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ぴえぴえの雑記帳

ある家族の日々の出来事を記します

The Who live at Mountain View in 2004

2010年03月01日 22時53分08秒 | アメリカ暮らし2004〜2005
久しぶりの音楽ネタ。

2004年、アメリカ滞在中に体験したThe Whoのライブ、前にも書きましたが
感動モノでした。真夏の夕方~夜にビール飲みながら芝生席で堪能。
当時住んでいたアパートからクルマで10分ほどの会場でThe Whoの
ライブを見られたなんて、今思うと夢のようです。

実はそのライブの模様を収録したCD、持ってるんです。

この話題、もしかしたら以前に書いたかもしれませんけど・・・
ライブが終わった後、モニターに「今日のライブの模様を収録した
CDを売るよ~欲しい人は買ってね」というメッセージが流れたんです。

後日、そのことを思いだして、ライブを企画したと思しきところに
e-mailを出して尋ねたら、ピートタウンゼント(ギタリスト、ね)
のサイトで購入可能とのこと、早速買っちゃいました。

自分たちの目の前で繰りひろげられたライブのCD、買うしか
ないでしょ!

値段はちょっと高めだったような記憶がありますが定かじゃないです。

ジャケットはこんな感じ。


収録曲(=演奏曲)は以下の通り。


基本的にはライブでよく演奏される曲メインですが、個人的には
Eminence Frontは珍しいので、感動しました。

みえみえさん、けちまん、ひろまんと一緒に、芝生席で飲み食いしながら
見たThe Whoのコンサート、一生忘れられないですね。楽しかった!



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グレイシャーポイントの画像

2008年06月29日 09時43分22秒 | アメリカ暮らし2004〜2005
普段PCの壁紙に使用している画像の中にちょっと良い絵が
あることにふと気付きました.

2004年7月にYosemiteに行った時に撮った画像.
グレイシャーポイントの駐車場にクルマを置いてちょっと歩くと
目に飛び込んでくる風景です.

ハーフドームがど~んとそびえる構図で相当な迫力があったのを
覚えています.

少し大きめで.
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ご当地Tシャツあれこれ

2008年02月08日 00時09分30秒 | アメリカ暮らし2004〜2005
昨日,Colorado州,BreckenridgeのTシャツのネタをupしたときに,そういえばアメリカであちこち旅行したときに買ったTシャツがいろいろあるのを思い出しました.ふと懐かしく思って引っ張りだしてきたのが↓

ますはコレ.2004年7月に行ったYosemite.


2004年8月訪問のSequoia & Kings Canyon.


2004年9月のグランドサークル旅行のときのもの.これはBryce Canyon.


Monument Valley.


こちらはGrand Canyon.


2004年10月の2回目のYosemite.


2004年11月,ディズニークルーズで行ったCastaway Cay.


裏側.


番外編.2003年,インディアナポリスにある,とある大きな製薬企業に出張した際にゲットしたシャツ.



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国立公園で買った本

2007年07月22日 15時44分38秒 | アメリカ暮らし2004〜2005
梅雨で天気が悪い.けちまんは何故だか微熱だし,家でノンビリしてました.こういうときは部屋の整理.で,発掘したのが↓の本.家族であちこちに出かけたときに購入した観光客向けの本です.

渡米して二ヶ月ほど後,2004年4月に訪問したアルカトラズ島で買いました.日本語翻訳版です.


次は,2004年7月に行ったヨセミテ.日本語版と英語版の両方あります.




これは2004年8月に行ったセコイヤ&キングスキャニオン.


続いては,2004年9-10月に行ったグランドサークル.まずはザイオン.


ブライスキャニオン.ここは最高でした.


アーチーズ.チャンスがあったらもう一度行きたい・・ 表紙はデリケートアーチ.


キャニオンランズ.ここはちょっとしか見ていないので,このアーチはどこにあるの?って感じ.


定番のモニュメントバレー.この本は英語版ですが日本語解説の紙が折り込んでありました.


で,グランドキャニオン.


懐かしいです.もう一度行きたいという気持ちが・・・ ラスベガスに飛んで一晩遊んで,レンタカー借りてグランドサークルを回る・・考えただけでワクワクしちゃいます.実現できるのなら是非!と思いつつ,現実は厳しい・・・
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カード類

2007年07月05日 22時36分01秒 | アメリカ暮らし2004〜2005
部屋の整理をしていたら,ふと米国在住時に使っていたカード類を発掘.

アメリカ到着後しばらくしてから運転免許取得にチャレンジしました.まずはDMV(運転免許センターみたいなところ)に出向き,筆記試験をうけます.模擬試験集が日系スーパーに置いてあるのでそれで予習しました.試験は一発で合格.この筆記試験,一回落ちても同じ日に2回再チャレが可能です.

筆記試験をパスしたら自宅に紙の仮免許が送られてきます.そしたらDriving Testの予約をします.恐怖の電話予約です.幸運にも応対してくれたオペレーターの英語がとても聞きとりやすく,難なく予約完了.試験当日は試験官(ぴえぴえの場合は優しそうな女性でした)をナビシートに乗せて指示に従いながら町中を一周します.ぴえぴえはノーミスでクリア!と思ったのですが,1ミスを付けられてしまいました.ちょこっと悔しいけど無事合格です.

2週間ほどして↓のライセンスが送られてきてミッション完了.外国人である我々はことある度に身分を証明するためにパスポートの提示を求められますが,運転免許がIDになるのでパスポートは不要となります.


http://www.dmv.ca.gov/

アメリカで生活するためにはクレジットカードが必須です.でもアメリカでのクレジットヒストリーのない日本人はクレジットカードを簡単に作ることはできません.そんな日本人の強い味方がプレミオ.日本での履歴を加味して審査してくれるので,すぐにカードが作れます.このカード,メッチャ使いました.結構なクレジットヒストリーができたかな?


http://www.premio.com/

これは銀行のデビットカード.私たちはアメリカ到着後すぐにUnion Bank of Californiaに口座を開きました.その場でチェックブック(小切手帳)をもらうことができますが,デビットカードは作成に一週間ほどかかりました.Master Money機能が付いているのでクレジットカードの様に使うこともできます(クレジットヒストリーはつきませんけれど).


https://www.uboc.com/uboc/home/home.html

苦労の末にゲットしたソーシャルセキュリティーカード.社会保険番号が記載されたカードです.これをゲットするのは大変でした.続きは↓で.


ソーシャルセキュリティーカードを申請するために近くにあったソーシャルセキュリティーオフィスを訪ねた時,窓口の人がこう言いました.「あなたがS大学に属していることを証明するIDが必要です」 すかさずボスに頼んで書いてもらった手紙「こいつはウチのラボのポスドクだよ」を提示しますが全く聞き入れてもらえないんです.何を言っても「ダメ!」と言われるのでその日は諦めました.翌日,大学でボスに相談します.そしたら写真入りIDを作ってもらえるように手配してくれました.


で,「今日こそは」と意気込んでオフィスへ乗り込みました.が!今回の窓口の人は大学のIDなんて要求しません.前回に提出した書類だけですんなり終わり.いやぁ.アメリカの各種手続きは窓口の担当者で全く対応が違うっていう話を身をもって味わった出来事でした.

大手デパート,Macy'sのクレジットカード.これを使ってMacy'sで買い物すると一律5%(だったかな?)割引になるのでお得です.このカードを作ったのは帰国数ヶ月前.もっと早くに気付くべきでした.


http://www1.macys.com/index.ognc

これはアメリカの国立公園全てで使えるPass.2004年7月にYosemiteで作成しました.どこの国立公園も入場料として20ドルくらいかかるのですが,このPassは確か50ドルくらい.使用期限は1年なので,あちこちの国立公園に行く予定があるならば購入しない手はないです.私たちの場合は,9月に行ったグランドサークル,10月の2回目のYosemiteでも使用しました.絵柄も良さげで記念品としてもいいかもしれませんね.
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コンサート

2007年05月19日 01時08分05秒 | アメリカ暮らし2004〜2005
夏場にはベイエリアのあちこちの会場(Amphitheaterという半円形で階段状の客席がある会場)で様々なコンサートが開催されます.結構大物もやってきます.

8月の頭,ぴえぴえの大好きなBostonがConcordでコンサートをやる事を知り,ネットで家族4人分のチケットをゲットしました.フリーウェイを1時間ほど走って,会場へ到着です.野球場で言うなら外野の部分の芝生に陣取ります.ステージのそばにはイス席もありますのでじっくり聞きたい人にはこちらがオススメ.家族連れは外野でわいわいやるのがベスト.軽食とドリンクを買ってコンサートを楽しみます.日本にBostonが来るなんてことになるとスンゴい話題になると思いますが,現地では何の事はありません.フツーです.

PAのセッティングがイマイチで音が割れています.なんか適当です.まぁアメリカですもんね.でも演奏は素晴らしいものでした.言葉にできないほど感動しました.だってBostonだし! トムショルツだし! 日本にはもう来ないかもしれないですし!
http://www.livenation.com/venue/getVenue/venueId/1503

実は,ぴえぴえ一家がアメリカに居た2004年は,The Whoが日本公演をやったんです.ぴえぴえはCreamとかZeppelinとかThe Whoは中学高校のころからよく聞いていましたし,バンドでコピーしたりしてました.それで,The Whoが日本に来ることをネットで知って,「おいおい,どうしてオイラが居ないときに日本にくるんだよぉ」と思ったら,なんと日本公演のあと,アメリカ,それもベイエリアにも来るじゃないですか! 即,チケットゲットです.当然家族四人分.

当日(Bostonのコンサートの翌日.実は連チャンでした)は,前日同様に外野部分に陣地を築きます.BostonのCDは全て持っていたのですが,事前に家族に聞かせる事はほとんどありませんでした.なので,ぴえぴえ以外はあまり感動はなかったのです.The Whoは事前にCDをみんなに聞かせてました.そのような事情もあって,家族全員ノリノリです.ぴえぴえはピートタウンゼントのギターに痺れっぱなし.アパートから車でほんの20分の距離にあるところで,The Whoを見られるなんて・・・アメリカ暮らしで一番至極の時でした.大声では言えませんけど.
http://www.livenation.com/venue/getVenue/venueId/1022

秋のコンサートスケジュールを調べてみると,おっと,今度はDeep PurpleとVan Halenを発見.Deep Purpleはリッチーブラックモアがメンバーに居ないので,どうしようかと悩みます.でもイアンギランとロジャーグローバーを見る事ができるので行ってきました.最初の2曲,ヴォーカルのマイクが不調というトラブルがありましたが,往年の名曲が続々と演奏され,それなりに楽しめました.でもまぁ,リッチーが居ないPurpleは・・・  Van Halenは隣町のサンノゼでのコンサートだったのですが,旅行の日程とかぶってしまって残念ながら行けませんでした.

と,結局大物3組のコンサートを満喫しました.アメリカ西海岸での生活の一部を紹介してみました.
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大学での研究生活4

2007年05月17日 22時55分43秒 | アメリカ暮らし2004〜2005
1年間の研究生活の間,2人のポスドクと1人のドクターコースの学生が卒業(?)していきました.

最初のポスドク卒業のときは,ラボのメンバー全員でStanford Shopping Centerにあるヌードル屋(いろいろな麺類があるお店)に行って食事です.が,ぴえぴえにはメニューが全くわかりません.ラボのメンバーは好みのものをジャンジャンオーダーしています.ん~,困りました.メニューを眺めていたら,お,ラーメンという文字があるじゃないですか.迷わずそれをオーダー.

し,しかし,出てきたラーメンはスープが甘い.上に乗っているメンマも微妙.甘いスープにノビ気味の麺,う~む,お世辞にもウマいとは言えません.が,ボスのおごりである手前,不味そうに食べるわけにはいきません.他のメンバーはshareしたりして食事を楽しんでいます.やむなくぴえぴえもおいしい振りをしながらラーメンを全部残さずにいただきました.うっぷ.もういいです.
http://www.stanfordshop.com/

この方はポスドク就職難の中,同じエリアの大学に職をゲットした優秀な人です.今でもその大学のHPのFacultyのところに名前と写真を見る事ができます.綺麗な英語を話す方で,英会話の勉強にはもってこいでした(失礼しました).

次のポスドクが卒業して行ったときは,時間がなかったために食事会はありませんでした.この方はインド出身で,英語がものすごく早くて,最後まで聞き取りに苦労しました.Molecular Biologyの専門家で,Virus studyのときにはお世話になりました.その実験自体は開始早々ネガデータのためにお蔵入りになってしまったのですが・・・

ドクターコースの学生さんは,とても苦労して学位を取得されました.ご両親が韓国の出身なので,見た目は完全に日本人風.最初にお会いした時,「あれ,このラボに日本人居たんだっけ?」と思ってしまったほど.でも,アメリカ生まれのアメリカ育ち,英語はメチャクチャ綺麗なんですが,とーっても早い.ボスとこの方が会話している内容は,ほとんど聞き取り不能でした.ぴえぴえが抱えていた研究テーマとこの学生さんのテーマは内容が似ていたので,いろいろと情報交換し,実験器具を借りたりしました.

彼女が無事にPh.D.を取得した後,またメンバー全員で食事へ.今度はPalo AltoにあるCheesecake Factoryです.
http://www.thecheesecakefactory.com/default.asp

このとき,ぴえぴえはボスのBMWに乗せてもらいました.ぴえぴえは助手席,後部座席には女性研究者たち.出発直後にボスが言います.「助手席にはいつもウチの犬が乗るんだよ」って.え? これは何かを期待している? ぴえぴえは思わず「Bow wow」と言ってしまいました.車内大爆笑です.あ~,これで良かったのかなぁ? 

このお店は良かったです.ぴえぴえはブラウンシチュー風味(?)の焼き飯にいろいろとトッピングされたものをオーダーしたのですが,これが絶品.それもものすごいvolume.当然食べきれずにDoggy Bagをもらって持ち帰りました.家で味見したみえみえもおいしいと言っていました.食後には当然チーズケーキ.でっかいヤツをみんなでshareしていただきました.

ぴえぴえがラボを去る時は,ボスが「どこか行きたい店はある?」と尋ねてきました.迷わず,アメリカ到着後にボス夫妻と行ったお店をお願いしました.ここはラボから近いのでみんなで歩いて向かいます.
http://www.californiacafe.com/paloalto/index.php

料理は大皿で適当に注文してみんなでshareです.何を食べたかイマイチよく覚えていませんが,おいしかった記憶だけはあります.日本へ帰ったら何をやるのか,Californiaに来る機会はないのか,などなどいろいろな事を聞かれました.一年前にここに来たときは英会話しながらの食事が辛かったですが,一年後のこのときは,少しだけ平気になった?ような気がするようなしないような・・・

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大学での研究生活3

2007年05月17日 22時03分59秒 | アメリカ暮らし2004〜2005
前にも書いたように,大学には多くの日本人ポスドクが研究していました.そのうちの何人かがオーガナイザーとなり,日本人ポスドクによるセミナーが一ヶ月に一度開催されてました.このセミナーは今でも継続しています.プレゼンターは何年か研究して帰国する方がメインで,アメリカのラボでの研究成果を発表するといった感じでした.このプレゼンテーションが内容的に素晴らしいものばかりで,毎回自分も頑張らねばと考えさせられました.ぴえぴえは自分を発奮させるためにほぼ毎月(旅行に行ったりしていなければ)参加していました.

このセミナーは文章で書くと↑のように簡単ですが,大学内でのぴえぴえの体験の中でも1,2を争う有意義なものでした.

最近は,人の研究発表を聞いて感動感激することが少ないです.自分自身でも刺激的なデータを出して,積極的に対外発表したいですね.今の状況に満足するのではなく,常に新しい事にチャレンジして,他人に影響を与えられるような結果を出せるように頑張りたいと思います.

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大学での研究生活2

2007年05月17日 21時51分58秒 | アメリカ暮らし2004〜2005
大学には多くの日本人研究者が居ました. Departmentは違いましたが,同じSchool of Medicineには,会社の後輩の大学時代の先輩がポスドク研究員として仕事をされてました.その方には渡米前にアパートの情報をたくさん流していただきました.

ぴえぴえが研究していたラボの隣のラボには日本人ポスドクが2人,反対側の隣のラボには1人,下のフロアの皮膚科のラボには2人と,同じビルの中に少なからず日本人研究者が勤務していました.

ぴえぴえたちが帰国する直前,皮膚科の先生のお家に招待され.食事をごちそうになりました.先生のご家族は楽しい方ばかりで,笑いの絶えないひとときでした.私たちが帰国して半年ほどしてから皮膚科の先生一家も帰国されました.昨年,家族でお会いする機会に恵まれ,懐かしい顔ぶれが揃い昼食をご一緒しましたが,あいかわらず楽しいご家族でトンカツ食べながら大笑いしてしまいました.

Departmentの談話コーナーにはカートリッジ式のコーヒーメーカーがあり,飲み放題.コーヒー好きのぴえぴえは一日に何杯も飲んでました.ぴえぴえのボスもコーヒージャンキーで,コーヒーメーカーの前で何度も鉢会わせになりました.そういえばミネラルウォーターも飲み放題でした.

一ヶ月に何度か忘れましたが,金曜日の16時ころから,これまたDepartmentからの提供で,ビールなどのドリンク類,スナック類が中庭に並べられ,Happy Hourが開催されてました.ぴえぴえはさすがにアルコールを飲む訳にはいかない(帰りの車の運転がある)ので,ジュースと菓子をいただいていました.

他のラボの方と出くわす場所の一つに暗室があります.各フロアに一カ所ずつあったのですが,X線フィルムを現像するプロセッサーが不調のことが多く,大体どこかの暗室に人が集中していました.ぴえぴえが中で現像していると,激しくノックするヤツ,一度ノックしてそのまま黙って待っている人,ノックして「あとどのくらい時間かかる?」と怒鳴る人など,色々なキャラの研究員がやってきました.暗室には鍵がなく,ちゃんと返事をしないと勝手にドアを開けられてフィルムがパーになる危険があったため,毎回丁寧に対応してました.これホントです.
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大学での研究生活1

2007年05月17日 20時03分35秒 | アメリカ暮らし2004〜2005
渡米直後,アパート探しや車購入の合間に,ボスとメイルで連絡を取り合っていたら,家族でディナーに来いと誘われました.子供が小さいために落ち着いたレストランは難しいだろうということで,結局ランチになりました.ぴえぴえはボスの顔を写真でしか見たことがないので,指定されたレストランでちゃんと落ち合えるかどうか心配していましたが,レストランのドアを開けた瞬間に見たことのある人が・・・ボスでした.

簡単に挨拶して,テーブルにつきます.ボスのワイフは東洋系の方のようで最初は日本人かと思ってしまいました.が日本語ではなく流暢な英語をお話しされるのを聞いてアメリカ人であることを再確認.食事をしながら会話を楽しむ,それも英語で.これはなかなか厳しかったです(今でも厳しい).みえみえは英語が苦手なので苦労していました.ぴえぴえはボスと仕事の話(専門のことならある程度は会話が成り立つ)をずっとしていました.楽しいようなそうでもないような食事時間はあっという間に過ぎて,その後,ボスのラボを案内していただきました.

休日だったのでラボにはほとんど人が居ません.ぴえぴえが使わせてもらえる机や実験台を見せていただき,いつからでも来て研究を始めてもいいよと優しい言葉をいただきました.

結局,ラボに通い始めたのは,アメリカに到着してから10日ほど経ってからでした.ラボに行ってみると,居るのは女性ばかり.そういえば,ランチにとき,all womenがどうのこうのとボスが言っていたのを思い出しました.そうです.当時のそのラボ,ボス以外全員女性でした.ボスは個室にいるので,実験室の男はぴえぴえだけ.

これは微妙です.嬉しいような辛いような感じです.でもそれは杞憂でした.実験が始まるとみんな黙々と仕事をするからです.また,それぞれのメンバーは思い思いの時間にラボに来て,これまた思い思いの時間に去っていくことが多かったので,全員が揃うという場面は多くはなかったです.研究データをプレゼンする会議のときだけは全員揃いましたが・・・

ラボに通い始めのころは,いろんな事務手続きやtrainingがあって,なかなか腰をすえて研究する時間がありませんでした.同時期にはけちまんの小学校の手続きもあったりで,なかなか落ち着きません.ちょっとずつ平常化していって,気が付けば普通にラボに通って研究できるようになっていました.

ラボは研究者の数が多くはなかったせいもあり,ボスはほぼ毎日ぴえぴえとディスカッションしてくれました.加えてボスはぴえぴえのどんな意見でも最後まで聞いてくれるのです.それでボスの長い経験に基づいたアドバイスをしてくれるのです.何度か,ぴえぴえの意見を通してもらって実行に移したことがありますが,ほぼ全てが失敗に終わり,毎回ボスに「ほ~ら,やっぱりそうでしょ?」と言われてました.

英語での会話でしたので,完全な意思の疎通があったかどうかは定かではありません.でも,ボスはものすごく尊敬できる人だったのは確かです.研究がうまく行っている時はもちろん,そうでない時も毎日がとても充実していました.

ラボの設備は必ずしも充実していたとは言えませんでしたが,そこは蓄積しているノウハウとDapartment内のネットワークでカバーします.必要最低限のデータで投稿論文を作成する,という目的に向けて,やるべきことを絞って早く進める,という点は徹底していました.このポイントは当たり前のようなことですが,ホントに徹底していたのでとっても勉強になりました.
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