2月14日(土)
当日の行程:(車) → 【藤白神社】 → 【和歌山県立海南高校】 → 【紀三井寺】 → 【雑賀城跡】 → 【鈴木孫一の墓(蓮乗寺)】 → 【大阪府立近つ飛鳥博物館】 → 【敏達天皇陵】 → 【用明天皇陵】 → 【推古天皇陵】 → 【小野妹子の墓】 → 【科長神社】 → 【孝徳天皇陵】 → 【竹内街道歴史資料館】 → 【上宮太子高校】 → 【道明寺】 → 【葛井寺】
叡福寺を訪れたとき、太子町をもっと観て回りたいと思った。
そこで再び太子町へ。
「和を以て貴しとなす」と書かれた太子町のマンホール
【近つ飛鳥資料館】
山の中に聳えるこの建物、かなり個性的。
安藤忠雄の設計。
中央付近の塔は、「黄泉の塔」というのだそうだ。
史跡公園になっていて、周囲の古墳を見学することもできる。
冬季特別展として、「百舌鳥・古市大古墳群展」が催されていた。
太子町には、古墳のほかに、天皇稜も数多くある。
それらをいくつか回ってみることにした。
【敏達天皇河内磯長中尾稜】
第30代敏達天皇は、572年に即位。
『日本書紀』には、死後は、母・石姫皇后の墓である磯長の稜に葬られたと記されているという。
【用明天皇河内磯長原稜】
第31代用明天皇は、『日本書紀』によると、磐余の池上の稜に葬られた後、推古元年(593)には、河内磯長稜に葬られたとされている。
【推古天皇磯長山田稜】
推古天皇稜は、長方墳で、内部には二つの横穴式石室があるとされている。
【小野妹子の墓】
小野妹子の墓は、科長神社(後述)の南側の石段を上ったところにある。
墓は、円形の土台で囲まれ、森のように木々が鬱蒼と繁っている。
小野妹子の墓
【科長神社】
科長神社は式内社。
由緒はよく分かっていない。
かつては、二上山上に鎮座していたらしい。
神功皇后の雛形の小さな兜が、社宝として納められている。
拝殿
本殿
【孝徳天皇大阪磯長稜】
孝徳天皇稜は、竹内街道から、丘を少し登ったところにある。
【竹内街道歴史資料館】
竹内街道資料館
「竹内街道」の道標
竹内街道(孝徳天皇稜の前)
竹内街道は、日本最古の国道(官道)。
推古天皇21年(613)に整備された「大道(だいどう)」がそのはじまり。
大阪府堺市から奈良県葛城市の長尾神社付近までの約26キロメートルの街道である。
外交や信仰や経済が、この道を通って発展していった。
館内では、竹内街道と太子町の歴史が紹介されている。
当日の行程:(車) → 【藤白神社】 → 【和歌山県立海南高校】 → 【紀三井寺】 → 【雑賀城跡】 → 【鈴木孫一の墓(蓮乗寺)】 → 【大阪府立近つ飛鳥博物館】 → 【敏達天皇陵】 → 【用明天皇陵】 → 【推古天皇陵】 → 【小野妹子の墓】 → 【科長神社】 → 【孝徳天皇陵】 → 【竹内街道歴史資料館】 → 【上宮太子高校】 → 【道明寺】 → 【葛井寺】
叡福寺を訪れたとき、太子町をもっと観て回りたいと思った。
そこで再び太子町へ。
「和を以て貴しとなす」と書かれた太子町のマンホール
【近つ飛鳥資料館】
山の中に聳えるこの建物、かなり個性的。
安藤忠雄の設計。
中央付近の塔は、「黄泉の塔」というのだそうだ。
史跡公園になっていて、周囲の古墳を見学することもできる。
冬季特別展として、「百舌鳥・古市大古墳群展」が催されていた。
太子町には、古墳のほかに、天皇稜も数多くある。
それらをいくつか回ってみることにした。
【敏達天皇河内磯長中尾稜】
第30代敏達天皇は、572年に即位。
『日本書紀』には、死後は、母・石姫皇后の墓である磯長の稜に葬られたと記されているという。
【用明天皇河内磯長原稜】
第31代用明天皇は、『日本書紀』によると、磐余の池上の稜に葬られた後、推古元年(593)には、河内磯長稜に葬られたとされている。
【推古天皇磯長山田稜】
推古天皇稜は、長方墳で、内部には二つの横穴式石室があるとされている。
【小野妹子の墓】
小野妹子の墓は、科長神社(後述)の南側の石段を上ったところにある。
墓は、円形の土台で囲まれ、森のように木々が鬱蒼と繁っている。
小野妹子の墓
【科長神社】
科長神社は式内社。
由緒はよく分かっていない。
かつては、二上山上に鎮座していたらしい。
神功皇后の雛形の小さな兜が、社宝として納められている。
拝殿
本殿
【孝徳天皇大阪磯長稜】
孝徳天皇稜は、竹内街道から、丘を少し登ったところにある。
【竹内街道歴史資料館】
竹内街道資料館
「竹内街道」の道標
竹内街道(孝徳天皇稜の前)
竹内街道は、日本最古の国道(官道)。
推古天皇21年(613)に整備された「大道(だいどう)」がそのはじまり。
大阪府堺市から奈良県葛城市の長尾神社付近までの約26キロメートルの街道である。
外交や信仰や経済が、この道を通って発展していった。
館内では、竹内街道と太子町の歴史が紹介されている。