7/14、三島に住む次兄が亡くなりました。
享年84歳
50代で発症した脳の病気、それ以来30年にも及ぶ長い長い闘病の末でした。
その長い闘病の間、常に支えてくれたのは、兄の妻であり、私の義姉、Kちゃんでした。
兄の訃報を聞いたとき、兄には申し訳ないけど、私が真っ先に心配したのは
その義姉のことでした。
若くして病に倒れた兄に寄り添って60年以上、愚痴をこぼすこともなく
自身の半生、いやほぼ一生を捧げてくれました。
以前にも書きましたが、私には姉、兄四人がいました。
います、ではなく、いました。
6人兄弟のうち、まず三兄が70才で他界、6年前にはたった一人の姉が
2年前、実家の長兄、その3か月後にすぐ上の兄が相次いで他界
残されたのが今回亡くなった次兄と次女の私でした。
次兄とは意思の疎通もできにくい状態でしたが、残されたたった一人の兄
1日も長く生きていてほしかった
コロナ禍と言うこともあってなかなか会うことができなかった中での
突然の訃報、とうとう一人になってしまった。一人っ子になってしまいました。
末っ子故、しかたのない宿命、全員を見送ることが使命だったのでしょう
分かってはいたけれど・・
余りに落ち込む私に「まだ私がいるから」と、実家の義姉
そうだった、順番からしたらまだ見送らなければいけない人たちがいたんだ
なんで末っ子に生まれたんだろう
問いかけても仕方がないことなのに・・
次兄の妻、Kちゃんは今後近くに住む長女が一緒に暮らしてくれるとの事
安心しました。
Hちゃん(次兄です)病気は大変だったけど、幸せな人生だったね。
ここまで一途に思ってくれる奥さんはなかなかいないと思うよ。
Kちゃん、長い間兄のお世話をありがとうございました。
自分のやりたいことをすべて封印して兄の為に尽くしてくれたこと
心から感謝したいと思います。
残された人生、ゆっくりと穏やかに過ごしてもらえるよう願ってます。
落ち着いたらお墓参りに行かせてもらいます。
本当にありがとう
お疲れさまでした。
享年84歳
50代で発症した脳の病気、それ以来30年にも及ぶ長い長い闘病の末でした。
その長い闘病の間、常に支えてくれたのは、兄の妻であり、私の義姉、Kちゃんでした。
兄の訃報を聞いたとき、兄には申し訳ないけど、私が真っ先に心配したのは
その義姉のことでした。
若くして病に倒れた兄に寄り添って60年以上、愚痴をこぼすこともなく
自身の半生、いやほぼ一生を捧げてくれました。
以前にも書きましたが、私には姉、兄四人がいました。
います、ではなく、いました。
6人兄弟のうち、まず三兄が70才で他界、6年前にはたった一人の姉が
2年前、実家の長兄、その3か月後にすぐ上の兄が相次いで他界
残されたのが今回亡くなった次兄と次女の私でした。
次兄とは意思の疎通もできにくい状態でしたが、残されたたった一人の兄
1日も長く生きていてほしかった
コロナ禍と言うこともあってなかなか会うことができなかった中での
突然の訃報、とうとう一人になってしまった。一人っ子になってしまいました。
末っ子故、しかたのない宿命、全員を見送ることが使命だったのでしょう
分かってはいたけれど・・
余りに落ち込む私に「まだ私がいるから」と、実家の義姉
そうだった、順番からしたらまだ見送らなければいけない人たちがいたんだ
なんで末っ子に生まれたんだろう
問いかけても仕方がないことなのに・・
次兄の妻、Kちゃんは今後近くに住む長女が一緒に暮らしてくれるとの事
安心しました。
Hちゃん(次兄です)病気は大変だったけど、幸せな人生だったね。
ここまで一途に思ってくれる奥さんはなかなかいないと思うよ。
Kちゃん、長い間兄のお世話をありがとうございました。
自分のやりたいことをすべて封印して兄の為に尽くしてくれたこと
心から感謝したいと思います。
残された人生、ゆっくりと穏やかに過ごしてもらえるよう願ってます。
落ち着いたらお墓参りに行かせてもらいます。
本当にありがとう
