7月19日(日)
当日の行程:(車) → 【伊勢神宮(外宮)】 → 【猿田彦神社】 → 【伊勢神宮(内宮)】 → 【尾崎咢堂記念館】 → 【田丸城】 → 【斎宮歴史博物館】 → 【いつきのみや歴史体験館】 → 【斎王の森】 → 【三井家発祥地】 → 【松阪商人の館】 → 【本居宣長旧宅跡】 → 【本居宣長記念館・鈴屋】 → 【松阪市立歴史民俗資料館】 → 【松阪城】 → 【新上屋跡】 → 【本居宣長・春庭の墓(樹敬寺)】 → 【御城番屋敷】 → 【北畠神社】 → 【霧山城】 → (津泊)
天正12年(1584)、蒲生氏郷は12万3千石を与えられ、松ヶ島城に入城。
しかし、松ヶ島城は伊勢湾に面し狭小なことから、天正16年(1588)、この地に新たに築城した。
「松坂城」の名は、縁起のいい「松」と大坂城の「坂」の字をもらって付けられたという。
現在は、「阪」の字を用いる。
天正18年(1590)、氏郷は小田原攻めの軍功により、黒川城(会津若松城)の太守となり、以後は、服部一忠、古田重勝・重治が城主となる。
その後、徳川頼宣の領地となり、和歌山藩松坂城代が置かれたが、建造物は明治になって取り壊された。
天守閣跡
敵見櫓跡
金の間櫓跡
本丸跡
本丸跡の石垣
中御門
中央に建つのは梶井基次郎文学碑、その右側が月見櫓跡
二の丸跡に建つ梶井基次郎文学碑
『城のある町にて』では、松阪の町が描かれている。
隠居丸跡
本居宣長記念館の隣に移築された「鈴屋」(本居宣長旧宅)の敷地内にある。
当日の行程:(車) → 【伊勢神宮(外宮)】 → 【猿田彦神社】 → 【伊勢神宮(内宮)】 → 【尾崎咢堂記念館】 → 【田丸城】 → 【斎宮歴史博物館】 → 【いつきのみや歴史体験館】 → 【斎王の森】 → 【三井家発祥地】 → 【松阪商人の館】 → 【本居宣長旧宅跡】 → 【本居宣長記念館・鈴屋】 → 【松阪市立歴史民俗資料館】 → 【松阪城】 → 【新上屋跡】 → 【本居宣長・春庭の墓(樹敬寺)】 → 【御城番屋敷】 → 【北畠神社】 → 【霧山城】 → (津泊)
天正12年(1584)、蒲生氏郷は12万3千石を与えられ、松ヶ島城に入城。
しかし、松ヶ島城は伊勢湾に面し狭小なことから、天正16年(1588)、この地に新たに築城した。
「松坂城」の名は、縁起のいい「松」と大坂城の「坂」の字をもらって付けられたという。
現在は、「阪」の字を用いる。
天正18年(1590)、氏郷は小田原攻めの軍功により、黒川城(会津若松城)の太守となり、以後は、服部一忠、古田重勝・重治が城主となる。
その後、徳川頼宣の領地となり、和歌山藩松坂城代が置かれたが、建造物は明治になって取り壊された。
天守閣跡
敵見櫓跡
金の間櫓跡
本丸跡
本丸跡の石垣
中御門
中央に建つのは梶井基次郎文学碑、その右側が月見櫓跡
二の丸跡に建つ梶井基次郎文学碑
『城のある町にて』では、松阪の町が描かれている。
隠居丸跡
本居宣長記念館の隣に移築された「鈴屋」(本居宣長旧宅)の敷地内にある。