日本語の「は」と「が」について。

象は鼻が長い=∀x{象x→∃y(鼻yx&長y)&∀z(~鼻zx→~長z)}。
とりあえず「三上文法」を「批判」します。

(408)ある種の「矛盾」について。

2019-11-27 18:14:44 | 訓読

(01)
Aさん曰く「ある人はすべての人を愛してゐる。」
Bさん曰く「すべての人はある人を愛してゐる。」
Cさん曰く「AさんとBさんは矛盾してゐる。」
(02)
この場合、
Cさん曰く「AさんとBさんは矛盾してゐる。」
といふ「発言」は「正しい」のだろう
(03)
{変域(ドメイン)}を{人間}とすると、
① ある人はすべての人を愛してゐる。
② すべての人はある人を愛してゐる。
といふ「命題」は、
① ∃y∀x(愛yx)
② ∀y∃x(愛yx)
といふ風に、書くことが出来る。
然るに、
(04)
(ⅰ)
1 (1)∃y∀x(愛yx) A
 )  ∀x(愛x) A
 2(3)     愛ba  3UE
 )  ∃x(愛x) 3EI
 2(5)∀y∃x(愛x) 4UI
1 (6)∀y∃x(愛yx) 125EE
(ⅱ)
1 (1)∀y∃x(愛yx) A
1 (2)  ∃x(愛bx) 1UE
 )     愛b  A
 3(4)  ∀x(愛b) 3UI
 3(5)∃y∀x(愛yx) 4EI
1 (6)∃y∀x(愛yx) 135EE
然るに、
(05)
(04)により、
(ⅰ)は「UI(普遍量記号導入の規則)」に「違反」してゐて、
(ⅱ)も「UI(普遍量記号導入の規則)」に「違反」してゐる。
従って、
(03)(04)により、
(05)
「述語計算(Predicate calculation)」の「結果」からすると、
① ある人はすべての人を愛してゐる。
② すべての人はある人を愛してゐる。
に於いて、
① が「真(本当)」であるからと言って、② が「真(本当)」であるとは限らないし、
② が「真(本当)」であるからと言って、① が「真(本当)」であるとは限らない
といふ、ことになる。
然るに、
(06)
① ∃y∀x(愛yx)の「否定」。
② ∀y∃x(愛yx)の「否定」。
は、「量化子の関係」により、それぞれ、
③ ~∃y∀x(愛yx)≡∀y~∀x(愛yx)≡∀y∃x~(愛yx)≡すべての人はある人を愛してゐない(誰からも愛されない人がゐる)。
④ ~∀y∃x(愛yx)≡∃y~∃x(愛yx)≡∃y∀x~(愛yx)≡ある人はすべての人を愛してゐない(誰をも、愛さない人がゐる)。
である。
従って、
(05)(06)により、
(07)
①「ある人がすべての人を愛してゐる」からと言って「すべての人はある人を愛してゐる」とは限らない
②「すべての人がある人を愛してゐる」からと言って「ある人がすべての人を愛してゐる」とは限らない
といふことは、「矛盾」ではなく
①「ある人がすべての人を愛してゐる」ならば「すべての人はある人を愛してゐない」。
②「すべての人がある人を愛してゐる」ならば「ある人はすべての人を愛してゐない」。
といふことが、「矛盾」である。
然るに、
(08)
①「すべての人はある人を愛してゐる」とは限らないのであれば、「すべての人はある人を愛してゐない」のかも知れないし、
②「ある人がすべての人を愛してゐる」とは限らないのであれば、「ある人はすべての人を愛してゐない」のかも知れない
従って、
(01)~(07)により、
(08)
この場合、
Cさん曰く「AさんとBさんは矛盾してゐる。」
といふ「発言」は「正しく」はない



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