堅壮院メダカ庵

百姓生活やメダカ飼育についての日々の記録です。

エジプト・トルコ旅行ー11 「食文化」

2007-09-28 | 自然と共生

○ 旅行の楽しみの一つは、訪れた国の食文化を存分に味わえることでもありP1010055ます。しかし、エジプトに向かう飛行機の中でP1010072、「宗教上の理由によりアルコールのサービスはありません。」といわれてがっかりしました。

○ エジプトに到着して最初の夕食は、テーブルの上のバスケットにナンがおいてありました。先ずスープ、ナンにはP1010073またはナスのペーストを付けて食べます。次はメインですが、炒めたご飯炒めたた野菜添えでした。後は甘いケーキデザートで、飲み物は水も含めて各自でオーダーしました。ビールを注文すると出てきました。小瓶が約500円でした。

○ エジプP1010057トの料理は基本的にこのようなスタイルで、ナンP1000531はいくらでも追加できました。スープトマトであったりその他の野菜であったりしました。また、メイン料理は魚料理もありましたが、生の野菜は全く出て来ません。ホテルの朝食にバイキングには生野菜がありましたが、これを食べると下痢を覚悟しなP1000532ければならないとの事でしたので、生野菜は全く食べませんでした。P1000660

○ しかし、ホテルバイキングでのパンの種類が多いのには驚きました。数えてみるとフランスパンからケーキ風のものまで19種類が並んでいました。この国はP1000659小麦食文化圏であると思いました。P1000679

○ トルコ東西文明の十字路と言われており、民族も多く、歴史の中で多くの食文化を育んで来たと言われています。料理P1000800に関してはフランス料理中国料理と並んでトルコ料理世界三大料理ということも聞いてP1000871いました。トルコに到着して最初の食事はケバプ料理でした。皿からはみ出すほどの草履のような焼きたての大きなナンには驚きました。スープメインはエジプトと大きな差はありません。アンカラへ向かう列車の食堂車でP1000999を食べましたが、パン、チーズ、コP1000997ーヒーなどの簡単な食事でした。

○ レストランホテルドネルケバブキョフテ等の食事もたべましたが、ほとんどが同じスタイルです。私は食事ごとに出される甘いケーキは食べませでしたが、食P1000839事のP1000837都度ビールをのみました。醤油味噌を使った味付けの料理には全く出会いませんので、ガイドに「トルコは西洋の食文化圏では無いか?」と聞いてみましたが、彼はキッパリと「トルコはアジアです。」と言いました。本当の食文化を探訪するのでP1000840あれば、もっと長P1000822期滞在し、各地の食事をするべきでしょう。所詮、安い観光ツアーですので、世界二三大料理の味は見つけられませんでした。

○ イスタンブールでエジプシャンバザールという商店街に行きました。香辛料やお菓子ハムなどの食料品、衣類陶器装飾品等が溢れるばかりに並べられていました。路地にはいP1000841ると園芸品ペットの動物、人間の皮膚に食いついて血液を吸うヒルまで売っていました。日本人の私にはどの店でもカラスミを勧められました。しかし、黒海P1000838_2産キャビアがあるというので値段を聞いてみると、小さな缶が7,000円という返事、値切って3缶10,000円で買ってきました。

○ 9月も終わりに近づきました。今月は旅行記ばかりを書きP1110317ました。駆け足の観光旅行でしたのP1000842で味わいのあることは書けませんでしたが、ピラミッドエジプト考古学博物館イスタンブールボスフォラス海峡、カッパドキア等々は思い出に残ります。中でも時価3000兆円といわれるツタンカーメン黄金のマスクは印象に残ります。これで私が訪問した国は26カ国になりました。また、韓国7回目でしたが、ハングルが少し読めたこと、私の片言の韓国語も十分役に立つこと、そして韓国を旅P1000885行中、ずっと私の安否を気遣い、携帯電話やホテルに電話をして私をフォローして頂いた韓国の友人親切が心に残りました。

○ 10月からは大学の授業が始まります。このブログも新しい視点で書いてみたいと思います。                    


エジプト・トルコ旅行ー10 「農村風景」

2007-09-26 | 自然と共生

P1110306○ 彼岸が終わってやっと彼岸花が咲P1110314き始めました。一昨日、ご近所の農家の方に稲刈りをして頂きました。夜のうちに乾燥させ、昨日、籾すりをしてもらい、30㎏玄米24袋収穫できました。の取り入れが終わると農家は一年の作業が終わった気持ちになります。田植えから115日目です。メダカのP1110320水田は知P1110322人の農学博士古式に則り、で稲刈りをされました。天日干しの米を食べたいとのことです。

○ 昨夜は中秋の名月、今日は素晴らしい快晴でした。20日ぶりにゴルフに行きました。政府では新しい総理大臣のもとで新内閣が発足しました。私の親しいP1010267方や知人も入閣されました。約30年前に東京に勤務していP1110324た時、当時の総理大臣は今度の総理大臣のお父さんでしたが、その時に私のために書いて頂いた一枚の色紙があります。「気情の高きを志す」と読むのでしょうか。憲法2章9条を大切にする総理大臣であってほしいと切P1000674望しImg026ます。

○ さて、エジプト・トルコの農村風景をバスや列車の窓越しに見てきました。エジプトでは農地ナイル川沿岸に限られており、その他は砂漠で、国土の3%しか利用されていないとのことでした。ナイルデルタにはP1000683_2行っていませんが、カイロ周辺ではナイル川から導いたクリークによって水利が行われ、ナツメヤシの林の中P1110089農地として利用されていました。アスワンハイダムが出来てからは洪水は無いようでした。P1000718_2

○ 農家は原則的に自給自足で、ナツメヤシ野菜果樹、麦、綿花などを栽培しており、男性農作業に従事するとのことでした。自宅から農地まではロバで行くよP1110086うで、各農家ではマイロバを飼っています。ロバは畑と自宅の間の道を知っていて勝手に行き来できるとのことでした。女性家事に専念するというでP1000728す。集落内では野菜果樹を道端で売っている風景が随所で見られました。

○ トルコ農村は広々としていました。麦を収穫した後なのP1110093か、広い農地は茶色の荒涼とした風景でした。前にも書きましたが、北海道の農村風景のような丘陵が延々と続いていました。随所にの農地がP1000724見られますが、ビート(甜菜糖)、馬鈴 薯ブドウなどのようでした。ガイドの説明ではトルコの食料自P1110081給率100%とのことでした。国土面積は日本の2倍で人口は日本の半分ですから、そのようなことになるのかもしれません。

○ トルコ緯度北 緯40度ぐらいですP1000770ので、P1110116青森県と同じ程度です。随所でポプラの木が見られ、ビート馬鈴薯小麦トウモロコシなどが栽培され、北海道のような風景になることも頷けます。ただ、岩山で緑がみられないのが残念で、河川も大きな川は見られませんでした。

○ エジプト・トルコから帰って韓国に行きまP1110117したが、P1000717国の農村では空いている土地が見当たらないほど作物が栽培されていました。日本では特定の野菜産地を除いては単作で、それも最近では休耕田が目立ちます。アジアモンスーンという恵まれた気象条件下にある照葉樹林文化圏の有り難さを改めて痛感しました。

(農村風景の写真は、左側がエジプト、右側がトルコです。)      

          


エジプト・トルコ旅行ー9 「ボスフォラス海峡」

2007-09-23 | 自然と共生

P1110300○ 彼岸というのに相変わらす暑いP1110298日が続いていますが、メダカビオトープの周辺ではコスモスが咲き始めました。昨日からが遊びに来て、3回も露天風呂に入って遊びました。P1110286水田を見に行きました。黄色に完熟しているよP1000984うですので、明日は稲刈りです。

○ イスタンブールで最も期待していたのは、ヨーロッパとアジアを隔てるボスフォラス海峡を見ることでP1000973した。私たちは観光船をチャーターしてボスフォラス海峡クルーズに行きました。P1000904

○ 私は、地中海黒海を結ぶボスフォラス海峡は単純に一本の海峡であると思っていましたが、途中にマルマラ海という内海がありまP1000902す。地中海マルマラ海の間にも海峡がありますが、ルマラ海黒海を繋いでいるのP1000914ボスフォラス海峡でした。海峡の幅は1000~2000メートル前後のようですが、一番狭い所は660メートルということでした。アジア側ヨーロッパ側とを結ぶP1000907架かっていますが、第2大橋は一番狭いとP1000947ころにかけられていて、日本企業(IHI)によって架けられたとのことでした。

○ クルーズはマルマラ海側の旧市街から黒海に向かってヨーロッパ側P1000911岸に沿って北上しました。海P1000910峡に面してモスクホテルオフィスビルマンション大学などが林立しています。トプカプ宮殿もあってすばらしい景観でした。巨大な客船も寄港していました。1時間ほど走ると海峡の中間あたりに海峡P1000917番狭いところにさしかかりました。第2大橋P1000921の袂にルメリ・ヒサルという昔の要塞があり、橋の下でUターンして、今度はアジア側の岸辺を航行しました。アジア側の方は建築物も少なく自然が豊かで、海峡から眺める限りでは、イスタンブールの中心はヨーロッパ側にあるP1000916ようでしP1000925た。

○ 砂漠や荒涼とした高原の景色が多い旅行ですが、美しいボスフォラス海峡をクルーズし、アジアとヨーロッパを結ぶ狭い海峡の歴史に想像をめP1000927ぐらすことができたのP1000941は幸せでした。たくさん写P1000933真を撮りましたのでご覧ください。

                   

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エジプト・トルコ旅行ー8 「イスタンブール」

2007-09-20 | 自然と共生

○ カイロよりも暑い日が続いていますが、炎天下で秋P1110278_1冬野菜の植え付けにP1110280_1精をだしています。昨日からハクサイ80株を定植し、チンゲンサイ、ターサイ等々の種をまきました。エジプト・トルコそして韓国と旅行ばかりで膝を酷使しましたので、昨日病院に行き、から23CCを抜いて頂きました。

○ 彼岸にはいりました。我が家の庭に一本の白いヒバンバナが花を付けましP1000895。「花はP1000849葉を知らず、葉は花を知らず」といわれる花ですが、間もなく野辺に赤い花を咲かせるでしょう。

○ 韓国旅行が入りましたので少々話題は古くなり、ブログの命である新鮮味は無くなりましたが、私の日記ですので、記憶のあるうちに続きを書くことにします。P1000868

○ 岩ばかりのカッ    パドキアからイスタンブールにに帰るとP1000650_1碧さ街路j樹が鮮やかに感じられます。私は、イスタンブールアジアトルコ半島の西端にあると思っていました。しかし、空港や主要なP1000806施設は皆ヨーロッパ側にありました。ボスフォラス海峡国境ではなく、トルコはP1000801ーロッパ側ブルガリアギリシャに接しているのでした。従って、地中海黒海を繋ぐボスフォラス海峡はトルコ国内にあることになります。

○ 東西文明の十字路と言P1000821_1 われるイスタンブールには多くの観光対象がありますが、P1000818先ず、地下宮殿といわれる地下貯水槽を見ました。地下に360本彫刻を施したを立てた貯水池で、の基部には人間の顔の彫刻もありました。ローマ帝国時代に作られ、市内にそびえる水路P1000830_1導かれた水を貯めたとのことです。

○ 高さ43メートル、直径23.5メートルP1000827の巨大なドーム6本尖塔を持つブルーモスク、17世紀の初めに建てられたようですが、オスマントルコが栄華を極めた時代のシンボルと言われています。中に入ってみると大きな4本の柱で支えれれており、赤いジュータンステンドグラスは荘厳な雰囲気でした。モスクのジュータンに座り、ガイドにイスラム教について説明をききました。一日に5回、メッカの方向に向かP1000831_1ってP1000958_1お祈りをするそうですが、男女の席は別々になっていました。

○ 15世紀にイスタンブールを征服したメフメット2世が建設されたトプカプ宮殿ボスフォラス海峡を見下ろす丘のうえにありました。15世紀から20世P1000966_1紀にかけて、アジア、アフリカ、ヨーロッパを席巻P1000967きしたオスマントルコ帝国の栄華を象徴する宮殿です。広大な宮殿には4000人の人々が居たといわれ、今は陶器展示室になっている「スルタンの台所」には1000人の人々が働いていたと言われています。宝物殿には3つの大きなエメラルドをはめこんだ黄金の短剣86カラットダイヤモンドなどの秘宝が展示されていました。また、ベランダから眺めるボスフォラス海峡は、正に絶景でしP1000983_1た。P1000969_1

○ 「トプカプ宮殿の至宝展」は10月6日から京都文化博物館で開催されるようですが、86カラットのダイヤが見られるかどうかはしりません。是非ともイスタンブールに行ってご覧ください。

                


韓国旅行ー3 「漢江の流れ」

2007-09-18 | 自然と共生

P1010222 ○ 韓国旅行3日目は帰国する日でしたが、朝から朝鮮王朝歴代国王王妃等の位牌が祭P1010197られている「宗廟」に行きました。大きな樹木に覆われた境内には、立派な正殿永寧殿の他にも数々の建物があり、朝鮮王朝の栄華を想像することが出来ました。

○ 次P1010223「昌徳宮」に行きました。この宮殿は正殿である景福宮に次いで1405年に建てられた2番目宮殿P1010251です。私は15年ほど前にも見学したことがありますが、日本における京都のの御所のようなもので、御所を見学するときと同じくガイドの案内で説明を聞きながら各施設を巡ります。日本語の説明は時間が決まっており、200人余りが一緒に見学しました。P1010224

○ 境内は広く、主要な建物を外部かP1010196ら見学して回るだけでも行程は2㎞、時間は1時間半を要しました。途中、休憩をした所に芙蓉池があり、池の面して東屋が建てられていました。この池を模した庭園大阪花博に韓国から出展されていたように記憶しています。池には睡蓮が浮かんでいましたが、メダカの姿は見らP1010229れませんでした。

○ ソウル市街の中央を「漢江」という川がゆったりと流れています。ソウルの中心部は川P1010252の北側にありますが、私達のホテルは南側にありましたので、何度となく「漢江」を渡りました。橋は市内の地図をみるだけで十数本架かっているようですが、縦横に走る地下鉄は「漢江」の下を通っているのでしょう。Img025

○ かつて、この橋を一人で歩いて渡たり、中州にある国会議事堂の方に散歩に行ったP1010195_1ことがあります。また、前回は、「漢江」沿いの道路を遡り、北朝鮮との軍事境界線にある板門店にも行ったことを想い出します。「漢江」の上流は朝鮮P1010230半島東部の山地のようですが、支流の一部は北朝鮮から流れていると聞きます。

○ エジプトのナイル川は6600㎞という延長P1010259ですが、朝鮮半島東西に車で横切るとすれば3~4時間の距離でしょう。しかし、川幅はカイロのナイル川よりも広い感じがしました。そして川の景観水利用等々の恩恵はソウル市民もカイロ市民も同じように享受していると思われP1010232ました。

○ 今回の旅行で感じたことは、ソウルを見る限り急速に発展しており活力が感じられたことです。道路やP1010246住宅などのインフラ、街の様子も5年前と格段整備が進んだように見えました。農地は所狭しと作物栽培され、施設園芸ビニールハウス群が連なっていました。ハングルP1010237文字だけが日本との違いで、日本人であることでの違和感は全く感じませんでした。私の遺伝子には韓国遺伝子が多いのかもしれません。

○ 昼食は石焼ビビンパを食べ、おみやげにキムチを買って帰ってきました。