日本語の「は」と「が」について。

象は鼻が長い=∀x{象x→∃y(鼻yx&長y)&∀z(~鼻zx→~長z)}。
とりあえず「三上文法」を「批判」します。

(553)「括弧」と「返り点」(Ⅸ)―「括弧」の読み方―。

2020-03-14 16:40:50 | 「漢文訓読」と「括弧」。

―「昨日(令和02年03月13日)」の「記事」を補足します。―
(01)
①( )
②〔 〕
③[ ]
④{ }
に於いて、
④ の中には、1組以上の③が有り、
③ の中には、1組以上の②が有り、
② の中には、1組以上の①が有るならば、そのときに限って、「括弧」である。
従って、
(01)により、
(02)
①( )
②〔 〕
③[ ]
④{ }
に於いて、
① が無ければ、② は無く、
② が無ければ、③ は無く、
③ が無ければ、④ は無い。
従って、
(01)(02)により、
(03)
例へば、
①( )
②〔 ( )( ) 〕
③[ 〔 ( ) 〕 ]
④{ [ 〔 ( ) 〕( )] }
は、「括弧」である。
従って、
(03)により、
(04)
① 我読(漢文)。
② 如〔揮(快刀)断(乱麻)〕。
③ 耕者不[可〔以不(益急)〕]。
④ 我非{必求[以〔解(中文)法〕解(漢文)]者}也。
に於いて、
は、「漢文括弧」である。
然るに、
(05)
① □( )
② □〔 〕
③ □[ ]
④ □{ }
に於いて、
① □ は「括弧の直前の漢字」であって、
② □ は「括弧の直前の漢字」であって、
③ □ は「括弧の直前の漢字」であって、
④ □ は「括弧の直前の漢字」である。とする。
従って、
(04)(05)により、
(06)
① 我□(漢文)。
② □〔揮(快刀)□(乱麻)〕。
③ 耕者□[可〔以□(益急)〕]。
④ 我□{必□[□〔□(中文)法〕□(漢文)]者}也。
に於いて、
① 1個の□ は「括弧の直前の漢字」であって、
② 2個の□ は「括弧の直前の漢字」であって、
③ 3個の□ は「括弧の直前の漢字」であって、
④ 5個の□ は「括弧の直前の漢字」である。
然るに、
(07)
(ⅰ)「原則」として「左から右へ」読む。ただし、
(ⅱ)「括弧」の「直前」の□ に関しては、各々の、「直後の括弧の中の全ての漢字」を、「読み終へた直後」に読む。
といふ「ルール」を、定めることにする。
従って、
(04)~(07)により、
(08)
④ 我非{必求[以〔解(中文)法〕解(漢文)]者}也。
であれば、
④ 我□{必□[□〔□(中文)法〕□(漢文)]者}也。
であるため、
④ 我  必      中文 法   漢文  者 也
に関しては、「そのまま、左から右に読み」、
④ 非 は、{ }の中に有る{必求以解中文法解漢文者}を読み終へた「直後」に読む。
④ 求 は、[ ]の中に有る  [以解中文法解漢文] を読み終へた「直後」に読む。
④ 以 は、〔 〕の中に有る   〔解中文法〕    を読み終へた「直後」に読む。
④ 解 は、( )の中にある    (中文)     を読み終へた「直後」に読む。
④ 解 は、( )の中にある        (漢文) を読み終へた「直後」に読む。
然るに、
(09)
④ 我非{必求[以〔解(中文)法〕解(漢文)]者}也。
に於いて、
非{ }⇒{ }非
求[ ]⇒[ ]求
以〔 〕⇒〔 〕以
解( )⇒( )解
解( )⇒( )解
といふ「移動」を行ふと、
④ 我非{必求[以〔解(中文)法〕解(漢文)]者}也⇒
④ 我{必[〔(中文)解法〕以(漢文)解]者}求非也。
といふ「語順」になる。
(08)(09)により、
(10)
④ 我非{必求[以〔解(中文)法〕解(漢文)]者}也。
に於いて、
④ 我  必      中文 法   漢文  者 也
に関しては、「そのまま、左から右に読み」、
④ 非 は、{ }の中に有る{必求以解中文法解漢文者}を読み終へた「直後」に読む。
④ 求 は、[ ]の中に有る  [以解中文法解漢文] を読み終へた「直後」に読む。
④ 以 は、〔 〕の中に有る   〔解中文法〕    を読み終へた「直後」に読む。
④ 解 は、( )の中にある    (中文)     を読み終へた「直後」に読む。
④ 解 は、( )の中にある        (漢文) を読み終へた「直後」に読む。
といふことは、
④ 我非{必求[以〔解(中文)法〕解(漢文)]者}也。
といふ「括弧」が付いた「漢文」を、
④ 我{必[〔(中文)解法〕以(漢文)解]求者}非也。
といふ「語順」で読む。
といふことに、他ならない。
然るに、
(11)
④ 我{必[〔(中文)解法〕以(漢文)解]者}求非也。
といふ「語順」は、
④ 我は{必ずしも[〔(中文を)解法する法〕以て(漢文を)解せんことを]求むる者に}非ざるなり。
といふ「訓読の語順」である。
従って、
(08)~(11)により、
(12)
例へば、
④ 我非必求以解中文法解漢文者也。
といふ「漢文」は、
④{ [ 〔 ( ) 〕( )] }
といふ「括弧」を介して、
④ 我は必ずしも中文を解法する法以て漢文を解せんことを求むる者に非ざるなり。
といふ風に、「訓読」出来る。
然るに、
(13)
繰り返し、書いて来た通り、
漢語における語順は、国語と大きく違っているところがある。すなわち、その補足構造における語順は、国語とは全く反対である。しかし、訓読は、国語の語順に置きかえて読むことが、その大きな原則となっている。それでその補足構造によっている文も、返り点によって、国語としての語順が示されている(鈴木直治、中国語と漢文、1975年、296頁)。
従って、
(11)(12)(13)により、
(14)
④ 我非{必求[以〔解(中文)法〕解(漢文)]者}也。
④ 我は{必ずしも[〔(中文を)解法する法を〕以て(漢文を)解せんことを]求むる者に}非ざるなり。
に於ける、
④{ [ 〔 ( ) 〕( )] }
④{ [ 〔 ( ) 〕( )] }
といふ「括弧」は、
④ 我非必求以解中文法解漢文者也。
④ 我は必ずしも中文を解法する法を以て漢文を解せんことを求むる者に非ざるなり。
といふ「漢文」と「日本語」の、「補足構造」を表してゐる。
従って、
(14)により、
(15)
④ 我非{必求[以〔解(中文)法〕解(漢文)]者}也。
に於ける、
④{ [ 〔 ( ) 〕( )] }
といふ「括弧」は、
(ⅰ)「漢文補足構造」と、同時に
(ⅱ)「漢文訓読語順」を、表してゐる。


(552)「括弧」と「返り点」(Ⅷ)―「括弧」の読み方―。

2020-03-13 20:05:46 | 「漢文訓読」と「括弧」。

―「先ほど(令和02年03月13日)」の「記事」を補足します。―
(01)
① 1N23EA645978DBCMHFGILJK。
は、「23個の、1桁の24進数」である。
従って、
(02)
「右辺を10進数」とすると、
1= 1
5= 5
A=10
F=15
J=20
N=23
である。
然るに、
(03)
① 1N{2E[A〔5(34)8(67)9〕D(BC)]M〔H(FG)K(IJ)L〕}。
に於いて、
N{ }⇒{ }N
E[ ]⇒[ ]E
A〔 〕⇒〔 〕A
5( )⇒( )5
8( )⇒( )8
D( )⇒( )D
M〔 〕⇒〔 〕M
H( )⇒( )H
K( )⇒( )K
といふ「移動」を行ふと、
① 1{2[〔(34)5(67)89〕A(BC)D]E〔(FG)H(IJ)KL〕M}N=
① 1<2<3<4<5<6<7<8<9<A<B<C<D<E<F<G<H<I<J<K<L<M<N。
といふ「並び替へ(ソート)」を、行ふことになる。
然るに、
(03)により、
(04)
N{ }⇒{ }N
E[ ]⇒[ ]E
A〔 〕⇒〔 〕A
5( )⇒( )5
8( )⇒( )8
D( )⇒( )D
M〔 〕⇒〔 〕M
H( )⇒( )H
K( )⇒( )K
といふ「移動」を行ふと、・・・・・。
といふことは、「N、E、A、5、8、D、M、H、K」以外の「数字」は、そのまま、「からの順」で読む。
といふことである。
従って、
(04)により、
(05)
① 1N{2E[A〔5(34)8(67)9〕D(BC)]M〔H(FG)K(IJ)L〕}。
に於いて、
① 1  2      34   67 9   BC      FG   IJ L
に関しては、そのまま、「からの順」で読む。
従って、
(05)により、
(06)
返読」の「対象」ではない「数字」を、#で表すと、
① #N{#E[A〔5(##)8(##)9〕D(##)]M〔H(##)K(##)#〕}。
に於いて、
① #  #      ##   ## #   ##      ##   ## #
に関しては、そのまま、「左から右の順」で読む。
従って、
(04)(05)(06)により、
(07)
返読」の「対象」である「数字」を□で表すとすると、
① #□{#□[□〔□(##)□(##)#〕□(##)]□〔□(##)□(##)#〕}。
といふ、ことになる。
従って、
(03)(07)により、
(08)
① #□{#□[□〔□(##)□(##)#〕□(##)]□〔□(##)□(##)#〕}。
に於いて、
□{ }⇒{ }□
□[ ]⇒[ ]□
□〔 〕⇒〔 〕□
□( )⇒( )□
□( )⇒( )□
□( )⇒( )□
□〔 〕⇒〔 〕□
□( )⇒( )□
□( )⇒( )□
といふ「移動」を行ふと、
① #{#[〔(##)□(##)□#〕□(##)□]□〔(##)□(##)□#〕□}□=
① 1{2[〔(34)5(67)89〕A(BC)D]E〔(FG)H(IJ)KL〕M}N=
① 1<2<3<4<5<6<7<8<9<A<B<C<D<E<F<G<H<I<J<K<L<M<N。
といふ「並び替へ(ソート)」が、完成する。
然るに、
(07)(08)により、
(09)
① #□{#□[□〔□(##)□(##)#〕□(##)]□〔□(##)□(##)#〕}。
に於ける、
①  □{ □[□〔□(  )□(  ) 〕□(  )]□〔□(  )□(  ) 〕}
に於いて、
① 9個の□
といふのは、
①「括弧」の「直前」の□ である。
従って、
(03)~(09)により、
(10)
① #□{#□[□〔□(##)□(##)#〕□(##)]□〔□(##)□(##)#〕}。
に於いて、
(ⅰ)「原則」として「からへ」読む。ただし、
(ⅱ)「括弧」の「直前」の□ に関しては、各々の、「直後括弧全ての数字」を、「読み終へた直後」に読む。
とするならば、
① #{#[〔(##)□(##)□#〕□(##)□]□〔(##)□(##)□#〕□}□=
① 1{2[〔(34)5(67)89〕A(BC)D]E〔(FG)H(IJ)KL〕M}N=
① 1<2<3<4<5<6<7<8<9<A<B<C<D<E<F<G<H<I<J<K<L<M<N。
といふ「並び替へ(ソート)」が、完成する。
従って、
(10)により、
(11)
② 使{籍誠不[以〔畜(妻子)憂(飢寒)〕乱(心)]有(銭財)以済(医薬)}。
に於いて、
②「原則」として「左から右へ」読むものの、ただし、
② 使 は、{ }の中を「読み終へた直後」に読む。
② 不 は、[ ]の中を「読み終へた直後」に読む。
② 以 は、〔 〕の中を「読み終へた直後」に読む。
② 畜 は、( )の中を「読み終へた直後」に読む。
② 憂 も、( )の中を「読み終へた直後」に読む。
② 乱 も、( )の中を「読み終へた直後」に読む。
② 有 も、( )の中を「読み終へた直後」に読む。
② 済 も、( )の中を「読み終へた直後」に読む。ならば、
② {籍をして誠に[〔(妻子を)畜ひ(飢寒を)憂ふるを〕以て(心を)乱さ]ず(銭財)有りて以て(医薬を)済さ}使む。
といふ「語順」で、「読む」ことになる。
従って、
(10)(11)により、
(12)
③ 所謂致(知)在〔格(物)〕者、言[欲〔致(吾之知)〕在〔即(物)而窮(其理)〕]。
に於いて、
③「原則」として「左から右へ」読むものの、ただし、
③ 致 は、( )の中を「読み終へた直後」に読む。
③ 在 は、〔 〕の中を「読み終へた直後」に読む。
③ 格 は、( )の中を「読み終へた直後」に読む。
③ 言 は、[ ]の中を「読み終へた直後」に読む。
③ 欲 は、〔 〕の中を「読み終へた直後」に読む。
③ 致 は、( )の中を「読み終へた直後」に読む。
③ 在 は、〔 〕の中を「読み終へた直後」に読む。
③ 即 は、( )の中を「読み終へた直後」に読む。
③ 窮  も、( )の中を「読み終へた直後」に読む。ならば、
③ 所謂(知を)致すは〔(物に)格るに〕在りとは、[〔(吾の知を)致さんと〕欲すれば〔(物に)即きて(其の理を)窮むるに〕在る]言ふ。
といふ「語順」で、「読む」ことになる。
(13)
④ 君子不{以[其所‐以〔養(人)〕者]害(人)}。
に於いて、
④「原則」として「左から右へ」読むものの、ただし、
④   不 は、{ }の中を「読み終へた直後」に読む。
④     以 は、[ ]の中を「読み終へた直後」に読む。
④ 所‐以 は、〔 〕の中を「読み終へた直後」に読む。
④     養 は、( )の中を「読み終へた直後」に読む。
④   害 も、( )の中を「読み終へた直後」に読む。ならば、
④ 君子は{[其の〔(人を)養ふ〕所‐以の者を]以て(人を)害せ}ず。
といふ「語順」で、「読む」ことになる。
(14)
⑤ 不〔常読(英文)〕。
に於いて、
⑤「原則」として「左から右へ」読むものの、ただし、
⑤ 不 は、〔 〕の中を「読み終へた直後」に読む。
⑤ 読 は、( )の中を「読み終へた直後」に読む。ならば、
⑤ 〔常には(英文を)読ま〕ず。
といふ「語順」で、「読む」ことになる。
然るに、
(15)
繰り返し、書いて来た通り、
漢語における語順は、国語と大きく違っているところがある。すなわち、その補足構造における語順は、国語とは全く反対である。しかし、訓読は、国語の語順に置きかえて読むことが、その大きな原則となっている。それでその補足構造によっている文も、返り点によって、国語としての語順が示されている(鈴木直治、中国語と漢文、1975年、296頁)。
従って、
(11)~(15)により、
(16)
例へば、
④ 君子不{以[其所‐以〔養(人)〕者]害(人)}。
といふ「漢文」を、
④ 君子は{[其の〔(人を)養ふ〕所‐以の者を]以て(人を)害せ}ず。
といふ「語順」で読んでも、
④{ [ 〔 ( ) 〕 ]( ) }
④{ [ 〔 ( ) 〕 ]( ) }
といふ「補足構造」は、「不変」である。
然るに、
(17)
④ 君子不以其所以養人者害人。
といふ「漢文」を、仮に、
④ 人を養ふ手段である土地のために争って、人を傷つけるやうなことを、君子はしない。
と訳すのであれば、
④ 君子不以其所以養人者害人。
といふ「漢文の補足構造」は、「不変」ではない。
従って、
(16)(17)により、
(18)
④ 君子不以其所以養人者害人。
といふ「漢文」を、
④ 君子は{[其の〔(人を)養ふ〕所‐以の者を]以て(人を)害せ}ず。
といふ風に、「訳す」ことと、
④ 人を養ふ手段である土地のために争って、人を傷つけるやうなことを、君子はしない。
といふ風に、「訳す」ことは、「同じ」ではない
然るに、
(19)
予嘗為(蒙生)定(学問之方法)、先為(崎陽之学)、教以(俗語)、誦以(華音)、訳以(此方俚語)、絶不〔作(和訓廻環之読)〕、始以(零細者)、二字三字為(句)、後使[読〔成(書)者〕]}、崎陽之学既成、乃始得〔為(中華人)〕、而後稍稍読(経子史集四部書)、勢如(破竹)、是最上乗也 ⇒
予嘗(蒙生)為(学問之方法)定、先(崎陽之学)為、教(俗語)以、誦(華音)以、訳(此方俚語)以、絶〔(和訓廻環之読〕作〕不、始(零細者)以、二字三字(句)為、後[〔(書)成者〕読]使、崎陽之学既成、乃始〔(中華人)為〕得、而後稍稍(経子史集四部書)読、勢(破竹)如、是最上乗也 =
予嘗て(蒙生の)為に(学問の方法を)定め、先ず(崎陽の学を)為し、教ふるに(俗語を)以てし、誦ずるに(華音を)以てし、訳するに(此の方の俚語を)以てし、絶へて〔(和訓廻環の読みを〕作さ〕ず、始めは(零細なる者を)以て、二字三字(句と)為し、後に[〔(書を)成す者を〕読ま]使めば、崎陽の学既に成り、乃ち始めて〔(中華の人)為る〕得、而る後に稍稍(経子史集四部書を)読まば、勢ひ(破竹の)如く、是れ最上の乗なり。
(荻生徂徠、訳文筌蹄)
従って、
(18)(19)により、
(20)
荻生徂徠先生は、
④ 君子不以其所以養人者害人。
といふ「漢文」を、
④ Jūnzǐ bù yǐ qí suǒyǐ yǎng rén zhě hài rén.
といふ風に、読んで、
④ 人を養ふ手段である土地のために争って、人を傷つけるやうなことを、君子はしない。
といふ風に、「訳」してゐたのかも、知れない。
然るに、
(21)
音読」がそれ程、「大切」であるならば、「日本漢字音」で、「音読」すれば、良いだけであって、因みに、私自身は、例へば、
「旺文社、漢文の基礎、1973年、31頁、35頁、39頁、43頁」にある、「矛盾(韓非子)、守株(韓非子)、借虎威(戦国策)、塞翁が馬(淮南子)」を、「日本漢字音」で、「暗唱」出来る。
従って、
(17)~(21)により、
(22)
私自身は、荻生徂徠先生に、「漢文」を習ひたいとは、少しも思はない


(551)「括弧」と「返り点」(Ⅶ)。

2020-03-13 12:18:09 | 「漢文訓読」と「括弧」。

―「昨日(令和02年03月12日)」の「記事」を補足します。―
(01)
コウ盍 なんゾ・・・ざル、ナンゾ
再読文字 ]なんゾ・・・ざル《副詞+助動詞》《「」は「何不」の二字の合字》
(天野成之、漢文基本語辞典、1999年、130頁)
従って、
(01)により、
(02)
①  学=(副詞)+(否定)+学(動詞)。
何不 学=(副詞)+(否定)+学(動詞)。
に於いて、
①=② である。
(03)
(2)「未」は「いまダ~ズ」とよみ、「まだ~しない」の意で、「尙不」と同じである。
(中澤希男・澁谷玲子、漢文訓読の基礎、1985年、90頁)
従って、
(03)により、
(04)
①  学=(副詞)+不(否定)+学(動詞)。
尙不 学=(副詞)+不(否定)+学(動詞)。
に於いて、
①=② である。
然るに、
(05)
never 意味と語源
【英語】絶対にない。決してない。今までにない。
◉ 語源解説
古期英語 ne(否定)+aefre([ever] 今まで
(never 意味と語源 – 語源英和辞典)
従って、
(05)により、
(06)
① never 学=今まで(副詞)+不(否定)+学(動詞)。
②  尙不 学=今まで(副詞)+不(否定)+学(動詞)。
に於いて、
①=② である。
従って、
(01)~(06)により、
(07)
再読文字」は、固より、「字」ではなく、「字」であるため、
「漢文訓読」であっても、「文字」を、「度読む」ことはない
然るに、
(08)
① 一レ
に対して、
② 二レ
といふ「返り点」があるとすると、
② 二レ 一
でなければ、ならない。
然るに、
(09)
② 二レ 一
であるならば、例へば、
② 読二レ漢文
である。
然るに、
(10)
② 読二レ漢文
であるならば、
② レ で返って、「読」を読み、その後で、もう一度
② 一 で返って、「読」を読むことになる。
従って、
(08)(09)(10)により、
(11)
② 読二レ漢文。 といふ「返り点」があるとすると、その場合、
② 読二レ漢文
の「訓読」は、
② 漢を読み、文を読む。
でなければ、ならない。
然るに、
(12)
② 漢を読み、文を読む。
であるならば、実際には、「返り点」は、
② 読漢読文。
でなければ、ならない。
従って、
(08)~(12)により、
(13)
① 一レ
に対して、

といふ「返り点」は、有り得ないし、同様に、
レ、レ、
といふ「返り点」も、有り得ない
従って、
(13)により、
(14)
「返り点」とは、
(Ⅰ)レ、一レ、上レ、甲レ、天レ
(Ⅱ)一、二、三、四、五、六、七、八、九、十、・・・・・
(Ⅲ)上、中、下
(Ⅳ)甲、乙、丙、丁、戊、己、庚、辛、壬、癸
(Ⅴ)天、地、人
といふ「5種類」である。
然るに、
(15)
(Ⅰ)レ       は、
(〃)二 一   と「同じ」であり、
(Ⅰ)二 一レ  は、
(〃)三 二 一 と「同じ」であり、
(Ⅰ)下 上レ  は、
(〃)下 中 上 と「同じ」であり、
(Ⅰ)乙 甲レ  は、
(〃)丙 乙 甲 と「同じ」であり、
(Ⅰ)地 天レ  は、
(〃)人 地 天 と「同じ」である。
従って、
(14)(15)により、
(16)
「(レ点を含む)返り点が、表し得る、順番」は、
(Ⅰ)一、二、三、四、五、六、七、八、九、十、・・・・・
(Ⅱ)上、中、下
(Ⅲ)甲、乙、丙、丁、戊、己、庚、辛、壬、癸
(Ⅴ)天、地、人
といふ「4種類の返り点が、表し得る、順番」に「等しい」。
然るに、
(17)
(Ⅰ)一、二、三、四、五、六、七、八、九、十、・・・・・
(Ⅱ)上、中、下
(Ⅲ)甲、乙、丙、丁、戊、己、庚、辛、壬、癸
(Ⅳ)天、地、人
に於いて、
(Ⅰ)を挟んで返る場合に、
(Ⅱ)を用ひ、
(Ⅱ)を挟んで返る場合に、
(Ⅲ)を用ひ、
(Ⅲ)を挟んで返る場合に、
(Ⅳ)を用ひる。ものの、
(18)
(Ⅱ)上、中、下
の「3つ」では足りない場合は、
(Ⅱ)上、中、下
(Ⅲ)甲、乙、丙、丁、戊、己、庚、辛、壬、癸
ではなく、
(Ⅱ)甲、乙、丙、丁、戊、己、庚、辛、壬、癸
(Ⅲ)上、中、下
といふ「順番」にし、
(19)
(Ⅳ)天、地、人
の「3つ」では足りない場合は、
(Ⅲ)甲、乙、丙、丁、戊、己、庚、辛、壬、癸
(Ⅳ)天、地、人
ではなく、
(Ⅲ)天、地、人
(Ⅳ)甲、乙、丙、丁、戊、己、庚、辛、壬、癸
といふ「順番」にする。
従って、
(16)~(19)により、
(20)
いづれにせよ、
① 三 二 一
① 3>2>1
といふ「順番」は、『返り点が、表し得る「順番」』である。
然るに、
(21)
① 三 二 一
が「返り点」である。
といふことは、
① 三 二 一
といふ「返り点」が付いてゐる「漢字」を、
① 一 二 三
の「順」で「読む」。
といふことである。
然るに、
(22)
「(レ点を除く)返り点」が、「漢字」に付いてゐることは、
漢字」が、「(レ点を除く)返り点」に付いてゐることと、「同じ」である。
従って、
(21)(22)により、
(23)
① 三 二 一
といふ「返り点」を、
① 一 二 三
といふ「順」で「読む」といふことは、
① 三 二 一
といふ「返り点」が付いてゐる「漢字」を、
① 一 二 三
といふ「順」で「読む」ことであると、見做すことが、出来る。
然るに、
(24)
① 三 二 一
① 3{2(1)}
に於いて、
3{ }⇒{ }3
2( )⇒( )2
といふ「移動」を行ふと、
① 3{2(1)}⇒
① {(1)2}3=
①     1<2<3。
といふ「並び替へ(ソート)」を、行ふことになる。
従って、
(23)(24)により、
(25)
① 三 二 一
① 3>2>1
といふ「返り点」が付いてゐる「漢字」を、「括弧」を用ひて、
① 1<2<3。
といふ「順番」で読むことは、「可能」である。
然るに、
(26)
② 文読漢。  と書いて、
② 漢文を読む。と「訓読」が有るならば、その場合の「返り点」は、
② 二 三 一
② 2<3>1
でなければ、ならない。
然るに、
(27)
② 2(3{1)}。
2( )⇒( )2
3{ }⇒{ }3
といふ「移動」を行ふと、
② 2(3{1)}⇒
② ({1)2}3=
①   1<2<3。
といふ「並び替へ(ソート)」を、行ふことになる。
然るに、
(28)
①{( )}
②({ )}
に於いて、
① は「括弧」であるが、
② は「括弧」ではない
従って、
(24)~(28)により、
(29)
「括弧」は、
① 3>2>1 といふ「順番」を、
① 1<2<3 といふ「順番」に、「並び替へ」ることは出来ても、
② 2<3>1 といふ「順番」を、
② 1<2<3 といふ「順番」に、「並び替へ」ることは出来ない
然るに、
(30)
② 二 三 一
のやうに、「上(左)へ返ってから、下(右)へ戻る、返り点」は、実際には、無い
従って、
(19)(30)により、
(31)
(Ⅰ)一、二、三、四、五、六、七、八、九、十、・・・・・
で表し得る「順番」は、『返り点が、表し得る「順番」』である。
然るに、
(32)
③ 6[3〔2(1)〕5(4)]。
に於いて、
6[ ]⇒[ ]6
3〔 〕⇒〔 〕3
2( )⇒( )2
5( )⇒( )5
といふ「移動」を行ふと、
③ 6[3〔2(1)〕5(4)]⇒
③ [〔(1)2〕3(4)5]6=
③    1<2<3<4<5<6。
といふ「並び替へ(ソート)」を、行ふことになる。
(33)
④ 3〔6{2(5[1)〕4]}。
に於いて、
3〔 〕⇒〔 〕3
6{ }⇒{ }6
2( )⇒( )2
5[ ]⇒[ ]5
といふ「移動」を行ふと、
④ 3〔6{2(5[1)〕4]}⇒
④ 〔{([1)2〕34]5}6=
④    1<2<3<4<5<6。
といふ「並び替へ(ソート)」を、行ふことになる。
然るに、
(34)
③[〔( )〕( )]
④  〔{([ )〕]}
に於いて、
③ は「括弧」であるが、
④ は「括弧」ではない
然るに、
(35)
① 3 2 1
③ 6 3 2 1 5 4
といふ「順番」の中に、
② n+1<n+m>n(nは、1以上の正の整数で、mは2以上の正の整数。)
といふ「順番」は無い。
(36)
② 2<3>1
④ 3<6>2<5>1 4
といふ「順番」の中に、
② n+1<n+m>n(nは、1以上の正の整数で、mは2以上の正の整数。)
といふ「順番」が有る。
然るに、
(37)
③ 6[3〔2(1)〕5(4)]。
に対して、
⑤ 6[#3〔#2(#1)#〕5(#4)#]。
の場合は、
⑤ C[17〔25(34)6〕A(89)B]。
であって、
⑤ は、12個の「一桁の、16進数」である。
然るに、
(38)
⑤ C[17〔25(34)6〕A(89)B]。
に於いて、
C[ ]⇒[ ]C
7〔 〕⇒〔 〕7
5( )⇒( )5
A( )⇒( )A
といふ「移動」を行ふと、
⑤ C[17〔25(34)6〕A(89)B]⇒
⑤ [1〔2(34)56〕7(89)AB]C=
⑤   1<2<3<4<5<6<7<8<9<A<B<C。
といふ「並び替へ(ソート)」を、行ふことになる。
然るに、
(39)
⑤ C 1 7 2 5 3 4 6 A 8 9 B。
の中に、
② n+1<n+m>n(nは、1以上の正の整数で、mは2以上の正の整数。)
といふ「順番」は無い
従って、
(29)~(39)により、
(40)
⑤ # # # # # # # # #・・・・・
といふ「順番」の中に、
② n+1<n+m>n(nは、1以上の正の整数で、mは2以上の正の整数。)
といふ「順番」が無いならば、そのときに限って、「括弧」は、
⑤ # # # # # # # # #・・・・・
といふ「順番」を、
⑤ 1<2<3<4<5<6<7<8<9・・・・・
といふ「順番」に、「並び替へ」ることが出来る
然るに、
(41)
⑥ 使籍誠不以畜妻子憂飢寒乱良心有銭財以済医薬⇒
⑥ 籍をして誠に妻子を畜ひ飢寒を憂ふるを以て良心を乱さず銭財有りて以て医薬を済さ使む。
であるならば、
⑥ 人{##丙[下〔二(#一)中(#上)〕乙(#甲)]二(#一)#地(#天)}。
である。
然るに、
(42)
⑥ 人{##丙[下〔二(#一)中(#上)〕乙(#甲)]二(#一)#地(#天)}。
であるならば、
⑥ L{12D[9〔5(34)8(67)〕C(AB)]G(EF)HK(IJ)}。
は、21個の「一桁の、22進数」である。
cf.
「0からまで」ならば、24進数なので、「0からまで」は、(24-2=22)進数。
然るに、
(43)
⑥ L{12D[9〔5(34)8(67)〕C(AB)]G(EF)HK(IJ)}。
に於いて、
L{ }⇒{ }L
D[ ]⇒[ ]D
9〔 〕⇒〔 〕9
5( )⇒( )5
8( )⇒( )8
C( )⇒( )C
G( )⇒( )G
K( )⇒( )K
といふ「移動」を行ふと、
⑥ L{12D[9〔5(34)8(67)〕C(AB)]G(EF)HK(IJ)}⇒
⑥ {12[〔(34)5(67)8〕9(AB)C]D(EF)GH(IJ)K}L=
⑥   1<2<3<4<5<6<7<8<9<A<B<C<D<E<F<G<H<I<J<K。
といふ「並び替へ(ソート)」を、行ふことになる。
従って、
(40)~(43)により、
(44)
⑥ 人 丙 二 一 中 上 乙 甲 二 一 地 天
といふ「返り点」が表す「順番」の中には、
② n+1<n+m>n(nは、1以上の正の整数で、mは2以上の正の整数。)
といふ「順番」が、現れないが故に、
⑥ 人 丙 二 一 中 上 乙 甲 二 一 地 天
といふ「返り点」が付く「漢文」は、その「訓読の順」を、「括弧」で、表すことが出来る。
従って、
(16)(44)により、
(45)
「(レ点を含む)返り点が、表し得る、順番」は、
(Ⅰ)一、二、三、四、五、六、七、八、九、十、・・・・・
(Ⅱ)上、中、下
(Ⅲ)甲、乙、丙、丁、戊、己、庚、辛、壬、癸
(Ⅴ)天、地、人
といふ「4種類返り点が、表し得る、順番」に「等しく」、尚且つ、その「順番」は、『括弧が、表し得る「順番」』に「等しい」。
然るに、
(46)
⑥ 人{##丙[下〔二(#一)中(#上)〕乙(#甲)]二(#一)#地(#天)}。
⑥ L{12D[9〔5(34)8(67)〕C(AB)]G(EF)HK(IJ)}。
に対して、
⑦ 人{##丙[下〔二(#一)中(#上)φ〕乙(#甲)φ]二(#一)#地(#天)φ}。
⑦ L{12D[9〔5(34)8(67)φ〕C(AB)φ]G(EF)HK(IJ)φ}。
であるとする。
然るに、
(47)
⑦ φ は、「無音無意味」であるが、「返り点」が付くものとする。
従って、
(46)(47)により、
(48)
⑦ 人{##丙[下〔二(#一)中(#上)φ〕乙(#甲)φ]二(#一)#地(#天)φ}。
であるならば、
⑦ 地{##乙[下〔二(#一)二(#一)上〕二(#一)甲]二(#一)#二(#一)天}。
である。
従って、
(48)により、
(49)
⑦ 使{籍誠不[以〔畜(妻子)憂(飢寒) 〕乱(良心) ]有(銭財)以済(医薬) }。
⑦ 地{##乙[下〔二(#一)二(#一)上〕二(#一)甲]二(#一)#二(#一)天}。
である。
従って、
(49)により、
(50)
⑦ 地{##乙[下〔二(#一)二(#一)上〕二(#一)甲]二(#一)#二(#一)天}。
⑦ 地{  乙[下〔二( 一)二( 一)上〕二( 一)甲]二( 一) 二( 一)天}。
である。
従って、
(50)により、
(51)
(Ⅰ)( )は、二 一 に相当し、
(Ⅱ)〔 〕は、下 上 に相当し、
(Ⅲ)[ ]は、乙 甲 に相当し、
(Ⅳ){ }は、地 天 に相当する。
従って、
(51)により、
(52)
(Ⅰ)( )
(Ⅱ)〔 〕
(Ⅲ)[ ]
(Ⅳ){ }
といふ「括弧」は、
(Ⅰ)二 一
(Ⅱ)下 上
(Ⅲ)乙 甲
(Ⅳ)地 天
といふ「返り点」である。
といふ風に、言ふことも、可能である。
然るに、
(53)
⑧ 我使{籍 不[以〔畜( 子)憂( 寒)〕乱( 心)]有( 銭)以済( 薬)}。
に於いて、
使{ }⇒{ }使
不[ ]⇒[ ]不
以〔 〕⇒〔 〕以
畜( )⇒( )畜
憂( )⇒( )憂
乱( )⇒( )乱
有( )⇒( )有
済( )⇒( )済
といふ「移動」を行ふと、
⑧ 我使{籍不[以〔畜(子)憂(寒)〕乱(心)]有(銭)以済(薬)}⇒
⑧ 我{籍[〔(子)畜(寒)憂〕以(心)乱]不(銭)有以(薬)済}使=
⑧ 我{籍をして[〔(子を)畜ひ(寒を)憂ふるを〕以て(心を)乱さ]ず(銭)有りて以て(薬を)済さ}使む。
といふ「訓読」になる。
然るに、
(54)
⑦  使{籍誠不[以〔畜(妻子)憂(飢寒)〕乱(良心)]有(銭財)以済(医薬)}。
⑧ 我使{籍 不[以〔畜( 子)憂( 寒)〕乱( 心)]有( 銭)以済( 薬)}。
に於いて、
⑦ には、「主語」が無く、
⑧ には、「並列語」と、「修飾語」が無い。
然るに、
(55)
漢語における語順は、国語と大きく違っているところがある。すなわち、その補足構造における語順は、国語とは全く反対である。しかし、訓読は、国語の語順に置きかえて読むことが、その大きな原則となっている。それでその補足構造によっている文も、返り点によって、国語としての語順が示されている(鈴木直治、中国語と漢文、1975年、296頁)。
従って、
(53)(54)(55)により、
(56)
⑦  使{籍誠不[以〔畜(妻子)憂(飢寒)〕乱(良心)]有(銭財)以済(医薬)}。
⑧ 我使{籍 不[以〔畜( 子)憂( 寒)〕乱( 心)]有( 銭)以済( 薬)}。
に於ける、
⑦{ [ 〔 ( )( ) 〕( ) ]( )( ) }
⑧{ [ 〔 ( )( ) 〕( ) ]( )( ) }
といふ「括弧」は、
⑦ 使 籍 誠 不 以 畜 妻 子 憂 飢 寒 乱 良 心 有 財 銭 以 済 医 薬。
⑧ 我 使 籍 誠 不 以 子 憂 寒 乱 心 有 銭 以 済 薬。
といふ「漢文補足構造」と、「訓読語順」の、両方を、表してゐる。
従って、
(57)
⑦ 使 籍 誠 不 以 畜 妻 子 憂 飢 寒 乱 良 心 有 財 銭 以 済 医 薬。
といふ「漢文」を、
⑧ {籍をして[〔(妻子を)畜ひ(飢寒を)憂ふるを〕以て(良心を)乱さ]ず(銭財)有りて以て(医薬を)済さ}使む。
といふ風に「訓読」したとしても、「語順」は変はっても、「補足構造」自体は、変はらない


(549)「括弧」と「趙義成 訳注、訓民正音(P136~P162)2010年」。

2020-03-11 18:46:35 | 「漢文訓読」と「括弧」。

(01)
『趙義成 訳注、訓民正音、2010年』に書かれてゐる「書き下し文(P136~P162)」を参考にして、
『崔万里等 諺文(언문、ハングルの旧称)反対上疏文(西暦1444年)』に対して、「括弧(返り点の一種)」を付けたことが有ります(2017年5月13日)。
(02)
「訓民正音とその関連文献にくまなく日本語の訓読文を附したのは、おそらく本書が初めてではないかと思う(あとがき)。」
とのことですが、「同書」には、「訓読文(書き下し文)」は有っても、「返り点」は有りません
然るに、
(03)
例へば、
未有因方言而別爲文字者=
有〔因(方言)而別爲(文字)者〕。
に於いて、
不[ ]⇒[ ]不
有[ ]⇒[ ]有
因( )⇒( )因
爲( )⇒( )爲
といふ「移動」を行った上で、「平仮名」を加へると、
未有因方言而別爲文字者=
未[有〔因(方言)而別爲(文字)者]〕⇒
未[〔(方言)因而別(文字)爲者〕有]不=
未だ[〔(方言に)因りて別に(文字を)爲す者〕有ら]不。
といふ「漢文訓読」に、なります。
然るに、
(04)
韓国語の構文は、日本語の場合ほとんど同じと考えてよいだろう(森下喜一 池景來、日・韓対照言語学入門、1992年、14頁)。
韓国語の語順は日本語と同じなので、日本語の単語を韓国語の単語に置き換えるだけで文が作れます(【韓国語の文法】まずは語順と助詞16個から覚えよう ...)。
従って、
(03)(04)により、
(05)
未だ[〔(方言)因りて(文字)爲者〕有。 に於ける、
 だ     に  りて に   を   す   ら ず  を、
ハングル」に「置き換へ」るならば、「韓国語による、訓読」が成立するものと、思はれます。
(06)
「訓民正音の原文(漢文)」は、次の通りです。
(a)庚子。集賢殿副提學崔萬理等、上疏曰『臣等伏覩、諺文制作、至爲神妙、創物運智、夐出千古。然以臣等區區管見、尚有可疑者。敢布危懇、謹疏于後、伏惟聖裁。』
(b)一、我朝自祖宗以來、至誠事大、一遵華制。今當同文同軌之時、創‐作諺文有駭觀聽。黨曰『諺文皆本古字、非新字也。』則字形雖倣古之篆文、用音合字、盡反於古、實無所據。若流中國、或有非‐議之者、豈不有愧於事大慕華。
(c)一、自古九州之内、風土雖異、未有因方言而別爲文字者。唯蒙古・西夏・女眞・日本・西蕃之類、各有其字、是皆夷狄事耳、無足道者。傳曰『用夏變夷、未聞變於夷者也。』歴代中國皆以我國有箕子遺風、文物・禮樂比‐擬中華。今別作諺文、捨中國而自同於夷狄。是所謂棄蘇合之香而取螗螂之丸也。豈非文明之大累哉。
(d)一、新羅薛聰吏讀、雖爲鄙俚、然皆借中國通行之字、施於語助、與文字元不相離。故雖至胥吏僕隷之徒、必欲習之、先讀數書、粗知文字、然後乃用吏讀。用吏讀者、須馮文字、乃能達意。故因吏讀而知字者頗多、亦興學之一助也。若我國元不知文字、如結繩之世、則姑借諺文、以資一時之用猶可、而執正議者、必曰『與其行諺文以姑息、不如寧遲緩而習中國通行之文字、以爲久長之計也。』而況吏讀行之數千年、而簿書期會等事、無有防礎者。何用改舊行無弊之文、別創鄙諺無益之字乎。若行諺文、則爲吏者專習諺文、不顧學問文字、吏員岐而爲二。苟爲吏者以諺文而宦達、則後進皆見其如此也、以爲『二十七文字諺文足以立身於世、何須苦心勞思、窮性理之學哉。』如此則數十年之後、知文字者必少、雖能以諺文而施於吏事、不知聖賢之文字、則不學墻面、昧於事理之是非。徒工於諺文、將何用哉。我國家積累右文之化、恐漸至掃地矣。前此吏讀雖不外於文字、有識者尚且鄙之、思欲以吏文易之。而況諺文與文字暫不干渉、專用委巷俚語者乎。借‐使諺文自前朝有之、以今日文明之治・變魯至道之意、尚肯因循而襲之乎。必有更張之議者、此灼然可知之理也。厭舊喜新、古今通患。今此諺文不過新奇一藝耳。於學有損於治無益、反覆籌之未見其可也。
(e)一、若曰『如刑殺獄辭、以吏讀文字書之、則不知文理之愚民、一字之差、容或至冤。今以諺文直書其言、讀使聽之、則雖至愚之人、悉皆易嘵而無抱屈者。』然自古中國、言與文同、獄訟之間、冤枉甚多。借以我國言之、獄囚之解吏讀者、親讀招辭、知其誣而不勝棰楚、多有枉服者。是非不知招辭之文意而被冤也、明矣。若然則雖用諺文何異於此。是知刑獄之平不平、在於獄吏之如何、而不在於言與文之同不同也。欲以諺文而平獄辭、臣等未見其可也。
(f)一、凡立事功、不貴近速、國家比來措置、皆務速成、恐非為治之體。儻曰諺文不得已而為之、此變易風俗之大者、當謀及宰相、下至百僚。國人皆曰可、猶先甲先庚、更加三思、質諸帝王不悖、考諸中國而無愧、百世以俟聖人而不惑、然後乃可行也。今、不博採群議、驟令吏輩十餘人訓習、又輕改古人已成之韻書、附會無稽之諺文、聚工匠數十人刻之、劇欲廣布其於天下。後世公議何如。且今淸州椒水幸、特慮年歉、扈從諸事、務從簡約、比之前日十減八九、至於啓達公務、亦委政府。若夫諺文非國家緩急不得已及期之事、何獨於行在汲汲爲之、以煩聖躬調變之時乎。臣等尤未見其可也。
(g)一、先儒云『凡百玩好皆奪志。至於書礼、於儒者事最近。然一向好着、亦自喪志。』今、東宮雖徳性成就、猶當潛心聖學益求其未至也。諺文縱曰有益、特文士六藝之一耳。況萬萬無一利於治道而乃研精費思、竟日移時、實有損於時敏之學也。臣等倶以文墨末技、待罪侍從、心有所懐、不敢含默。謹罄肺腑、仰瀆聖聰。
(h)上覧疏、謂萬理等曰『汝等云、用音合字、盡反於古。薛聰吏讀、亦非異音乎。且吏讀制作之本意、無乃爲其便民乎。如其便民也、則今之諺文亦不爲便民乎。汝等以薛聰爲是而非其君上之事何哉。且汝知韻書乎。四聲七音、字母有幾乎。若非予正其韻音、則伊誰正之乎。且疏云、新奇一藝。予老來難以消日、以書籍爲友耳。豈厭舊好新而爲之。且非田獵放鷹之例也、汝等頗有過越。且予年老、國家庶務世子專掌。雖細事固當參決、況諺文乎。若使世子常在東宮、則宦官任事乎。汝等以侍從之臣杓知予意而有是言可乎。』
(i)上曰「前此金汶啓曰『制作諺文未爲不可。』今反以爲不可」。又鄭昌孫曰『頒布三綱行實之後、未見有忠臣孝子烈女輩出。人之行不行、只在人之資質如何耳、何必以諺文譯之而後人皆效之。』此等之言、豈儒者識理之言乎。甚無用之俗儒也。」
(j)萬理等對曰『薛聰吏讀雖曰異音、然依音依釋、語助文字元不相離。今此諺文、合諸字而竝書、變其音釋而非字形也。且新奇一藝云者、特因文勢而爲此辭耳。非有意然也。東宮於公事、則雖細事不可不參決、若於不急之事、何竟日致慮乎。』
(k)前此、上敎昌孫曰『予若以諺文譯三綱行實、頒諸民間、則愚夫愚婦皆得易暁、忠臣孝子烈女必輩出矣。』昌孫乃以此啓達、故今有是教。上又敎曰『予召汝等、初非罪之也。但問疏内一二語耳。汝等不顧事理、變辭以對。汝等之罪、難以脱矣。』遂下副提學萬理、直提學辛碩祖、直殿金汶、應敎鄭昌孫、副校理河緯地、副修撰宋處儉、著作郎趙瑾于義禁府、翌日命釋之、唯罷昌孫職、仍傳旨義禁府、『金汶前後變辭啓達事由、其鞫以聞。』
(07)
括弧(返り点の一種)」を加へると、次のやうに、なります。
(a)庚子。集賢殿副提學崔萬理等、上疏曰『臣等伏覩、諺文制作、至爲(神妙)、創物運智、夐出(千古)。然以(臣等區區管見)、尚有〔可(疑)者〕。敢布(危懇)、謹疏(于後)、伏惟(聖裁)。』
(b)一、我朝自(祖宗)以來、至誠事(大)、一遵(華制)。今當(同文同軌之時)、創‐作(諺文)有(駭觀聽)。黨曰『諺文皆本(古字)、非(新字)也。』則字形雖〔倣(古之篆文)〕、用(音)合(字)、盡反(於古)、實無〔所(據)〕。若流(中國)、或有〔非‐議(之)者〕、豈不{有[愧〔於事(大)慕(華)〕]}。
(c)一、自(古)九州之内、風土雖(異)、未[有〔因(方言)而別爲(文字)者〕]。唯蒙古・西夏・女眞・日本・西蕃之類、各有(其字)、是皆夷狄事耳、無〔足(道)者〕。傳曰『用(夏)變(夷)、未[聞〔變(於夷)者〕]也。』歴代中國皆以(我國)有(箕子遺風)、文物・禮樂比‐擬(中華)。今別作(諺文)、捨(中國)而自同(於夷狄)。是所謂棄(蘇合之香)而取(螗螂之丸)也。豈非(文明之大累)哉。
(d)一、新羅薛聰吏讀、雖〔爲(鄙俚)〕、然皆借(中國通行之字)、施(於語助)、與(文字)元不(相離)。故雖〔至(胥吏僕隷之徒)〕、必欲〔習(之)〕、先讀(數書)、粗知(文字)、然後乃用(吏讀)。用(吏讀)者、須馮(文字)、乃能達(意)。故因(吏讀)而知(字)者頗多、亦興學之一助也。若我國元不〔知(文字)〕、如(結繩之世)、則姑借(諺文)、以資(一時之用)猶可、而執(正議)者、必曰『與〔其行(諺文)以(姑息)〕、不[如〔寧遲緩而習(中國通行之文字)、以爲(久長之計)〕]也。』而況吏讀行(之)數千年、而簿書期會等事、無[有〔防(礎)者〕]。何用改(舊行無弊之文)、別創(鄙諺無益之字)乎。若行(諺文)、則爲(吏)者專習(諺文)、不〔顧(學問・文字)〕、吏員岐而爲(二)。苟爲(吏)者以(諺文)而宦達、則後進皆見〔其如(此)〕也、以爲『二十七文字諺文足[以立〔身(於世)〕]、何須〔苦心勞思、窮(性理之學)〕哉。』如(此)則數十年之後、知(文字)者必少、雖〔能以(諺文)而施(於吏事)〕、不〔知(聖賢之文字)〕、則不學墻面、昧(於事理之是非)。徒工(於諺文)、將何用哉。我國家積累右文之化、恐〔漸至(掃地)〕矣。前(此)吏讀雖[不〔外(於文字)〕]、有(識)者尚且鄙(之)、思欲〔以(吏文)易(之)〕。而況諺文與(文字)暫不(干渉)、專用(委巷俚語)者乎。借‐使諺文自(前朝)有(之)、以(今日文明之治・變魯至道之意)、尚肯(因循)而襲(之)乎。必有(更張之議)者、此灼然可知之理也。厭(舊)喜(新)、古今通患。今此諺文不〔過(新奇一藝)〕耳。於(學)有(損)於(治)無(益)、反覆籌(之)未〔見(其可)〕也。
(e)一、若曰『如刑殺獄辭、以(吏讀文字)書(之)、則不〔知(文理)〕之愚民、一字之差、容或至(冤)。今以(諺文)直‐書(其言)、讀使〔聽(之)〕、則雖(至愚之人)、悉皆易嘵而無〔抱(屈)者〕。』然自(古)中國、言與(文)同、獄訟之間、冤枉甚多。借以(我國)言(之)、獄囚之解(吏讀)者、親讀(招辭)、知(其誣)而不〔勝(棰楚)〕、多有(枉服者)。是非[不〔知(招辭之文意)〕而被(冤)]也、明矣。若然則雖〔用(諺文)〕何異(於此)。是知{刑獄之平不平、在(於獄吏之如何)、而不[在〔於言與(文)之同不同〕]}也。欲〔以(諺文)而平(獄辭)〕、臣等未〔見(其可)〕也。
(f)一、凡立(事功)、不〔貴(近速)〕、國家比來措置、皆務(速成)、恐[非〔為(治之體)〕]。儻曰[諺文不〔得(已)〕而為(之)]、此變‐易(風俗)之大者。當〔謀及(宰相)、下至(百僚)〕。國人皆曰(可)、猶先甲先庚、更加(三思)、質(諸帝王)不(悖)、考(諸中國)而無(愧)、百世以俟(聖人)而不(惑)、然後乃可(行)也。今、不〔博採(群議)〕、驟令(吏輩十餘人訓習)、又輕改(古人已成之韻書)、附‐會(無稽之諺文)、聚(工匠數十人)刻(之)、劇欲〔廣‐布(其於天下)〕。後世公議何如。且今、淸州椒水幸、特慮(年歉)、扈從諸事、務從(簡約)、比(之前日)十減(八九)、至(於啓達公務)、亦委(政府)。若夫諺文非[國家緩急不〔得(已)〕及(期)之事]、何獨於(行在)汲汲爲(之)、以煩(聖躬調變之時)乎。臣等尤未〔見(其可)〕也。
(g)一、先儒云『凡百玩好皆奪(志)。至(於書礼)、於(儒者事)最近。然一向好着、亦自喪(志)。』今、東宮雖(徳性成就)、猶當〔潛‐心(聖學)益求〔其未(至)〕也。諺文縱曰〔有(益)〕、特文士六藝之一耳。況萬萬無〔一利(於治道)〕而乃研(精)費(思)、竟(日)移(時)、實有〔損(於時敏之學)〕也。臣等倶以(文墨末技)、待‐罪(侍從)、心有〔所(懐)〕、不(敢含默)。謹罄(肺腑)、仰瀆(聖聰)。
(h)上覧(疏)、謂(萬理等)曰『汝等云〔用(音)合(字)、盡反(於古)〕。薛聰吏讀、亦非〔異(音)〕乎。且吏讀制作之本意、無[乃爲〔其便(民)〕]乎。如其便(民)也、則今之諺文亦不[爲〔便(民)〕]乎。汝等以(薛聰)爲(是)而非(其君上之事)何哉。且汝知(韻書)乎。四聲七音、字母有(幾)乎。若非〔予正(其韻書)〕、則伊誰正(之)乎。且疏云(新奇一藝)。予老來難(以消日)、以(書籍)爲(友)耳。豈厭(舊)好(新)而爲(之)。且非(田獵放鷹之例)也、汝等頗有(過越)。且予年老、國家庶務世子專掌。雖(細事)固當(參決)、況諺文乎。若使〔世子常在(東宮)〕、則宦官任(事)乎。汝等以(侍從之臣)杓知(予意)而有(是言)可乎。』
(i)上曰「前(此)金汶啓曰『制‐作(諺文)未〔爲(不可)〕。』今反以爲(不可)。又鄭昌孫曰『頒‐布(三綱行實)之後、未[見〔有(忠臣孝子烈女)輩出〕]。人之行不行、只在(人之資質如何)耳。何必以(諺文)譯(之)而後人皆效(之)。』此等之言、豈儒者識(理)之言乎。甚無用之俗儒也。」
(j)萬理等對曰『薛聰吏讀雖[曰〔異(音)〕]、然依(音)依(釋)、語助文字元不(相離)。今此諺文、合(諸字)而竝書、變(其音釋)而非(字形)也。且新奇一藝云者、特因(文勢)而爲(此辭)耳。非〔有(意)然〕也。東宮於(公事)、則雖(細事)不[可〔不(參決)〕]、若於(不急之事)、何竟(日)致(慮)乎。』
(k)前(此)、上敎(昌孫)曰『予若以(諺文)譯(三綱行實)、頒(諸民間)、則愚夫愚婦皆得(易暁)、忠臣孝子烈女必輩出矣。』昌孫乃以(此)啓達、故今有(是教)。上又敎曰「予召(汝等)、初非〔罪(之)〕也。但問(疏内一二語)耳、汝等不〔顧(事理)〕、變(辭)以對。汝等之罪、難(以脱)矣。」遂下(副提學萬理、直提學辛碩祖、直殿金汶、應敎鄭昌孫、副校理河緯地、副修撰宋處儉、著作郎趙瑾于義禁府)、翌日命釋(之)、唯罷(昌孫職)、仍傳-旨(義禁府)、『金汶前後變(辭)啓達事由、其鞫、以聞。』
(08)
「括弧(返り点の一種)」に基づいて、「訓読語順」にすると、次のやうに、なります。
(a)庚子。集賢殿副提學崔萬理等、上疏曰『臣等伏覩、諺文制作、至(神妙)爲、創物運智、夐(千古)出。然(臣等區區管見)以、尚〔(疑)可者〕有。敢(危懇)布、謹(于後)疏、伏(聖裁)惟。』
(b)一、我朝(祖宗)自以來、至誠(大)事、一(華制)遵。今(同文同軌之時)當、(諺文)創‐作(駭觀聽)有。黨曰『諺文皆(古字)本、(新字)非也。』則字形〔(古之篆文)倣〕雖、(音)用(字)合、盡(於古)反、實〔(據)所〕無。若(中國)流、或〔(之)非‐議者〕有、豈{[〔於(大)事(華)慕〕愧]有}不。
(c)一、(古)自九州之内、風土(異)雖、未[〔(方言)因而別(文字)爲者〕有]不。唯蒙古・西夏・女眞・日本・西蕃之類、各(其字)有、是皆夷狄事耳、〔(道)足者〕無。傳曰『(夏)用(夷)變、未[〔(於夷)變者〕聞]不也。』歴代中國皆(我國)以(箕子遺風)有、文物・禮樂(中華)比‐擬。今別(諺文)作、(中國)捨而自(於夷狄)同。是所謂(蘇合之香)棄而(螗螂之丸)取也。豈(文明之大累)非哉。
(d)一、新羅薛聰吏讀、〔(鄙俚)爲〕雖、然皆(中國通行之字)借、(於語助)施、(文字)與元(相離)不。故〔(胥吏僕隷之徒)至〕雖、必〔(之)習〕欲、先(數書)讀、粗(文字)知、然後乃(吏讀)用。(吏讀)用者、須(文字)馮、乃能(意)達。故(吏讀)因而(字)知者頗多、亦興學之一助也。若我國元〔(文字)知〕不、(結繩之世)如、則姑(諺文)借、以(一時之用)資猶可、而(正議)執者、必曰『〔其(諺文)行(姑息)以〕與、[〔寧遲緩而(中國通行之文字)習、以(久長之計)爲〕如]不也。』而況吏讀(之)行數千年、而簿書期會等事、[〔(礎)防者〕有]無。何用(舊行無弊之文)改、別(鄙諺無益之字)創乎。若(諺文)行、則(吏)爲者專(諺文)習。〔(學問・文字)顧〕不、吏員岐而(二)爲。苟(吏)爲者(諺文)以而宦達、則後進皆〔其(此)如〕見也、以爲『二十七文字諺文[以〔(於世)身〕立]足、何須〔苦心勞思、(性理之學)窮〕可哉。』(此)如則數十年之後、(文字)知者必少、〔能(諺文)以而(於吏事)施〕雖、〔(聖賢之文字)知〕不、則不學墻面、(於事理之是非)昧。徒(於諺文)工、將何用哉。我國家積累右文之化、〔漸(掃地)至〕恐矣。(此)前吏讀[〔(於文字)外〕不]雖、(識)有者尚且(之)鄙、思〔(吏文)以(之)易〕欲。而況諺文(文字)與暫(干渉)不、專(委巷俚語)用者乎。借‐使諺文(前朝)自(之)有、(今日文明之治・變魯至道之意)以、尚(因循)肯而(之)襲乎。必(更張之議)有者、此灼然可知之理也。(舊)厭(新)喜、古今通患。今此諺文〔(新奇一藝)過〕耳。(學)於(損)有(治)於(益)無、反覆(之)籌未〔(其可)見〕不也。
(e)一、若曰『如刑殺獄辭、(吏讀文字)以(之)書、則〔(文理)知〕不之愚民、一字之差、容或(冤)至。今(諺文)以(其言)直‐書、讀〔(之)聽〕使、則(至愚之人)雖、悉皆易嘵而〔(屈)抱者〕無。』然(古)自中國、言(文)與同、獄訟之間、冤枉甚多。借(我國)以(之)言、獄囚之(吏讀)解者、親(招辭)讀、(其誣)知而〔(棰楚)勝〕不、多(枉服者)有。是[〔(招辭之文意)知〕不而(冤)被]非也、明矣。若然則〔(諺文)用〕雖何(於此)異。是[刑獄之平不平、(於獄吏之如何)在、而[〔於言(文)與之同不同〕在]不}知也。〔(諺文)以而(獄辭)平〕欲、臣等未〔(其可)見〕不也。
(f)一、凡(事功)立、〔(近速)貴〕不、國家比來措置、皆(速成)務、[〔(治之體)為〕非]恐。儻[諺文〔(已)得〕不而(之)為]曰此(風俗)變‐易之大者。當〔謀(宰相)及、下(百僚)至〕。國人皆(可)曰猶先甲先庚、更(三思)加、(諸帝王)質(悖)不、(諸中國)考而(愧)無、百世以(聖人)俟而(惑)不、然後乃(行)可也。今、〔博(群議)採〕不、驟(吏輩十餘人訓習)令、又輕(古人已成之韻書)改、(無稽之諺文)附‐會、(工匠數十人)聚(之)刻、劇〔(其於天下)廣‐布〕欲。後世公議何如。且今、淸州椒水幸、特(年歉)慮、扈從諸事、務(簡約)從、(之前日)比十(八九)減、(於啓達公務)至、亦(政府)委。若夫諺文[國家緩急〔(已)得〕不(期)及之事]非、何獨(行在)於汲汲(之)爲、以(聖躬調變之時)煩乎。臣等尤未〔(其可)見〕不也。
(g)一、先儒云、『凡百玩好皆(志)奪。(於書礼)至、(儒者事)於最近。然一向好着、亦自(志)喪。』今、東宮(徳性成就)雖、猶當〔(聖學)潛‐心益其未(至)不求〕可也。諺文縱〔(益)有〕曰特文士六藝之一耳。況萬萬〔(於治道)一利〕無而乃(精)研(思)費、(日)竟(時)移、實〔(於時敏之學)損〕有也。臣等倶(文墨末技)以、(侍從)待‐罪、心〔(懐)所〕有、〔敢含默)不。謹(肺腑)罄、仰(聖聰)瀆。
(h)上(疏)覧、(萬理等)謂曰『汝等〔(音)用(字)合、盡(於古)反〕云。 薛聰吏讀、亦〔(音)異〕非乎。且吏讀制作之本意、[乃〔其(民)便〕爲]無乎。如其(民)便也、則今之諺文亦[〔(民)便〕爲]不乎。汝等(薛聰)以(是)爲而(其君上之事)非何哉。且汝(韻書)知乎。四聲七音、字母(幾)有乎。若〔予(其韻書)正〕非、則伊誰(之)正乎。且疏(新奇一藝)云。予老來(以消日)難、(書籍)以(友)爲耳。豈(舊)厭(新)好而(之)爲。且(田獵放鷹之例)非也、汝等頗(過越)有。且予年老、國家庶務世子專掌。(細事)雖固當(參決)可、況諺文乎。若〔世子常(東宮)在〕使、則宦官(事)任乎。汝等(侍從之臣)以杓(予意)知而(是言)有可乎。』
(i)上曰「(此)前金汶啓曰『(諺文)制‐作未〔(不可)爲〕不。』今反以(不可)爲。又鄭昌孫曰『(三綱行實)頒‐布之後、未[〔(忠臣孝子烈女)有輩出〕見]不。人之行不行、只(人之資質如何)在耳。何必(諺文)以(之)譯而後人皆(之)效。』此等之言、豈儒者(理)識之言乎。甚無用之俗儒也。」
(j)萬理等對曰『薛聰吏讀[〔(音)異〕曰]雖、然(音)依(釋)依、語助文字元(相離)不。今此諺文、(諸字)合而竝書、(其音釋)變而(字形)非也。且新奇一藝云者、特(文勢)因而(此辭)爲耳。〔(意)有然〕非也。東宮(公事)於、則(細事)雖[〔(參決)不〕可]不、若(不急之事)於、何(日)竟(慮)致乎。』
(k)(此)前、上(昌孫)敎曰『予若(諺文)以(三綱行實)譯、(諸民間)頒、則愚夫愚婦皆(易暁)得、忠臣孝子烈女必輩出矣。』昌孫乃(此)以啓達、故今(是教)有。上又敎曰「予(汝等)召、初〔(之)罪〕非也。但(疏内一二語)問耳、汝等〔(事理)顧〕不、(辭)變以對。汝等之罪、(以脱)難矣。」遂(副提學萬理、直提學辛碩祖、直殿金汶、應敎鄭昌孫、副校理河緯地、副修撰宋處儉、著作郎趙瑾于義禁府)下、翌日命(之)釋、唯(昌孫職)罷、仍(義禁府)傳-旨、『金汶前後(辭)變啓達事由、其鞫、以聞。』
(09)
「括弧(返り点の一種)」に基づいて、「訓読の語順」にした上で、「平仮名」を加へて「訓読」すると、次のやうに、なります。
(a)庚子。集賢殿副提學崔萬理等、上疏して曰く、『臣等伏して覩るに、諺文の制作、至って(神妙)爲り、創物運智、夐かに(千古を)出づ。然れども(臣等の區區管見を)以てするに、尚ほ〔(疑ふ)可き者〕有り。敢へて(危懇を)布き、謹んで(後に)疏し、伏して(聖裁を)惟ふ。」
(b)一、我が朝(祖宗)自り以來、至誠に(大に)事へ、一に(華制に)遵ふ。今(同文同軌の時に)當り、(諺文を)創‐作するに(駭きて觀聽する)有り。黨しくは曰く、『諺文は皆(古字に)本づき、(新字に)非ざるなり。』則ひ字形〔(古の篆文に)倣ふと〕雖も、(音を)用ひ(字を)合はすは、盡く(古に)反す、實に〔(據る)所〕無し。若し(中國に)流れ、或は〔(之を)非‐議する者〕有らば、豈に{[〔(大に)事へ(華を)慕ふに〕愧ずること]有ら}ざらんや。
(c)一つ、(古)自り九州の内、風土(異なると)雖も、未だ[〔(方言に)因りて別に(文字を)爲す者〕有ら]ず。唯だ蒙古・西夏・女眞・日本・西蕃之類、各々(其の字)有るは、是れ皆夷狄の事のみ、〔(道ふに)足る者〕無し。傳に曰く、『(夏を)用ひて(夷を)變ずるも、未だ[〔(夷に)變ずる者を〕聞か]ざるなり。』歴代の中國、皆(我國を)以て(箕子の遺風)有りとし、文物・禮樂は(中華)に比‐擬す。今、別に(諺文を)作り、(中國を)捨て、自ら(夷狄と)同じくす。是れ所謂(蘇合の香を)棄て(螗螂の丸)取るなり。豈に(文明の大累に)非ざらんや。
(d)一つ、新羅の薛聰の吏讀は、〔(鄙俚)爲りと〕雖も、然れども皆(中國通行の字を)借り、(語助を)施し、(文字)と元々(相ひ離れ)ず。故に〔(至胥吏僕隷の徒に)至ると〕雖も、必ず〔(之を)習はんと〕欲せば、先ず(數書を)讀み、粗ぼ(文字を)知りて、然る後に乃ち(吏讀を)用ゐる。(吏讀を)用ゐる者は、須らく(文字に)馮り、乃ち能く(意を)達す。故に(吏讀に)因りて(字を)知る者頗る多く、亦た興學の一助なり。若し我が國元々〔(文字を)知ら〕ず、(結繩の世の)如くんば、則ち姑く(諺文を)借り、以て(一時の用に)資するも猶ほ可なれども、(正議を)執る者、必ず曰く『〔其の(諺文を)行ひ(姑息を)以ってする〕與りは、[〔寧ろ遲緩なれども(中國通行の文字を)習ひ、以て(久長の計を)爲すに〕如か]ざるなり。』而も況んや吏讀は、(之を)行ふこと數千年にして、簿書・期會等の事、[〔(礎を)防ぐる者〕有ること]無し。何の用にか(舊行無弊の文を)改め、別に(鄙諺無益の字を)創らんむや。若し(諺文を)行はば、則ち(吏)爲る者は專ら(諺文を)習ひ、〔(學問・文字を)顧み〕ず、吏員は岐れて(二と)爲らむ。苟くも(吏)爲る者、(諺文を)以て宦達すれば、則ち後進、皆〔其の(此くの)如き〕見るや、以爲く『二十七文字の諺文[以て〔(世に)身を〕立つるに]足らば、何ぞ須く〔苦心勞思し、(性理の學を)窮む〕可きや。』(此くの)如くん則ち數十年の後、(文字を)知る者は必ず少なく、〔能く(諺文を)以て(吏事に)施すと〕雖も、〔(聖賢の文字を)知ら〕ずんば、則ち不學墻面にして、(事理の是非に)昧し。徒に(諺文に)工なるは、將た何ぞ用ひんや。我が國家積累右文の化、〔漸く(掃地するに)至るを〕恐る。(此に)前つ吏讀は[〔(文字を)外れ〕ざると]雖も、(識)有る者は尚ほ且つ(之を)鄙み、思ひて〔(吏文を)以て(之に)易へんと〕欲す。而るに況んや諺文は(文字)と暫く(干渉せ)ず、專ら(委巷の俚語を)用ゐる者をや。借‐使ひ諺文(前朝)自り(之)有るとも、(今日の文明の治・變魯至道の意を)以てすら、尚ほ(因循を)肯じて(之を)襲ぬるや。必ず(更張の議)有るは、此れ灼然として可知の理なり。(舊を)厭ひ(新しきを)喜ぶは、古今の通患なり。今、此の諺文〔(新奇の一藝に)過ぎ〕ざるのみ。(學に)於て(損)有り(治)於て(益)無く、反覆して(之を)籌れども未だ〔(其の可なるを)見〕ざるなり。
(e)一つ、若しくは曰ふ『如し刑殺獄辭、(吏讀文字)以て(之を)書かば、則ち〔(文理を)知ら〕ざるの愚民、一字の差、容に或は(冤を)至さむ。今(諺文を)以て(其の言を)直‐書、讀みて〔(之を)聽か〕使めば、則ち(至愚の人と)雖も、悉く皆易く嘵て〔(屈を)抱く者〕無し。』然れども(古)自り中國は、言と(文)と同じけれども、獄訟の間に、冤枉甚だ多し。借りに(我國を)以て(之を)言ば、獄囚の(吏讀を)解する者、親ら(招辭を)讀み、(其の誣を)知れども〔(棰楚)勝へ〕ず、多く(枉服する者)有り。是れ[〔(招辭の文意を)知ら〕ずして(冤せ)被るるに]非ざるや、明らかなり。若し然らば則ち〔(諺文を)用ゐると〕雖も何ぞ(此れに)異ならん。是れ[刑獄の平不平は、(獄吏の如何に)在りて[〔言と(文)との同不同に〕在ら]ざるを}知るなり。〔(諺文を)以て(獄辭を)平にせんと欲する〕は、臣ら未だ〔(其の可なるを)見〕ざるなり。
(f)一つ、凡そ(事功を)立つるに、〔(近速を)貴ば〕ざるに、國家比來の措置、皆(速成に)務め、[〔(治の體を)為すに〕非ざるを]恐る。儻し[諺文〔(已むを)得〕ずして(之を)為すと]曰はば、此れ(風俗を)變‐易するの大なる者なり。當に〔謀ること(宰相に)及びて、下は(百僚に)至る〕可し。國人皆(可と)曰へども、猶ほ先甲先庚し、更に(三思)を加へ、(諸を帝王)質して(悖ら)ず、(諸を中國に)考して(愧)無く、百世以て(聖人を)俟ちて(惑は)ず、然る後に乃ち(行ふ)可きなり。今、〔博く(群議を)採ら〕ず、驟に(吏輩十餘人をして訓習せ)令む、又た輕く(古人已に成すの韻書)改め、(無稽の諺文を)附‐會し、(工匠數十人を)聚め(之を)刻ませ、劇ぎて〔(其れを天下に)廣‐布せんと〕欲す。後世の公議何如ならむ。且つ今、淸州椒水の幸、特に(年の歉するを)慮ひ、扈從諸事は、務めて(簡約に)從ひ、(之を前日に)比べ十に(八九に)減じ、(啓達公務に)至りても、亦た(政府に)委ぬ。若し夫れ諺文[國家の緩急にして〔(已むを)得〕ず(期に)及ぶの事に]非ずんば、何ぞ獨り(行在に)於て汲汲として(之を)爲し、以て(聖躬調變の時を)煩はさんや。臣ら尤も未だ〔(其の可なるを)見〕ざるなり。
(g)一つ、先儒に云ふ『凡百の玩好は皆(志を)奪ふ。(書礼に)至りては、(儒者の事に)於いて最も近し。然れども一向に好着するも、亦た自ら(志を)喪ふ。』今、東宮は(徳性成就すと)雖も、猶ほ當に〔(聖學に)潛‐心して益々其の未だ(至)ざるを求む〕可きなり。諺文、縱ひ〔(益)有りと〕曰へど、特だ文士六藝の一のみ。況んや萬萬〔(治道に)一利〕無くして乃ち(精を)研ぎ(思ひ)費し、(日を)竟へ(時を)移すは、實に〔(時敏の學に)損〕有るなり。臣ら倶に(文墨の末技を)以て、(侍從に)待‐罪するも、心に〔(懐く)所〕有りて、〔敢て含默せ)ず。謹んで(肺腑を)罄くし、仰ぎて(聖聰を)瀆す。
(h)上(疏を)覧て、(萬理らに)謂ひて曰く『汝等ら〔(音を)用ひて(字を)合はすは、盡く(古に)反すと〕云ふ。 薛聰の吏讀も、亦た〔(音を)異にするに〕非ずや。且つ吏讀制作の本意は、[乃ち〔其の(民を)便ならしめんと〕爲すに]無きや。如し其れ(民を)便ならしめんや、則ち今の諺文も亦た[〔(民を)便ならしめんと〕爲さ]ざらんや。汝ら(薛聰を)以て(是と)爲せども(其の君上の事を)非とするは何ぞや。且つ汝(韻書を)知るや。四聲七音、字母(幾らか)有らんや。若し〔予(其の韻書を)正すに〕非ずんば、則ち伊れ誰か(之を)正さんや。且つ疏に(新奇の一藝と)云ふ。予老い來りて(以て消日し)難く、(書籍を)以て(友と)爲すのみ。豈に(舊きを)厭ひ(新しきを)好みて(之を)爲さん。且つ(田獵放鷹の例に)非ずんば、汝ら頗る(過越)有り。且つ予年老いて、國家庶務、世子專掌す。(細事と)雖も固り當に(參決す)可し、況んや諺文をや。若し〔世子をして常に(東宮に)在ら〕使めば、則ち宦官(事を)任ずるや。汝ら(侍從の臣)以て杓に(予の意を)知れども(是の言)有るは可なるや。』
(i)上曰「く(此に)前ちて金汶啓して曰く『(諺文を)制‐作するに未だ〔(不可を)爲さ〕ず。』今、反て以て(不可と)爲す。又た鄭昌孫曰く、『(三綱行實を)頒‐布するの後、未だ[〔(忠臣孝子烈女)有りて輩出するを〕見]ず。人の行不行、只(人の資質の如何に)在るのみ。何ぞ必ず(諺文を)以て(之を)譯して後に人皆(之に)效はんや。』此らの言、豈に儒者(理を)識るの言ならんや。甚だ無用の俗儒なり。」
(j)萬理ら對へて曰く『薛聰の吏讀[〔(音を)異にと〕曰ふと]雖も、然れども(音に)依り(釋に)依りて、語助文字元より(相離れ)ず。今、此の諺文、(諸字を)合せて竝書し、(其の音釋を)變へて(字形に)非ざるなり。且つ新奇の一藝と云ふは、特だ(文勢に)因りて(此の辭を)爲すのみ。〔(意)有りて然るに〕非ざるなり。東宮は(公事に)於いて、則ち(細事と)雖も[〔(參決せ)不る〕可か]ず、若し(不急の事に)於いて、何ぞ(日を)竟へて(慮を)致すや。』
(k)(此に)前ちて、上(昌孫に)敎へて曰く『予、若し(諺文)以て(三綱行實を)譯し、(諸を民間に)頒てば、則ち、愚夫愚婦皆(易く暁るを)得て、忠臣孝子烈女必ず輩出せん。』昌孫乃ち(此を)以て啓達し、故に今(是の教へ)有り。上、又た敎へて曰く、『予(汝ら)召すこと、初めより〔(之を)罪するに〕非ざるなり。但だ(疏内の一二語を)問ふのみなれど、汝等ら〔(事理を)顧み〕ず、(辭)變へ以て對ふ。汝らの罪、(以て脱し)難し。』遂に(副提學萬理、直提學辛碩祖、直殿金汶、應敎鄭昌孫、副校理河緯地、副修撰宋處儉、著作郎趙瑾を義禁府に)下し、翌日命じて(之を)釋す、唯だ(昌孫の職)罷み、仍て(義禁府に)傳-旨するに、『金汶前後に(辭)を變へ啓達せし事由、其れ鞫し、以て聞せよ。』
(10)
口語訳」は、次の通りです。
(a)1444年、集賢殿副提學である崔萬理らが、上疏して言った、『私どもが思いますに、「諺文」の制作は、非常に(神妙)であって、王様の物を創造される知恵は、はるかに(千古の昔を)抜きん出ています。しかしながら(私どもの浅慮)からしますと、〔(疑問に)思うことが〕有り、敢へて(厳しい真心)をもって、謹んで(以下に)申し上げ、(ご聖断を仰ぐ)次第です。』
(b)一つ、我が国は(初代国王)より、誠をもって(大国に)仕え、ひたすら(中華の制度に)従っています。今、(中華と進べき道を同じくするに)当たり、(諺文を)創‐作したことに対して(驚きをもって見聞きする者が)います。あるいは、『諺文はすべて(古い文字に)本づいていて、(新しい字)ではない。』と言われるかも知れません。たとえ字の形が〔(昔の文字に)ならっているに〕せよ、(音を)用いて(字を)合わせるのであれば、ことごとく(古いものに)反することになり、実に〔(根拠とする)所が〕有りません。もし(中国に)この「諺文」が知られることになって、〔(この「諺文」を)非難する者が〕有るとすれば、{[〔(大国に)仕え、(中華を)慕うに於いて〕恥ずべきこと]であると}思わないのでしょうか。
(c)一つ、(昔)から、各地の風土は、それぞれ(異っている)としても、これまでに[〔(各地の言葉に)本づいて(文字を)作った者は〕い]ません。唯だ、蒙古・西夏・女眞・日本・西蕃などに(彼等の字が)有るのは、野蛮人であるからに、過ぎないので、〔(言う)必要は〕ありません。古典には、『(中華に)よって(野蛮人)が変わることはあっても、[〔(野蛮人に)感化された〕例は]ありません。』歴代の中国は、皆(我が国)に(箕子の遺風が)有るとして、文物や礼楽は(中華)になぞらえています。にもかかわらず、新たに(諺文を)作り、(中国から)離れて、自分から(野蛮人に)なろうとしています。これでは(蘇合の香を)棄てて、(まがい物の薬)を取ることになります。どうして(文明に対する大害で)ないと言えるでしょうか。
(d)一つ、新羅の薛聰が作った吏読は、〔(田舎)めいている〕にしても、全て(中國で通用するの字を)借りて、(助詞)としているので、(文字)とそれは、元々(互いに離れ)てはいません。そのため、〔(小役人や下僕)であるに〕せよ、どうしても〔(これを)習い〕たいのであれば、最初に(数冊の書を)読み、ほぼ(文字を)知ってから、その後で(吏読を)用います。(吏読を)用いる者は、しばらく(文字に)たより、そのようして(意を)尽すことができます。それ故(吏読に)たよって(字を)覚える者が大変多く、このことがまた学を興す上での一助になります。もし我が国が元々〔(文字を)知ら〕ないで、(今でも、結繩を用いるような)状態であれば、しばらくの間、(諺文を)を用いて、(一時的な用と)したとしても、良いでしょうが、(正論に)固執する者であれば、必ず『〔(諺文を)用いて(一時しのぎ)をする〕のであれば、[〔それよりも、遅遅としても、(中国で通じる文字を)習ひ、(長い計画を)行なう〕方が]良い。』と言うはずです。しかも吏読の場合は、(これを)行ふことが数千年に及んでいて、報告書や会計などにおいて、[〔(その基礎を)崩すようなことが〕有り]ません。それなのに何故、(古くからの弊害の無いの文字を)改め、別に(卑しく無益の文字を)創ろうとするのでしょうか。もし(諺文を)行へば、(役人)である者は専ら(諺文を)習い、〔(学問・漢字を)顧み〕なくなり、役人は分れて(二つと)なるでしょう。仮にも(役人)である者が、(諺文に)よって、官職を得るようになれば、後から続く者は、皆〔先輩たちの(その)ような様子を〕見て、『二十七文字の諺文[で〔(世に)出れ〕る]のであれば、どうして〔苦労して(性理の学を)究める〕ことがあろうか。』と思うはずです。(この)ようなことが続けば、数十年の後、(文字を)知る者は必ず少なくなり、〔(諺文に)よって(役所仕事が)出来た〕としてもも、〔(聖賢なる漢字を)知ら〕なければ、何も学んでいないのと同じであって、(物事の道理に)暗くなります。(諺文に)優れていたとして、それだけで、一体、何の使い道が有るというのでしょうか。我が国が積み重ねて来た文を尊ぶ気風が、〔だんだんと(地面を掃くように無くなって)しまうことを〕恐れます。(従来)の吏読は[〔(文字から)外れて〕いない]にせよ、(学識)有る者は、それでもなお(諺文を)蔑み、〔(吏文を)用いて(諺文に)代えよう〕とします。ところが、諺文は(文字)と少しも(関わりが)無く、専ら(世俗の話し言葉を)用いるものではないですか。もし仮に、諺文が(前の王の治世)から(それが)有ったとしても〔仮定法過去?〕、(今日の文明の政治や魯を変革して王道に至らせるような大儀を)持ちながら、それでもなおも(古いしきたりに囚われ)て(諺文を)引き継ぐのでしょうか。必ず(改めようと議論する者が)有るのは、合点のいく道理です。(古いものを)嫌い(新しいもの)喜ぶのは、古今を通じての病理です。今、この諺文は〔(物珍しいの一芸に)過ぎ〕ないのです。(学門に)おいて(害が)有り、(政治)おいても(益が)無く、繰り返して(このことを)考えてみても、未だに〔(それを良しとする理由を)見つけることが〕出来ません。
(e)一つ、あるいは『刑罰の判決書を、(吏讀や漢字を)用いて(それを)書けば、〔(文章の筋道が)分から〕ない愚かな民は、一字の違いで、たやすく或いは(濡れ衣を)着せられるかもしれない。しかし(諺文を)用いて(その人の言葉を)そのまま書き、読んで〔(それを)聞くか〕せれば、(大バカ者)であっても、すべて皆容易に理解して〔(不平を)抱く者が〕いなくなる。』と言います。しかしながら(昔)から中國は、言葉と(文字)とが同じであっても、訴訟の中に、冤罪が非常に多くあります。借りに(我國に)おいて(このことを)言うならば、獄につながれた者で(吏讀を)読める者が、自ら(調書を)読み、(それが濡れ衣であることを)知ったとしても〔(鞭うち)堪えられ〕ずに、多く(屈服する者が)有ります。このことからも[〔(調書の文意を)知ら〕ないので(濡れ衣を)着せられるのでは]ないということは、明白です。もしそうであるならば〔(諺文を)用いたと〕してもどうして(吏讀を用いることと)変わりが有るのでしょうか。それ故[刑罰の公平と不公平は、(獄吏の在りように)在るのであって[〔言葉と(文字)が同じかどうか〕在る]のではないことが}分ります。〔(諺文を)用いて(判決書を)公平にしようとすること〕は、私どもには、まだ〔(それを良しとする理由が)見えて〕いません。
(f)一つ、何事も(功績を)立てるのに、〔(拙速であることは)良く〕ないことですが、我が国の近頃の措置は、どれも(急いで完成することに)務め、[〔(政治の体を)なして〕いないのではと]心配します。もし[諺文を〔(已むを)得〕ない事情で(これを)作った]とすると、このことは(風俗を)大きく変えることになるので、当然〔議論するのは(宰相)以下、(百官に)至る〕必要があります。國中の人が(良いと)認めたとしても、それでもなお十分に説明し、更に(三たび考え)直し、(これを帝王の説)に照らして(間違いが)なく、(これを中國に)うかがいをたてて(恥じることが)無く、後々の世の(聖人)が現れても(迷いが)ないか、そのようにした後で(それを)行なうべきです。今〔多く(の人々の議論を)採ら〕ずに、にわかに(小役人の十人ほどに習わ)せて、その上、軽々しく(先人が作った韻書)改めて、(荒唐無稽な諺文を)こじつけで当てはめ、(工匠数十人を)集めて(これを)印刷し、急いで〔(それを世の中に)広めようと〕なさっています。後世の公論はどのようになるでしょうか。さらに、このたびは、淸州の椒水への行幸で、とりわけ(今年の凶作を)心配なさり、付き従う諸事も(簡約に)して、(前の日に)比べて十を(八九に)減して、(上奏と公務に)至ってもまた、(議政府に)委ねました。もしそれ諺文[國家の危急であって〔(已むを)得〕ず(期日に)間に合わせなければならない事で]ないのであれば、どうしてもっぱら(行在所に)居られても汲汲として(これを)爲さり、(お体を整えるの時に)煩わしいことをなさるのでしょうか。私どもはどうしても、未だに〔(それを良しとする理由が)見えて〕いません。
(g)一つ、昔の儒者は『数々の遊びは(志を)奪う。(書き物)などは、(儒者の仕事に)おいて最も近い。しかしながら、そのことだけを好む場合もまた、自ら(志を)失う。』今や、王子は(徳性が成就したと)しても、なお当然〔(聖學に)専念して益々その未だ(至ら)ない点の完成を求め〕なければなりません。諺文が、たとえ〔(有益)であると〕いっても、ただ文士の六藝に過ぎません。まして決して〔(世を治める道には)一利も〕無いのに(精しさを)究めることに(思い)費やし、(日を)終えて(時を)過ごすことは、實に〔(時敏の學の)損失に〕なります。私どもは俱に(文筆のつまらない技を)用いて、(侍從を)務めさせてもらっておりますが、心に〔(思う)ことが〕有って、〔黙っていることは敢えて)せず。謹んで(心中を)吐露し、仰ぎ見つつも(王の聡明を)瀆します。
(h)王は(上疏文を)ご覧になり、(萬理らに)言った『お前たちは〔(音を)用ひて(字を)組み合わせるやり方は、尽く(古いものに)反していると〕言った。薛聰の吏讀も、亦た〔(本来の音と)異なるのでは〕ないのか。その上、吏讀を作成した際の本意は、[すなわち〔その、(民を)便利に〕させることに]有ったのではないのか。もし(民を)便利にさせることであるならば、すなわち、今回の諺文も亦た[〔(民を)便利に〕させることと]であるのではないか。お前たちは(薛聰に)ついては(是と)するのに(お前たちの君主の事を)非とするは何故かや。その上お前たちは(韻書を)知っているのか。四聲七音、それに字母を(いくつ)有るのか。もし〔私が(その韻書を)正すのでは〕ないならば、いったい誰が(これを)正すのか。その上、上文疏には(新奇の一藝と)ある。私は年老いて(日々を送るのが)難しく、(書籍を)以て(友と)するだけである。どうして(古いものを)疎んじて(新しいものを)好みて(これを)作ったというのか。(狩りや鷹狩りの例でも)ないのに、お前たちは極めて(言葉が過ぎて)いる。その上、私は年老いて、國家の庶務は、王子に任せている。(些細なことで)あっても本来は、当然(決定に加わる)べきであって、まして諺文であれば、なおさらそうしなければならない。もし〔王子を常に(東宮に)いさ〕せるのであれば、宦官(その仕事を)引き受けるのか。お前たちは(侍從の臣)であるから、よく(私の心を)知っているの(このような言葉が)有って良いと思うのか。』
(i)王は言った「(この)前、金汶は『(諺文を)制‐作することは〔(悪いこと)では〕ない。』と言っていたが、今は、逆に(良くないと)する。その上、鄭昌孫曰は『(三綱行實を)頒‐布したのに、未だ[〔(忠臣孝子烈女)の輩出が〕見られ]ません。人が良い行いをするか否かは、ただ(人の資質が、どのようであるのかということだけに)です。どうして必ず(諺文を)用いて(三綱行實を)譯した後に、人々が皆(三綱行實に)ならうようになるでしょうか。』と言ったが、これらの発言は、どうして、その儒者が(道理を)知っていると言えるだろうか。全くもって、無用の俗儒である。」
(j)萬理らが答えて言った『薛聰の吏讀は[〔(本来の音と)同じではないと〕言ったと]しても、しかしながら(本来の音に)依拠し(解釈に)依拠していて、語助と文字は元来(別のものでは)ありません。ところが、諺文は、(いくつもの字を)合せて並べて書き、(音と解釈を)變へて(字形をなして)いません。但し、新奇の一藝と述べたのは、ただ(文勢に)任せて(そのように)述べただけです。〔(他意が)有ってそのように述べたので〕ないのです。東宮は(公の仕事)であれば、(些細なこと)であっても[〔(参加し採決し)なければ〕なりま]せんが、もし(急がない仕事で)あれば、どうして(一日)中(思案を)なさるのですか。』
(k)(この)前に、王は(昌孫に)敎えて次のように言った『私が、もし(諺文を)用いて(三綱行實を)譯し、(それを民間に)頒布すれば、無学な男女であっても(容易にそれを理解)できるので、忠臣孝子烈女が、必ず輩出する。』と、そこで昌孫は、(王の言葉を)受けて上奏し、それ故、今(この教えが)有る。王は、さらに敎えて言った『私が(お前たちを)集めたのは、初めから〔(お前たちの)罪をとがめようとした〕のではない。但だ(上疏文の中の一二語を)問い正そうとしただけである。だが、お前たちは〔(道理を)顧み〕ないまま、(言葉を)變へて返答した。お前たちの罪は(許し)がたい。』と、これにより(副提學萬理、直提學辛碩祖、直殿金汶、應敎鄭昌孫、副校理河緯地、副修撰宋處儉、著作郎趙瑾を、義禁府に)下したが、翌日には(これらを)釋すように命じられた。唯だ(昌孫でけは職を)解かれ、(義禁府に)は『金汶が前後に(言葉を)を變へて上奏した理由を糾して、それを報告せよ。』と勅旨が下された。
(11)
「元和」は平和の世のはじまり、「偃武」は武器を伏せて戦争をやめること。出典は、漢文の古典、『書経』の句「偃武修文(武を偃せて文を修む)」です。幕府は武士が儒学の漢文を学ぶことを奨励しました。漢文の訓読の方法も、一般に公開されるようになりました。従来の「ヲコト点」のような複雑な訓点ではなく、「一・二点」は「レ点」、カタカナによる送り仮名など、初心者でも簡単に習得できる訓点が、世の中に広まりました。誰でも漢文の本を簡単に読める時代が、日本史上、初めて到来したのです(NHK知るを楽しむ、歴史に好奇心、加藤徹、2008年、52頁)。
しかしながら、
(12)
①(  )
②〔  〕
③[ ]
④{ }
に比べれば、
① レ、一レ、上レ、甲レ、天レ
② 一、二、三、四、五、六、七、八、九、十、・・・・・
③ 上、中、下
④ 甲、乙、丙、丁、戊、己、庚、辛、壬、癸
⑤ 天、地、人
といふ「返り点」は、「かなり、複雑」であるし、
(13)
例へば、
知我不羞小節恥功名不顕于天下也=
我不小節而恥功名不上レ于天下也=
知{我不〔羞(小節)〕恥[功名不〔顕(于天下)〕]}也⇒
{我〔(小節)羞〕不[功名〔(于天下)顕〕不]恥}知也=
{我の〔(小節を)羞ぢ〕ずして[功名の〔(天下に)顕らはれ〕ざるを]恥づるを}知ればなり。
に於ける、
下 レ 二 一 中 上レ 二 一
といふ「返り点」は、「読み易い」とは言へないし、困ったことに、
(14)
ユニコードの、
3191 ㆑
3192 ㆒
3193 ㆓
3194 ㆔
3195 ㆕
3196 ㆖
3197 ㆗
3198 ㆘
3199 ㆙
319A ㆚
319B ㆛
319C ㆜
319D ㆝
319E ㆞
319F ㆟
は、「返り点」としては、「大き過ぎる」ものの、その一方で、「括弧」であれば、当然、「大きさは、ちょうど良い」。
従って、
(01)(13)(14)により、
(15)
括弧が無かったならば
『崔万里等 諺文(언문、ハングルの旧称)反対上疏文(西暦1444年)』に対して、「語順符号」を付けよう。
などといふ気に、到底なれなかった。といふ、ことになる。
(16)
漢文訓読の返り点に括弧を導入して構造化する試み(松山巌 著 - ‎2014):
漢文の訓読において用いられる返り点は、長年の慣習と伝統の中から生まれてきた実用性に富むものであるが、現代的な観点でみると ... 丸括弧の導入により、一二点・上下点などの各種の返り点は不要となり、レ点のみで用が足りる
(11)返り点を構造化した記号としての丸括弧を導入してのがいつごろだったか、記憶は定かではないが、遅くとも、一九九五年には浪人生に対してこれを指導していた。
(17)
私の場合は、20世紀の終はりか、21世紀の初めの頃に、
1790 *TATE
1800 LNGT=(LEN(AA$)/2)-1
1810 FOR II=2 TO LNGT
1820 BB=ASC(MID$(AA$,II*2-1,1))*256
1830 CC=ASC(MID$(AA$,II*2 ,1)):DD=AA+BB
1840 Y=Y+20
1850 IF DD=9008 THEN Y=-20 :X=X+2 :GOTO 1910
1860 IF DD=8567 THEN Y=-20: X=X+1 :GOTO 1910
1870 IF DD=8482 THEN Y=Y-16 :GOTO 1910
1880 IF DD=8483 THEN 1910
1890 IF Y+16>(400-16*0) THEN Y=0 :X=X+1
1900 PUT@(16*(XX-X),Y),KANJI(DD)
1910 NEXT II
1920 RETURN
といふ「(縦書きのため)サブルーチン」を含む、「白文訓読(と復文)」のためのプログラムを、「N88-日本語BASIC(86)」で書いて、それを実行していたことが有って、多分、その際に、
悪称人之悪者。
といふ「白文」などが、何となく、
悪{称(人之悪)者}。
といふ風に、見えて(思えて)、そのため、
人之悪=悪{称(人之悪)者}。
であるため、
①(  )
②{  }
③ 二 一
④ 下 上
に於いて、
①=③
②=④
であるといふことに、気付いたのだと、思はれます。


(548)「括弧」と「返り点」(Ⅴ)。

2020-03-11 12:36:17 | 「漢文訓読」と「括弧」。

―「昨日(令和02年03月10日)」の「記事」を補足します。―
(01)
① 二 一
② 下 上
③ 乙 甲
④ 地 天
に於いて、
① は「対(pair)」であって、
② も「対(pair)」であって、
③ も「対(pair)」であって、
④ も「対(pair)」である。
(02)
① 二 一
② 下 上
③ 乙 甲
④ 地 天
に於いて、
④ の間には、1組以上の③が有り、
③ の間には、1組以上の②が有り、
② の間には、1組以上の①が有る。
従って、
(01)(02)により、
(03)
① 二 一
② 下 上
③ 乙 甲
④ 地 天
に於いて、
① が無ければ、
② は無く、
② が無ければ、
③ は無く、
③ が無ければ、
④ は無い。
従って、
(01)(02)(03)により、
(04)
④ 地 の「右側」には、「乙 下 二 一 上 甲 天」が有り、
③ 乙 の「右側」には、「  下 二 一 上 甲  」が有り、
② 下 の「右側」には、「    二 一 上    」が有り、
① 二 の「右側」には、「      一      」が有る。
(05)
(a)「原則」として、「からへ」読む。
(b)二 は、一 を読んだ「直後」に読む。
(c)下 は、上 を読んだ「直後」に読む。
(d)乙 は、甲 を読んだ「直後」に読む。
(e)地 は、天 を読んだ「直後」に読む。
従って、
(01)~(05)により、
(06)
(ⅰ)地 乙 下 二 一 上 甲 天 であれば、
(〃)⑧ ⑥ ④ ② ① ③ ⑤ ⑦ といふ「順番」で読む。
従って、
(06)により、
(07)
(ⅱ)我 地 必 乙 下 二 中 一 上 二 漢 一 甲 天 也。であれば、
(〃)① ⑭ ② ⑫ ⑦ ⑤ ③ ④ ⑥ ⑩ ⑧ ⑨ ⑪ ⑬ ⑮  といふ「順番」で読む。
然るに、
(08)
(ⅰ)我 以 解文 法 文 # 者 也。
(ⅱ)我 乙 下 二 一 上 二 一 甲 天 也。
に於いて、
(ⅰ)=(ⅱ) である。とする。
従って、
(08)により、
(09)

非=地

求=乙
以=下
解=二

文=一
法=上

漢=二
文=一
#=甲
者=地

である。
然るに、
(10)
漢字」に対して、「(レ点以外の)返り点」が付いてゐる。といふことは、
「(レ点以外の)返り点」に対して、「漢字」が付いてゐる。といふことと、「同じ」である。
従って、
(08)(09)(10)により、
(11)
(ⅰ)我 以 解 文 法 解文 # 者 也。
(ⅱ)我 乙 下 二 一 上 二 一 甲 天 也。
に於いて、
(ⅰ)=(ⅱ) であるとするならば、
(ⅰ)我 求 以 解文 法 解文 # 者 也。
に対して、
(ⅰ)我 非必 求中 文漢 文也。
といふ「返り点」が付いてゐる。
といふ風に、見做すことが、出来る。
従って、
(07)~(11)により、
(12)
(ⅰ)我 非 必 求 以 解 中 文 法 解 漢 文 # 者 也。 といふ「漢文」を、
(〃)① ⑭ ② ⑫ ⑦ ⑤ ③ ④ ⑥ ⑩ ⑧ ⑨ ⑪ ⑬ ⑮   といふ「順番」で読む。といふことは、
(ⅰ)我 非 必 求 以 解 中 文 法 解 漢 文 # 者 也。 といふ「漢文」に対して、
(ⅰ)我 非必 求中 文漢 文也。 といふ「返り点」が付いてゐる。
といふことを、「意味」してゐる。
然るに、
(13)
(ⅰ)我 非必 求中 文漢 文也。
といふ「返り点」は、
(ⅰ)我 非必 求中 文漢 文也。
といふ風に、書くことが、出来る。
然るに、
(14)
(ⅰ)① ⑭{② ⑫[⑦〔⑤(③ ④)⑥〕 ⑩(⑧ ⑨)⑪]⑬}⑮。
に於いて、
⑭{ }⇒{ }⑭
⑫[ ]⇒[ ]⑫
⑦〔 〕⇒〔 〕⑦
⑤( )⇒( )⑤
⑩( )⇒( )⑩
(ⅰ)①  ⑭{② ⑫[⑦〔⑤(③ ④)⑥〕 ⑩(⑧ ⑨)⑪]⑬}⑮⇒
(ⅰ)①{②[〔(③ ④)⑤ ⑥〕⑦(⑧ ⑨)⑩ ⑪]⑫ ⑬}⑭ ⑮=
(ⅰ)①<②<③<④<⑤<⑥<⑦<⑧<⑨<⑩<⑪<⑫<⑬<⑭<⑮。
といふ「順番」に、「並び替へ(ソートす)る」ことが、出来る。
従って、
(01)~(14)により、
(15)
① 二 一
② 下 上
③ 乙 甲
④ 地 天
といふ「返り点」は、
①(  )
②〔  〕
③[ ]
④{ }
といふ「括弧」と、「同じ」である。
然るに、
(16)

(ⅰ)我 非 必 求 以 解 中 文 法 解 漢 文 者 也。 に於ける、
(ⅰ)                       は、何かといふと、実は、
(ⅰ) は、「何の意味」も無い。
(17)
「返り点」であれば、「それが付く漢字」が「必要」であるものの、
(ⅰ)我 非必 求中 文漢 文也。
から、
(ⅰ) を「無くしてしまふ」と、「返り点が、付くべき漢字無い」にも拘らず、「点」だけ有ることになる。
従って、
(18)
① 二 一
② 下 上
③ 乙 甲
④ 地 天
といふ「それ」が、「返り点」であるとすると、

(ⅰ)我 非 必 求 以 解 中 文 法 解 漢 文 者 也。 といふ「漢文」には、
(ⅰ)                   といふ「ダミー」を「必要」とする。
然るに、
(19)
(ⅰ)我非{必求[以〔解(中文)法〕解(漢文)]者}也。
に於いて、
非{ }⇒{ }非
求[ ]⇒[ ]求
以〔 〕⇒〔 〕以
解( )⇒( )解
解( )⇒( )解
といふ「移動」を行ふと、
(ⅰ)我非{必求[以〔解(中文)法〕解(漢文)]者}也⇒
(ⅱ)我{必[〔(中文)解法〕以(漢文)解]求者}非也=
(ⅱ)我は{必ずしも[〔(中文を)解する法を〕以て(漢文)解せんことを]求むる者に}非ざるなり。
といふ「漢文訓読」が、成立する。
従って、
(16)~(19)により、
(20)
① 二 一
② 下 上
③ 乙 甲
④ 地 天
といふ「返り点」を、
①(  )
②〔  〕
③[ ]
④{ }
といふ「括弧」と見做すならば、
(ⅰ)我 非必 求中 文漢 文也。
であっても、構はない。
従って、
(18)(19)(20)により、
(21)
①(  )
②〔  〕
③[ ]
④{ }
といふ「括弧」を、
① 二 一
② 下 上
③ 乙 甲
④ 地 天
といふ「返り点」と見做す場合には、「ダミー)」を「必要」とするものの、この点を除けば
①(  )
②〔  〕
③[ ]
④{ }
⑤ 二 一
⑥ 下 上
⑦ 乙 甲
⑧ 地 天
に於いて、
①=⑤ であって、
②=⑥ であって、
③=⑦ であって、
④=⑧ である。
従って、
(21)により、
(22)
①(  )
②〔  〕
③[ ]
④{ }
といふ「括弧」は、
① 二 一
② 下 上
③ 乙 甲
④ 地 天
といふ「返り点」に、「ほとんど、等しい」。
従って、
(22)により、
(23)
① レ、一レ、上レ、甲レ、天レ
② 一、二、三、四、五、六、七、八、九、十、・・・・・
③ 上、中、下
④ 甲、乙、丙、丁、戊、己、庚、辛、壬、癸
⑤ 天、地、人
といふ「伝統的な返り点」だけでなく、
①(  )
②〔  〕
③[ ]
④{ }
といふ「括弧」も亦た、「返り点」の「一種」である。


(545)「括弧」と「返り点」(Ⅲ)。

2020-03-09 15:54:32 | 「漢文訓読」と「括弧」。

―「昨日(令和02年03月08日)」の「記事」を補足します。―
(01)

従って、
(01)により、
(02)
① 不使籍誠不以畜子憂寒乱心有財以済薬。
といふ「漢文」に付くことが出来る「返り点」は、
① レ 乙 下 二 レ 一レ 上レ レ 甲レ
① 間 人 丙 下 二 一 中 上 乙 甲 二 一 地 天
① 丁 丙 人 下 二 一 中 上 地 天 二 一 乙 甲
といふ「通り」である。
然るに、
(03)
「返り点」は、
(ⅰ)レ、一レ、上レ、甲レ、天レ
(ⅱ)一、二、三、四、五、六、七、八、九、十、・・・・・
(ⅲ)上、中、下
(ⅳ)甲、乙、丙、丁、戊、己、庚、辛、壬、癸
(ⅴ)天、地、人
あるいは、
(ⅰ)レ、一レ、上レ、甲レ、天レ
(ⅱ)一、二、三、四、五、六、七、八、九、十、・・・・・
(ⅲ)上、中、下
(ⅳ)天、地、人
(ⅴ)甲、乙、丙、丁、戊、己、庚、辛、壬、癸
であるため、
  丙 下 二 一 中 上 乙 甲 二 一 地 天
といふ「返り」は、実際には無い
従って、
(02)(03)により、
(04)
① 不使籍誠不以畜子憂寒乱心有財以済薬。
といふ「漢文」に付くことが出来る「返り点」は、
① レ 乙 下 二 レ 一レ 上レ レ 甲レ
① 丁 丙  下 二 一 中 上 地 天 二 一 乙 甲
といふ「通り」である。
然るに、
(05)
(ⅰ)レ、一レ、上レ、甲レ、天レ
に於いて、
(ⅰ)レ  レ  レ  レ  レ は、「一字だけ上の字」にしか、「返れない」。
従って、
(01)(04)(05)により、
(06)
② 不常使籍誠不以畜妻子憂飢寒乱良心有銭財以済医薬。
といふ「漢文」に付くことが出来る「返り点」は、
② 丁 丙 人 下 二 一 中 上 地 天 二 一 乙 甲
といふ「通り」である。
従って、
(04)(06)により、
(07)
② 丁 丙 人 下 二 一 中 上 地 天 二 一 乙 甲
といふ「返り点」は、
① 不使籍誠不以畜子憂寒乱心有財以済薬。
② 不常使籍誠不以畜妻子憂飢寒乱良心有銭財以済医薬。
といふ「つの漢文」に、付くことが出来るものの、その一方で、
① レ 乙 下 二 レ 一レ 上レ レ 甲レ
といふ「返り点」は、
① 不使籍誠不以畜子憂寒乱心有財以済薬。
といふ「つの漢文」にしか、付くことが、出来ない
然るに、
(08)
漢字」に対して、「(レ点以外の)返り点」が付いてゐる。といふことは、
「(レ点以外の)返り点」に対して、「漢字」が付いてゐる。といふことと、「同じ」である。
然るに、
(09)
② 丁〈丙{人[下〔二(一)中(上)〕地(天)]二(一)乙(甲)}〉。
に於いて、
丁〈 〉⇒〈 〉丁
丙{ }⇒{ }丙
人[ ]⇒[ ]人
下〔 〕⇒〔 〕下
二( )⇒( )二
中( )⇒( )中
地( )⇒( )地
二( )⇒( )二
乙( )⇒( )乙
といふ「移動」を行ふと、
② 丁〈丙{人[下〔二(一)中(上)〕地(天)]二(一)乙(甲)}〉⇒
② 〈{[〔(一)二(上)中〕下(天)地]人(一)二(甲)乙}丙〉丁=
②          一 二 上 中 下 天 地 人 一 二 甲 乙 丙 丁。
といふ「ソート(並び替へ)」を、行ふことになる。
従って、
(08)(09)により、
(10)
② 丁 丙 人 下 二 一 中 上 地 天 二 一 乙 甲
といふ「返り点」が付いてゐる「漢文」があるならば、「その漢文」は、
② 丁 丙 人 下 二 一 中 上 地 天 二 一 乙 甲
といふ「返り点」の「代はり」に、
②〈 { [ 〔 ( )( ) 〕( ) ]( )( ) } 〉
といふ「括弧」を用ひて、「訓読語順」を、示すことが出来る。
従って、
(01)(10)により、
(11)
① 不使籍誠不以畜子憂寒乱心有財以済薬=
① 不使籍誠不以済
① 不〈使{籍誠不[以〔畜(子)憂(寒)〕乱(心)]有(財)以済(薬)}〉⇒
① 〈{籍誠[〔(子)畜(寒)憂〕以(心)乱]不(財)有以(薬)済}使〉不=
① 〈{籍をして誠に[〔(子を)畜ひ(寒さを)憂ふる〕以て(心を)乱さ]不(財)有りて以て(薬を)済さ}使め〉不。
といふ「漢文訓読」が、成立する。
従って、
(01)(10)(11)により、
(12)
② 不常使籍誠不以畜妻子憂飢寒乱心有銭財以済医薬=
② 不常使籍誠不妻子飢寒良心銭財以済医薬
② 不〈常使{籍誠不[以〔畜(妻子)憂(飢寒)〕乱(良心)]有(銭財)以済(医薬)}〉⇒
② 〈常{籍誠[〔(妻子)畜(飢寒)憂〕以(良心)乱]不(銭財)有以(医薬)済}使〉不=
② 〈常には{籍をして誠に[〔(妻子を)畜ひ(飢寒を)憂ふる〕以て(良心を)乱さ]不(銭財)有りて以て(医薬を)済さ}使め〉不。
といふ「漢文訓読」が、成立する。
然るに、
(13)
② 不常使籍誠不以畜妻子憂飢寒乱心有銭財以済医薬=
② 不〈常使{籍誠不[以〔畜(妻子)憂(飢寒)〕乱(良心)]有(銭財)以済(医薬)}〉。
に於いて、
② 常使= 副詞+動詞 は、「修飾構造」。
② 妻子= 体言+体言 は、「並列構造」。
② 飢寒= 体言+体言 は、「並列構造」。
② 良心=形容詞+体言 は、「修飾構造」。
② 銭財= 体言+体言 は、「並列構造」。
② 医薬= 体言+体言 は、「並列構造」。
然るに、
(14)
漢語における語順は、国語と大きく違っているところがある。すなわち、その補足構造における語順は、国語とは全く反対である。しかし、訓読は、国語の語順に置きかえて読むことが、その大きな原則となっている。それでその補足構造によっている文も、返り点によって、国語としての語順が示されている(鈴木直治、中国語と漢文、1975年、296頁)。
従って、
(11)~(14)により、
(15)
① 不使籍誠不以畜子憂寒乱心有財以済薬=
① 不使籍誠不以済
① 不〈使{籍誠不[以〔畜(子)憂(寒)〕乱(心)]有(財)以済(薬)}〉。
といふ「漢文」と、
② 不常使籍誠不以畜妻子憂飢寒乱心有銭財以済医薬=
② 不常使籍誠不妻子飢寒良心銭財以済医薬
② 不〈常使{籍誠不[以〔畜(妻子)憂(飢寒)〕乱(良心)]有(銭財)以済(医薬)}〉。
といふ「漢文」に於いて、
① の「返り点と、補足構造」は、
② の「返り点と、補足構造」に、「等しい」。
従って、
(15)により、
(16)
① 不使籍誠不以済
② 不使籍誠不以済
に於ける、
① 丁 丙 人 下 二 一 中 上 地 天 二 一 乙 甲
② 丁 丙 人 下 二 一 中 上 地 天 二 一 乙 甲
といふ「返り点」、並びに、
②〈 { [ 〔 ( )( ) 〕( ) ]( )( ) } 〉
②〈 { [ 〔 ( )( ) 〕( ) ]( )( ) } 〉
といふ「括弧」は、
① 不使籍誠不以畜子憂寒乱心有財以済薬。
② 不常使籍誠不以畜妻子憂飢寒乱心有銭財以済医薬。
といふ「訓読語順と、補足構造」を、示してゐる。
然るに、
(07)により、
(17)
もう一度、確認するものの、
① 不使籍誠不子憂一レ寒 乱上レ心有財以済甲レ薬。
に付いてゐる、
 乙 下 二 レ 一レ 上レ レ 甲レ
といふ「返り点」は、
② 不常使籍誠不以畜妻子憂飢寒乱心有銭財以済医薬。
に対して、付くことが、出来ない
従って、
(16)(17)により、
(18)
 乙 下 二 レ 一レ 上レ レ 甲レ
といふ「返り点」は、
① 丁 丙 人 下 二 一 中 上 地 天 二 一 乙 甲
といふ「返り点」とは、異なり
① 不使籍誠不以畜子憂寒乱心有財以済薬。
といふ「漢文」の、「訓読語順」だけしか、示してゐない。
従って、
(01)~(18)により、
(19)
(ⅰ)レ、一レ、上レ、甲レ、天レ
(ⅱ)一、二、三、四、五、六、七、八、九、十、・・・・・
(ⅲ)上、中、下
(ⅳ)甲、乙、丙、丁、戊、己、庚、辛、壬、癸
(ⅴ)天、地、人
から、(ⅰ)を除かない限り、「返り点」は、「訓読語順」だけしか、示してゐない。
然るに、
(20)
③{ [ 〔 ( )( ) 〕( ) ]( )( ) }
に於いて、
( を、二 と見做し、
 ) を、一 と見做し、
〔 を、下  と見做し、
 〕 を、上 と見做し、
[ を、乙 と見做し、
 ] を、甲 と見做し、
{ を、天 と見做し、
 } を、地 と見做すならば、
③ { [ 〔 ( )( ) 〕( ) ]( )( ) }
④ 地 乙 下 二 一二 一 上二 一 甲二 一二 一 天
に於いて、
③=④ である。
然るに、
(21)
③ 使籍誠不以畜妻子憂飢寒乱心有銭財以済医薬=
③ 使籍誠不妻子飢寒φφ銭財以済φ
③ 使{籍誠不[以〔畜(妻子)憂(飢寒)φ〕乱(心)φ]有(銭財)以済(医薬)φ}⇒
③ {籍誠[〔(妻子)畜(飢寒)憂φ〕以(心)乱φ]不(銭財)有以(医薬)済φ}使=
③ {籍をして誠に[〔(妻子を)畜ひ(飢寒を)憂ふるφ〕以て(心を)乱さφ]不(銭財)有りて以て(医薬を)済さφ}使む。
然るに、
(22)
③ {籍をして誠に[〔(妻子を)畜ひ(飢寒を)憂ふるφ〕以て(心を)乱さφ]不(銭財)有りて以て(医薬を)済さφ}使む。
に於いて、
③                         φ         φ                  φ
は、「読まない」し、尚且つ、「書かない」ものとする。
従って、
(21)(22)により、
(23)
③ 使籍誠不以畜妻子憂飢寒乱心有銭財以済医薬=
③ 使籍誠不妻子飢寒銭財以済医薬
③ 使{籍誠不[以〔畜(妻子)憂(飢寒)〕乱(心)]有(銭財)以済(医薬)}⇒
③ {籍誠[〔(妻子)畜(飢寒)憂〕以(心)乱]不(銭財)有以(医薬)済}使=
③ {籍をして誠に[〔(妻子を)畜ひ(飢寒を)憂ふる〕以て(心を)乱さ]不(銭財)有りて以て(医薬を)済さ}使む。
といふ「漢文訓読」が成立する。
従って、
(20)~(23)により、
(24)
( ) 〔 〕 [ ] { } といふ「 括弧 」は、
二 一 下 上 乙 甲 地 天 といふ「返り点」である。
といふ風に、言へないことも、ない。


(545)「括弧」と「返り点」(Ⅲ)。

2020-03-09 15:54:32 | 「漢文訓読」と「括弧」。

―「昨日(令和02年03月08日)」の「記事」を補足します。―
(01)

従って、
(01)により、
(02)
① 不使籍誠不以畜子憂寒乱心有財以済薬。
といふ「漢文」に付くことが出来る「返り点」は、
① レ 乙 下 二 レ 一レ 上レ レ 甲レ
① 間 人 丙 下 二 一 中 上 乙 甲 二 一 地 天
① 丁 丙 人 下 二 一 中 上 地 天 二 一 乙 甲
といふ「通り」である。
然るに、
(03)
「返り点」は、
(ⅰ)レ、一レ、上レ、甲レ、天レ
(ⅱ)一、二、三、四、五、六、七、八、九、十、・・・・・
(ⅲ)上、中、下
(ⅳ)甲、乙、丙、丁、戊、己、庚、辛、壬、癸
(ⅴ)天、地、人
あるいは、
(ⅰ)レ、一レ、上レ、甲レ、天レ
(ⅱ)一、二、三、四、五、六、七、八、九、十、・・・・・
(ⅲ)上、中、下
(ⅳ)天、地、人
(ⅴ)甲、乙、丙、丁、戊、己、庚、辛、壬、癸
であるため、
  丙 下 二 一 中 上 乙 甲 二 一 地 天
といふ「点返り」は、実際には無い
従って、
(02)(03)により、
(04)
① 不使籍誠不以畜子憂寒乱心有財以済薬。
といふ「漢文」に付くことが出来る「返り点」は、
① レ 乙 下 二 レ 一レ 上レ レ 甲レ
① 丁 丙  下 二 一 中 上 地 天 二 一 乙 甲
といふ「通り」である。
然るに、
(05)
(ⅰ)レ、一レ、上レ、甲レ、天レ
に於いて、
(ⅰ)レ  レ  レ  レ  レ は、「一字だけ上の字」にしか、「返れない」。
従って、
(01)(04)(05)により、
(06)
② 不常使籍誠不以畜妻子憂飢寒乱良心有銭財以済医薬。
といふ「漢文」に付くことが出来る「返り点」は、
② 丁 丙 人 下 二 一 中 上 地 天 二 一 乙 甲
といふ「通り」である。
従って、
(04)(06)により、
(07)
② 丁 丙 人 下 二 一 中 上 地 天 二 一 乙 甲
といふ「返り点」は、
① 不使籍誠不以畜子憂寒乱心有財以済薬。
② 不常使籍誠不以畜妻子憂飢寒乱良心有銭財以済医薬。
といふ「つの漢文」に、付くことが出来るものの、その一方で、
① レ 乙 下 二 レ 一レ 上レ レ 甲レ
といふ「返り点」は、
① 不使籍誠不以畜子憂寒乱心有財以済薬。
といふ「つの漢文」にしか、付くことが、出来ない
然るに、
(08)
漢字」に対して、「(レ点以外の)返り点」が付いてゐる。といふことは、
「(レ点以外の)返り点」に対して、「漢字」が付いてゐる。といふことと、「同じ」である。
然るに、
(09)
② 丁〈丙{人[下〔二(一)中(上)〕地(天)]二(一)乙(甲)}〉。
に於いて、
丁〈 〉⇒〈 〉丁
丙{ }⇒{ }丙
人[ ]⇒[ ]人
下〔 〕⇒〔 〕下
二( )⇒( )二
中( )⇒( )中
地( )⇒( )地
二( )⇒( )二
乙( )⇒( )乙
といふ「移動」を行ふと、
② 丁〈丙{人[下〔二(一)中(上)〕地(天)]二(一)乙(甲)}〉⇒
② 〈{[〔(一)二(上)中〕下(天)地]人(一)二(甲)乙}丙〉丁=
②          一 二 上 中 下 天 地 人 一 二 甲 乙 丙 丁。
といふ「ソート(並び替へ)」を、行ふことになる。
従って、
(08)(09)により、
(10)
② 丁 丙 人 下 二 一 中 上 地 天 二 一 乙 甲
といふ「返り点」が付いてゐる「漢文」があるならば、「その漢文」は、
② 丁 丙 人 下 二 一 中 上 地 天 二 一 乙 甲
といふ「返り点」の「代はり」に、
②〈 { [ 〔 ( )( ) 〕( ) ]( )( ) } 〉
といふ「括弧」を用ひて、「訓読語順」を、示すことが出来る。
従って、
(01)(10)により、
(11)
① 不使籍誠不以畜子憂寒乱心有財以済薬=
① 不使籍誠不以済
① 不〈使{籍誠不[以〔畜(子)憂(寒)〕乱(心)]有(財)以済(薬)}〉⇒
① 〈{籍誠[〔(子)畜(寒)憂〕以(心)乱]不(財)有以(薬)済}使〉不=
① 〈{籍をして誠に[〔(子を)畜ひ(寒さを)憂ふる〕以て(心を)乱さ]不(財)有りて以て(薬を)済さ}使め〉不。
といふ「漢文訓読」が、成立する。
従って、
(01)(10)(11)により、
(12)
② 不常使籍誠不以畜妻子憂飢寒乱心有銭財以済医薬=
② 不常使籍誠不妻子飢寒良心銭財以済医薬
② 不〈常使{籍誠不[以〔畜(妻子)憂(飢寒)〕乱(良心)]有(銭財)以済(医薬)}〉⇒
② 〈常{籍誠[〔(妻子)畜(飢寒)憂〕以(良心)乱]不(銭財)有以(医薬)済}使〉不=
② 〈常には{籍をして誠に[〔(妻子を)畜ひ(飢寒を)憂ふる〕以て(良心を)乱さ]不(銭財)有りて以て(医薬を)済さ}使め〉不。
といふ「漢文訓読」が、成立する。
然るに、
(13)
② 不常使籍誠不以畜妻子憂飢寒乱心有銭財以済医薬=
② 不〈常使{籍誠不[以〔畜(妻子)憂(飢寒)〕乱(良心)]有(銭財)以済(医薬)}〉。
に於いて、
② 常使= 副詞+動詞 は、「修飾構造」。
② 妻子= 体言+体言 は、「並列構造」。
② 飢寒= 体言+体言 は、「並列構造」。
② 良心=形容詞+体言 は、「修飾構造」。
② 銭財= 体言+体言 は、「並列構造」。
② 医薬= 体言+体言 は、「並列構造」。
然るに、
(14)
漢語における語順は、国語と大きく違っているところがある。すなわち、その補足構造における語順は、国語とは全く反対である。しかし、訓読は、国語の語順に置きかえて読むことが、その大きな原則となっている。それでその補足構造によっている文も、返り点によって、国語としての語順が示されている(鈴木直治、中国語と漢文、1975年、296頁)。
従って、
(11)~(14)により、
(15)
① 不使籍誠不以畜子憂寒乱心有財以済薬=
① 不使籍誠不以済
① 不〈使{籍誠不[以〔畜(子)憂(寒)〕乱(心)]有(財)以済(薬)}〉。
といふ「漢文」と、
② 不常使籍誠不以畜妻子憂飢寒乱心有銭財以済医薬=
② 不常使籍誠不妻子飢寒良心銭財以済医薬
② 不〈常使{籍誠不[以〔畜(妻子)憂(飢寒)〕乱(良心)]有(銭財)以済(医薬)}〉。
といふ「漢文」に於いて、
① の「返り点と、補足構造」は、
② の「返り点と、補足構造」に、「等しい」。
従って、
(15)により、
(16)
① 不使籍誠不以済
② 不使籍誠不以済
に於ける、
① 丁 丙 人 下 二 一 中 上 地 天 二 一 乙 甲
② 丁 丙 人 下 二 一 中 上 地 天 二 一 乙 甲
といふ「返り点」、並びに、
②〈 { [ 〔 ( )( ) 〕( ) ]( )( ) } 〉
②〈 { [ 〔 ( )( ) 〕( ) ]( )( ) } 〉
といふ「括弧」は、
① 不使籍誠不以畜子憂寒乱心有財以済薬。
② 不常使籍誠不以畜妻子憂飢寒乱心有銭財以済医薬。
といふ「訓読語順と、補足構造」を、示してゐる。
然るに、
(07)により、
(17)
もう一度、確認するものの、
① 不使籍誠不子憂一レ寒 乱上レ心有財以済甲レ薬。
に付いてゐる、
 乙 下 二 レ 一レ 上レ レ 甲レ
といふ「返り点」は、
② 不常使籍誠不以畜妻子憂飢寒乱心有銭財以済医薬。
に対して、付くことが、出来ない
従って、
(16)(17)により、
(18)
 乙 下 二 レ 一レ 上レ レ 甲レ
といふ「返り点」は、
① 丁 丙 人 下 二 一 中 上 地 天 二 一 乙 甲
といふ「返り点」とは、異なり
① 不使籍誠不以畜子憂寒乱心有財以済薬。
といふ「漢文」の、「訓読語順」だけしか、示してゐない。
従って、
(01)~(18)により、
(19)
(ⅰ)レ、一レ、上レ、甲レ、天レ
(ⅱ)一、二、三、四、五、六、七、八、九、十、・・・・・
(ⅲ)上、中、下
(ⅳ)甲、乙、丙、丁、戊、己、庚、辛、壬、癸
(ⅴ)天、地、人
から、(ⅰ)を除かない限り、「返り点」は、「訓読語順」だけしか、示してゐない。
然るに、
(20)
③{ [ 〔 ( )( ) 〕( ) ]( )( ) }
に於いて、
( を、二 と見做し、
 ) を、一 と見做し、
〔 を、下  と見做し、
 〕 を、上 と見做し、
[ を、乙 と見做し、
 ] を、甲 と見做し、
{ を、天 と見做し、
 } を、地 と見做すならば、
③ { [ 〔 ( )( ) 〕( ) ]( )( ) }
④ 地 乙 下 二 一二 一 上二 一 甲二 一二 一 天
に於いて、
③=④ である。
然るに、
(21)
③ 使籍誠不以畜妻子憂飢寒乱心有銭財以済医薬=
③ 使籍誠不妻子飢寒φφ銭財以済φ
③ 使{籍誠不[以〔畜(妻子)憂(飢寒)φ〕乱(心)φ]有(銭財)以済(医薬)φ}⇒
③ {籍誠[〔(妻子)畜(飢寒)憂φ〕以(心)乱φ]不(銭財)有以(医薬)済φ}使=
③ {籍をして誠に[〔(妻子を)畜ひ(飢寒を)憂ふるφ〕以て(心を)乱さφ]不(銭財)有りて以て(医薬を)済さφ}使む。
然るに、
(22)
③ {籍をして誠に[〔(妻子を)畜ひ(飢寒を)憂ふるφ〕以て(心を)乱さφ]不(銭財)有りて以て(医薬を)済さφ}使む。
に於いて、
③                         φ         φ                  φ
は、「読まない」し、尚且つ、「書かない」ものとする。
従って、
(21)(22)により、
(23)
③ 使籍誠不以畜妻子憂飢寒乱心有銭財以済医薬=
③ 使籍誠不妻子飢寒銭財以済医薬
③ 使{籍誠不[以〔畜(妻子)憂(飢寒)〕乱(心)]有(銭財)以済(医薬)}⇒
③ {籍誠[〔(妻子)畜(飢寒)憂〕以(心)乱]不(銭財)有以(医薬)済}使=
③ {籍をして誠に[〔(妻子を)畜ひ(飢寒を)憂ふる〕以て(心を)乱さ]不(銭財)有りて以て(医薬を)済さ}使む。
といふ「漢文訓読」が成立する。
従って、
(20)~(23)により、
(24)
( ) 〔 〕 [ ] { } といふ「 括弧 」は、
二 一 下 上 乙 甲 地 天 といふ「返り点」である。
といふ風に、言へないことも、ない。


(544)「括弧」と「返り点」(Ⅱ)。

2020-03-08 19:21:26 | 「漢文訓読」と「括弧」。

―「昨日(令和02年03月07日)」の「記事」を補足します。―
(01)

 
 

然るに、
(02)

従って、
(01)(02)により、
(03)
(ⅰ)レ、一レ、上レ、甲レ、天レ
といふ「レ点」は、
(ⅱ)一、二、三、四、五、六、七、八、九、十、・・・・・
(ⅲ)上、中、下
(ⅳ)甲、乙、丙、丁、戊、己、庚、辛、壬、癸
(ⅴ)天、地、人
によって、「置き換へ」ることが出来る。
従って、
(03)により、
(04)
(ⅰ)レ、一レ、上レ、甲レ、天レ
(ⅱ)一、二、三、四、五、六、七、八、九、十、・・・・・
(ⅲ)上、中、下
(ⅳ)甲、乙、丙、丁、戊、己、庚、辛、壬、癸
(ⅴ)天、地、人
といふ「(レ点を含む)返り点」が表し得る「語順」は、
(ⅰ)一、二、三、四、五、六、七、八、九、十、・・・・・
(ⅱ)上、中、下
(ⅲ)甲、乙、丙、丁、戊、己、庚、辛、壬、癸
(ⅳ)天、地、人
といふ「(レ点を除く)返り点」が表し得る「語順」に「等しい」。
然るに、
(05)

従って、
(05)により、
(06)
漢字」に対して、「(レ点以外の)返り点」が付いてゐる。といふことは、
「(レ点以外の)返り点」に対して、「漢字」が付いてゐる。といふことに、他ならない。
然るに、
(07)
⑩ 人{丙[下〔二(一)中(上)〕乙(甲)]二(一)地(天)}。
に於いて、
人{ }⇒{ }人
丙[ ]⇒[ ]丙
下〔 〕⇒〔 〕下
二( )⇒( )二
中( )⇒( )中
乙( )⇒( )乙
二( )⇒( )二
地( )⇒( )地
といふ「移動」を行ふと、
⑩ 人{丙[下〔二(一)中(上)〕乙(甲)]二(一)地(天)}⇒
⑩ {[〔(一)二(上)中〕下(甲)乙]丙(一)二(天)地}人=
⑩         一 二 上 中 下 甲 乙 丙 一 二 天 地 人。
といふ「ソート(並び替へ)」を、行ふことになる。
従って、
(06)(07)により、
(08)
⑩ 人 丙 下 二 一 中 上 乙 甲 戊 丁 地 天
といふ「返り点」が付いてゐる「漢文」があるならば、「その漢文」は、
⑩ 人 丙 下 二 一 中 上 乙 甲 戊 丁 地 天
といふ「返り点」の「代はり」に、
⑩ { [ 〔 ( )( ) 〕( ) ]( )( ) }
といふ「括弧」を用ひて、「訓読語順」を、示すことが出来る。
然るに、
(02)により、
(09)
⑩ 使籍誠不銭財以済
であっため、
⑩「使籍誠不以畜子憂寒乱」といふ「漢字」の下に付く「返り点」は、
⑩「人  丙下二 一中 上乙甲二 一 地 天」である。
従って、
(08)(09)により、
(10)
果たして、
⑩ 使籍誠不以畜妻子憂飢寒乱心有銭財以済医薬=
⑩ 使{籍誠不[以〔畜(妻子)憂(飢寒)〕乱(心)]有(銭財)以済(医薬)}⇒
⑩ {籍誠[〔(妻子)畜(飢寒)憂〕以(心)乱]不(銭財)有以(医薬)済}使=
⑩ {籍をして誠に[〔(妻子を)畜ひ(飢寒を)憂ふる〕以て(心を)乱さ]不(銭財)有りて以て(医薬を)済さ}使む。
といふ「漢文・訓読」を、行ふことが、出来る。
然るに、
(11)
⑩ 人 丙 下 二 一 中 上 乙 甲 二 一 地 天
といふ「返り点」に対して、仮に、
⑪ 丙 人 下 二 一 中 上 乙 甲 二 一 地 天
⑫ 人 丙 二 下 一 中 上 乙 甲 二 一 地 天
といふ「順番」の「返り点」が有ったとする。
然るに、
(12)
⑪ 丙[人{下〔二(一)中(上)〕乙(甲)]二(一)地(天)}
に於いて、
丙[ ]⇒[ ]丙
人{ }⇒{ }人
下〔 〕⇒〔 〕下
二( )⇒( )二
中( )⇒( )中
乙( )⇒( )乙
二( )⇒( )二
地( )⇒( )地
といふ「移動」を行ふと、
⑪ 丙[人{下〔二(一)中(上)〕乙(甲)]二(一)地(天)}⇒
⑪ [{〔(一)二(上)中〕下(甲)乙]丙(一)二(天)地}人=
⑪         一 二 上 中 下 甲 乙 丙 一 二 天 地 人。
といふ「ソート(並び替へ)」を、行ふことになる。
(13)
⑫ 人{丙[二(下〔一)中(上)〕乙(甲)]二(一)地(天)}
に於いて、
人{ }⇒{ }人
二( )⇒( )二
下〔 〕⇒〔 〕下
中( )⇒( )中
乙( )⇒( )乙
二( )⇒( )二
地( )⇒( )地
といふ「移動」を行ふと、
⑫ {[(〔一)二(上)中〕下(甲)乙]丙(一)二(天)}人
といふ「ソート(並び替へ)」を、行ふことになる。
然るに、
(14)
⑪[ { 〔 (  )(  ) 〕(  )]( )( ) }
⑫{ [ ( 〔  )(  ) 〕( )]( )( ) }
に於いて、
⑪[ {  ]
⑫( 〔  )
といふ「部分」は、「括弧」ではない
然るに、
(15)
〔説明〕一・二点をはさんで返る時は上・中・下点。上・中・下点をはさんで返る時は甲・乙点。甲・乙点をはさんで返る時は天・地(天・地・人)点である。
(志村和久、漢文早わかり、1982年、20頁)
然るに、
(16)
⑪ 丙 人 下 二 一 中 上 乙 甲 二 一 地 天
⑫ 人 丙 二 下 一 中 上 乙 甲 二 一 地 天
の場合は、
                     天
⑫          上
であるため、
⑪ であれば、甲・乙点 をはさんで返る時は 天・地点 である。といふ「ルール」に違反し、
⑫ であれば、一・二点 をはさんで返る時は 上・下点 である。といふ「ルール」に違反する。
従って、
(11)~(16)により、
(17)
  下 二 一 中 上  甲 二 一 地 天
⑫ 人 丙    中 上 乙 甲 二 一 地 天
といふ「返り点」は、有り得ないし、
⑪[ 〔 (  )(  ) 〕(  )( )( )
⑫{ [ ( 〔  )(  ) 〕( )]( )( ) }
といふ「括弧」も、有り得ない
然るに、
(18)
⑩ 人 丙 下 二 一 中 上 乙 甲 二 一 地 天
⑪ 丙 人 下 二 一 中 上 乙 甲 二 一 地 天
⑫ 人 丙 二 下 一 中 上 乙 甲 二 一 地 天
といふ「順番」を、「数字」にすると、
⑩ 13 8 5 2 1 4 3 7 6 10 9 12 11
  13  5 2 1 4 3  6 10 9 12 11
⑫ 13  8     4 3 7 6 10 9 12 11
である。
然るに、
(19)
⑪ には、13 といふ「順番」が有って、
⑫ には、<  といふ「順番」が有る。
従って、
(18)(19)により、
(20)
⑩ 13 8 5 2 1 4 3 7 6 10 9 12 11
⑪ 8  13  5 2 1 4 3 7 6 10 9 12 11
⑫ 13  8  2 5 1 4 3 7 6 10 9 12 11
に於いて、
⑬ n+1<n+m>n(nは1以上の正の整数、mは2以上の正の整数)。
といふ「順番」が、
⑩ には無く
⑪ には有り
⑫ にも有る
従って、
(17)~(20)により、
(21)
「返り点」と「括弧」は、両方とも、
⑬ n+1<n+m>n(nは1以上の正の整数、mは2以上の正の整数)。
といふ「順番」を含む「順番」を、
⑬ 1<2<3<4<5<6<7<8<9・・・・・・
といふ「順番」に、「ソートする(並び変へる)」ことが、出来ない
従って、
(22)
返り点」と「括弧」は、両方とも、例へば、
⑭ 2<5 3>1 4
といふ「順番」を、
⑭ 1<2<3<4<5
といふ「順番」に、「ソートする(並び変へる)」ことが、出来ない
然るに、
(23)

従って、
(22)(23)により、
(24)
⑭ 端的看不出這婆子的本事来。
⑭ 西門慶促忙促忙急僭造不出床来。
といふ「中国語」に付いてゐる、
 五 三  四
は、実際には、「返り点」ではなく、「返り点モドキ」である。
然るに、
(25)
漢語における語順は、国語と大きく違っているところがある。すなわち、その補足構造における語順は、国語とは全く反対である。しかし、訓読は、国語の語順に置きかえて読むことが、その大きな原則となっている。それでその補足構造によっている文も、返り点によって、国語としての語順が示されている(鈴木直治、中国語と漢文、1975年、296頁)。
従って、
(10)(25)により、
(26)
⑩ 使{籍誠不[以〔畜(妻子)憂(飢寒)〕乱(心)]有(銭財)以済(医薬)}。
に於ける、
⑩  {      [  〔  (   )  (   )〕  ( )]  (   )    (   )}
といふ「括弧」は、「返り点」の「役割」を果たしてゐると「同時」に、
⑩ 使籍誠不以畜妻子憂飢寒乱心有銭財以済医薬。
といふ「漢文補足構造」を、示してゐる。
従って、
(25)(16)により、
(27)
⑩ 使籍誠不以畜妻子憂飢寒乱心有銭財以済医薬=
⑩ 使籍誠不飢寒以済
⑩ 使{籍誠不[以〔畜(妻子)憂(飢寒)〕乱(心)]有(銭財)以済(医薬)}=
⑩ 使{籍誠不[以〔畜(妻子)憂(飢寒)〕乱(心)]有(銭財)以済(医薬)}⇒
⑩ {籍誠[〔(妻子)畜(飢寒)憂〕以(心)乱]不(銭財)有以(医薬)済}使=
⑩ {籍をして誠に[〔(妻子を)畜ひ(飢寒を)憂ふる〕以て(心を)乱さ]不(銭財)有りて以て(医薬を)済さ}使む。
といふ「漢文・訓読」を行ったとしても、
(ⅰ)「語順」は、変はるものの、
(ⅱ)「補足構造」は、変はらない
然るに、
(28)
⑭ 端的看不出這婆子的本事来=
⑭ 端的看這婆子的本事
⑭ 端的看(不[出〔這婆子的本事)〕来]⇒
⑭ 端的([〔這婆子的本事)看〕出来]不=
⑭ 端的に這婆子的本事を看出し来たらず。
といふ「中国語・訓読」を行った場合は、
⑭( [ 〔  ) 〕 ]
といふ「補足構造」は、有り得ないため、
(ⅰ)「語順」を変へるだけでなく、
(ⅱ)「補足構造」を、壊してゐる
従って、
(23)(27)(28)により、
(29)
 「漢文・訓読」とは異なり、江戸時代の、
「白話文・訓読」には、初めから、「無理」が有った。
といふ、とになるし、
 「漢文」は、「訓読」に適してゐるが、
中国語」は、「訓読」に適してゐない
といふことは、「中国語漢文別物である(魚返善雄)。」といふことの、「証左」である。
従って、
(29)により、
(30)
(青木)二百年前、正徳の昔に於て荻生徂徠は夙に道破した。漢学の授業法はまず支那語から取りかからねばならぬ。教うるに俗語を以てし、誦するに支那音を以てし、訳するに日本の俗語を以てし、決して和訓廻環の読み方をしてはならぬ。先ず零細な二字三字の短句から始めて、後には纏った書物を読ませる、斯くて支那語が熟達して支那人と同様になつてから、而る後段々と経子史集四部の書を読ませると云う風にすれば破竹の如しだ、是が最良の策だ(勉誠出版、「訓読」論、2008年、56頁)。
(倉石)徂徠は、単に唐音を操るといふ様なことに満足せず、漢文を学ぶには先ず支那語からとりかり、支那の俗語をば支那語で暗誦させ、これを日本語の俗語に訳し、決して和訓の顚倒読みをしてはならない、始めは零細な二字三字の句から始めて、遂に纏った書物を読ます、支那語が支那人ほど熟達してから、古い書物を読ませば、破竹の勢いで進歩すると説いたこれは、今日の様に外国語に対する理念が発達した時代から見れば、何の不思議もないことであるが、その当時、つとに、かかる意見を吐いたのは、たしかに一世に抜きんでた見識に相違ない(勉誠出版、「訓読」論、2008年、56頁)。
といふ「見識」は、当てにはならない
(31)
 過則勿憚改、この「論語」「学而」編の句を、過則改、と返り点をうち、過テバ則チ改ムルニ憚カレと読むのは、原形の破壊である。コウ ツヱ ホ ダン カイ、と読んでこそその原形である。
として、吉川の議論は次のように続く、
 その第一歩として、まず現代中国語を学び、中国語のリズムに慣れよ。なお彼が学んだ中国語音は南方言であって、右の仮名は、岡島冠山の「唐話纂要」享保元年一七一六、による。長崎税関の「通事」通訳官である冠山は、彼〔徂徠〕の弟子であるともに、彼の中国語教師一人であった。現在われわれが使う標準語ペキン語を拉丁化ローマ字で表記すれば、「論語」の句は Guò zé wù dàn gǎ〔となる。〕(勉誠出版、「訓読」論、2008年、226頁)
然るに、
(32)
中国語」が出来るやうになれば、「漢文」も出来るやうになるのであれば、「荻生徂徠中国語先生(岡島冠山)」が、「荻生徂徠漢文弟子(岡島冠山)」である。
といふことは、「矛盾」である。
加へて、
(33)
日本の学者の中に、荻生徂徠という傑物があったが、この徂徠が子供の時分に、父の手筥の中に大学諺の一冊が在るということを知って、毎日之を読み、それが基礎になって、遂に講義説明なく、総ての書物に通ずることが出来たという話が伝わっているが、これに依って考えても、この書物の値打ちは自ずから了解せらるる訳であろうと思う(諸橋轍次、大学新釈、2005年、12頁)。
従って、
(33)により、
(34)
荻生徂徠は、「子供独学」で、「漢文」が出来るやうになったのであって、中国語学んだのは、その後である。
従って、
(32)(33)(34)により、
(35)
荻生徂徠ですら、「中国語」を学んだ「結果」として、「漢文」が出来るやうに、なったわけでは、決してない


(510)「漢文の基本構造」と「括弧」。

2020-02-12 19:44:18 | 「漢文訓読」と「括弧」。

(01)
(ⅰ)主語述語(体言・体言)。
(ⅱ)修飾構造(連修飾語+被修飾語)。
(〃)修飾構造(連修飾語+被修飾語)。
(ⅲ)補足構造
(ⅳ)並列構造。
といふ「構造」を、「漢文の基本構造」とする。
cf.
(鈴木直治、中国語と漢文、1975年、281~284頁)。
然るに、
(02)
この内の、
(ⅲ)補足構造。
を除く、
(ⅰ)主語述語(体言・体言)。
(ⅱ)修飾構造(連体修飾語+被修飾語)。
(〃)修飾構造(連用修飾語+被修飾語)。
(ⅳ)並列構造。
に関しては、「漢文」と「日本語」の「語順」は「同じ」である。
従って、
(02)により、
(03)
漢語における語順は、国語と大きく違っているところがある。すなわち、その補足構造における語順は、国語とは全く反対である。しかし、訓読は、国語の語順に置きかえて読むことが、その大きな原則となっている。それでその補足構造によっている文も、返り点によって、国語としての語順が示されている(鈴木直治、中国語と漢文、1975年、296頁)。
といふ、ことになる。
然るに、
(04)
① 我非必求中文漢文
① 我非{必求[以〔解(中文)法〕解(漢文)]者}。
に於いて、
① 我{ }⇒{ }我
① 求[ ]⇒[ ]求
① 解( )⇒( )解
① 解( )⇒( )解
といふ「移動」を行った上、「平仮名」を加へると、
② 我は{必ずしも[〔(中文を)解する法を〕以て(漢文を)解せんことを]求むる者に}非ず。
といふ「訓読」になる。
従って、
(03)(04)により、
(05)
① 我非必求以解中文法解漢文者=
① 我非{必求[以〔解(中文)法〕解(漢文)]者}⇒
② 我は{必ずしも[〔(中文を)解する法を〕以て(漢文を)解せんことを]求むる者に}非ず。
に於ける、
① { [ 〔 ( )〕( ) ] }
② { [ 〔 ( )〕( ) ] }
といふ「括弧」は、
①「漢文(原文)の補足構造」を示してゐて、
①「国語(訓読)の補足構造」を示してゐる。
従って、
(02)(05)により、
(06)
① 我非{必求[以〔解(中文)法〕解(漢文)]者}。
といふ「漢文」を、
② 我は{必ずしも[〔(中文を)解する法を〕以て(漢文を)解せんことを]求むる者に}非ず。
といふ風に「訓読」しても、
(ⅱ)修飾構造(連体修飾語+被修飾語)。
(〃)修飾構造(連用修飾語+被修飾語)。
(ⅲ)補足構造
は、「変はらない」。
従って、
(02)(06)により、
(07)
① 我非{必求[以〔解(中文)法〕解(漢文)]者}。
といふ「漢文」と、
② 我は{必ずしも[〔(中文を)解する法を〕以て(漢文を)解せんことを]求むる者に}非ず。
といふ「訓読」に於いて、「語順」こそは「異なる」ものの、「基本構造」は、「同じ」である。
従って、
(01)~(07)により、
(08)
「漢文訓読」とは、「漢文(原文)の構造」を「保存」した「形」で行はれる、「漢文(原文)の逐語訳」である。
然るに、
(09)
① 常読漢文=
① 常+読(漢+文)⇒
① 常+(漢+文)読=
① 常に(漢+文)を読む。
(10)
② 我読漢文=
② 我+読(漢+文)⇒
② 我+(漢+文)読=
② 我、(漢+文)を読む。
従って、
(09)(10)により、
(11)
読漢文=常+読(漢+文)。
読漢文=我+読(漢+文)。 
に於いて、
は「連用修飾語(副詞)」であって、
も「連用修飾語(副詞)」である。
従って、
(11)により、
(12)
② 我読漢文=我、漢文を読む。
といふ「漢文」に於ける、所謂「主語」は、「名詞(体言)」ではなく、「副詞(連用修飾語)」である。
然るに、
(13)
④ 私は、必ずしも、中国語を理解する方法を使って、漢文を理解しようとする者ではありません。
といふ「日本語」を、「グーグル翻訳」で、「英訳」すると、
④ I am not necessarily a person who tries to understand Chinese writing using the method of understanding Chinese.
然るに、
(14)
④ I am not necessarily a person who tries to understand Chinese writing using the method of understanding Chinese.⇒
④ I am〔not[necessarily a-person(who【tries『to「understand《Chinese-writing〈using{the- method[of〔understanding(Chinese)〕]}〉》」』】)〕]=
⑤ I 〔[necessarily (【『「《〈{[〔(Chinese)understanding〕of]the-method}using〉Chinese-writing》understand」to』tries】who)a-person〕am]not=
⑤ 私は〔[必ずしも (【『「《〈{[〔(中国語を)理解する〕の]方法を}使って〉漢文を》理解する」ことを』求める】所の)人〕である]ではない。
然るに、
(14)により、
(15)
④ I am not necessarily a person who tries to understand Chinese writing using the method of understanding Chinese.
から、
④ I am not a person.
だけを取り出した際の「括弧」は、
④ I am(not〔a-person)〕⇒
④ I (〔a-person)am〕not=
④ 私 は(〔者)である〕ではない。
である。
然るに、
(16)
④ 〔 ( ) 〕であれば、「括弧」であるが、
④ ( 〔 ) 〕の場合は、「括弧」ではない
従って、
(17)
④ I not〔am(a-person)〕.
ではないため、
④ I am(nota-person〕.
といふ「それ」は、「括弧」ではない
従って、
(07)(17)により、
(18)
② 我は{必ずしも[〔(中文を)解する法を〕以て(漢文を)解せんことを]求むる者に}非ず。
④ I am〔not[necessarily a-person(who【tries『to「understand《Chinese-writing〈using{the-method[of〔understanding(Chinese)〕]}〉》」』】)〕].
に於いて、両者は、「語順」だけでなく、「補足構造」も、「同じ」ではない
然るに、
(19)
「訓読論」数年前、ある言語学教育関連の新聞の連載のコラムに、西洋文化研究者の発言が載せられていた。誰もが知る、孟浩然の『春眠』「春眠暁を覚えず・・・・・・」の引用から始まるそのコラムでは、なぜ高校の教科書にいまだに漢文訓読があるのかと疑問を呈し、「返り点」をたよりに「上がったり下がったりしながら、シラミつぶしに漢字にたどる」読み方はすでに時代遅れの代物であって、早くこうした状況から脱するべきだと主張する。「どこの国に外国語を母国語の語順で読む国があろう」かと嘆く筆者は、かつては漢文訓読が中国の歴史や文学を学ぶ唯一の手段であり「必要から編み出された苦肉の知恵であった」かもしれないが、いまや中国語を日本にいても学べる時代であり「漢文訓読を卒業するとき」だと主張するのである(「訓読」論 東アジア漢文世界と日本語、中村春作・市來津由彦・田尻祐一郎・前田勉 共編、2008年、1頁)。
従って、
(08)(18)(19)により、
(20)
いまや中国語を日本にいても学べる時代であり「漢文訓読を卒業するとき」だと主張するのである。
といふ「主張」は、「英文・訓読」等に於いては、さうであっても、「漢文訓読」に於いては、「マチガイ」であって、「正しくない
然るに、
(21)

然るに、
(22)
④ 二 五 三 一 四=
④ 二(五[三〔一)〕四]⇒
④ ([〔一)二〕三四]五。
然るに、
(23)
④ 二(五[三〔一)〕四]
に於ける、
④  ( [ 〔 )〕 ]
といふ「それ」は、
④  [ 〔 ( )〕 ]
ではないため、「括弧」ではない
従って、
(05)(21)(22)(23)により、
(24)
④ 端的看不出這婆子的本事来。
④ 西門慶促忙促急償造不出床来。
といふ「白話文(中国語)」と、
④ 端的に這の婆子の本事を看出し来たらず。
④ 西門慶促忙促急に床を償造し出し来たらず。
といふ「日本語(?)」との間には、「補足構造一致」は無い
従って、
(05)(24)により、
(25)
① 我非必求以解中文法解漢文者=
① 我非{必求[以〔解(中文)法〕解(漢文)]者}⇒
② 我は{必ずしも[〔(中文を)解する法を〕以て(漢文を)解せんことを]求むる者に}非ず。
といふ「漢文・訓読」と、
④ 端的看不出這婆-子的本-事来=
④ 端的看(不[出〔這婆子的本事)〕来]⇒
④ 端的に([〔這の婆子の本事を)看〕出し来たら]ず。
といふ「白話文・訓読」は、「似て非なるもの」であって、「全然違ふ」。
然るに、
(26)
話し言葉に基づく白話文は、本来訓読には適していない(実際、現在では白話文の訓読はほとんど行われない)。しかし江戸時代、白話文は訓読されていた(勉誠出版、続「訓読」論、2010年、330頁)。
従って、
(25)(26)により、
(27)
白話文・訓読」は、固より「無茶」であったが故に、「淘汰」された。と、すべきである。
然るに、
(28)
中国語の文章は文言と白話に大別されるが、漢文とは文章語の文言のことであり、白話文や日本語化された漢字文などは漢文とは呼ばない。通常、日本における漢文とは、訓読という法則ある方法で日本語に訳して読む場合のことを指し、訓読で適用し得る文言のみを対象とする。もし強いて白話文訓読するとたいへん奇妙な日本語になるため、白話文はその対象にならない。白話文は直接口語訳するのがよく、より原文の語気に近い訳となる(ウィキペディア:漢文)。
然るに、
(29)
「もし強いて白話文を(漢文のやうに)訓読するとたいへん奇妙な日本語になる。」といふことは、
漢文中国語別物です(魚返善雄、漢文入門、1966年、16頁)」といふことに、他ならない。
然るに、
(30)
(青木)二百年前、正徳の昔に於て荻生徂徠は夙に道破した。漢学の授業法はまず支那語から取りかからねばならぬ。教うるに俗語を以てし、誦するに支那音を以てし、訳するに日本の俗語を以てし、決して和訓廻環の読み方をしてはならぬ。先ず零細な二字三字の短句から始めて、後には纏った書物を読ませる、斯くて支那語が熟達して支那人と同様になつてから、而る後段々と経子史集四部の書を読ませると云う風にすれば破竹の如しだ、是が最良の策だ(勉誠出版、「訓読」論、2008年、56頁)。
(31)
(倉石)徂徠は、単に唐音を操るといふ様なことに満足せず、漢文を学ぶには先ず支那語からとりかり、支那の俗語をば支那語で暗誦させ、これを日本語の俗語に訳し、決して和訓の顚倒読みをしてはならない、始めは零細な二字三字の句から始めて、遂に纏った書物を読ます、支那語が支那人ほど熟達してから、古い書物を読ませば、破竹の勢いで進歩すると説いたこれは、今日の様に外国語に対する理念が発達した時代から見れば、何の不思議もない「ことであるが、その当時、つとに、かかる意見を吐いたのは、たしかに一世に抜きんでた見識に相違ない(勉誠出版、「訓読」論、2008年、56頁)。
従って、
(29)(30)(31)により、
(32)
荻生徂徠先生も、青木正児先生も、倉石武四郎先生も、「漢文を学ぶのであれば、漢文とは別物の、支那語(中国語)を、最初に学ばなければならない。」と言ってゐる。
然るに、
(33)
荻生徂徠は『訳文筌蹄』の凡例において、己の読書要領および教育法のついて次のように宣言している。
余嘗為蒙生定学問之法。先為崎陽之学。教以俗語。通以華音。訳以此方語。絶不作和訓廻環之読。始以零細者。二字三字為句。後使読成書者。崎陽之学既成。乃始得為中華人。而後読経子史集四部書。勢如破竹。是最上乗也。
(勉誠出版、訓読論、2008年、53頁)
然るに、
(34)
「補足構造」が、
余嘗為(蒙生)定(学問之法)。先為(崎陽之学)。教以(俗語)。通以(華音)。訳以(此方語)。絶不〔作(和訓廻環之読)〕。始以(零細者)。二字三字為(句)。後使〔読(成書)〕者。崎陽之学既成。乃始得〔為(中華人)〕。而後読(経子史集四部書)。勢如(破竹)。是最上乗也。
であるならば、「訓読」は、
余嘗て蒙生の為に学問の法を定む。先ず崎陽の学を為す。教ふるに俗語を以てす。通ずるに華を以てす。訳するに此の方語を以てす。絶へて和訓廻環み読を作さず。始め零細の者を以てす。二字三字を句と為す。後に成書を読ま使むる者。崎陽の学既に成る。乃ち始めて中華の人為るを得。而る後子史集四部書を読む。勢い破竹の如し。是れ最上の乗なり。
といったところである。
然るに、
(34)により、
(35)
漢文を学ぶ」ためには、「先ず崎陽の学を為す(長崎の学問、すなはち、中国語を学ぶ)こと」が「肝要」であるといふのであれば、「荻生徂徠の、中国語の先生」は、「徂徠の、中国語の先生であって、尚且つ、徂徠の、漢文の先生」でなければ、ならない。
然るに、
(36)
 過則勿憚改、この「論語」「学而」編の句を、過則改、と返り点をうち、過テバ則チ改ムルニ憚カレと読むのは、原形の破壊である。コウ ツヱ ホ ダン カイ、と読んでこそその原形である。
として、吉川の議論は次のように続く、
 その第一歩として、まず現代中国語を学び、中国語のリズムに慣れよ。なお彼が学んだ中国語音は南方言であって、右の仮名は、岡島冠山の「唐話纂要」享保元年一七一六、による。長崎税関の「通事」通訳官である冠山は、徂徠〕の弟子であるともに、彼の中国語の教師の一人であった。現在われわれが使う標準語ペキン語を拉丁化ローマ字で表記すれば、「論語」の句は Guò zé wù dàn gǎ〔となる。〕(勉誠出版、「訓読」論、2008年、226頁)
従って、
(35)(36)により、
(37)
長崎税関の「通事」通訳官である冠山は、徂徠〕の(漢学の)弟子であるともに、彼の中国語の教師の一人であり続けた。
とするならば、「矛盾」する。
従って、
(29)(37)により、
(38)
やはり、「漢文中国語別物です(魚返善雄、漢文入門、1966年、16頁)」とするべきであるし、
漢文は自然言語ではなかった。また「聞いて話す」音声言語ではなく、「読んで書く」ための書記言語である。漢字の習得者だけが、漢文を学習できる。「ネイティブライター」は、原理的に存在しない。― 中略 ―、文法的に正しい漢文を習得することは、中国人にとっても簡単ではなかった。「ネイティブライター」が存在できないという点では、中国人も外国人も平等である(加藤徹、白文攻略 漢文法ひとり学び、2013年、8頁・9)。との、ことである。
然るに、
(39)
⑤ 中國以北京語為國語矣。然、若北京語非漢文也。是以、中國語直読法雖盛、中華人民共和國語、不可以書中夏之書審矣。如日本之学生有欲能書漢文者、則宜以括弧学其管到。古、漢文之於日本語、猶古文之於日本語也。故、漢文亦日本語也。学中國語、莫若音読、学漢文、莫若以訓読学之。⇔
⑤ 中國以(北京語)為(國語)矣。然、若(北京語)、非(漢文)也。是以、中國語直読法雖(盛)中華人民共和國語不[可〔以書(中夏之書)〕]審矣。如日本之学生有[欲〔能書(漢文)〕者]則宜〔以(括弧)学(其管到)〕。古、漢文之於(日本語)、猶〔古文之於(日本語)〕也。故、漢文亦日本語也。学(中國語)、莫〔若(音読)〕、学(漢文)、莫[若〔以(訓読)学(之)〕]。⇔
⑤ 中國は北京語を以て國語と為せり。然れども、北京語の若きは漢文に非ざるなり。是を以て、中國語直読法は盛んなりと雖も、中華人民共和國語は以て中華の書を書く可から不ること審かなり。如し日本の学生に能く漢文を書かむと欲する者有らば則ち、宜しく括弧を以て其の管到を学ぶべし。古へ、漢文の日本語に於けるや、猶ほ古文の日本語のごときなり。故に、漢文も亦た日本語なり。中國語を学ぶは、音読に若くは莫く、漢文を学ぶは、訓読を以て之を学ぶに若くは莫し。
といふ「拙い漢文」は、「私の作例」であるものの、私自身は、「中国語」が、全くできない
従って、
(40)
ネイティブライター」が存在できないという点では、中国人も外国人も平等である といふことは、「本当」である。
然るに、
(41)
日常言語の文から述語計算の文の翻訳のためには、一般にあたまが柔軟であることが必要である。なんら確定的な規則があるわけでなく、量記号に十分に馴れるまでには、練習を積むことが必要である。そこに含まれている仕事は翻訳の仕事に違いないけれども、しかしそこへ翻訳が行われる形式言語は、自然言語のシンタックスとは幾らか違ったシンタックスをもっており、また限られた述語―論理的結合記号、変数、固有名、述語文字、および2つの量記号―しかもたない。その言語のおもな長所は、記法上の制限にもかかわらず、非常に広範な表現能力をもっていることである
(E.J.レモン 著、武生治一郎・浅野楢英 訳、論理学初歩、1973年、130頁)。
従って、
(40)(41)により、
(42)
1     (1)∀x{象x→∃y(鼻yx&長y)&∀z(~鼻zx→~長z)}          A
 2    (2)∀x{兎x→∃y(耳yx&長y)&∀z(~耳zx→~長z&耳zx→~鼻zx)} A
  3   (3)∃x(象x&兎x)                               A
1     (4)   象a→∃y(鼻ya&長y)&∀z(~鼻za→~長z)           1UE
 2    (5)   兎a→∃y(耳ya&長y)&∀z(~耳za→~長z&耳za→~鼻za)  2UE
   6  (6)   象a&兎a                                A
   6  (7)   兎a                                   6&E
   6  (8)      兎a                                6&E
1  6  (9)      ∃y(鼻ya&長y)&∀z(~鼻za→~長z)           47MPP
 2 6  (ア)      ∃y(耳ya&長y)&∀z(~耳za→~長z&耳za→~鼻za)  58MPP
1  6  (イ)      ∃y(鼻ya&長y)                        9&E
    ウ (ウ)         鼻ba&長b                         A
1  6  (エ)                 ∀z(~鼻za→~長z)           9&E
1  6  (オ)                    ~鼻ba→~長b            エUE
 2 6  (カ)      ∃y(耳ya&長y)                        ア&E
     キ(キ)         耳ba&長b                         A
 2 6  (ク)                 ∀z(~耳za→~長z&耳za→~鼻za)  ア&E
 2 6  (ケ)                    ~耳ba→~長b&耳ba→~鼻ba   クUE
 2 6  (コ)                             耳ba→~鼻ba   ケ&E
     キ(サ)         耳ba                            キ&E
 2 6 キ(シ)                                 ~鼻ba   コサMPP
12 6 キ(ス)                         ~長b            オシMPP
    ウ (セ)             長b                         ウ&E
12 6ウキ(ソ)             長b&~長b                     シス&I 
12 6ウ (タ)             長b&~長b                     カキソEE
12 6  (チ)             長b&~長b                     イウタEE
123   (ツ)             長b&~長b                     36チEE
12    (テ)~∃x(象x&兎x)                              3ツRAA
12    (ト)∀x~(象x&兎x)                              テ量化子の関係
12    (ナ)  ~(象a&兎a)                              トUE
12    (ニ)  ~象a∨~兎a                               ナ、ド・モルガンの法則
12    (ヌ)  ~兎a∨~象a                               ニ交換法則
12    (ネ)   兎a→~象a                               ヌ含意の定義
12    (ノ)∀x(兎x→~象x)                              ネUI
12    (〃)すべてのxについて、xが兎であるならば、xは象ではない。            ネUI
12    (〃)兎は象ではない(Rabbits can not be elephants)。                ネUI
といふ「非日常言語」の「ネイティブライター」が存在しないといふ点に関しては、「漢文といふ人工言語」も、「述語論理といふ人工言語」も、「同じ」である。
従って、
(43)
(青木)二百年前、正徳の昔に於て荻生徂徠は夙に道破した。漢学の授業法はまず支那語から取りかからねばならぬ
といふ「言ひ方」は、「述語論理といふ人工言語」を学ぶには、「先ず、英語を学ばなければならない。」と言ってゐるのと、「同じ」であるため、明らかな「マチガイ」である。


(129)「括弧」と「返り点」。

2019-01-04 12:48:23 | 「漢文訓読」と「括弧」。

(01)

従って、
(01)により、
(02)
① 如揮刀断麻。
② 如揮快刀断麻。
③ 如揮刀断乱麻。
④ 如揮快刀断乱麻。
⑤ 如揮刀断麻者。
⑥ 如揮快刀断麻者。
⑦ 如揮刀断乱麻者。
⑧ 如揮快刀断乱麻者。
といふ「漢文」に付く「返り点」は、上から順に、
① 二 レ 一レ
② 下 二 一 上レ
③ 三 レ 二 一
④ 下 二 一 中 上
⑤ 二 レ レ 一
⑥ 下 二 一
⑦ 下 レ 二 一 上
⑧ 下 二 一 二 一 上
である。
然るに、
(03)
(a)
① 如〔揮(刀)断(麻)〕。
に於いて、
① 揮( )⇒( )振
① 断( )⇒( )断
① 如〔 〕⇒〔 〕如
といふ「移動」を行ふと、
① 如〔振(刀)断(麻)〕⇒
① 〔(刀)振(麻)断〕如=
① 〔(刀を)揮って(麻を)断つが〕如し。
(b)
② 如〔揮(快刀)断(麻)〕。
に於いて、
② 揮( )⇒( )振
② 断( )⇒( )断
② 如〔 〕⇒〔 〕如
といふ「移動」を行ふと、
② 如〔振(快刀)断(麻)〕⇒
② 〔(快刀)振(乱麻)断〕如=
② 〔(快刀を)揮って(麻を)断つが〕如し。
(c)
③ 如〔揮(刀)断(乱麻)〕。
に於いて、
③ 揮( )⇒( )振
③ 断( )⇒( )断
③ 如〔 〕⇒〔 〕如
といふ「移動」を行ふと、
③ 如〔振(刀)断(乱麻)〕⇒
③ 〔(刀)振(乱麻)断〕如=
③ 〔(刀を)揮って(乱麻を)断つが〕如し。
(d)
④ 如〔揮(快刀)断(乱麻)〕。
に於いて、
④ 揮( )⇒( )振
④ 断( )⇒( )断
④ 如〔 〕⇒〔 〕如
といふ「移動」を行ふと、
④ 如〔振(快刀)断(乱麻)〕⇒
④ 〔(快刀)振(乱麻)断〕如=
④ 〔(快刀を)揮って(乱麻を)断つが〕如し。
(e)
⑤ 有〔揮(刀)断(麻)者〕。
に於いて、
⑤ 有( )⇒( )有
⑤ 断( )⇒( )断
⑤ 如〔 〕⇒〔 〕如
といふ「移動」を行ふと、
⑤ 有〔揮(刀)断(麻)者〕⇒
⑤ 〔(刀)揮(麻)断者〕有=
⑤ 〔(刀を)揮って(麻を)断つ者〕有り。
(f)
⑥ 有〔揮(快刀)断(麻)者〕。
に於いて、
⑥ 有( )⇒( )有
⑥ 断( )⇒( )断
⑥ 如〔 〕⇒〔 〕如
といふ「移動」を行ふと、
⑥ 有〔揮(快刀)断(麻)者〕⇒
⑥ 〔(快刀)揮(麻)断者〕有=
⑥ 〔(快刀を)揮って(麻を)断つ者〕有り。
(g)
⑦ 有〔揮(刀)断(乱麻)者〕。
に於いて、
⑦ 有( )⇒( )有
⑦ 断( )⇒( )断
⑦ 如〔 〕⇒〔 〕如
といふ「移動」を行ふと、
⑦ 有〔揮(刀)断(乱麻)者〕⇒
⑦ 〔(刀)揮(乱麻)断者〕有=
⑦ 〔(刀を)揮って(乱麻を)断つ者〕有り。
(h)
⑧ 有〔揮(快刀)断(乱麻)者〕。
に於いて、
⑧ 有( )⇒( )有
⑧ 断( )⇒( )断
⑧ 如〔 〕⇒〔 〕如
といふ「移動」を行ふと、
⑧ 有〔揮(快刀)断(乱麻)者〕⇒
⑧ 〔(快刀)揮(乱麻)断者〕有=
⑧ 〔(快刀を)揮って(乱麻を)断つ者〕有り。
従って、
(01)(02)(03)により、
(04)
① 二 レ 一レ
② 下 二 一 上レ
③ 三 レ 二 一
④ 下 二 一 中 上
⑤ 二 レ レ 一
⑥ 下 二 一
⑦ 下 レ 二 一 上
⑧ 下 二 一 二 一 上
といふ「通りの、返り点」は、
① 〔 ( )( ) 〕
といふ「通りの、括弧」に、対応する。
然るに、
(05)
⑧ 有〔揮(快刀)断(乱麻)者〕。
⑧ 有 快刀 乱麻
に於いて、
⑧  〔 (  ) (  ) 〕 といふ「 括弧 」は、
⑧  下 二  一    二  一 上  といふ「返り点」に、相当する。
然るに、
(06)
① 如〔揮(刀)断(乱)φ〕。
に於いて、
① 揮( )⇒( )振
① 断( )⇒( )断
① 如〔 〕⇒〔 〕如
といふ「移動」を行ふと、
① 如〔振(快刀)断(乱麻)φ〕⇒
① 〔(快刀)振(乱麻)断φ〕如=
① 〔(快刀を)揮って(乱麻を)断つがφ〕如し。
然るに、
(07)
① 如〔揮(刀)断(麻)φ〕。
に於いて、
① φ は、「黙字」であるとする。
cf.
黙字(もくじ)とは、単語や文を表す綴りの中で、発音されない表音文字や、読み上げられることのない字素のこと(ウィキペディア)。
加へて、
(08)
① 如〔揮(刀)断(麻)φ〕。
に於いて、
① φ は、「黙字」であって、尚且つ、
① φ は、「省略可能」であって、尚且つ、
① φ には「返り点」が付くものとする。
従って、
(06)(07)(08)により、
(09)
① 如〔揮(刀)断(麻)〕。
① 如 刀断一レ麻。
に於いて、
①  〔 ( )( )〕 といふ「 括弧 」は、
①  下 二一  二一 上  といふ「返り点」に、相当する。
従って、
(01)~(09)により、
(10)
① 二 レ 一レ
② 下 二 一 上レ
③ 三 レ 二 一
④ 下 二 一 中 上
⑤ 二 レ レ 一
⑥ 下 二 一
⑦ 下 レ 二 一 上
⑧ 下 二 一 二 一 上
といふ「返り点」は、
① 〔 ( )( ) 〕
といふ「 括弧 」に、相当し、
① 〔 ( )( ) 〕
といふ「 括弧 」は、
① 下 二一 二一 上 といふ「返り点」に、相当する。
従って、
(11)
「括弧」は、「返り点」よりも、「簡単」であって、それ故、その分、
「括弧」は、「返り点」よりも、「分り易い」。