堅壮院メダカ庵

百姓生活やメダカ飼育についての日々の記録です。

ボロ船世界クルーズ記ー4 「南太平洋」

2012-05-31 | 自然と共生

○ タヒチからペルーのカヤオ港までは約4,200マイルの航程です。P2180442太平洋の青い海を12日間で航行すする予定です。、南緯20度に沿って東に向かうわけですが、丸い地球の上を進む時は、必ずしも同じ方位でなく大圏コースという近道のコースを採用します。従って、始めは85度ですが、途中で方位を変更しながら最後には76度で航行するようDscn2261_2です。

○ 船の中では毎日盛りだくさんの行事が有りDscn2273ます。朝の6時から太極拳ラジオ体操ウオーキングモーニングコーヒーに並行して行われます。朝食後は船の事務局が企画する講Dscn2246(水先案内人)による講座の他、乗客が企画する趣味の会が沢山開催されますが、これをImg255自主企画」と呼び、音楽やダンスその他の専門家も多く乗船しておられますので、船が招聘した講師よりも遙かに価値のある自主企Dscn2295がたくさんあります。

○ また、デッキで自分が得意とする三味線、フルート、バイオリン等々の楽器を練習する人、ベンチに寝ころんで読書にふける人、朝からラウンジに座り込む人、囲碁、将棋、麻雀に興じる人など様々ですが、私は、太極拳ラジオ体操に参加し、午Dscn2302前8時からのImg256般若心経を読む会に参加する以外は、ひたすらを眺めて南太平洋の航海を楽しみました。

○ 講師による講座は、ラテンアメリカに関すること、アンデDscn2281ス文明アンデスの食文化に関するものなどが行われましたが、アンデスの歴史はプレ・インカ文明といってB.C.3Dscn2276,000年まで遡るとのことで、世界4大文明に匹敵する文明が未解明となっていることや、ジャガイモトウモロコシばかりでなく、カボチャ、トマト、ピーマン、ピーナツDscn2325ど数多くの作物のルーツがアンデスであることも聞きました。Dscn2322

○ 2月12日には「洋上大運動会」と称するイベントも行われましたが、10日頃から気温が下がりはじめ、赤道に近づいているのに昼間の温度は24℃になりました。南極海から南アメリカ大陸沿いDscn2323に北上し、赤道に沿っP2180448て西に流れる「フンボルト海流」の影響らしく、海の色も僅かに緑色を帯びて来ました。プールで泳いでみましたが、ピリット冷たい海水でした。急いで温水のジャグジーに入りましたが、大阪の美人「みっちゃん」と一緒に入浴Dscn2307できてご満悦です。Dscn2312

○ 2月14日はセント・バレンタインデーでしたが、誰からもチョコレートはもらえませんでした。そしてその日の夕食は「フォーマルディナー」との事で、それぞれが正装で夕食会に出席しましたが、女性は和装、イブニングドレスなどおめかしをしておられましたが、私はブレザーを着て行きました。

○ 横浜からタヒチまで 5,142マイル、タヒチからペルーまでは4、222マイルで合計約9,400マイル( 17,400キロ)の航程でした。少し波が高い    時もありましたが、鏡のような静かな海に夕日が沈み、サザンクロスが輝く日もありました。Dscn4340船の食事も質が低下し、スタッフの態P5050620_2度も横柄になってきましたが、 思い出に残る南太平洋でした。

□ 5月4日に帰国して以来、荒れ果てた メダカ庵を元の姿に戻すために5月中は必死で努力しました。の草取り、田畑の草刈や耕耘、夏野菜Dscn4342の植えつけ、メダカビオトープの整備等々に骨身を惜しまず精励してきましたので、何とか元の姿に近P5050617づけることが出来ました。

□ 今日で風薫る5月も終わりですが、夏野菜の植え付けもほぼ完了し、あと1週間ほど後には田植えも出来るでしょう。孫たちを集めての田植えイベントは6Dscn4346月9日とすることになりました。メダカビオトープを覗くと、メダP5050609_3 カの稚魚が元気に泳いでいました。(下の左右3枚ずつの写真は、5月5日と今日のほぼ同じ場所の写真です。)

 「忙しく 誕生月も 過ぎにけり」 道生

               


ボロ船世界クルーズ記ー3 「タヒチ」

2012-05-27 | 自然と共生

○ 赤道をDscn2049通過しても同じ方位を目指して17Dscn2053ノットでボロ船は青い海を航海しました。船の中では次の目的地のタヒチに関する説明講座が毎日行われましたが講師はタヒチ独立核廃絶などの平和運動家でした。これに並行して、「島国から考える」というテーマでアイヌ、マオヒなど少数民族の問題や沖縄の米軍P2060379基地問題に関するP2070391講座も繰り返されました。

○ 2月4日には「パシフックデー」というイベントも行われましたが、2月5日、13日ぶりに島影が見えました。横浜を出てからはどころか1隻のにも出会Dscn2197いませんでしたが、乗客はみんなデッキに出てが近づくのを見Dscn2118つめました。

○ 夕方の18時に初めての寄港地であるフランス領タヒチのパペーテ港に入港しました。港はかなり大きな施設があり、南国風情のような建物も見られます。緑が多い街の背後にはP2070397雲がかかった山が迫っていました。21時頃に上陸が許可され、多くの乗客は街に出かけましたが、私は視力も弱いので、この日は船に留まりました。P2070402

○ 翌日は朝から自由行動で島を探索する人やそれぞれのオプションツアーに出かけまP2070416した。近くの島まで泳ぎに行く人や、山にトレッキングに行く人など様々でしたが、私は平凡に島を一周する観光に参P2070401加しました。

○ 島を周遊する道路をバスで巡りましたが、山が海に迫っているため民家はほとんどが海岸線に密集しています。いずれも素朴な家で、南国らしい樹木の緑に包まれていました。所々に立派なリゾートホテルもありました。歴史博物館、ゴ ーギャン美術館植物Dscn2173公園史跡公園などを見ましたが、みんな質素なDscn2151施設でした。

○  昼食は海岸のレストランでビュフェスタイルでしたが、はじめてタロイモを食べることが出来ました。私が大切に栽培している里芋はタロイモがルーツであると聞いていましたので、タDscn2205ロイモに巡り会えたのは嬉しDscn2177 い体験でした。

○ 島を一周してから港の近くのマルシェに行ってみました。南国の野菜や果物を見て回り、3ドルでバナナを10本ほど買いました。

○ 18時30Dscn2223、約24時間の滞在で、夕日を見ながらDscn2175南米ペルーに向けて出航しました。

□ 昨日、一年ぶりに県庁時代の水産関係職員のOB会が開催されましたので、神戸の生田神社近くの中華料理店に行き、懐かしい仲間と歓談しました。この1年間で4人Dscn4333 の方々が亡くなられていましたが92才の大先

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輩も出席されていました。皆さんは海に関係する仕事に従事された仲間ですので、私は世界一周クルーズの体験を

説明しました。

P1000156   隣の喫茶店のオーナーの話では、昨夜、私のメダカ庵のビオトープでホタルが3尾確認されたとのことです。私は夜は原則として団地の家で寝ますが、ホタルが見られる間は庵で宿泊することも考えます。お近くの方はホタル刈りにお越しください。

 「夏が来た 今年もホタル メダカ庵」 道生

                     


ボロ船世界クルーズ記ー2 「太平洋」

2012-05-25 | 自然と共生

P1270320○ 横浜港を出港した日の午後からオリエンテーリングが行われ、翌日には救命具をつけて避難訓練031実施されました。。そして各種の説明会が矢継ぎ早に行われますが、船内の設備やルールも良く解らないj状況でした。

○ この船はパナマ船籍の「オセアニック号」といいます。イタリアで50年ほど前に建造されたようで、総P1280335トン数は38,772トン、全長238.4㍍、定員1,550人で、航海速度は27ノットとの事です。P1300346

○ 今回のクルーズの乗客は約900人と聞いていますが、船員は約300人、事務のスタッフは約60人とのことで、総勢約1,300人が乗船して太平070に乗り出したことになりなす。

○ 方位178度というと南南東に向かって進んでいるので、出航から4日102目には太平洋「青い海」が見られるようになりました。私はこの紺碧の海を航海するのが楽しみでしたので、出来る限りデッキに出て海を眺めることにしました。気温も28℃を超えるようになりましたので、海水を取り込んだたプールや温水のジャグジーで泳ぐ人も現れました。058

○ 船が東に進むに従って「時差調整」が必要となります。基本的には地球の経度で15度ごと072に1時間ずつ早める必要がありますが、国のによって標準時が異なりますので、その国が採用している時間に会わせながら航海する事になります。結094局、1月30日に日付変更線を超えるまでに3回の時差調整を行い、30日の24時にはカレンダー1日戻し、1月30日をもう一日繰り替えしました。P1310358

○ この日は盛大な「夏祭り」が行われ、それぞれ125のグループによるパーホーマンスが披露されましたが、震災と津波の被災地である石巻からは手作りの御輿も持ち込まれ 盆踊りなども行われて、一日中賑128_3わいました。

○ 1月31日には赤道を越えて南半球に入る予定で、「赤道祭」も開催されましたが、巡航速度16~17ノットのボロ船は、結局2月1日の午前5時3分赤道を越えて南半球に入ったとのことでした。

Dscn4327□ 私は帰国以来、貧農の労働が続き、夜昼となく焼酎を煽る生活をしていますが、昨日は5ヶ月ぶりにゴルフに行きました。芝生はすっかり緑に変わり、ウグイDscn4331 スやヒバリの声も聞かれて久し振りのリフレッシュデーになりました。因みにスコアは48と60でした。

○ 今日は朝から小雨が降っていましたが、畑に出てみると薄紫の馬鈴薯の花が咲いていました。世界クルースに出発する前の1月13日に植えておいたものですが、無事に収穫できそうなので喜んでいまDscn4302 す。アンデスの馬鈴薯は3,500㍍Dscn4328_3  ほ どの高地で花を咲かせていました。

○ また、帰国してから播種した小松菜インゲン、ネギ なども芽を出し、苗を植えたナス、トマト、スイカなど夏野菜の生育も順調で、メダカビオトープのメダカも一部稚魚が見られるようになりました・

  「太平洋 沈む夕日は 日本へ」 道生

 「馬鈴薯の 花に思いを アンデスの」

          


ボロ船世界クルーズ記ー1 「横浜出航」

2012-05-21 | 自然と共生

P1240294○ 今回のクルーズは横浜が出発点です。乗船007は午前10時というので前日は横浜の中華街で、見送りに来た連れ合いと一緒にラーメンと点心を食べ、横浜大桟橋の近くのビズネスホテルで宿泊しました。

○ 酷寒の日本でしたので、どんな衣類を持って行くべきか迷いましたが、四季の衣類を5枚ずつダンボール箱2個とトランク1個に詰め込んで船に送り、パソコンラジオ血圧計013_2、カメラ、電子辞P1240300書、大量の薬などは手持ちで乗船しました。

○ 1月24日の正午にボロ船「オセアニック号」は横浜港を離岸しました。多くの見送りの人々のテープが流れる中を日本を離れて行きましたが、これで100日間は海の上のP1240308生活が始まるると思うと、高血圧や不整脈など健康に不安材料がある私にとっては一寸不安もありました。

○ 訪ねる国々01820カ国余りですが。その国々に至る「海」がどんな姿であるのかが私の関心の一つでした。横浜ベイブリッジの下を通過して東京湾に出ましたが、これで2月6日に南太平洋のタヒチに着くまでは海の上の生活です。

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□ 今日は二十四節気の小満、草木が周囲に満ち始める季節です。近くの鎮守の森では照葉樹の新緑が威勢を誇るかの如く伸び始めました。田植えの準備など遅れていDscn4297_2 た農作業も、この2週間でほぼ取り戻しました。

□ 今日は金冠日食が見られる日でした。午前7路30分頃にリングが見られる時間でしたが、丁度晴れており、私の家からも珍しい天体ショーを観察することが出来ました。

□ このDscn4306あと農作業のためにメダカ庵に向かいましたが、途中の交差点で私のベンツ続の車が追突ベンツは後部が少し破損しました。かなり大きなDscn4296でしたので、念のため整形外科で診察を受けましたが、1週間糖度の腰の捻挫との診断でした。

 「日食の リングがくれた 追突事故」 道生 

           


浦島太郎

2012-05-18 | 自然と共生

P4020080_8 ○ 約5ヶ月の休筆期間をいただきましたが、今日からブログを再開致したいと思いますので、どうぞよろしくお願い致します。

○ この間、私は世界優有数のボロ船世界一周のクルーズに行ってきました。Dscn4295半世紀近い船齢の蒸気タービンエンジンの船ですので、故障もしばしばで、難行苦行の船旅でしたが、1月24日に横浜港を出港して、東回りで5月4日に帰ってきました。

Dscn4290_2  帰ってみると、桜の季節は終わり、隣の喫茶店ではナンジャモンジャの花が咲き、家の近くのアカシヤの花が満開で、鯉のぼりが泳ぐ初夏の季節でした。

○ この間の行程や感想などは、Dscn4275今後、このブログに綴って参りたいと思いますが、今年の初めに考えた「清貧の生Dscn4291活」とは程遠く、約4㎏も太った醜い姿で帰って来ました。ただ、日本の政治情勢や日々の生活の中で必然的につきあわされる情報社会とは隔絶 した生活でしたので、帰ってくると「浦島太郎」のような自分になっていることが解りました。

○ 私のメダカ庵や田畑は草が生い茂る廃屋のような状況でした。しかし、大切なメダカ君たちは元気でビオトープで泳いでいました。帰国の翌日の5月5日は私の73才の誕生日でしたが、夏野菜の植えつけや田植えの準備もいそがれましたDscn4281ので、今日までの2週間は農作業に没頭しました。

○ 100日あまりも家を離れると、日頃の生活のルールを忘れている事柄が多く、例えばパソコンの使い方も解らなくなっています。この2週間で徐々に従来の生活を取り戻しつつありまDscn4266すが、多くの方々にはまだ帰国のご連絡も出来ていない状況です。Dscn4284

○ これからは、を眺めながら考えたことや訪れた国々の様子を思い出しながら生活して行くつもりですが、今後ともどうぞよろしくお願いいたします。

  「ボロ船で 世界を巡り 帰り来ぬ」 道生

(左上の写真は黒海沿岸のウクライナ・オデッサ港)