奥座敷、欄間のある茶室化粧ひさしの広い縁側、庭には周囲4㍍を越える樅の古木空石積の石垣 などが今も残っておP1230050_2りますが、私が幼少の頃は土塀や蔵、門、庭には銘木や庭石も沢山ありましたが、前の所有者が処分されましたので、現在の姿にな ってしまいました。

○ 部屋の額「棲遅慰情」は吉川町の書家上田桑鳩氏に依頼P1230047して我が家のために書いてもらったものです。涙ほどの年金でこ のP1230025 家を守って行くのは至難の業とも言えますが、歴史の重みからにじみ出る豊かさを味わいながら、今しばらくは細々と古民家の維持に努めたいと思っています。江戸時代の歴史に興味がある方は是非ともお立ち寄りください。

○ オホーツク海の研究をしている同級生から「流氷シンポジューム」へのお誘いを戴きました。流氷の接岸は時の運と思い、50年ぶりに合う友達も出席されるようですので、紋別へ行くことにしました。果たして流氷は????・・・・   


田舎の冬物語ー3 「宴会続き」

2010-02-14 | 自然と共生

○ 立春を過P1220985ぎると年度末が近づくためか、このところ宴会続きです。先ず、10日には公務員時代のP1220968幹部会議の集まりが淡路島のホテルで開催されました。阪神・淡路大震災当時の仲間ですので、みんなかなりの年になりましたが、元気に「四季の歌」を歌って楽しみました。ホテルに隣接する温P1220999「奇跡の星の博物館」ではラン展が行われており、一株から233輪の花を付けているランもありました。夜の9時に明石海峡大P1220974を私のベンツで渡って帰ってきましたが、猛烈な風雨でベンツのハンドルが揺れました。

○ 12日は県庁の農業構造改善事業を担当する者の集まりで、OBの私もお招きを戴きましたP1220997。政権交代で農P1230002業構造改善事業は衣替えになるようですが、思えば私が公務員であった時代はずっと構造改善を旗頭に農村の整備が行われてきました。

○ 昨日13日は県庁水産関係職員のOB会で、約40人が集まりました。80歳を遙かに超えた先輩諸氏も多数参P1220962_2加されていました。私は水産課には若い頃に12年間P1230006勤務しましたが、その頃と現在では漁業の状況もかなり変貌しているようですが、36年間の公務員生活の中で最も活躍出来た時代であったと思いました。

○ 今日は我が家の裏の土手で恒例のが行われP1230003_2 ましP1220975た。隣の公会堂では集落の老人会総会が行われました。集落の古老の宴会でしたが、酒や焼酎をグイグイと飲まれる元気な老人が多いのには感心しました。この他にも二つの宴会にご案内を頂きましたが、P1230022_2 日程が重複していましたので、出席出来ませんでした。

○ 大学のP1220953も終わり、成績評価も終えましたので、大学は9月末までお休みです。今日は馬鈴薯を少し植え付けましたが、当分は農作業もありません。今年は耐乏生活をすP1230016ることに決めていましたが、オホーツク海流氷が接岸したとのニュースを見るとが騒ぎます。