大倉草紙

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【大阪】 大阪天満宮

2008年07月24日 14時21分41秒 | 旅 - 大阪府
   
                 表門(大門)

   
              表門の干支の方位板

日本三大祭のひとつである天神祭の真最中、大阪天満宮は賑わっていた。
いつもと違って、表門の周りには、浅黄幕が張られている。
大阪天満宮は、この表門(大門)のほかに、戎門、大工門、亀の池門、稲荷門、霊符門の6つの門に囲まれている。
表門の下に立って頭上に目を遣ると、干支の方位板がある。
干支が立体的で、美しい。


   
                   本殿

大阪天満宮は、天暦3年(949)、村上天皇の勅願により建立された。
菅原道真を祀る。
正平2年(1342)の楠木正行と山名時氏との合戦、元亀元年(1570)の石山合戦、天保8年(1837)の大塩平八郎の乱等で焼失したが、大東亜戦争では氏子の尽力により火災を免れ、現在の本殿は弘化2年(1845)に建てられたものが残っている。


   
                  登龍門

本殿の東と西の2ヶ所に、登龍門がある。
屋根には威勢よく跳ねる鯉、胴体には昇り龍の姿が見られる。
これは、黄河上流で鯉が龍門の下に集まり、その鯉が天に昇れば龍になるという中国の故事に因んでいるという。

登龍門は、お正月と1月25日の初天神の際に開かれるらしい。
多くの受験生が門をくぐりに訪れるそうだ。


   
                   絵馬

登龍門の脇には、絵馬が奉納されていた。
志望校合格を祈願する絵馬だけではなく、合格御礼の絵馬もある。
「教採に合格しますように」という絵馬が目に入り、近頃話題になっているだけに、思わずドキッとしてしまった。


   
                本殿と梅花殿

本殿と梅花殿は回廊で繋がっている。
梅花殿の軒には、「宅間流算術」の額がかかっている。


   
                 大将軍社

大将軍社は、大阪天満宮の摂社。
延喜元年(901)、九州大宰府の大宰権帥(だざいごんのそち)に左遷されることになった菅原道真は、摂津中島の大将軍社に参詣した後、太宰府に向かったと伝わる。
菅原道真の死から約50年を経た天暦3年(949)、大将軍社の前に突然七本の松が生え、夜毎にその梢は、金色の霊光を放ったそうだ。
村上天皇はこのことを知り、天満宮建立の勅願を出したといわれる。


   
                  鬼瓦

明治35年に葺かれた参集殿の鬼瓦。
菅原道真公御神退1075年(昭和52年)の屋根の葺き替えにあたって取り外され、本殿の西側に安置されるようになった。


   
                  牛

天満宮といえば牛。


   
             ブリスベン天神祭記念碑

次のような碑文がある。
「平成六年五月七日
 オーストラリアのブリスベンで
 天神祭を斎行した
 両国の親善を記念して
 この碑を建立する」


          
             大阪天満宮の御朱印


大阪天満宮の近くで見つけたものをいくつか。

   
                  星合池

星合池は、大阪天満宮の北側にある。
「亀の池」とも呼ばれるらしい。
七夕の日には、星愛七夕まつりが開かれる。


大阪天満宮の戎門の脇には、次のような石碑が建っている。

          
             ガラス発祥之地の碑

昭和54年(1979)、大阪硝子製品協同組合設立30周年を記念して建立された碑であるようだ。
石碑の裏面には、次のような碑文がある。
「宝暦年間(1751)
 長崎商人播磨屋清兵衛
 天満天神鳥居前ニ工場ヲ設ケ
 当時ノ玉屋ヲ開業 大阪ガラス
 商工業ノ始祖トナル」


   
                 相生楼

   
             川端康成生誕之地の碑

大阪天満宮の表門の前の通りを、やや東に行くと、「相生楼」という看板が見える。
創業180年の歴史を誇る料亭だ。
川端康成の父が開いていた「川端医院」は、相生楼の敷地内にあったとのこと。
川端康成はここで生まれた。