大倉草紙

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【和歌山】 紀三井寺

2009年07月25日 21時00分00秒 | 旅 - 和歌山県
2月14日(土)
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楼門(重要文化財)
紀三井寺は、宝亀元年(770)、唐僧・為光上人によって開基された。
正式な寺名は「紀三井山金剛宝寺護国院」。
山内から3つの霊泉(清浄水・楊柳水・吉祥水)が湧き出ることから、「紀三井寺」と呼ばれるようになったのだという。


楼門の先にある石段。
かつて、ここにあった坂は「結縁坂」と呼ばれていたらしい。
この坂の名のいわれについては、前回訪れたときのこちらの記録を。


石段の途中にある芭蕉の句碑。
「見上ぐれば桜しもうて紀三井寺」


清浄水
紀三井寺という呼び名の由来にもなっている「清浄水」。


本堂
宝暦9年(1759)建立。


仏殿
松本明慶作の大千手十一面観音菩薩が祀られている。
その大きさに驚く。


六角堂


鐘楼(重要文化財)


開山堂


多宝塔(重要文化財)


春子稲荷
「凡そ四百年の昔、天正十三年織田信長羽柴秀吉による紀州征伐六万の大軍は根来寺、粉河寺を焼き打ちにし、紀三井寺に迫った。
丁度その頃当山観音堂に仕えていた春子という二十五才位の美女が突然須弥壇のなかゝら白狐の姿となり、身をひるがえして敵の軍営に赴き、霊力をもって武将を威服し、先鋒の将羽柴秀長から『焼討ち禁制』の書状を得て、紀三井寺及び在所を戦火から救った。
人々は危難除け春子稲荷としてこゝに祀った。」(案内板より)


文塚
届先不明となった郵便物の供養塔。
80円切手が貼られているが、郵便料金が変わる度に貼り替えられてきたのだろうか。


紀三井寺の御朱印

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