堅壮院メダカ庵

百姓生活やメダカ飼育についての日々の記録です。

2009年大晦

2009-12-31 | 自然と共生

○ 2009年の大晦です。西高東低の典型的な冬型の気圧配置で、強い西風が吹P1220228いています。午後3時現在の気温は3℃です。

○ ラジオの報道によると、帰省ラッシュの高速道路では、各地で雪の影響による通行止めや交通規制が行われている様子です。

○ 今年一年を振り返って見ると、旅行ゴルフ三昧で遊び過ぎたことは前回に書きましたが、単年度の収支決算では約200万円赤字となりました。しかし、私も連れ合いも「古希」を迎えましたので、その記念ということにして、来年は赤字にならないようにケチケチ生活を心がけますP1210609

○ 「メダカ塾」の運営については、飼育歴は10年を超えましたので順調に推移しました。5・6回メダカの講演もさせて頂きましたのと友人に立派な彫刻の看板を造って頂いたこと、それに隣に喫茶店が出来たこともあって、来訪者は300人ほどあったと思います。そして町内では「メダカ塾」といえばすぐにわかるほど有名になりました。ただ、家の前のたんぼビオトープまでイノシシが出没して、飼育P1060837水田や里芋畑を荒らされてのは残念なことです。今は8,000ボルトの電気バリアを張って防衛しています。

○ 焼酎も毎日飲みますので、健康状態を総点検しました。視力の低下と膝が痛いのは、この年齢では労りながら生活するより仕方がないようですが、内蔵循環器大腸ポリープ以外は大丈夫なようすですので、来年は健康維持のための生活が必要と思ってP1210743おります。

○ 今日は、同じ集落の同年齢の方の葬儀に参列しました。年末に入ってから、多くの方々から「喪中」の葉書を頂きましたが、私の知人のご家族から知人ご本人 が亡くなられたとのお知らせも頂き、私もその年代になっていることを認識しました。

○ 9月には兄がなくなりましたので、私も新年のご挨拶はご遠慮させていただきますが、どうぞご家族共々良いお年をお迎えください。   


平成21年の年の瀬

2009-12-27 | 自然と共生

○ 平成21年もいよいよ押し迫り、「年の瀬」となり、裏山はすっP1220723かり冬の装いになりました。21日で年内の大学の授業も終わりましたが、この一週間は比較的多忙な日々でした。

○ 22日は、連れ合いに手伝ってもらって大豆の収穫をしました。畑や家の軒下で干していた大豆の茎P1220721をプラスチックの箱に叩きつけて大豆の実を取り出すのですが、いかにも原始的な作業です。朝からスタートして、300本ほどから白大豆、黒大豆それぞれバケツ一杯ずつが収穫できました。午後までかかりましたが、これが今年の最後の農作業です。

○ 23日には新しいテレビが入荷しました。40インチのLEDP1220729式のテレビです。視力の弱い私にとっては嬉しいことで、今後の生活が楽しP1220740くなります。価格は18万8,000円でした。

○ 25日は神戸で、公務員時代の農業関係者OB会の会議でした。定年退職したOBが知恵を出し合って県内で生産される農林水産物の「うまいもん」をリストアップしています。「兵庫の特産物」を収録した本を出版する計画もありP1220733ますので、会議の後は酒を酌み交わしながら論議が続きましたが、私の場合P1220735は、焼酎があれば何でも美味しいと思います。

○ 26日も続いて忘年会でした。この日は漁業組合で一緒に仕事をした「虎の会」のメンバーでした。退職して3年余りが経過しますが、今年も私をお招き頂いて嬉しく思いました。それぞれ元気で仕事にP1220504取り組んでおられるようですが、今年の「虎」は今ひとつでしたので、来年への期待を込めた話は無く、ひたすらに焼酎をのみました。

○ この年末には、他にもいろいろなグループとの忘年会や記念会にご案内を頂きました。政府高官の幹部の方々との宴席もたくさんありましたが、夜間、酒を飲んP1200828で神戸から帰るにはかなりの努力が必要な年齢になります。現役当時は毎晩のようにネオン街をさまよいまP1220491したが、寄る年波には勝てそうもありません。

○ 今年を振り返ると、兄の死が最大のショックでし た。友人からは連れ合いを無くされたとの「喪中」葉書も届きましたし、友人自身が亡くなP1220529られたとの連絡もご遺族から頂き、私自身もその年齢に近づいていることを感じました。

○ それでも、今年はゴルフ54回行きました。旅行も、広島「安芸灘飛島街道」、山口の瑠Img177_2璃光寺・萩・長門、吹雪で途中から帰ってきたオホーツク流氷見学、金沢2回、四国巡礼(愛媛)、ロシア、韓国などの旅を楽しみましたが、始めて行ったロシアは印象に残る旅でした。涙ほどの年金生Img178でこれほど遊ぶと「へそくり」も底をつきました。来年は耐乏生活です。

○ 今日、韓国のドギュメンタリー映画「牛の鈴音」を観てきました。映 画は10年以上も観たことはありませんが、2・3日前の朝日新聞に紹介されたこの映画を加西市の文化センターで上映していましたので、連れ合いと一緒に観に行きました。老人と老牛の話ですが、私の幼い頃の農村生活を思い出した素晴らしい映画でした。

       


済州島ー3 「照葉樹林文化」

2009-12-21 | 自然と共生

○ 済州島は朝鮮P1220565半島の南、黄海に浮かぶ島ですので、当然のことながら照葉樹林帯にあります。しかP1220559し、現在の自然植生がどんなものなのかが気がかりでした。韓国本土に行っても照葉樹林の大きな森は見られずに松林が多いことや、照葉樹林文化の中心地といわれる中国の雲南省昆明は山の上まで農 P1220614地になっていまP1220621した。日本の対馬は全島が杉の人工林であったことも印象に残っています。

○ 済州島の北側にある済州市のホテル前の街路樹は常緑広葉樹が植えられています。しかし、農村部を走る限りでは、60㌢ほどの火山岩でP1220624仕切られた農地がP1220620続き、松や落葉広葉樹の林が続きます。しかし、「済州民俗村」ではツバキなどの照葉樹がたくさんあることが解りましたし、その他の観光施設でも随所に照葉樹林の面影が残っていました。

○ 民俗村P1220685は済州島の文化が数多く集積展示されてP1220684 いました。全体を見るには5時間ほどのかかる広い施設です。ソウルの民俗村と同じように昔の生活の様子が展示されていますが、大きな違いはが生活の中にあることで、家畜を飼育する囲いや家の壁、畑の境目にも火山岩が使われていました。

P1220582 ○ 韓国映画は日本でも連 日のようにテレビでP1220587放映されていますが、ドラマ「太王四神記」の舞台となったテーマパークである「パークサザンランド」がありました。昔の宮P1220650殿、大学、城門、市場や酒場、宮殿の部屋の様子から庶民の生活まで、 あらゆる情景が再現されていました。ソウルでは「チャングム(大長今)」のテーマパークにも行きましたが、それよりも遙かに広大なP1220576テーマパークでしP1220653_2 た。

○ この他、植生の豊かさで世界自然遺産に指定されている「漢拏山」はバスで登れる1,100㍍地点まで登りましたが、残雪があり、中腹の湿地には遊歩道がP1220656設置されていて、山の景色や湿地の植物を見P1220592ることができました。

○ 山を下りて島の南側に行くと、急に気温が暖かくなりました。そして、「テディベア」の「ジョアンスタジオ」周辺は、一帯にみかん畑が広がっていP1220706ました。温州みP1220607の産地で、かつては韓国内でも有数の豊かな農村であったとのことでした。みかん畑の中に立つと、照葉樹林地帯である実感が湧きました。観光施設でみかんを売っているお婆さんからP1220645みかんを一袋買いましたが、小さなみかんが20個余り入っていてP1220716900ウオン(約70円)でした。

○ 今回の旅行では韓国料理を満喫しました。石焼きビビンパ、アワビの海鮮料理、薬膳釜飯、海鮮味噌鍋(トッペギ)、黒豚P1220643カルビ韓国式定食、キジのしゃぶしゃぶとキジ餃子、キムパ(海苔巻き寿司)、冷P1220687などで、常に4~5種類のキムチが付いていました。韓国の焼酎も美味しいと思いました。韓国の照葉樹林食文化の豊かさを実感した旅でした。「あ~美味しかった。」

○ 最後に自慢話ですが、この旅行では、私の片言の韓国語P1220690がかなり通じることが解りました。中学校1年生の英語程度の能力ですが、レストランや土産物店、空港等P1220569で恥じをかくごで話してみましたが、こちらが韓国語を使うと、相手の対応が優しくなることを感じました。街の看板などのハングルが読めるのも便利でした。そして、ガイドには大いに褒められて、楽しい旅になりました。        P1220691            


済州島ー2 「岩々々観光」

2009-12-17 | 自然と共生

P1220540○ 済州島の観光は、に始まりで終P1220548わるといっても過言でないほど、火山によって作られた岩の造形物を見学しました。

○ 先ず、島の北東部の海岸にある「龍淵」というですが、両岸に岩の崖がある入りP1220551江で、のように蛇行しています。次いで「龍頭岩」ですが、海岸の岸壁に龍の頭の形をした奇岩がありました。そこには岩で造られた人魚の像も鎮座していました。

○ 自然の造形物ではありませんが、P1220556「お化け道路」というところに立ち寄りました。田舎の直線道路ですが、下り坂が途中で「登り坂」にさしかかったように見えますが、バスはエンP1220604ジンを止めても前進して行きます。下車してみても確かに「登P1220558り坂」のように思えます。数年前にタクシーが駐車してパーキングブレーキをかけていなかったため、車が勝手に走ってしまう事故があり、それ以降、観光地となっているとのことでした。目の錯覚でしょ う、ゴルフ場のグリーンでは、パットをするときにしばしば体験する現象ですP1220596

○ 二日目の9日には、島の最東端にあるP1220599「城山日出岬」に行きました。ここは済州島最大の観光地とのことですが、小雨が降っており、風の名所で、傘は役立たないところです。本来はのようでP1220636すが、北海道の函館山のように本島と砂州で繋がっている岩山です。高さは180㍍で、20分ほどで頂上まで登れるP1220632ようです。連れ合いは頂上まで登りましたが、私は途中の展望台からUターンしました。海岸から頂上まではほぼ垂直の崖になっており、白い波が打ち寄せていました。

○ 次に「サングムプリ」という噴火口 に行きました。頂上はP1220640海抜437㍍で、深さ約100P1220669㍍で周囲2㎞の噴火口ですが、あいにく霧がかかっていて噴火口の 中は見えませんでした。この噴火口には400種あまりの植物が自生しているとのことでした。

○ 三日目には、「柱状節理」という岩を見物しました。溶岩が海に流れ込んだときに六角形P1220664_2棒状の岩となった海岸ですが、兵庫県の豊岡市にある玄武洞のような岩が広がる壮大な海岸でP1220679した。

○ このあと、「天帝淵瀑布」にも行きま

したが、溶P1220674岩によって形P1220671。この渓谷には虹状の石の橋が架けられていました。親しくなったガイド(アラフォー)には、私が観たイグアP1220677_3 ス、ヴィクトリア 滝 に次で見事な滝であると言っておきました。               


済州島ー1 「岩と風と女}

2009-12-11 | 自然と共生

○ 年の瀬も近づいP1220642ているのに、8日から10日まで韓国の済州島へ行ってきました。韓国を訪問するのは確か8回目ですが、「岩と風と女」P1200562島と言われる済州島は始めてです。

○ 関西国際空港から大韓航空の飛行機で1時間20分のフライトでP1220718す。北海道へ行くよりもずっと近い外国です。大韓航空の美しい客室乗務員に笑顔で迎えられました。7月にロシアに行ったとP1220515きも往復とも大韓航空でしたが、客室乗務員はみんな背が高く美人揃い、しかも親切です。それに髪のシンプルなリボンも妙に魅力的で私P1220518を引きつけます。

○ 韓国語でビールをお願いして機内食を食べ終わると済州島の上空に近づきました。韓国の最高峰である漢拏山P1220521(ハルラサン 1950㍍)が見えましたが、頂上にはも見えました。また、農村部の畑の区画がパッチィワークP1220525のような模様に見えます。済州島は黄海に浮かぶ火山島で、淡路島の3倍ほどの広さですが、人口64万人の観光とリゾートの島です。私がNHKのラジオ講座で韓国語を勉強する中で「岩と風と女の島」P1220528と聞いたことがあります。

○ 新装なった済州(チジュ)空港に着いてP1220524、先ず昼食でした。早速、韓国名物の「石焼きビビンパ」キムチを食べましたが、ここでも「メクチュ ハンボン チュセヨ」とたどたどしい韓国語でビールを1本注文しまP1220534した。ビールは中瓶で450ウオンですが、現在は円高ですので日本円にすると350円ほどです。

○ 観光の第1番目は「国立済州博物館」でした。韓国のシンボルである石のお爺さんP1220538迎えられて博物館に入館しました。ここでは古代からの済州島の歴史や文化が韓国文化の成り立ちの中で発展しP1220531_2 てきた過程が展示されており、済州島が誕生した模型の展示もありました。そして島の生活のあらゆる部分にが使われていることが解りました。済州島観光のスタートは「火山岩」でした。