大倉草紙

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【三重】 伊勢上野城跡

2009年10月20日 21時00分00秒 | 旅 - 三重県
7月20日(月)
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井戸跡

「上野城は、元亀元年(一五七〇)織田信長の弟信包が津城の仮城として、この地に築城し、天正八年(一五八〇)津城の完成と共に、信包に代り、分部光嘉が上野城代となり 文禄四年(一五九五)一万石の独立した上野城となって光嘉が城主となった。
 慶長五年(一六〇〇)関ケ原合戦の際 津城主富田信高をたすけ、その功によって所領二万石となったが、元和五年(一六一九)城主分部光信は江州大溝藩へ移封となって、上野藩は廃藩となった。
 この城は、標高三〇米の大地に土畳ねかさみで構えたものであって現在 跡といわれる台状地があり、その北隅にさらに高い櫓状の台状地がある。この東側の畑と山林が二の丸といわれ 本丸、二の丸を囲む、南、北、西の平坦地は、家中の侍屋敷が立ち並んでいたという。
 本丸の一角に本城松という、一大松樹があって 海上を航行する船々漁民のめじるしとして尊重されていた。」(案内板より)


上野城の遺構(案内板より)
錆びて読み辛くなっているが、中央の文字は「本丸」、下の方に書かれているのは「二の丸跡」。


展望台
現在、城跡は、本城山青少年公園になっている。