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横浜田舎物語

サザン、サッカー、ロードバイク
エイジレスばあばのパワフルな日々
をお届けします

寂しい16歳・・でも

2012-11-27 | 家族
今日は孫、Mの16歳の誕生日です

16歳と言えば、親の承諾があれば結婚のできる年、なあんて昔だったら言いましたけど
今じゃとんでもない
まだまだ結婚には程遠い?はず?

いやいやこんなこと考えたくもないです。

誕生会をいつもならやるはずなのですが、なんやかんやと、その上、来週から期末試験が始まるからと
せっせと塾通い
ということで、なんだか寂しい誕生日となりました。

その塾なのですが、中2の途中から通った塾を本人の意思で今月いっぱいでやめると言い出しました。

なにか考えがあってのことらしいので、親も承諾したようですが
また行き詰まったら考えるから、ということで、これからは自分で勉強すると宣言しました。

高校に入ってからお友達になったAさんは市外から通ってますが、成績は常に学年でトップだそうです。

「頭の出来が違う」と言っておりますが、どうも中学校時代、提出物を出さないことで成績が悪かったらしい
本来ならば、県内でもトップクラスの学校に行くだけの能力を持っていたとか

成績はもちろんテスト、提出物、授業態度・・・ほんとかどうかですが先生の私感?
その総合点で決まりますから

そのAさん、もしかしたら学校を辞めるとか・・

自力で大学入学資格検定を受けてもっともっと上の大学を目指すと言っているのだそうです。

そんなAさんの影響なのでしょうか、だったらいいのですが

自分から「試験だから大変、頑張らなくちゃいけない」なんてことを言い出しました。

中学校時代には1度も聞いたことにないセリフですよ。

彼女の高校は特別良くも悪くもない学校ですから確かに国公立を狙うのは大変なことだと思います。
Aさんはそれに早くも気づいたのでしょう。

わずか16歳で、そういうことが決められるって、私は自分がぼ~っと過ごしてきたから尊敬しかありません。

そんな自分の将来をちゃんと考えてる友人の話をしながら、

「私は今まで自分で決めたことと言えば、中学校で吹奏楽部に入ることと、今回塾をやめると言ったこと
これだけだから」と、まあのんきなことで、と思いますが
私だって、これくらいまでは親の引いた線路の上を走ったような記憶がありますから

まあ、この心意気がどこまで続くかわかりませんが、16歳になって、将来のことを少し考えるようになったのかな、と
この1年の成長を喜びたいと思いました。

今までのように頻繁には会えないけど、バーバこそ孫離れをして、しっかりしなくちゃね。

子離れも寂しかったけど、孫離れはそれの倍くらいつらいかな

誕生日が一緒に祝えなかったくらい、大したことじゃない

まっすぐいい子に育ってくれてありがとう  生まれてきてくれてありがとう

             16歳 おめでとう
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文化祭に行ってきました。

2012-09-16 | 家族
この春、花の女子高生になった孫の高校の文化祭でした。



神奈川県では70年代に”高校百校新設計画”という構想があって
空き地があれば建てたみたいな時代がありました。
交通の便など、二の次三の次だったらしく、とにかく不便な場所にある学校が多いです。

その中でも孫の高校は、この計画で最初に建てられたそうで、
今でこそ周りに住宅がありますが、創立当時は陸の孤島のような場所だったようです。

建物も手抜きではないのでしょうが、古くて汚い

なんと、去年の震災でひびが入って1棟丸々使えなくなって、急遽プレハブ校舎を造ったとか

小中学校は、完全に耐震構造にしたというのに、心配です。

そんな中でも、子供たちは元気いっぱい?なんて高校生に失礼かしら
明るい雰囲気で迎えてくれました。

中学時代あれだけ頑張っていた吹奏楽から離れて、どんな高校生活を送っているのか
気になっていたじじ、ばばは、揃って出かけてみました。

まずは中庭でのクラスパフォーマンス、

おそろいのTシャツでAKBの曲に合わせてダンスを



これだけいるとやる気のない子もいるのね。
しかたないけど、<やる時はやれよ>って思わず喉元まで声が出かかって
強制はできませんが残念でした。

部活は軽音楽部に入りました。

何か楽器をと思っていたら、ボーカルがいないからって

体育館でのライブを見に行きました。

私は小さい時から時々、一緒にカラオケに行ってましたから、彼女の歌は聞いてましたが
夫は初めて、楽しみにしていたようです。

”いきものがかり”の歌を2曲、ノリノリで歌ってました。
なかなか上手でしたよ。

「来年はギター弾きながら歌ってよ」と、注文しておきましたが、どうでしょうね。

帰り道孫からメールが入りました

<今日はありがとうございました。また来てください。 来年も再来年もお楽しみに

嬉しかったです。  

年齢的にも親や、祖父母を煙たがる時期

新しいお友達にも紹介されました。

このまま素直に、まっすぐ成長して、だれからも愛される素敵な女性になってほしい
贅沢な希望でしょうか?

来年も、再来年も、もちろん行くわよ~  バーバの方こそ今日はありがとうね
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週末

2012-07-30 | 家族
7月最後の週末、

夏休みに入って暇な高校生の孫

決まった日に塾に行き、たまに友達と会うくらいで、後はひたすらグタグタとしてます。
去年までの夏とは大違い
本人いわく、「今年はのんびりしたい」そうです。
ま、いいですけどね・・パソコン占領されててちょっと迷惑なんだけど・・

反対に親は超多忙

「だったらこっちに来てなさい」の一声でこのところずっと来ています。

この週末は恒例の夏祭り  地域の連合自治会主催の一大イベントです。


   

もう30年以上続いているだけに、それは賑やかなのですが、踊りの輪は中年以上のおばさま方が主です。

娘たちが幼いころは、子供の数の方が圧倒的に多くて、踊りの輪も子供たちで賑やかでしたけど
それだけ年月の経過を感じます。
赤ちゃん連れが目立ちます。ここを巣立って親になった当時の子供たちが、里帰りしながら
遊びに来るというパターンが多いそうです。

   


高1になった孫のMです。

こんな姿を見ると、まだ可愛いですねえ

いつかほんとに一緒に来れなくなる日が来るでしょう
その日まで・・・

なんて考えるのはやめて、可愛い花で癒されましょう

  
   

ポーチュラカを何年かぶりに植えました。

可愛いくてがんばりやのこの花が大好き

花は一晩でしぼんでしまいますが、このつぼみがポロっととれるところが面白いらしくて
幼かった孫が小さな手でつまんでは喜んでいました。

体調はまあまあになりました。

今日も朝からガンガン照り、水分いっぱい摂って元気に過ごしましょう







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お見舞い

2012-07-11 | 家族
東京の蒲田に夫の姉家族がいます。
そう、NHK朝ドラで注目の蒲田ですよ。

その関係で、新婚時代は蒲田で過ごした私たちですが
この姉夫婦にはどれだけお世話になったか、感謝してもしきれないほどです。

特に、やさしくていつも笑顔を絶やさなかった義兄は、家の娘たちも大好きでした。
子供好きな人でしたから、肩車で遊んでもらったり、もちろん抱っこしてもらったり
ずいぶん可愛がってもらいました。

大好きでした、って過去形です。

いい人は早く逝く・・そうこんなやさしかった義兄が突然亡くなったのは27年前
まだ46歳の若さでした

自営業でしたから亡くなった後、義姉は想像を絶する苦労をしました。

その上、義兄の百か日が済むか済まないかのうちに、母親を(私にとっては姑ですが)亡くし
たった3カ月の間に最愛の人を2人も失った義姉、どんな慰めの言葉を並べても
その心に届くことはありませんでした。

それでも生きなくてはいけない・・

けっして強い人ではないと思うけど、あの時の困難を乗り越えて
今は思い出として話せるようになりました。

無責任な弟夫婦は(私たちのことです)
いつでも横浜にいるよ・・って
お墓参りに車を出すことくらいしかできませんけど・・

そんな義姉もこの9月で古稀を迎えます。

もう10年くらい前から膝が痛いと言ってましたが、ここにきて急激に悪化
とうとう人工関節のお世話になることに

も~う、こうなると困るから散々、筋トレしなさい、プールに通いなさいって
言ってたのに・・
意外とがんこもので・・もともとスポーツが好きじゃないからねえ

手術は成功、1週間が過ぎました。

先週行った時は、ベッドの上で少しずつ動かしていましたが
今日はもう、歩行器を支えにさっさと歩いてます。

人工ってそうなのよね。
私みたいに自骨の手術だとそれが固定するまですごく時間がかかるけど
膝も股関節も人工の方はすぐに立つことができます。

今日も「退院したら筋トレだからね、プールにも通って、じゃないともう片方もやるようよ」って
脅しておきましたが

家の夫は実の弟なんですけどね。 

「俺が見舞いに行ったところで何か変化が?」なんてとぼけて行こうとしないのです。

だからって私は・・けっして義務とは思っていません。

だって、義姉は私が大阪で手術って決まった時から、

「行って付いててあげるからね、落ち着くまでいてあげるから」と
真夏の大阪に1週間、ホテルをとって毎日病院に通ってくれたのです。

夫は仕事も忙しかったけど、娘たちに言わせると
「お父さん、怖いのよ」

男なんてそんなものか・・いざという時は女は強いですからね。

いくら時間があるからって、遠い大阪まで来てくれて、手術が終わった時そばにいてくれた
安堵感は一生忘れることはできません。

そんな義姉のところに行くのは当たり前
もっと近ければ毎日でも行ってあげられるのにと思いますが

前述のように、9月には70歳、退院祝いと古稀祝いを兼ねてみんなで1泊しましょう
なんて話が出てました。

こんな時、私はほんとに幸せ者だなと思います。

この義姉しかり、実家の義姉も、どちらも実の姉ではないのに
ほんとによくしてもらってます。
わがままで言いたい放題の弟嫁ですが、なんでも許してもらってる、その分ストレスになってないかな?

だんだん姑に似てきました

それを言うと、否定されますが、いや、親子ですから似てきたっておかしくはないでしょう。
私はなんだか姑に再会したみたいで嬉しいですけど

どうにもならない嫁でしたけど、調子がいいので「まったくこの子は・・」と苦笑いしながら
だらしない私のためにせっせとあちこち磨いてくれていた姑を思い出しました。

どんなにお金があったって、地位があったって、親族から辛く当られたり、
ないがしろにされているという話は多いものです。

私がこういう思いをしなくても済む、というより、信じられないくらいどちらからも
よくしてもらえるのも、私自身の運だと思います。
けっして人徳とかではない

以前娘たちに話したことがあります。

「お父さんと本気で別れようと思った時、おばあちゃんとおばさんの顔が浮かんだのよ
こんなにかわいがってもらってるのに、ここで別れたら、あの人たちと親戚ではなくなっちゃう
そう思ったらや~~めたって思ったの」って

一緒に住んでいるわけじゃないから言えることかもしれません。
もともと他人ですもの、全部が全部合うわけがありません。

姑も義姉も、このわがまま嫁にずいぶん振り回されたことでしょう。

昔私の母が義姉に言ってた言葉がいまだに耳から離れません。

「わがままですみません 生まれたまま大人になってしまって、育て方を間違えました」

はい、60歳をとうに過ぎた今もそれは変わっていないでしょう。

義姉のお見舞いに行って、こんなことをつらつら思ってしまいました。


切り替えまして、

初めて見た都庁舎と周辺のビル群、病院の談話室からです。


 

都庁の32階レストランでランチしたかったけど、高いところは地震が怖くて・・

そんなこと言ってたらスカイツリーになんか上れませんけど・・

病院の前のビルにあった”大戸屋”でランチしました。

     
     

どこにでもある店ですけど、高層ビル街の味はちょっと高級?なわけないわよね
でも安くて、栄養価も考えてるし、
オフィス街で昼休みとっくに終わっているはずなのに、サラリーマンやOLさんがいっぱい
時間ずらしてとってるのかもですね。

今度はがんばって都庁のレストラン行ってみよう だって毎日そこで働いている人だっているんだもの
でも義姉は来週には退院、もう行くこともないかな?

アスファルトとビルの照り返しで暑い東京西新宿でした。

昔は中央公園しかなかったのにねえ・・とにかくすごいわ 超高層・・都会は疲れる~


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平塚七夕

2012-07-09 | 家族
昨日の日曜日は、本当に久しぶり、孫たちと出かけました。

行き先は平塚市 平塚と言えば七夕か競輪か?というほど?
あっ、ベルマーレがありました。

特にこの時期の七夕は県内でも有数の規模を誇るイベントなのです。

同じ神奈川県でも、平塚市は中堅クラスの都市ですから、普段は落ち着いた街なのですが
この時期はもうたいへん

わかっているんですけどね  何年ぶりでしょう

去年までは部活、部活で一緒に出かけるなんて考えられなかった高校生になった孫、
久しぶりに一緒にお出かけです。

っていうか、私が無理やり付いて行ったということなんですけど

お昼前に、辻堂のテラスモールのに車を止め、辻堂駅から2駅目の平塚で下車

駅前から会場までの道路も歩道も人でいっぱい

こんなものでしょう、昔より開催日数が短くなったせいか集中してしまうんですね。

それでも




こんなジャストタイミングのものや

 

   こんなきれいなものに 














通りにはワクワクするようなお店がいっぱい



こんな可愛い子たちもいましたよ



人混みは疲れましたけど、久しぶりの孫とのお出かけに、財布のひもは緩み、
目じりも下がりっぱなしのバーバでした。

Mちゃん、お友達の方がいいのはわかるけど、たまには付き合ってね

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高校生になりました

2012-04-06 | 家族
本日、めでたく花の女子高生誕生です

あの日から3年、こんなに大きくなりました。


      


お祝いランチをしました。





進路が決まってから、しらけていたので心配していましたが
話しの端々から楽しそうな様子が

同じ3年間なら楽しんだもの勝ち

もともと自由で明るい校風だと聞いています。
きっと何かを見つけてくれるとばーばは信じてるよ

「月曜日からお弁当なの 誰と食べればいいんだろう

心配しなくて大丈夫、みんなだって同じことを思ってるはず
すぐに仲良しさんができるわよ


   



家の近くの公園の桜  まだ5分咲きですね。

そしてこちらは、区内でも桜の名所となっている”西林寺のしだれ桜”


            

こちらも後少しというところでしょうか。

こう寒くては桜も縮こまってしまいそう

遠くから来てくれる皆さんのためにも、咲き揃ってほしいけど

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卒業式

2012-03-09 | 家族
本日 無事に義務教育の課程を終了しました


生憎の天候でしたが、とても良い感動の卒業式でした


無事にこの日を迎えられたのは、皆さんのおかげだと思います。

ありがとうございました。

これから大学受験に向けて、また大変な日々になります。

今まで以上の愛情とご指導をお願いします





上記メールが長女から届きました。

私からの返事の返事には

生徒会長の答辞がすばらしかったこと

今までの卒業式で一番感動したこと・・等々、綴ってきました。

肝心の孫は、クラス会とかで今日1日、クラスメイトと名残を惜しむようで、出かけて行ったそうです。

青春だなあ~  

あいにくのお天気でしたけど、会場も卒業生、そのご父兄の心も暖かい空気に包まれていたのではと
想像がつきます

今日泣かなくたって、定期演奏会の時は・・ふっふ  きっと大泣きに決まってます

卒業式は終わったけれど、明日からまた練習、練習 まだしばらくは制服のお世話になりますね。
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三者三様

2012-02-15 | 家族
  
                           バレンタインチョコ


                   


                    娘たち、そして私、三者三様


                    さあ、だれがどれを贈ったのでしょうか?




                       答は上私 右下長女 左下次女でした
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家族会議

2012-02-05 | 家族

長女から<大事な話があるので家族会議を開きたい>というメールが入りました。

兄の訃報を聞く前でしたが、なかなか時間が合わなくて、結局節分の昨日、次女も含めて集合

節分と言うこともあり、私からの返信は<鬼は家に入れませんからね、家に入っていいのは福だけよ>

家族会議だなんて・・夫は「金がないから貸してくれって言うんじゃないか」なんて言ってましたが
私にはまったく見当がつかず

何を勝手に家族会議なんて言ってるのかしら・・???

さて、テレビも消して始まりましたよ。

長女の話です。

これが想像していたこととはまったく関係のない、けっこう真面目な話

私たち夫婦、つまり彼女の親の行く末の話でした。

何度も書いてますが、娘はケアマネージャーです。

介護施設で8年ほど働いています。

当然看取り介護もしますので、もう何度も何人ものお年寄りの旅立ちに立ち会っています。

最近になってある女性の最期に立ち会って強く感じたことがあったそうです。

その女性は、自分はこう介護されたい、そしていよいよの時にはこのようにしてほしい、ということを
事細かに書いたものを、元気な時から家族に渡していたとのこと

施設では、できるだけ利用者さんの意向に沿うよう、少しでも長く快適に過ごしてもらえるよう
努力しているのですが、ご本人の意識が無くなってきたり、最期を迎えるにあたって
<この人は本当にこれで満足しているのだろうか、これでよかったのだろうか>と思うことが多々あるそうです。

そんな時、先の女性のように、前もって本人の意思があれば、それに沿って悔いのない介護ができる
とても大切なことではないかと・・・

そんなことを思っていた矢先、彼女の伯父である私の兄が亡くなったので、いっときも早く話さなければと思ったらしい

これはたいへん、鬼でも福でもないとても大切なことです。

例えば、延命治療にしても突然では本人の意思に関係なく、家族が決断しなければなりませんし

娘が介護の仕事をしている割に、その中身がよくわかってないかもしれない。

例えば『エンディングノート』を作っておく

こんなサイトがありました。ご参考までに

人生80年といっても、この年になると、その80歳までに何があるかわかりませんし
自分の寿命もわからないし、明日のことももちろんわかりません。

「あいつもたまにはいいこと言うなあ」夫の言葉です。

私たちのことを考えてくれた家族会議だったのね。

こういう会議なら何度でもお願いしますよ。

兄の死で自分の老い先を考える羽目になったこのタイミングでのこの話
しっかり受け止めなければいけません。

「その時はよろしくね」ってお任せしてはいけないでしょうか?お嬢さん
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Yちゃん、さよなら

2012-02-03 | 家族
皆さまから温かいコメントをたくさんいただきました。
感謝でいっぱいです。

ありがとうございました。

一昨日の通夜、昨日の葬儀と、滞りなく無事終わりました。

兄の自宅を訪れたのは何十年ぶりでしょう。

ずっと昔、姪たちが幼いころ建てたばかりの家に行って以来

その後、子供たちは独立し、家庭を持ち、それぞれが親になり
そんな長い年月ご無沙汰してしまいました。

兄が最初に脳梗塞で倒れたのは平成14年と言ってましたから、ちょうど10年前
その日、偶然にも、前日高校の同級会で実家に泊まっていた私は、慌てて病院に駆け付けたことを
覚えています。

その時は、それほど重篤な感じではなかったので、安心して、
その後、1度見舞いに行きましたが、まったくおかしな様子もなく
後遺症の話もしっかり自分でできてましたし、

これからも病気と付き合っていかなければならないものの、それほど心配することもないだろうと
胸のつかえがとれたような安堵感で病室を出たことを思い出します。

しかし、それからしばらくして、さまざまな症状が出始め

約1年後、大阪に入院していた私を見舞いに姉や義姉達と来てくれた時には
あら?っという感じに

心配はしていたのですがその後どんどん病状は悪化していきました。

10年の闘病生活は本人はもとより、家族にも大きな負担は当然のこと

義姉も自分一人ではとても支えきれないと、長男家族と住むために2世帯住宅に建て替えて
共に支えてきたのですが・・・

4年ほど前から口からいっさい食べられなくなり、胃ろうに移行し、去年の夏前からは点滴のみで
生かされているという感じでした。

兄は日当たりのいい居間に寝かされていました。

会ったらなんて言おうといろいろ考えてましたが

「ごめんね」の一言で涙になり何も言えませんでした

義姉にもご無沙汰のお詫びをして、兄の横顔を見ると、こんなにも、と思うほど亡き母にそっくり
生前はこんなに似ているとは思わなかったのですが

好奇心旺盛なところまでそっくりだったね

「誰が最初に来るかと思ったらあなただったの」って母が向こうで言ってるようで

お互い趣味の話で盛り上がるかもしれません。

なにより救われたのは、義姉が「お父さんの分までこれからは楽しむから」と前向きでいてくれたことです。

冷たいと感じる人もいるかもしれないけど、永年、寝たきりで、なんの反応がなくても
週2回は会いに行っていたと言う義姉、

友人たちからの旅行の誘いも、息子に勧められても行く気にならなかったという義姉を
だれが責められるでしょう。

兄も辛かったけど、元気になんでもできる義姉だっていろんなことを我慢してきたのです。

去年の母の法事の時、胃ろうから点滴になって、もう長くはないかもしれないけど
せめて70歳は迎えさせてやりたいと気丈に話していた義姉でした。

兄の誕生日は12月、義姉の願いどおりなんとか70歳を迎えることができました。

私がいる間に、義姉のお友達が弔問にいらっしゃいました。

<私なんかより、この方の方がずっと義姉の苦しみも辛さもわかっているんだろうな>

遠くの親戚より近くの他人とは、よく言ったものです。

義姉には気の合うお友達が大勢いるみたいなので安心しました。

家族も大事だけど、こうなってみると友人の存在はとても大事です。

葬儀も終わって別れ際、

「これから疲れが出てくるからゆっくり休んでね」と言う私に

「ありがとう、しずんでたってお父さんが帰ってくるわけじゃないし、元気でいたほうが喜んでくれるはずだから大丈夫よ」
という言葉が返ってきて安心しましたが

旦那様を亡くした人から聞くのは、一人になって、本当にいなくなってしまったんだと思うと
さびしくてたまらなくなるって

そんな思いを繰り返しながら女性は逞しく生きて行くんだな、と思います。

私たち6人兄弟は5人になってしまいました。

長女の姉は間もなく79歳、長兄は77歳、二人ともまだまだ元気ですが
姉が「次は順番でね、私だから」なんて言うのを聞くと

これから何度見送ることになるのか、いや順番なんて関係ないのだから見送ってもらうかもしれないし

自分たちが老いて行く言うことを改めて考えさせられた兄の死でした。

友人代表の方の弔辞にもありましたが、好奇心旺盛な、好きなことにはとことんはまりこんだ兄

ひつぎにはお気に入りの洋服、所属していた海洋クラブの会員帽子、
自分の手で何年か、かかって作り上げたログハウスの写真、そして4人の孫たちからの手紙等々

最後の10年は無念の時期だったろうけど、これだけのものを残して旅立って行きました。

これからも夫として父として、祖父として家族を見守ってあげてね。

Yちゃんさよなら  お疲れさまでした



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