大倉草紙

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【奈良】 山田寺跡・大官大寺跡

2008年07月21日 23時11分16秒 | 旅 - 奈良県
本日の行程:(車) → 【信貴山】【當麻寺】【談山神社】【山田寺跡】 → 【大官大寺跡】



【山田寺跡】

   

山田寺跡は、奈良県桜井市山田にある。
山田寺は、蘇我倉山田石川麻呂の発願により、641年に着工され、2年後には金堂が完成するが、石川麻呂の自殺のために、造営は中止される。
その後、造営が再開され、676年には塔が完成し、685年には、本尊丈六仏の開眼供養が行われたという。
本尊丈六仏は、現在、興福寺に仏頭として残っている。


   
               山田寺跡全景

宝蔵跡が見つかったあたりから山田寺全景を写したもの。
手前(右側)の丘が金堂跡、奥(左側)の丘が塔址。
金堂は寺の敷地内の北側、塔は南側に位置する。
塔の東側には、東面回廊跡が発掘されている。


   
                 東面回廊跡

   
          発掘時の東面回廊跡(案内板より)

山田寺では、塔と金堂がある中心区画は、回廊で囲まれていたという。
東面回廊は、建物全体が西側に倒れた状態で見つかったらしい。
東面回廊の規模は、南北86.9メートル、基壇幅6.4メートルだと分かったそうだ。


   
               金堂跡と礼拝石

   
           金堂跡と礼拝石(案内板より)

金堂跡を南側から撮ったもの。
山田寺金堂の基壇は、東西21.6メートル、南北18.4メートル、高さ2メートルの規模であることが発掘調査で判明したそうだ。
金堂南側中央に、東西2.4メートル、南北1.2メートルの礼拝石が見つかっているが、この場所に礼拝石を据えるのは珍しいことのようだ。
案内板の右側に写っている長方形の石が礼拝石である。


   
                  塔跡

塔跡の北側から、金堂跡(南側)を望む。



【大官大寺跡】


   
                 大官大寺跡

   
                大官大寺塔跡地

大官大寺跡は、奈良県高市郡明日香村小山にある。
『日本書紀』や『元興寺伽藍縁起』に「だいかんだいじ」もしくは「おおつかさのおおでら」と記されている。
大官大寺は、聖徳太子が創建した平群の熊凝(くまごり)精舎に始まるといわれる。
舒明天皇が百済川畔にそれを移して、「百済大寺(吉備池廃寺)」となり、その後は、「高市大寺」→「大官大寺」→「大安寺」と移転しながら変遷したと記されているが、発掘調査の結果、その記録と矛盾する点も多く指摘されている。

昭和48年の発掘調査で、東大寺の創建当時の回廊と同規模のものが見つかっていて、飛鳥最大の寺院であったのではないかといわれている。

写真の「大官大寺跡」と「大官大寺塔跡」の石碑の距離は、7~8メートルであろうか。
「大官大寺塔跡」の周りは、歴史遺跡散策道路整備工事中だった。


今日の歩数:19,499歩